その日、村人たちは村長の家に集まり、会合を開いていた。
話題は当然、冥鶴子のことだ。
「あいつ……胸に矢が突き刺さっても、痛がる素振り一つ見せなかったぞ。」
「やっぱり不死身なんじゃあねぇのか?」
「射陽は強ぇけどよぉ……いくらお前でも、不死身の相手に勝てるのか?」
「そんな話は今いいんだよ!」
九霄さんの怒鳴り声が、村人たちの不安を断ち切った。
「さっきから黙って聞いてりゃ、不死身だの、勝てる訳がねぇだの……なんだ、てめぇら。勝てねぇ相手としか喧嘩ができねぇのか? 俺がいねぇ間に、いつからそんな腑抜けになりやがった!」
その一喝に、部屋の中がしんと静まり返る。
「不死身なのは分かった。今はそれ以外の情報が欲しい。誰か、何でもいい、気付いたことはねぇか?」
すると、一人の村人がおずおずと手を挙げた。
「……なんか、妙な男どもを連れてたな。」
「どんな連中だ?」
「それが何ていうか……立ってるだけなのに、妙に不気味でよ。」
「それは……」
気付けば、僕は手を挙げていた。
「僵尸です。あいつは僵尸を従える道士です。」
「僵尸……?そういや道士さん、あんたの姉さんも……」
「清ちゃんはいいんだよ。人を襲ったりしねぇ。」
怪訝そうな顔をした村人を、九霄さんが遮った。
「色々あったんだ。今は黙っといてやれ。」
そして僕へ向き直る。
「……で、僵尸の対策とかは知ってるのか?」
「……ごめんなさい。その事までは分かりません。でも、僕が持っている書物には何か書かれているかもしれません。調べてみます。」
「頼んだ。そういう所は、坊主の専門分野だからな。他には……」
「あの……」
九霄さんの言葉に続くように、明芳さんがおずおずと手を挙げた。
「もしかしたら、その冥鶴子も僵尸である可能性はありませんか?」
「何でそう思う?」
突拍子もない意見だったが、九霄さんは笑うこともなく、明芳さんの話に耳を傾けた。
「だって……家から見ていましたけど、血も流れず、矢が刺さっても痛がる様子もありませんでした。だとすれば、冥鶴子自身も僵尸なのでは、と……」
「なるほど……」
僕は少し考えてから、ゆっくりと首を横に振った。
「筋は通っています。ですが、僵尸にしては理性が残り過ぎています。」
「理性、ですか。」
「はい。僵尸とは『魂を無理矢理詰め込まれた死体』です。あれほど理知的で、あまつさえ僵尸を従える僵尸なんて、少なくとも僕は聞いたことがありません。」
そこまで言った時だった。
家の戸が勢いよく開き、一人の村人が駆け込んできた。
息を切らしてはいたが、その表情に浮かんでいたのは焦りよりも怒りだった。
「射陽! 捕まえたぞ!」
「なんだ、騒がしい。何を捕まえたんだ? 珍しい獣でも捕まえたってんなら後にしろ。」
「何言ってんだ! 俺達を嗅ぎ回ってる奴がいるって話しただろ! こいつのことだ!」
その言葉と共に、数人の村人が一人の若い男を連れて入ってきた。
白い円領袍に淡青の半臂を纏い、両手は後ろ手に縛られている。端正な顔には村人に殴られたのであろう痣が残っていたが、その冷たい眼差しだけは変わっていなかった。
その姿に、僕は思わず目を見開く。
「お前……仁雲じゃねえか!」
「な、何故貴様がここに……!?」
九霄さんの顔を見た仁雲の表情が、初めて大きく歪んだ。
「別れる前に言っただろ?故郷に帰るって。聞いてなかったのかよ。」
「つまり、ここは……」
「俺の村だ。」
仁雲は何とも言えない顔で俯いた。
「で、何でてめぇが村にいるんだよ。御礼参りなら後にしろ。こっちは立て込んでんだ。」
「貴様に用がある訳ではない。」
仁雲はゆっくりと顔を上げ、九霄さんを真っ直ぐ見据えた。
「冥鶴子にツケを払わせに来た。俺に無実の人間を斬らせようとした、そのツケをな。」
仁雲が別れ際に言った言葉が、僕の脳裏をよぎる。
『俺を利用して無実の人間を始末させようとした罪は、清算させねばならん。』
「あの……仁雲さん。」
「なんだ。」
仁雲の鋭い視線が、僕の目を射抜いた。
「仁雲さんは、西安に戻られたんですよね。」
「あぁ。傷を癒やした後、奴について俺なりに調べた。」
「何ぃ?」
九霄さんが身を乗り出す。
