霜の降りた地面に、ステップを踏む。
「ガァアッ──!」
「おっと」
背後から飛びかかってくる猟犬を避けつつ、手にした太刀を逆手に握る。簡単に抜けないように鍔に結びつけた下緒も、そろそろ限界だろうか。そも本来の下緒の役目は帯刀のため帯に括りつけるものだし、こんな刀の使い方してればそりゃ駄目になる。
「そらっ!」
「ガッ……!?ギ、ッ───!!?」
そうとは分かっていながら、その鞘に収まったままの太刀で犬の頭を殴りつけ、鞘先で首を突き潰す。
こんな雑魚どもに刀を抜いてやる必要はないのだ。というかこいつら無限湧きだし。
霜から湧き出す猟犬どもを適当にあしらいつつ、同行者へと視線を向ける。冷気を裂くように、小さな炎の弾丸が正確に猟犬たちの急所を撃ち抜いていく。
「そっちは問題なさそうか、アルト」
「あはは、まさか。余裕だよ」
笑いながら腕を振るい、幾つもの炎の閃光を描いて猟犬らを蹂躙していくフード姿を見届けて、足元に湧き出した猟犬を踏み潰す。バリッ、という硝子の砕けるような音と同時に、猟犬の骸は氷の破片となって砕け散った。
「にしても、今回の襲撃はやけに長いね?
先に行っちゃった獣車は無事かな」
「あー……どうだかな」
動くなっつったのに俺ら置いていきやがったからなあいつ。普通に考えて全力ダッシュの走獣に追いつけるわけねぇし、守られる気ないのか?しかも相手はこいつらだってのに。
全く、頭の痛くなる話だ。護衛を置いていってどうする。
と、そのとき。
なんとも良いのか悪いのか分からないタイミングで、離れた場所から絶叫が響き渡ってくる。
「……これ俺らのせいか?」
「依頼は失敗だね。どうしようか」
「あー……」
飛びかかってきた猟犬の頭を鞘で殴りつけ、考える。
寒い。ではなく、依頼……いや、まだ依頼失敗じゃないな?
「アルト、護衛対象はあの商人じゃなかったよな?」
「え?あっ……あぁー、成程!
確かに護衛するのは商人じゃなくて〝商品〟だ!」
依頼内容は
つまり、商人は護衛対象じゃない。走獣と獣車、その御者の商人が死んだとて、商品が無事ならノープロブレム。危ない危ない、しゃーないな帰るか、ってなるところだった。
「よし。悲鳴が聞こえる距離なら間に合うだろ」
「はーい、よろしくね」
猟犬どもを蹴り飛ばし、駆け寄ってくるアルトを抱き止めて脇に抱える。腰を落とし、力を込めた足を開いて、構える。
獣車が止まっているのなら、十分間に合うはずだ。
強く強く、地面を蹴る。
ふわ、と重力が消え去る感覚。
そして、ぐいっ、と強く引き寄せられるような感覚。
続けざまに訪れるそれを受ければ──────
景色が変わる。
昼にしては暗すぎる、森のなか。
先と同じように霜が降りた白銀の地、そこから湧き出てくる氷の猟犬たち。そして……猟犬どもが群がる、獣車。
二頭の巨大な鼬のような生物、獣車を引く走獣が猟犬たちを相手に善戦しているが、片方は猟犬どもに全身を食いつかれ地面に倒れ臥す。もう一匹もそれを視界に納めた瞬間には、飛びかかる猟犬たちに押し倒された。
荷台は、無事だろうか。
猟犬どもはこの場で最も面倒な敵たる走獣へ集中しているが荷台にはその気配がない。が、未だ轡の繋がったまま暴れる走獣に振り回され────その走獣も、その肉を貪られ。
遂に、猟犬の一匹がその荷台へ乗り上げる。
不味い、これ間に合うか?
