1.漆黒の巨躯
一学期の終焉。それは、高度育成高等学校という名の閉鎖空間における、一つの絶対的な区切りを意味していた。
だが、その後に待ち受けていたのは、学生たちが思い描くようなありきたりな夏休みなどでは決してなかった。
東京湾の専用港から出航した、世界でも有数の規模を誇る超豪華客船。
青く澄み渡る大洋を滑るように進むその巨大な船体は、一見すれば、これまでの過酷な学園生活を耐え抜いた生徒たちへの、学校側からの最上級の「ご褒美(バカンス)」のように見えた。
船内には三ツ星シェフが腕を振るう高級レストラン、最新の設備を揃えたアミューズメント施設、そして広大なプールデッキ。あらゆる娯楽が、すべて「無料」という甘美な言葉とともに開放されていた。
「おいおいおい、マジかよ! この最上級ステーキ、何枚食っても本当に0ポイントなのか!?」
「デザートのタルトも食べ放題だよ! やばい、一学期の山菜定食生活が嘘みたい!」
プールサイドやレストランでは、1年Dクラスの池寛治や山内春樹を筆頭に、持たざる底辺に喘いでいた連中が、まるで飢えた獣のように贅を貪り、歓声をあげていた。一学期中、プライベートポイントの枯渇に苦しみ、無料の山菜定食に長蛇の列を作り、プライドを摩耗させていた彼らにとって、この船上はまさに「失楽園の奪還」そのものだったのだろう。
しかし、そんな馬鹿どもの乱痴気騒ぎを、A1デッキの最上層から冷徹に見下ろしている男がいた。1年Dクラスの最後列に居座る男――継国漣(つぐくに れん)である。
「ハッ……。まぁ、哀れな羊(バカ)どもにとっては、ここが極楽に見えるんだろうねぇ」
漣は、手元のスマートフォンに表示されたプライベートポイント(PP)の残高を、いつものようにヘラヘラとした薄笑いを浮かべながら眺めていた。
【 残高:16,240,000 pt 】
一学期中、体育会系の上級生をルール厳守のチキンレースで骨までしゃぶり尽くし、さらに金に困った同級生たちに「融資(ローン)ネットワーク」を張り巡らせて利息を自動回収するシステム。それによって構築された漣の「資本主義帝国」は、すでに一介の高校生が保持していいはずのない1600万ポイントという圧倒的な領域に達していた。生徒会室で堀北学会長や南雲雅副会長を前にしたあの交渉を経てなお、彼の資産は揺るぎない絶対の力を誇っている。
「南の島へのバカンス、ねぇ……」
漣は、照りつける夏の太陽を遮るように、高級サングラスの奥の目を細めた。
前世の記憶を持ち、あらゆる複雑な事象を瞬時に理解して最適解を導き出す「超高スペック脳」を持つ漣にとって、この学校の行動は最初から胡散臭さの塊でしかなかった。
この学校が、生徒をただ喜ばせるためだけに数億、数十億という巨費を投じて豪華客船をチャーターし、至れり尽くせりの娯楽を無償で提供するはずがない。
そもそも「実力至上主義」を掲げるこの歪な檻において、甘い「飴」が与えられた後には、必ずそれを何十倍もの絶望で回収するための「鞭」が用意されている。経済の基本ルール、そして捕食者としての直感が、漣の脳内で明確な警報を鳴らしていた。
(この過剰なまでの贅沢は、生徒たちの危機感を完全に麻痺させるための『精神的麻薬(アヘン)』だ。たっぷりと肥え太らせ、油断しきったところで、奈落の底に突き落とす。……学校側の考えそうなことだ。まぁ、俺にとってはどんな理不尽な試験が来ようが、この有り余る『資本』と、俺自身の『肉体(スペック)』があれば、いくらでもルールを書き換えられるんだけどねぇ)
漣は、隣でいつも通り感情の消えた死んだ魚のような目をしている綾小路清隆を一瞥した。綾小路もまた、周囲の浮かれた空気に一切流されることなく、ただ静かに海を見つめている。