「てめぇ、アイツについて色々知っているんだな?」
「全てではないが、奴が相当危険な人物であることは分かっている。」
九霄さんだけではない。僕もまた、思わず期待に視線を向けていた。
いくら何でも都合が良すぎる気もする。だが今は、どんな些細な情報でも欲しかった。
「おい!すぐに聞かせろ!どんなことでもいい!」
「それは構わんが……」
仁雲がわずかに顔をしかめ、背後へ視線を落とす。
「まず、この縄を解け」
***
ひとまず縄を解き、村人たちの輪に加わった。
擦り切れかけた麻の衣を着た者たちの中で、小綺麗な絹の円領袍はやはり浮いて見える。……所々、泥で汚れてはいるが。
「……しかし、てめぇほどの剣の腕を持つ奴が、なんで村の連中にやられてんだよ。裴旻の剣も形無しだな。」
「奴の被害を受けているであろう村人に、手は上げられん。」
挑発とも取れる九霄さんの言葉に、仁雲さんは涼しい顔で返した。
代わりに明芳さんが、わずかに圧を含んだ笑みを浮かべる。九霄さんは小さく咳払いをして視線を逸らした。
「……で、冥鶴子ってのはどんな奴なんだ。」
本題に戻すように、九霄さんが言う。
「まず、冥鶴子は茅山派の道士崩れだ。」
「茅山派……?なんだそりゃ。」
初めて聞く言葉を確かめるように復唱し、九霄さんは僕の方を見た。
「茅山派というのは道士の一派です。符術や呪術に長けた門派として知られています。」
「へぇ……」
理解したような相槌だったが、おそらく半分も分かっていない顔だ。
九霄さんはすぐに視線を仁雲さんへ戻す。
「しかし、その道士が村をまとめる里正になるってのも変な話だな。」
「経緯は分からん。だが奴は各地で里正の座に就いている。そして……」
そこで仁雲さんの言葉が途切れた。
神妙な面持ちで視線を落とす。
「……奴が治めた村は、一つ残らず滅びている。」
「……!?」
空気が一気に冷えた。村人たちの間に緊張が走る。
「一つ残らず……?そりゃあ、そいつが無能で村人が逃げ出したとか……」
「違う。奴が管理していた村の末路は、どこも同じだ。まるで“村から人だけが消えた”ように。家具も衣類も金目の物も、そのままだったという。」
「……じゃあ、この村も……?」
「放っておけば、そうなる可能性は高い。」
村人たちのどよめきが、強風に揺れる木々のように家屋の中へ広がっていく。
「静かに!皆さん、落ち着いてください!」
明芳さんが声を張り上げる。その顔にもまた、嫌な汗が額を伝っていた。
「村人が消えるって……どういうことだよ……」
「ある村の記録が残っていた。その生き残りの証言だ。」
「……そいつは、何て言ってた?」
「ある日を境に、奇妙な人間を見かけるようになったそうだ。血の気はなく、眼は虚ろ。村人が減るにつれ、その者たちを見かける機会も目に見えて増えていったという。」
村人たちは、まだ話の意味を飲み込めていないようだった。
だが、僕には分かった。
冥鶴子は、村人を僵尸に変えている。僕が姉さんにしたように。
そんな悍ましい話を、まるで天気でも語るかのように淡々と口にする仁雲さんの姿さえ、今は少し恐ろしく見えた。
「血の気が失せ……眼が虚ろ……まさか、それって……!」
僕と同じ結論に至ったのか、九霄さんも青ざめた顔で呟く。
「そういうことだ。ある意味、皆殺しよりも質が悪い。」
「お、おい……何なんだよ。そんな顔しやがって。」
村人の一人が不安そうに尋ねる。だが、九霄さんは答えなかった。
言ったところで理解できる話ではない。それに、下手なことを言って士気を落とす訳にもいかないと判断したのだろう。僕も、それが正しいと思った。
「なら……どうすりゃいい。奴について調べて来たんだろ?弱点とか、秘密とか、そういうのはねえのか!?」
「……そこまでは突き止められなかった。俺も探りを入れようとしていたところだ。」
「……クソッ!!」
九霄さんが悔しげに吐き捨てる。申し訳なさを感じたのか、仁雲さんもまた、僅かに顔を伏せた。
「結局、奴が何をしているかは分かっても、倒し方は分からず終いか……」
「ですが……」
自然と僕の口が開いた。