「やっべ、頼む!!」
「分かってるよっ!!」
名前を呼ぶ、と、同時に、俺の腕から降りたアルトの手から放たれた灼熱の閃光が、その猟犬を貫き融かす。
「ナイス!流石だ!」
「ふふん「よし飛ぶぞ!」どわぁっ!?」
今度は無理やり、アルトの腕を掴んで瞬歩で飛ぶ。
視界が切り替わり、獣車の前に降り立つ。
猟犬たちの視線と意識が、一気に集まった。
こいつらの優先順位は、こんな獣車よりも俺たちが圧倒的に上だ。意識すれば狂ったように俺たちに向かってくるのが、今は助かる。
「ぉえー……あのさあ、
いきなり飛ぶのびっくりするんだけど」
「悪かったよ、とにかく今は……む」
と、そこで。
猟犬たちは俺たちを睨み付けたまま、ぴたり、と静止する。唸り声を上げながらも、だが、動かない。
……どうやら、終わりらしい。
辺りに白い霧が立ち込める。アルトの近くに立ち警戒しつつ周囲を白く染め上げる濃霧が晴れるのを待つ。
ゆっくりと、ゆっくりと、霧が薄れていく。
「………終わったみたいだね?」
その言葉と共に、俺たちは臨戦態勢を解いた。
霧が晴れれば、元の風景と白い霜ばかりが残る。猟犬どもは消え失せ、そしてこの冷気も次第に去っていくことだろう。
襲撃の薄暗さも、明るさを取り戻していく。
「そうらしい、はあ……長かったな、今回は」
「あの犬ころばかりなら良いけどねー。
たまに面倒なのが出てくるから困りものだよ」
「そう考えるとラッキーだったかもな」
疲れたように手を叩くアルトに笑いかける。
そういう面倒なのが出て来てしまってたら間違いなく獣車と商品は駄目になる。とはいえ、三日に一回の頻度でこういう襲撃をされるのも地味に疲れる。そういう面倒な奴を相手にそれなりに全力を出さないといけないし。
そう考えて顔をしかめていると、アルトが荷車に乗り込む。
「さて、商品は無事かな」
「あぁ、これで死んでたらどうすっかね」
「レンに任せるよ。
まあ
依頼主も分かってくれるんじゃないかな。ほら」
「うおっと」
アルトが投げ渡してきたものを、慌てて受け取る。
ずしりと重く冷たいそれは、その襲撃の残り香────
冷気と共に地を覆う霜から這い出し、その標的となった者を喰らい尽くす、襲撃を終えると霜のように消えゆくワイルドハントの猟犬たち、その残らないはずの頭蓋だった。
〝ワイルドハントの残霜〟と呼ばれる代物だ。
これは霜の襲撃に遭い、それが過ぎ去った場所にただ一つ、襲撃者たちが残していくもの。そしてそれを生き延びた証。魔術で細工しなければ消え去るものだが、そうしてしまえば特別な品に加工でき、研究者には高値で売れる。
当然ながら、魔術的にも価値の高いものだ。
「抜け目ないな……わざわざ取ってたのか、これ」
「まぁね。こういうのはボクの役目だ」
「助かるよ」
そう言ってぱちりとウィンクするアルト。
その頭蓋の眼窩に刀の柄を差し込み、そしてその刀も、腰のベルトに納める。扱いが雑だと言われるが、これ冷たいからあんま長いこと持ってると霜焼けするんだよ。
さて。
俺も荷車に飛び乗って、アルトと共に中を覗いてみる。
「問題なさそうだな」
「うん、良かった良かった」
そこにいたのは、黒い金属の首輪を嵌めた子供たち。
運送していた〝商品〟たる奴隷たちだった。
───
───────
この世界において……というか、この国か。
ヴァレリア王国において、奴隷制度はグレーゾーンにある。奴隷の歴史はこっちの世界でも古く、敗戦国の民や犯罪者がその立場に落とされる、なんてことは未だに普通のことだ。
しかし、聖教会の一派が奴隷制の反対を訴え出したことで、現在はそれに合わせて王国法の改訂がなされ、結果、奴隷の所持は良いけどあんまり酷いことしちゃ駄目だよ、他種族の奴隷は所持も駄目だよ、と、そんな感じの雰囲気だ。
……教会の一派、とはいえ、聖教会はデカい組織だ。
聖教会には総本山でもある宗教国家もバックにあるせいで、他国もあんまり声に出して批判は出来ないのだろう。法国は軍事的にも力があるし、他国にも影響を受けている民は多く存在している。そういう連中による革命、なんてのも最近は帝国で起きたそうだ。まあ簡単に鎮圧されたらしいが。
まあ、グレーゾーンとはいえ、それは教会からの目線の話。奴隷は労働力、もしくは愛玩として価値のあるもの、という存在だというのは変わらない。それも、金を持ってる人間に限る話だが。
「あらあ……ワイルドハントに遭ったん?