「よぉ、綾小路くん。お前もこの船、ちょっと『匂う』と思わないかい?」
「……何のことだ? 飯は美味いし、部屋は綺麗だ。文句をつける要素はないと思うが」
「相変わらず白々しいねぇ。まぁいいさ。お前がその死んだ魚の目の裏で何を考えていようが、俺の関心は別にある」
漣が唇の端を吊り上げた理由は、学園の陰謀などという退屈な政治ではない。彼にとって、金も名誉も権力も、すべては一つの究極的な目的のためのスパイスに過ぎない。
――可愛い女を、孕むほどに貪り尽くすこと。
この豪華客船には、一学期という過酷な環境で磨かれ、より一層の魅力を放つ美少女たちが、水着という名の最高に扇情的な衣装を身にまとって溢れかえっているのだ。
「さて……それじゃあ、最高のバカンス(狩り)を始めようか」
漣はサングラスを指で軽く上げ、ヘラヘラとした笑みをたたえたまま、喧騒のプールデッキへと歩き出した。
2.琥珀色のファインダー
船内のプライベートビーチを模したインドアプール、あるいは夕刻の特別開放されたデッキの片隅。
漣が最初に呼び出したのは、一学期のストーカー事件を経て、彼に対して絶対的な信頼――いや、ある種の狂信的な依存心を抱くようになった少女、佐倉愛里だった。
「つ、継国くん……あの、本当に私なんかで、よかったの……?」
待ち合わせ場所に現れた佐倉は、いつもの地味なメガネを外し、豊かな栗色の髪をサイドにまとめている。そして、その身体を包んでいたのは、彼女の驚異的なプロポーションをこれでもかと強調する、淡いピンクのビキニだった。
控えめな性格とは裏腹に、胸元はち切れんばかりの圧倒的なボリュームの双丘。きゅっと引き締まった細い腰回りから、肉感的な太ももへと続くラインは、芸術品めいた扇情的な美しさを放っている。周囲の男子生徒の視線が、一瞬で彼女に釘付けになるのがわかった。
「おいおい、最高に可愛いじゃない。お前、自分のポテンシャルを舐めすぎだよ、愛里ちゃん」
漣はいつものヘラヘラとした笑みを浮かべ、手にした私物の高性能デジタルカメラを構えた。
「さあ、せっかくのバカンスだ。カメラマンごっこをしようぜ。俺が最高の写真を撮ってやる」
「カ、カメラマンごっこ……? 私が、被写体……?」
佐倉の顔が、一瞬にして真っ赤に染まる。かつてネット上でアイドル活動をしていた彼女にとって、カメラを向けられること自体は嫌いではない。しかし、それが自分が心底から惹かれ、救われた相手である漣の向けたレンズとなれば、話は全く別だった。
「ほら、まずはそのプールの縁に軽く腰掛けて。足を少しクロスさせて、視線はカメラの少し下だ」
漣の指示は、的確かつプロのそれだった。医術によって人間の肉体の美しさや構造を細胞レベルで理解し、超高スペック脳で光の取り込み方や構図の最適解を瞬時に計算できる彼にとって、最高の写真を撮るなど赤子の手をひねるより容易い。
最初は緊張で身体を硬くしていた佐倉だったが、漣の淀みのない、しかしどこか悪戯っぽい声に導かれるうちに、徐々にその緊張が解けていく。
「そうそう、いいよ。次は、その長い髪を自分で少し持ち上げてみて。首筋のラインを綺麗に見せるように――」
パシャ、パシャと、小気味よいシャッター音が響く。
漣が切り取る写真は、決して下品なだけの猥褻なものではなかった。基本は極めて健全でありながら、時折、計算し尽くされた角度から、たまらなくエロく、そして観る者の情欲をじわじわと刺激するような、圧倒的に煽情的で美しい構図を突いてくる。
濡れたデッキに四つん這いに近い姿勢を取らせ、豊かな胸が自重で形を変える瞬間を横から捉えたり。
