※この作品はR-18です。

月光光─天に背きて姉を抱く─   作:redStrange

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プロローグ

「……で、何故こんな山奥の開発現場に、私が呼ばれたのかしら?」

 

若き考古学者・劉 明玉(りゅう めいぎょく)は、研究棟の長い廊下を早足で歩いていた。山間部の都市開発中に二体の遺体が発見されたという。しかも「通常では説明のつかない点がある」との連絡だった。

 

「内容次第では、中国全土を揺るがす大発見になるかもしれませんよ」

 

「ふぅん……遺体が二体だけなら、たいした話じゃないでしょうに……」

 

助手の言葉に、明玉はうんざりした様子で髪を掻き上げた。

 

扉を開けると、部屋の中央に置かれた台の上に、二体の遺体が静かに横たわっていた。

 

近づいた瞬間、明玉の足が止まった。

 

……これは、確かに普通ではない。

 

一人は白く長い髪がほぼそのまま残り、肌にもまだうっすらと柔らかさが感じられる。

 

もう一方は、ほとんど白骨化し、毛髪もほとんど残っていない。

 

同じ場所で埋葬されたはずの遺体に、これほど極端な腐敗の差が出ることはありえない。しかも、腐敗の進行が遅い方の遺体は、もう一方の遺体を強く抱きしめるような姿勢で固まっていた。

 

明玉は無言で屈み込み、じっくりと観察した。やがて、彼女の視線が止まった。

 

「……牙?」

 

腐敗の少ない遺体の口元から、明らかに人間のものとは異なる、鋭く長い犬歯が覗いていた。

 

***

 

「……亡くなられたのは少なくとも800年代、唐代の人物ね。二人とも十代。少し歳の差があるみたいね。十代前半の男と、十代後半の女……外傷はなく、死因は衰弱……といったところかしら。」

 

資料をまとめながら、明玉は小さく息を吐いた。しかし、眉間の皺は深くなる一方だった。

 

極端な腐敗の差。

 

女性遺体から検出された異常な濃度の高水銀と鉛。

 

そして、獣のような牙。

 

どれも、唐代の若者二人という事実に綺麗に符合しない。

 

「……パートナーが先に死んで、後を追った服毒自殺……?

 

それなら水銀と鉛の説明はつくけれど……」

 

明玉は椅子にもたれ、窓の外を見た。

 

街の明かりが、かなり減っている。相当遅くまで調べていたらしい。

 

「……まぁ、いいか。明日にしよう」

 

深い疲労が一気にのしかかってきた。

 

明玉はデスクに突っ伏すようにして、目を閉じた。

 

***

 

雨の音が、竹の屋根を静かに叩いていた。

 

「……姉さん」

 

僕は目を閉じると、いつも同じ記憶が蘇る。あの頃、李 清蘭(り せいらん)はまだ笑っていた。

 

「阿明(あめい)、またそんな顔をして。心配事があるなら、ちゃんと姉さんに言いなさい」

 

細い指が僕の頰を優しく摘まむ。姉さんはいつもそうやって、僕の弱いところを全部見抜いていた。道観*¹の奥で一人符を書き続け、夜更かしして仙経を読み耽る僕を、決して叱らずに、ただ温かい胸に抱き寄せてくれた。

 

「姉さんはね、阿明が元気ならそれでいいの。道士の道は険しいけど……あなたは優しすぎるから、たまには自分を大事になさい」

 

その言葉が、どれほど僕を救ったか。姉さんが病に倒れたのは、去年の秋だった。

 

高熱と激しい咳。体は日に日に痩せ細り、兄師が調合する湯薬も、存思*²による気功も、もはや効かなくなっていた。医術に明るい道士たちでさえ、首を横に振るばかりだった。

僕は怖かった。震えるほど怖かった。

でも、唯一の家族である姉さんが苦しむ姿をみる方が、もっと怖かった。

 

「僕が……丹(たん)を練るよ。姉さんを治せる丹を」

 

今は亡き師の教えに背き、こっそり自力で学んだ外丹(わいたん)*³の基礎。丹砂と水銀、鉛の粉を鼎(かなえ)に詰め、夜通し火を調整した。九転までは到底無理だったけれど、せめて三転の還丹だけでも……と。

 

姉さんは弱々しく笑って、僕の頭を撫でた。

 

「阿明、無理しなくていいのよ。姉さんは……あなたがそばにいてくれるだけで、十分幸せだもの」

 

それでも僕は丹を完成させた。赤く輝く小さな粒を、蜜で丸めて、姉さんの唇に運んだ。

 

最初は確かに、顔色が良くなった気がした。

 

でも、十日も経たないうちに……。

姉さんの体は熱を持ち、唇が紫に変わり、手足が痙攣し始めた。水銀と鉛の毒が、彼女の体を内側から焼き尽くしていた。

 

「ごめん……姉さん、ごめんなさい……僕が、僕が悪いんだ……」

 

寝台の上で苦しむ姉さんの手を握りながら、僕はただ泣きじゃくることしかできなかった。弱虫の僕に、できることは何もなかった。最期の瞬間、姉さんは震える指で僕の頰を拭って、微笑んだ。

 

「……阿明。泣かないで。姉さんは、ずっとあなたを見守ってるから……」

 

その手が、冷たくなっていくのを感じたとき——

 

僕の中の何かが、静かに、しかし確かに、音を立てて壊れた。




*¹道観: 道教の寺院。道士たちが修行し生活する場所。
*²存思: 道教における瞑想法。神仙や神々の姿を心に思い描く修行。
*³外丹: 道教の錬金術で作られる丹薬。不老長生を目的として用いられ、歴代皇帝の中でもこれを求める者は少なくなかった。
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