そら災難やったねえ、レンリはん」
「走獣と商人は……まあ、すまん」
「えぇよぉ、気にせんといて。うちとアンタの仲やろ?」
カビ臭い地下室。
依頼主である女は、笑みと共に扇子で口元を隠した。口ではそう言ってるが、内心かなりキレられている。お前の実力があって何で死なせてんの?って言われてる。
しょうがないじゃん……
「言い訳してもいい?」
「聞くだけ聞こか」
「俺の言うこと聞かずに逃げたのあいつ「追えたやろ?」
だけど襲撃中「アルトはんと二人おったんやないの?」
聞くだけでも聞いて欲しいなあ!?」
「こっちが形だけでも気にせん言うとるのにわざわざ
言い訳されたら腹も立つわあ。ブチ殺したろか?」
「ごめんて……」
ギラギラしてる細目が怖い。狐耳の毛も逆立ってるし。
確かに言い訳しようとした俺も悪いけどさあ。
「はぁ、まぁ今回は減給で許したるわ」
「あー……フェイチェさん?」
「どうしたん、レンリはん?」
「いくら引かれるんですかね」
「これを加味して六割。なんか言いたいことあるん?」
「あるけど黙っとく……」
「くくっ、賢明やね」
彼女、フェイチェはその目尻を落として笑い、パチンッ、と扇子を閉じる。やっとこさ機嫌を直して貰えたらしい。机に置かれた残霜も、これから減給の足しになる末路を迎える。俺も息をつき、腰の刀の柄尻に手を置く。
「そういえば、あんた、王都にはいつまでおるん?
まさか今日帰る、なんてこたあらへんよな?」
「んー……どうすっかね。予定とかは特にないし。
あ、家の掃除だけはしとかねぇといかんわ」
「なら丁度ええわ。
まだ頼みたいことがあるんよ、ええやろ?」
「え、いやちょっとは「ええやろ?」あい」
圧が強い。眼が怖い。
いやまぁ断るつもりはなかったけど。今?
「対処して欲しいのがおるんよ。
全く、立場を弁えない阿呆は扱いが困るもんでなあ」
「殺しか?」
「場合によっては」
「……反抗的な奴でもいんの?
お前それでも商会でも重役だろ、それでもか?」
「立場を把握できてない、ってところを言えば
レンリはんの言う通り『反抗的』なんやけど……
うちでも処分しかねるもんでなあ」
「へえ……?」
珍しい話だ。
商会も大きい組織であり、その力で揉み消せる問題は多い。問題のある人材を消す、なんてことは朝飯前だろう。それはまあ、多くの巨大組織の全てに言えることではあるが……
「まぁ、簡単に言わせて貰うわ。
奴隷を一つ、適当に処理してくれへん?」
「は?奴隷?」
奴隷一人消すだけ?