あるいは、プールから上がったばかりの、肌にきらめく水滴と、張り付いた髪の毛越しに見つめる、潤んだ瞳をアップで射抜いたり。
「う、嘘……。これ、本当に……私……?」
休憩中、漣の差し出したカメラの液晶画面を覗き込んだ佐倉は、驚きと感動のあまり声を震わせた。
そこに写っていたのは、いつもの教室で周囲の目を恐れて怯えている日陰の少女ではない。夏の陽光と水しぶきの中で、世界中の誰よりも光り輝き、男の本能を狂わせるような、極上の美少女だった。自分ですら気づかなかった、内に秘めた「女」の魅力が、漣の指先によって完璧に開花させられていた。
「言っただろ? お前は最高に綺麗だよ、愛里。俺以外の男に見せるのは、ちょっともったいないくらいだねぇ」
漣が耳元でそう囁くと、佐倉の身体がビクリと跳ね、その琥珀色の瞳にじわリと熱い涙が浮かんだ。感動と、漣への愛おしさが、彼女の胸の中で爆発していた。
「私……私、継国くんに出会えて、本当に、本当によかった……っ! 私を、こんな風に見てくれるのは、世界中であなただけ……!」
「おっと、泣くなって。最後は、せっかくだから記念にツーショットだ」
漣はカメラを自撮りモードに切り替え、佐倉の細い腰を強引に引き寄せた。
「ひゃあっ!?」
佐倉の豊かな胸が、漣の強靭な胸板に完全に押し潰され、極上の柔らかさが伝わってくる。漣はヘラヘラとした悪魔的な笑顔を浮かべ、佐倉は顔を真っ赤にしながらも、至福の幸福感に満ちた表情で彼の肩に頭を預けた。
カシャリ、という音とともに、二人の完璧な関係性が電子の記録へと刻まれた。
3.仮面の向こうの熱量
佐倉との撮影を終え、次に向かったのは、中央の賑やかなサロンデッキだった。
そこで待っていたのは、1年Dクラスの誰もが認める絶対的アイドルであり、聖女の仮面を被った少女――櫛田桔梗だった。
だが、現在の櫛田桔梗にとって、継国漣という男は単なるクラスメイトではない。
一学期の初頭、その裏の顔と痴態を4K動画で完璧に記録され、肉体も精神も完全に調伏された結果、彼女は漣に対して「逆らえない恐怖」を超えた、歪んだ愛情を抱くようになっていた。一度完全に破壊され、漣の圧倒的な「資本」と「力」に屈したことで、彼女の心底には、この男にだけはすべてを委ねたいという、底なしの執着が芽生えていたのである。
「あ、漣くん! こっちこっち!」
漣の姿を見つけるなり、櫛田は満面のひまわりのような笑顔で手を振り、小走りで駆け寄ってきた。
彼女の水着は、フリルがあしらわれた一見すると清楚な白いタンキニ。しかし、動くたびにチラリと覗くウエストの細さと、意外なほど豊かな胸の渓谷が、これまた周囲の男子の視線を釘付けにしている。
「待たせたねぇ、桔梗ちゃん。相変わらず、今日もファンの視線を独占してるじゃない」
「もう、漣くんったら。私は漣くんと一緒の時間を楽しみにしてたんだよ?」
櫛田は、周囲の生徒たちが見ている前で、ごく自然に漣の腕に自分の細い両腕を絡みつかせた。
彼女のその態度は、表向きは「仲の良いクラスメイト同士の微笑ましいバカンスのひとコマ」として、完璧にコントロールされていた。彼女の「偶像(アイドル)としての櫛田桔梗像」を一切崩さない、ギリギリのラインでのいちゃつき。
しかし、腕を絡められた漣には、はっきりと伝わっていた。
周囲から見えない角度で、櫛田の指先が漣の腕の筋肉を強く、まるで自分の所有物であることを確かめるように愛おしげに愛撫していること。精度高く磨かれた彼女の表の笑顔の奥にある瞳が、熱を帯びてトロリと潤んでいることが。
「おいおい、そんなにくっつくと、周りの男子の殺意で俺が死んじゃうねぇ」