「奴が僵尸を使役していることだけは分かりました。茅山派の資料を調べれば、僵尸への対処法くらいは見つかるかもしれません。」
「……そうだな。」
九霄さんは頷く。
「坊主、お前はまず僵尸の弱点を調べてくれ。」
そのような運びとなった。
奴はいつ、再び姿を現すか分からない。
それまでに、何かしら策を講じなければならない。
幸い、僕には禁書がある。
姉さんを蘇らせる際に読んだ、あの書物だ。
あれなら、僵尸に対する対処法くらいは記されているはず。道観を出る際、持ち出しておいて正解だった。
急がなければ。僕は家路を駆けた。
しかし、家へ着いた途端、背筋に冷たいものが走る。
「……やあ、玄明君。また会ったね。」
家の土間に、冥鶴子がいた。
火を起こし、何か得体の知れないものを串に刺して焼いている。鼻をつく焦げ臭さが家中に立ち込めていた。
……いや、そんなことはどうでもいい。僕の目を奪ったのは、冥鶴子でも串焼きでもない。
焚き火だった。
薪に混じって、何冊もの書物が燃えている。
その表紙には、見覚えがあった。
いや、見覚えどころではない。今まさに、僕が必要としていた禁書だった。
「な……なんで……」
「随分待たされたからね。腹が減ってしまったんだ。」
そう言って冥鶴子は串を豪快に噛み千切る。
咀嚼を終えると、新しい一本をこちらへ差し出した。
「君もどうだい?毒蛇だ。味は褒められたものじゃないが、精は付く。五辛を避ける道士には、案外悪くない食べ物だよ。」
「……なんで、お前が……禁書を……」
「禁書?」
冥鶴子は焚き火へ目をやり、肩を竦める。
「ああ、一通り読ませてもらったよ。煉屍の術はそこそこ興味深かったが、書いてあることは基礎的なことばかり。私の役に立つほどの内容ではなかった。」
燃え盛る炎を眺めながら、平然と続ける。
「だが、君には役立つかもしれない。だから燃やした。」
僕が言葉を失っている間にも、冥鶴子は家財を漁り始める。
金目の物には目もくれず、薬草や器具ばかりを手に取って眺めていた。
「ほう、阿魏か。随分と珍しい物を持っているな。」
冥鶴子は竹管の蓋を開け、中身をまじまじと眺める。
「薬師でも始めたのか?奴らは珍しい生薬を集めては、自慢げに効能を語りたがる。」
竹管を元の場所へ戻し、肩をすくめた。
「阿魏も悪い薬ではないが、私に言わせれば胃を治すなら陳皮*¹で十分だ。安いうえによく効く。価値よりも効能を見たほうがいいぞ。」
まるで旧友の家で世間話でもしているような口調だった。
「……もう、用は済んだんじゃないのか。」
「用?」
冥鶴子は顎に手を当て、しばらく考える素振りを見せる。
やがて、思い出したように手を打った。
「ああ、そうだった。まだ一つ残っていた。」
細く吊り上がった金色の瞳が、ゆっくりとこちらを向く。
……いや。その視線は、僕ではない。
僕の隣に立つ、姉さんへと注がれていた。
冥鶴子は足早に、どかどかと床を鳴らしながら姉さんの元へ歩み寄る。そして初めて会った時のように、その顔へゆっくりと顔を近づけた。
「……やはり美しい……」
色目とは違う。
逸物を前にした収集家のような、恍惚とした声が静かに漏れる。
「僵尸は飽きるほど生み出した。当然、女の僵尸も、だ。美しい女を僵尸に変えれば、私も永遠の美を讃えた僵尸を作れると信じていた。」
誰かを呼ぶべきなのは分かっていた。
だが、先手を打って禁書を焼くほど狡猾な冥鶴子が、護衛も置かずに僕の家へ上がり込むとは思えない。
下手に動けば、どこからともなく奴の僵尸が現れ、村を襲うだろう。
「辺鄙な山中の小さな道観で、姉を僵尸にした道士がいる。しかも、それが美しい僵尸だと聞いた時は、『たかが僵尸で、何を馬鹿なことを』と思った。」
冥鶴子は清蘭の頬を眺めながら、小さく笑う。
「馬鹿は私だったわけだ。君にこれほど執着し、私も負けじと僵尸を生み続けてきたのだからな。」
先ほどまでの邪悪さと無邪気さが入り混じった空気は消え失せ、その眼差しは、まるで珍しい術式を前にした道士そのものだった。
だが、それも長くは続かない。
「……いいなぁ。」
ぽつりと漏れた一言。
「欲しいなぁ……」
羨望に濁った呟きが、その雰囲気をゆっくりと壊していく。
姉さんが、欲しい?