それくらいフェイチェでも、いや、商会の下っ端にも出来る容易いことだろうに。直接手を下すにしろ、薬やら毒やらを使うにしろ、商会なら手段もあるはずだ。
「まぁ、そうなるわな……
最近の教会が奴隷制に煩いのは知っとるやろ?」
「あぁ、でも結構前からだろ?」
「それが厄介でなあ。
最近は奴隷の処分にも良い顔せんのや。
王国法の改訂もあったしなあ」
「あー………」
商会、という組織として、あらゆる他組織との繋がりという事実は、何よりも重要になる。関係が拗れれば面倒なのは、最悪、組織間での争いという地獄を見る、その〝可能性〟が生まれること。その可能性がどれだけ小さくとも、それは、必ず避けるべきものだ。
商会は大組織としては脆い部類だ。
その役割として幹部クラスの人材は世界中にいるが、それが集結することは滅多にないというし、だからこそ、どこかの一つの国に滞在する幹部の一人を消されるだけでも、そこの流通なんかが崩壊する危険性がある。それを恐れて幹部級の者はその姿を隠し、身分すら偽っている。
人間の国たるヴァレリアに滞在する、獣人の彼女のように。
話を戻せば事は小さくなるが、小さかろうと問題は問題。
奴隷の処分、という事実がどこから教会に漏れるか分からん以上、下手にそういう手段を取れずにいる、ということだ。大変だな、こいつらも。
「だから部外者に処理を頼むってわけか」
「買ってもええし、牢のなかで殺してくれてもええ。
殺すなら顔を隠して姿を見られる、って条件付きでな」
「殺すにしても、冒険者ギルドへのリスクがデカいな。
……反抗的な奴、って言ってたか。
お前たちでどうにも出来ないくらいなんだろう?」
「そもそも反抗的な奴隷自体が買い手がおらんし、
珍しく買い手がついても、その買い手の冒険者を
逆に殺してしもうたこともあってなぁ……
こっちでも心を折る拷問を幾つか試してみたんやけど、
幾らやっても殺気と反抗心ばっかりが増すだけ……
拷問しとった側が怪我する始末や」
「とんでもねぇな……」
ちょっと心が強すぎる。
それと心を折る拷問ってなんなんですかね。
しかも奴隷という立場のせいで保護されてる結果だ。そりゃ扱いに困るから始末してくれ、って話にもなる。頭を抱えるフェイチェは溜め息をつき、座る椅子に背中を預けた。
「……まあ、一回会わせてくれ」
「ん。そう言うてくれる思って此処に来たんよ」
「だろうな。お前が嫌いそうなカビ臭ぇとこに
呼びつけるなぁとは思ったよ」
「実際嫌いやしねえ」
ここは奴隷商、その待合室だ。
フェイチェの権限で合言葉の必要な店を無理やり開けさせ、それから待ち合わせ場所として使わせてもらっている。店の奴隷商には悪いことをしたが、まぁチップを渡してどうにか機嫌を取っておいた。
立ち上がり、そして待合室を出る。すると、その廊下の壁に寄りかかるようにして、店主が帳簿を捲っていた。小太りの無愛想なおっさんだ。
「お話は終わりですか、フェイチェ様」
「いんや?それより、
このお客様がアレを引き取ってくれそうでなぁ」
「……ほ、本当ですかい!?」
「引き取るとは言ってないが……とにかく見せてくれ」
「はっ、はい、すぐに!」
「………」
なにこの反応。
いや、人殺してるっつってたな。その場で慌てたように懐を探り出す店主が取り出すのは、鍵の束と
こいつ俺に押し付ける気まんまんじゃねぇか。
「こちらです!」
「あっ、うん」
とても元気になった店主に連れられて、廊下を進む。
廊下に並ぶように作られているのは鉄格子の牢屋の数々で、ここが元は拘置場であったことの名残。そのなかで、鉄輪と鎖に繋がれているのが奴隷たちだ。五から十五にならない、そのくらいの若さの奴隷。歳を食った奴隷は売れないらしく二十を越えた奴隷は鉱山とかに送られるのだとか。
当然ながら、彼らはこちらに意識を示す。
目を向けることもしない者もいるが、視線を向ける者らも、まあ奴隷らしい濁りきって死んだ目をしている。
「ここです。
獣人用の牢ですが……なにせ暴れ回るもんで」
その廊下の最奥。
一際大きな牢屋の中に、両手と両足を繋がれた奴隷がいた。石畳の床に座り込んで俯いており、垂れ下がる長く白い髪でその表情は伺えない。だが、奴隷は気がつくと、ゆっくりと顔を上げていた。
そして、その口角を大きく上げる。
牙を剥き出し、そして髪の隙間から覗く鋭い眼光は、まるで飢えに苦しみ続け、ようやく獲物を見つけた獣のよう。
「アハハ……アタシにお客さん?珍しいね」
「………」
「……!」
「あっ、うん」
暗くて見えにくいが、女の子だ。
言葉を返すべきかと迷っていると、仏頂面のフェイチェと、また怯えたような店主の視線が『喋れ』と語りかけてくる。
それに頷きつつ、一歩、牢の前へと進み出る。
「そっちのオッサンとネーチャンは覚えてるよ。
ってことは、用があるのはアンタじゃない?どう?」
「まあ、当たりだな」
「へへ、だろうと思った。
ねぇどう?アタシを買う気ない?