漣がヘラヘラと笑いながら言うと、案の定、少し離れた席から池や山内、さらには他クラスの男子生徒たちが、血の涙を流さんばかりの嫉妬の視線を漣に注いできた。
「いいじゃない、別に。だって、今の私は……」
櫛田は、周囲の男子にギリギリ聞こえないほどの蚊の鳴くような声で、しかし確実に、漣の鼓膜へとその熱い吐息を吹き込んだ。
「……あなたの犬、なんだから。主人の隣にいるのは、当然でしょ? 漣くん……」
その瞬間、彼女の瞳の奥に宿ったのは、表の仮面でも裏の凶暴性でもない、一人の男に完全に屈服し、心底から惚れ直した女の、濃密な情欲だった。
漣はククッと喉を鳴らし、彼女の腰を引き寄せて、その耳たぶを軽く指先で弾いた。
「よく出来ました。ご褒美に、バカンスが終わったら、たっぷり可愛がってやるよ」
「……うん。楽しみにしてるね」
櫛田は一瞬だけ、ゾクゾクとした快感に身体を震わせ、すぐにいつもの完璧なアイドルの笑顔に戻って、池たちの方を振り返った。
「池くん、山内くん! 漣くんがね、これからみんなでジュースでも飲もうって! 奢ってくれるんだって!」
「マ、マジかよ継国! お前、クソ羨ましいけど、やっぱり良い奴だな!」
周囲の愚民どもをその卓越した演技力で一瞬にして手のひらで転がしながら、櫛田は漣の腕を絶対に離そうとはしなかった。完全に調伏された猟犬は、今や主人とのいちゃつきすらも、自らの至上の快楽へと変換していた。
4.足の悪い姫の影
陽が完全に沈み、豪華客船が漆黒の夜海を照らしながら進む頃。
デッキの照明は落され、大人の社交場のような静けさが漂うA3デッキの通路を、漣は一人で歩いていた。
「おや、こんなところで何をしているのかな、神室ちゃん」
漣が声をかけたのは、壁に背を預け、退屈そうに炭酸水の缶を弄んでいた少女――Aクラスの神室真澄だった。
一学期の最初に、万引きの弱みを動画で握られて以来、彼女もまた漣の秘密の「駒(おもちゃ)」として、裏で何度もその身体と尊厳を蹂躙に差し出してきた相手だった。
「……継国」
神室は漣の顔を見るなり、あからさまに嫌悪感を示して顔を顰めた。しかし、その呼吸がわずかに速くなり、身体が緊張で硬直したのを、漣の超高スペック脳は見逃さない。
「せっかくのバカンスだ。夜の船内はムードも良いし、これから、少しディープなデートでもしないかい? 久しぶりに、お前のその冷たい顔が崩れるところが見たいねぇ」
漣はヘラヘラと笑いながら距離を詰め、神室の華奢な身体を壁際へと追い詰めた。
「……お断りよ。今は絶対に無理」
神室はグッと踏みとどまり、漣の胸を両手で小突くようにして押し返した。その目は、単なる嫌悪ではなく、強い焦燥と恐怖、そして奇妙な色を帯びていた。
「おや、振られちゃったねぇ。俺の1600万ポイントの資産をもってしても、真澄ちゃんを釣ることはできないかい?」
「傷つくようなタマじゃないでしょ。そういう問題じゃないわよ! ――今、坂柳(あいつ)はここにいない。だけど、ここにいないからこそ、あいつの『目』はいつも以上に光ってるの。私はあいつの駒として、この船での他クラスの動向を監視しなきゃいけないのよ」
神室の言葉は本気だった。Aクラスの指導者であり、今回の船旅を体調不良を理由に不参加としている坂柳有栖という少女の、底知れない執念深さと知性を、神室は誰よりも理解し、恐れていた。
「ここで私が、Dクラスのあんたと親しげにデートなんかしてごらんなさいよ。すぐに坂柳の耳に入って、私とあんたの関係が全部バレるわ。そうなったら……あんたのその大層な『楽園支配計画』とやらも、スタートする前に坂柳に叩き潰されることになるわよ?」
神室の目は、坂柳への恐怖だけではなく、どこかで漣の不利益を案じるような、奇妙な色を帯びていた。完全に調伏され、深い関係を結んでいるからこそ、主人の破滅を本能的に避けようとしているのだろう。
