「はい、これで契約完了ね」
ジリッ、と手首が焼きつくような感覚と共に、目を閉じる。意識を集中し、手首に刻んだ印に魔力を流せば、そこに宿る繋がりが確かに感じられた。
目を開けて、顔を上げる。
「悪いな」
「ん?いいよー、気にしないで。
安物の巻物なんかよりもボクの契約魔術の方が
効力も強制力も数段上だろうしね」
久し振りに帰ってきた家に安心したのか、アルトは普段より優しげな笑みを浮かべて答える。フードを外し、細められた彼女の赤い瞳も、エナという新しい相手を前にしても警戒は緩んでいるように見える。
「……変な感じ。これホントにあの紙と同じやつ?」
「うん、系統は同じだよ。
まぁ追加でちょっと弄ってるやつだけど」
「ふーん……?」
エナは眉を寄せ、その腕に焼きついた赤い刻印をまじまじと見つめた。それは俺の腕にも刻まれている。同じ魔術刻印を大量に刻んでいる俺からすれば、それなりに見慣れた光景。とはいえ、契約魔術は初めてだが。
アルトに視線を向けると、彼女は頷いて言葉を続ける。
「直接身体に契約魔術を刻んだ。いつものアレだね。
その腕のやつは魂に術式を通すための入口で、
契約を刻んだ今は飾りみたいなもの。
腕ごと失くなったとしても効果は切れないよ」
「えっこわっ」「怖いこと言わないでくれない!?」
「有り得ることだからねぇ」
「縁起でもないこと言わないでって言ってるんですが」
有り得るような生活してる俺もだけど。
転生当初は平穏な生活を望んでたはずなんですが。今現在は平穏と縁のない生活してるのは……なんだかな。
ぼんやり今の生活の過酷さを思い返していると、おずおずとエナが手を上げる。
「えっと……これ、なんなのか聞いていい?」
「ん?今説明したよね?」
「その効果ってやつのこと。
アタシ何も分かってないんだけど」
「奴隷のキミがそれ知る必要ないよね?」
「う……」
「あるよ。教えてやってくれ」
「じゃあ説明するね」
「変わり身が早すぎるでしょこいつ」
「彼の言葉に勝るものはこの世にないんだよ?」
「アタシなんとかの魔術よりこいつが怖いんだけど」
「我慢してくれ」
ドン引きするエナに諦めの言葉を叩きつける。
まぁ、間違ってることは『間違ってる』と言ってくれるし、アルトも思考停止して俺に全部委ねてるわけじゃない。ただ全肯定しかけてるのはあると思う。ダメになりそう。俺が。
「契約魔術っていうのは、簡単に言えば行動の強制だよ。
それから、それを拒絶した時に罰を下すシステムね」
「行動の強制……?しすてむ……?」
「無理やり約束を守らせる。
約束を破ったらお仕置きする仕組みってこと」
「あー、なるほど……?」
……エナはちょっと勉強がいるな。
言葉は分かるとはいえ、単語のお勉強が必要だ。まぁ奴隷に求めすぎるのもアレだが、俺たちが逆に不便だろこれ。
あとアルトさん教え方が上手だね。
「キミには三つ約束をさせてもらったからね。
一つ、レンの指示には従うこと」
「確かにそういう話だったよね」
「そうだな」
「二つ、レンとボクを殺そうとしないこと」
「………あー、まぁうん」
「三つ、勝手に死なないこと」
「そりゃ……自分から死のうとするわけなくない?」
「普通はそうかもね」
「??」
ちなみに契約内容は俺も初耳だ。
アルトを信頼しすぎかなぁ俺。まぁいいか。
……しかし、勝手に死ぬな、か。
まぁ……最後の最後にかなりしんどい契約をさせたな。
これはつまり、どれだけ絶望したり、どれだけ苦しくても、自分から死のうとしてはいけない、ということだ。
「さて、まあこんなところかな」
「ちょっと待って、破ったときのお仕置きは?」
「強制絶頂」「強制絶頂!?」「うん、強制絶頂」
「……なにそれ?」
「そのうち分かるよ」
「分からんでいいよ!?」
「あと二つ目を破れば死ぬよ」
「ついでみたいに言うことじゃないよね!?」
とんだ淫紋だよ。頭を抱える。
契約魔術頼んだ俺が言うのもだけど悪徳すぎるだろ。路上で頼み事して「あぁそれ今ちょっと無理」ってなったとき急に絶頂するとか有り得るだろ。駄目だろ。これ。
あと死ぬって。命が軽すぎる。軽いものでも大事にしろ。
「ちょっ、あの、契約これ見直さない?」
「えー……面倒くさいなあ」
「ぜっちょう……?がなんなのか知らないけど、
アタシは別にいいと思うよ。ていうか奴隷なんだし、
そもそも抵抗できないんだろうし」
「それでも契約書くらい完全に読まないと後悔するって。
何があろうと口約束で契約は済ますなよお前。マジで」
「わ、わかったって……」
「アルト」
「いや、この契約内容は譲れない」
「……理由は?」
「理由も何もないよね。そもそもの話だ」
呆れたような冷たい視線が突き刺さる。
あっこれヤバいか?