文字の読み書きはできないけど、元気ならある。
アンタの言うこと、なんでも言うこと聞いてあげるよ」
拙いながらも話術はあるらしい。
楽しそうに語られる言葉と、それを紡ぐ声音。けれど、白に隠された瞳は、その色こそ見えずとも、溢れんばかりの強い感情を宿しているように視える。
まるで、本物の獣のようだ。
その爪と牙を隠しつつ、獲物に忍び寄るような獣。
だが、所詮は獣畜生。
獣に牙と爪が在ることを知り得ているなら、頭を踏みつけ、その首に輪をかけ
「はは。そうか。
殺した前の飼い主にも、同じことを言ったのか?」
「………ああ、そっか。そうだよね。
そこの腰抜けと畜生女がいるなら聞いてるか」
「心外やわあ。人以下の猿奴隷に畜生言われるなんて」
「あん?アンタとは喋ってないんだけど?」
「あらぁ、聞こえとった?堪忍な、くくくっ」
「チッ」
「あーん?」
「あーあー、そこまでにしてくれよ」
女って怖いなぁと思った。
話が進まないので二人の睨み合いの真ん中に割り込んで話を中断させつつ、その注意を引き付ける。フェイチェもこんな分かりやすい挑発に乗るなよ。分かってやってるだろ。
改めて片膝をついて彼女と視線を合わせる。まあ垂れた髪で視線は合わないが、それはともかく視線を合わせる。
「まぁなんだ、全部話すけど……
こいつらも暴れるお前を持て余してる。
だから俺が処理することになったわけだ。
「処理って……殺されんの、アタシ?」
「場合によってはな」
「………わあったよ、はあ、アタシはどうすりゃいいの?」
彼女は分かりやすく溜め息をついて、そう首を傾げた。
浮かんだであろう疑問の言葉には僅かな震えがある。それが怒りか、恐れか、どちらかは分からないが、彼女も話だけは聞いてくれるスタンスになったらしい。
「奴隷として俺の言葉と意思に従ってくれればいい。
お前専用の旨いメシと洒落た服に、
それからフカフカのベッドを
「最初に?太っ腹だね。
それで最後には何をくれるわけ?」
「自由を」
「いいね」
彼女を焦らせる必要はない。
常に爛々と目を光らせるような警戒を張っている彼女なら、こういう言葉には食いつくだろう。
そして、それを信じてはいないことも分かっている。
「けど、アンタの期待に応えられるかは別だ。
アタシに無理なこと言われても困るし」
「いや、お前にそこまで期待してないから安心しろ」
「…………あっそう」
「うん。無理なことは言わねぇよ。
そもそも俺はお前を押しつけられる側だからな。
別にお前を求めてないし殺すのも忍びないなあって」
「もうちょっと本音を隠さない!?」
「ごめん言いすぎたわ」
ナイスツッコミ。そういうの好きだよ。
求められてるって思ってて可愛いね♡
「はあ。じゃあ、なんでアタシにそこまでするの?