「ふむ……。まぁ、一理あるねぇ。あのお姫様を敵に回すのは、もう少し盤面が整ってからの方が面白い」
漣はあっさりと引き下がり、神室の頭を優しく、しかし有無を言わせぬ力強さでガシガシと撫で回した。
「な、何すんのよ……っ!」
「今回は見逃してやるよ。だけど、また今度、学園に戻るか、監視の目が緩んだ時は……分かってるねぇ?」
「……分かってるわよ。だから、今はさっさと消えなさい」
神室は顔を背けたが、漣に撫でられた頭頂部の熱を意識しているのか、その耳たぶが微かに赤くなっていた。彼女もまた、悪魔の鎖から逃れることはできない。
5.交錯する視線
神室と別れ、月光が冷たく照らす船尾のデッキへと移動した漣は、手すりに寄りかかりながら夜の潮風を吸い込んだ。超高スペック脳が、周囲の些細な環境音から「獲物」たちの気配を察知する。
少し離れた影付きのスペースから、低く刺々しい声が響いてきた。
「あぁ? 何ガタガタ抜かしてんだよ伊吹。俺のやり方にケチつける気か?」
「……気に入らないだけよ、龍園。あんたのセコい小細工に付き合うのは、これっきりにさせてもらうわ」
Cクラスの支配者、龍園翔と、その側近である伊吹澪が激しく言い合っていた。伊吹は相変わらず鋭い眼光で龍園を睨みつけ、苛立たしげに髪をかき上げている。
漣は高級サングラスの奥から、その様子を退屈しのぎに眺めた。
(ククッ、あの勝気で牙を剥き出しにする雌猫……いい身体(フレーム)してるじゃない。野生の獣みたいに噛みついてくる奴ほど、ベッドの上で徹底的に折って、ワンワン鳴かせる時の快感がたまらないんだよねぇ。あの雌猫、近いうちに俺のコレクション(おもちゃ)に加えてやろうか)
下卑た欲望を脳内で弄んでいると、背後から僅かに重い足取りが近づいてくるのが分かった。振り向くと、そこには腕を組み、冷徹な表情を崩さない堀北鈴音が立っていた。
しかし、その顔色は普段よりも僅かに青白く、呼吸も微かに浅い。漣の医術の知識と観察眼が、彼女の「ほんの少しの体調不良」を瞬時に見抜いた。
「おや、堀北ちゃん。せっかくのバカンスなのに、ずいぶんと景気の悪い顔をしてるじゃない。もしかして船酔いかい? 100万ポイントくらいくれたら、俺の極上のマッサージで今すぐ一発で治してあげるけど?」
「……馬鹿げた冗談はよして、継国くん。私はいたって健康よ。それに、あなたのような不届き者に触れられるくらいなら、海に飛び降りた方がマシだわ」
堀北は眉をひそめ、気丈に言い放った。だが、言葉の端に僅かな余裕のなさが滲んでいる。
「冷たいねぇ。まぁ、無理しなさんな。リーダー(仮)が倒れちゃったら、Dクラスのバカどもが路頭に迷うからさ」
「言われなくても分かっているわ。私はただ、この異様な状況に警戒を高めているだけよ……」
フン、と鼻を鳴らして去っていく堀北の背中を見送りながら、漣はククッと喉を鳴らした。
6.歪んだ脅迫
夜も更けた頃、漣のスマートフォンに一通の暗号化されたメッセージが届いた。指定されたのは、一般生徒の立ち入りが制限されている特別管理区域の、薄暗い一室。
部屋の扉を開けると、そこには普段の冷酷な笑みを消し、異様なまでのプレッシャーを纏ったDクラスの担任・茶柱佐枝が立っていた。
「呼び出しなんて、夜這いの誘いかい、茶柱先生? 残念ながら、俺の趣味にはちょっと大人すぎるかな」
漣はヘラヘラと笑いながら、室内のソファに深く腰掛けた。
しかし、茶柱の目は一切笑っていなかった。彼女は机を両手で叩き、漣を睨みつけた。