「キミさあ、自分が強いから死なないとか思ってない?」
「むう……そんなことは「あるよね?」……あります」
「でしょ?」
「あい、調子乗ってました」
「知ってる。だからその保険だよ。
分かってることだと思うけど改めて言うよ。
その子とは今日初めて会ったんだろ?
キミが彼女の何を知ってるって言うのさ」
「……うす」
「キミが寝首を掻かれない保証はないよね」
「はい……」
「ふざけるのは良いよ。優しいのも良いよ。
でも、命の天秤を他人に傾け過ぎないで。
あと気を抜くタイミングくらいは見極めて欲しいな」
「仰る通りです……」
「反省した?」
「……したつもりです」
「ボクの考えは分かってくれた?」
「分かったつもり……」
「じゃあ聞くよ?
なんで尊厳と命を奪うペナルティを課したか分かる?」
「俺とアルトの命を守るためです……」
「惜しい。正解はキミの命が最優先。
キミのそういうとこは好きだけど、履き違えないこと」
「はい……」
「キミの命はボクが守る。
だから、ボクの命はキミが守ってね」
「………それは、それは分かってる。
必ず、何があろうと……守ってみせる」
「くくくっ……頼りにしてるよ」
くすくすと笑うアルト。
最後に本当に痛いところを突かれた。フラッシュバックする遠い記憶は、けれど鮮明に、脳裏に焼きついて消えない。
そうだ、だからこそ、強くなったのに。
彼女が俺のことを考えてくれてるのは分かってる。
……いや、分かってなかったからこその、この話だった。
しっかりしなければ。
「お説教は終わり。
契約内容は変えない。
「よろしいです……」
「……アンタも奴隷なの?この女の」
「みたいなものだ」
「ボクは彼の奴隷だし、彼はボクの奴隷だよ」
「なにそのキモい関係……」
「あはは、ひどいなあ。殺すよ?
キモいなんて言葉じゃ表せないくらい深い関係なんだ」
「確かにそうだけどキレるとこがおかしいだろ」
「どういう関係なのアンタら……」
「「運命」」
「やっぱりキモいじゃん……」
キモいかもしれないけど運命としか言い様がないんだよ。
〝運命の相手〟ではなく〝運命〟そのもの。
それが俺にとってのアルトで、彼女にとっての俺だ。確かにキモいし自己陶酔的だが、運命という関係に間違いはない。そう確信できるほどに、この関係は深いものだ。
「……ならさあ、アンタ、アタシに怒るべきじゃないの?」
「え、ボクが?キミに?なんで?」
と、ここで珍しく、エナがアルトに声をかけた。
初めから警戒していたように見えたが、同じ赤い眼の者だと分かって緩んだのだろうか、言葉は軽く投げ掛けられる。
「あー……っと、その運命とかいう関係の男が、
アタシみたいな小娘を連れてきたわけじゃん。
怒っていいと思うんだけど、なんで?」
「うん……?どういうことだ……?」
「成程。キミ、割とロマンチストだね?」
「ろまんちすとが何なのか知らないけど腹立つ……」
「ボクが、キミにレンを盗られるかもって話だろ?」
「盗る気はないけど、まぁ、そういうこと」
「あー……」
成程、分かった気がする。
同棲している男女がいたとして、その男が女子高生らへんの女の子を、その家に連れ込んできた。男と同棲してる彼女は当然だが寝取られを危惧する。喩えとしては、まさにこんな感じじゃないか?あれ、俺クズじゃないかこれ?
確かにこれはアルト怒ってもいいわ。
いや違くて……そういう気はなくて……
「あ、あの……アルト?」
「もー、そんな気にしなくていいよ?
性奴隷でもセフレでも幾らでも作ればいいじゃん」
「いいわけないが?