さっき言ってた用意するっての、金の無駄でしょ」
「生憎と金には余裕があってな。
信用と信頼で稼げる仕事をしてるんだ」
「……金持ちの道楽ってわけ?バッカみたい」
「道楽で命を預かる気はない。
少なくとも、お前を人間扱いはするつもりだ。
多少の我慢はさせるが、飢えさせることはしない。
ガキでも我慢の一つは覚えてることだろう?」
「……得意ではあるよ」
「助かる」
さて、この辺でいいだろう。
中々に根性のあるやつだ。話せば分かる。馬鹿ではないな。そこは生きるうえで学んだらしい。
立ち上がり、店主へ視線を向けて手を差し出す。
「鍵を貰えるか」
「へっ、は、はい!」
「ありがとう」
鍵を二つ受け取り、その片方を以て鉄格子を開く。
ぎい、と軋む音を立てて開くそれを抜けて、彼女の前にまで進み出る。座り込んだままの彼女はこちらを見上げ、そして乱雑に垂れ下がる髪が、その横へと落ちていく。
それを見て……少し、驚く。
「へえ、その眼……それに加えて片眼は赤ときた。
売れるようで売れないわけだな」
「……はっ、怖じ気づいた?」
「まさか。殺すのが惜しくなったくらいだ」
澄んだ空のような青、そして炎の如き赤の瞳が、揺れる。
この世界でもオッドアイは稀少なもの。奴隷ならば買い手は幾らでもいるだろう。だが、問題なのはその赤眼。
赤眼は魔性の証。
悪魔や魔族と称される、忌むべき者の眼。
誰もが顔をしかめ、唾を吐き捨てる。そんな悪の象徴だ。
買い手のつかない理由の一つには、これがあったのだろう。そしてこれもフェイチェの掌の上だったらしい。あの女狐は置いておくとして、俺は別段この赤眼に嫌悪感はない。まあ前世の価値観の影響だろう。俺は差別するが区別はしない。こんな眼の色がどうとかは興味ない。
「さて。処理を任された者として、選択肢をやるよ。
ここで死ぬか、俺と来るか……お前が選べ」
「………」
彼女は、その表情を引き締める。
惜しいとはいえ、反抗するのならここで斬ってもいい。
刀を抜き、首を落とす。簡単なことだ。
「死にたいのなら、目を閉じて下を向け。
苦痛なく、一瞬で殺してやる」
だが、死にたくないのなら、生きたいのなら。
それを選ぶのは、簡単なことではない。
彼女の前に、手を差し出す。
「俺と来るなら、この手を取れ。
苦痛はあるだろうが、お前を生かしてやる」
生きることと苦痛は、斬っても切れない関係。
人生なんて辛く苦しいもの。それを少しでも楽にするのが、その人間の生きざまというやつだ。
安寧と共に死にゆく幸福か、苦痛と共に生きる不幸か。
選ぶのは、せめて彼女自身であるべきだから。
「……」
彼女は微かに震えながら、だが、確かに手を伸ばした。
この手に触れた細い指先が、びくりと跳ねる。
そしてゆっくりと、手が重なった。
小さく、細く、けれど、確かな命の温もり。
生きることを選んだ、強さと熱を感じる。
「そうか」
「勘違いしないで欲しいけど。
アタシに嘘ついたり死なせるようなことするなら、
すぐにその首、掻っ捌いてやるから」
「その選択を、後悔しないようにしてやるよ」
「あっそ」
その淡白な返答に笑いつつ、彼女を繋ぎ止める鎖を外す。
驚くほどにあっさりと、鍵は回る。
ガチャガチャと音を立てて落ちていく、重黒い鉄塊。
彼女は立ち上がった。
そして、赤青の視線がこちらを見上げる。
「アタシはエナ。
なんて呼んでもいいけど、これだけ教えてあげる」
「俺はレンリ。
じゃあ、エナ。これからよろしく」
こうして、俺は奴隷を手に入れた。