「ふざけるな、継国。お前に極秘の命令を下す。――明日から始まる南の島での特別試験、お前が裏から糸を引き、我がDクラスを確実に『1位』へ導け。お前のその異質な頭脳と、莫大なポイントがあれば不可能な話ではないはずだ」
「へぇ? 先生がクラス昇格に焦ってるのは知ってるけど、随分と横暴な命令だねぇ。俺が断ったらどうするのさ?」
その言葉を待っていたと言わんばかりに、茶柱の唇が歪んだ形に釣り上がった。
「なら、お前の『過去』をこの学園全体、ひいては社会に公表してもいい。――中学時代、数十人もの女子生徒と同時に深い関係を持ち、凄惨な修羅場を作って人間関係を完璧に崩壊させた挙句、一部の女子たちに集団リストカット事件まで引き起こさせた……あの忌まわしい過去をな。これが表に出れば、お前がいくら天才だろうが即座に退学、いや、この社会で二度と表を歩けなくなるぞ」
一見すれば、一介の高校生を完全に精神的破滅へと追い込む絶対のカード。茶柱は漣が怯え、屈服する姿を確信していた。
しかし、人間の限界を超えた「超高スペック脳」と、世界の経済すら見通す精神を持つ漣にとって、そんな過去の醜聞など痛くも痒くもない、ただの「既知の情報」に過ぎなかった。
漣は怯えるどころか、ククッ、と低く喉を鳴らして笑い声を漏らし、逆に茶柱の顔の目の前まで顔を覗き込んだ。
「あはは! 先生、最高だねぇ。まさかそんな古いオモチャを持ち出して脅迫してくるとは思わなかったよ。だけどさぁ……」
漣は一瞬にして笑みを消し、プロの暗殺術すら凌駕する圧倒的な格闘技術のプレッシャーを全身から放ち、茶柱を壁際にまで圧迫した。茶柱の身体が、本能的な恐怖で微かに硬直する。
「その程度の過去の傷、俺の保持する1600万ポイントという『資本』と、この肉体があれば、もみ消すこともルールを書き換えることも容易いんだよ。……まぁ、一国の教師が生徒をハメるためにそんなエグい脅迫を持ち出してくるなんて、正直ドン引きだけどねぇ?」
漣は再びヘラヘラとした笑みに戻り、壁際の茶柱の肩を軽く叩いた。
「だけど、まぁいいさ。クラスを1位にすれば良いんだろ? その代わり、学校側からの『報酬』はたっぷり弾んでもらうよ、茶柱先生。俺を動かすってことは、それなりのコストがかかるんだからさ」
「……くっ、分かった。結果を出しさえすれば、学校のルールの範囲内で、お前への見返りは保証する」
茶柱は屈辱に顔を歪めながらも、その圧倒的な器の大きさに毒気を抜かれたように承諾した。
7.胎動する陰謀
深夜、漣は自室に戻り、ベッドの上でスマートフォンを開いていた。
画面には、一学期を通じて彼が構築してきた莫大な資産と、債務者たちのリストが整然と並んでいる。
窓の外、遠くに見えるのは、明日到着するであろう「南の島」の黒い影だった。
池や山内のようなバカどもは、この豪華客船という「偽りの楽園」で、学校側から与えられた無償の贅沢に骨までふやけさせている。危機感を完全に喪失した彼らが、明日から島でどのような絶望を味わうことになるのか、想像するだけで滑稽だった。
しかし、どんな理不尽な特別試験が始まろうとも、継国漣という捕食者にとっては、単なる新しい「狩り場」の開帳に過ぎない。
1600万を超える圧倒的なプライベートポイント、人間の限界を超えた自身の身体スペック、そしてすでに手の中に収めた佐倉愛里、櫛田桔梗、神室真澄という極上の女たち。さらには、これから調伏すべき新たな獲物の気配。
「さて……。学校側がどんな仕掛けを用意していようが、すべてを俺の欲望のスパイスに替えてやるとしようかねぇ」
漣はヘラヘラとした薄笑いを浮かべ、端末をポケットに収めると、静かに目を閉じた。
漆黒の海を進む豪華客船の底で、悪魔の次なる支配への秒読みが、静かに始まっていた。