つーかお前それで良いの?」
「キミが最後にボクを見てくれればそれで良いし」
「世紀末覇者かお前は」「やっぱりヤバい女だ…」
「キミのモノはボクのモノだからね。
女の子も一緒だよ。なんならハーレムでも作る?」
「いや駄目だっつってるだろ。お前いるのに」
「どの口で女の子口説いてるんだっけ?
寝てないだけでキミを好きな子たくさんいるけど。
それに気付かないほど鈍感でもないよね?」
「あー、あー………それはそれ、これはこれだろ」
「そう言うならちゃんと割り切ってくれない?
それと遂にボクらの家に女の子連れ込んだわけだけど、
それはそれでこれはこれ、じゃないの?」
「うぐぅ……」
いかん、正論すぎる。
一つだけ弁明するとしたら決して口説いてるつもりはない。いや、本当に最初は強けりゃモテるってウハウハだったけど今は違うじゃん。俺そこまで器量良い人間でもないし。
「えっと……いい?」
「どうしたの性奴隷ちゃん」
「違うから」
「もー」
「アタシ結局、ここにいて良いの?」
不安そうな顔だ。
あの牢にいたときの元気はどこに行ったのだろうか。まるで借りてきた猫みたいな……
いや、そりゃそうか。自分の意思でもないのに、知らん奴の家とかいう、獣からすれば、他の生物の縄張りのど真ん中に放り込まれた状況。そりゃあ警戒も不安もあるだろう。
「そんなこと気にしなくていいよ。
ちゃんとお前の居場所は用意してやるから」
「この目……いや、この女も両方とも赤目だけど。
気にしな………あー……そういう趣味でもあるの?」
「どういう趣味だよ。そこまで性癖拗らせてないわ」
「赤目性癖拗らせてくれると嬉しいなあ」
「特殊すぎるだろ。そこまでハードな癖でもないけど。
あと悪いけど話が逸れるからお口にチャックしてて」
「はーい」
俺の性癖はノーマルだ。
アルトは当然、エナだって赤目が刺さったわけじゃないよ。まぁカッコいいとは思うけど。魔性の証とかいう特別感まで完備してるし、俺の内なる厨二心にズバズバ……
あれこれ性癖に刺さってんじゃないか!?
いかん、話が逸れる。えーと……
「なんの話だったっけ?」
「アタシがここにいていいか、って話」
「いいんじゃね?
居心地が悪ければ改善するけど。
あ、部屋は明日準備するから今日はここで寝てくれ。
寝る用のソファと布団はあとで持ってくるから」
「……本当にいいの?」
「まぁ、そこまで遠慮すんなって。
考えても仕方ないなら、頭空っぽにして気楽にいけ」
「………」
彼女は躊躇うように、その目を細める。
後先考えない、そう見えて、思考は回るタイプなのだろう。だからこそ躊躇い、迷って、不安に駆られる。それは決して悪いことではなくて、ただ一人の人間としての性質だから。
そういう奴に必要なのは、軽さだ。
思考の重圧を少しでも和らげるための軽快さ。たまには頭を休めることも大切だ。当然だが、ストレスは身体に悪い。
だから彼女に笑いかける。
自然に、軽く。
「……わかったよ」
そう彼女も、諦めたように口端を上げた。
窓から差し込んだ夕焼けの光が、彼女を照らす。
「……そろそろ良い時間だな。
アルト、家の案内と……なんか服、頼んでもいい?」
「おまかせー。あ、居候ちゃん名前聞いていい?
さっきから聞いてると思うけど、ボクはアルトね」
「あーっと……アタシはエナ。よろしく。
えっと……アンタは?」
「俺はメシ作るわ。それまでは
アルトと服選びでもして待っててくれ」
「メシ!」
エナが目を輝かせる。
旨いメシ食わせるって言ったもんね。
「今日の晩ごはん何?」
「ビーフシチューと白身魚のソースサラダ。あと芋とパン」
「おぉー、凄いご馳走だね」
「びーふ……なにそれ?」
「肉を酒と野菜で煮込んだやつだよ。
美味しさは間違いないよね」
「おおお……!」
「ま、暗くなるまで待っててな。
それまでには料理も作り終えるから」
新人歓迎会、ではないが、これも記念だ。
折角だからご馳走を振る舞おう。
そう台所へ向かおうと椅子から立ち上がって………
アルトと、視線が合う。
「……♡」
『今夜も楽しみにしてるね♡』と……
そう言わんばかりの淫靡な視線から、目を逸らした。
精のつくもん食わなきゃ………