……ふざけるな。
姉さんは『物』じゃない。
お前なんかに触れていい人じゃない。
姉さんも……どうして抵抗しないんだ。
僕以外に触れられて、どうして避けないんだ。
細い指が頬をなぞり、首筋へ滑り、肩へ、胸元へと下りていく。
それでも姉さんは、されるがままだった。
自分でも、よく分からない。
でも、冥鶴子の指が動くたびに、胸の奥で何かが軋み、怒りにも似た名もない感情が、じわじわと心を侵していく。
「……決めた。」
冥鶴子の口元が、不気味に吊り上がる。
そして姉さんの肩を掴み、叫ぶように言い放った。
「これは私の物だ!! 私なら君より有益に扱える!! そうだ、君も一緒に来ないか!? そうすれば君も一生姉と――」
最後まで言い終えることはなかった。
ガァンッ!!
金属が砕けるような音が、家中に響き渡る。
冥鶴子の首が、人間ではあり得ない角度まで折れ曲がっていた。
……僕は。
いつの間にか、鉄鍋を振り上げ、奴の頭を思い切り殴りつけていたらしい。
恐怖はなかった。
罪悪感も、なかった。
ただ胸の奥で渦巻く、名前も分からない感情だけが、折れ曲がった奴の首を静かに見つめていた。
「……ククッ……なるほどなぁ……」
冥鶴子の肩が小さく震えた。
怒りではない。 驚きでもない。未知の発見を前にした学者のような笑みだった。
「君が姉へ向ける視線は、罪悪感と愛情だけだと思っていたが……」
冥鶴子は顎と後頭部に手を添える。
ぐきり、と。
枯れ枝を束ねてへし折ったような、不快な音が家中に響いた。
折れ曲がっていた首が、ゆっくりと元へ戻っていく。
「なんだ。君にもあるじゃないか。」
首を左右へ傾け、二度、三度と鳴らす。
頭の傷も、痛みも、最初から存在しなかったかのように、気にも留めない。
「──狂気というものが。」
僕は動けなかった。
奴を見つめることしかできない。
「……一ヶ月。」
冥鶴子は人差し指を一本立て、静かに僕へ向ける。
「それが、この村の寿命だ。」
次に、開いた掌をゆっくりと握り締めた。
まるで、掌の中にある村そのものを握り潰すように。
「一ヶ月後、私は愚図共を率いてこの村を襲う。今度は本気で殺す。そして、そのまま全員を僵尸に変える。」
その金色の瞳が、ゆっくりと姉さんへ向く。
「……君の姉だけは別だ。」
口元が、不気味に吊り上がる。
「彼女は私の側に置こう。君も気が変わったら来るといい。僵尸となって、永遠に姉の側で暮らさせてやる。」
そう言い残すと、冥鶴子は軽く片手を挙げ、そのまま家を出て行った。
後には、西方由来の濃い香だけが残される。
入れ替わるように、慌てた足音が近付いてきた。
「おい! 何があった!? 今、すげぇ音が──」
九霄さんは家へ飛び込むなり、言葉を失った。
「……坊主?」
僕の顔を見つめ、眉をひそめる。
「おい……どうした。」
「……奴が、いました。」
「奴……?」
九霄さんの顔から血の気が引く。
「まさか……!」
「……あいつ。」
乾いた唇を動かす。
「一ヶ月後、この村を滅ぼすって。」
「……チィッ!!」
九霄さんの手が、僕の肩を強く掴んだ。
骨が軋むほどの力だった。でも、不思議と痛みは感じない。
そんなことを気にしている場合じゃなかった。
九霄さんは何か叫んでいた。けれど、その言葉は耳に入らない。
気が付けば、九霄さんはどこかへ走り去っていた。
*¹陳皮:乾燥したミカンの皮。香辛料の他、生薬としても使われる