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「……ん?」
目が覚めると、どこかの部屋にひとりで座っていた。
よく見ればここは、小学生の頃の教室。みんなで教室内鬼ごっことかして走り回って、先生に捕まって怒られたのが懐かしい。それでも懲りずに、毎日のようにやってたなあ。
でもなんで、こんなところにいるんだろう。もしかして、夢?
いや、こんなに鮮明だということは夢ではないのか? まあ、どっちでもいいか。
とりあえず立ち上がって、母校の探索でもしようと試みる。
が。何故か手足が椅子から離れず、ガタンと転びそうになった。危ないな、と呟いて足を見ると、自らの足が椅子に縛り付けられていた。驚いて両手を動かそうとするが、両手も同じく椅子の後ろで縛り付けられているようだ。
どうして? どうしてこんなことになってるの?
私には最初意味がわからなかったが、いま私が着ている制服で確信した。これは私の小学生時代の頃の夢だ。でも何故、両手両足が縛り付けられているんだろうか。窓を見ると、オレンジ色のひかりがこぼれている。もう夕方なのだろう。うちの小学校は窓と時計が近くにあって、時間もすぐ確認できた。もう、18時を過ぎている。
18時にしては明るいのは、きっとこの半袖から察するに、まだ夏なのだろう。働かない頭をフル活用して、いまこれがどういう状況なのかを必死に把握しようとした。どこかにこの手足を縛る縄のようなものを切れる器具はないのだろうかと辺りを見回す。だが見る限り、何もなさそうだ。
どうにかしてこの縄を解けまいかと考えていると、教室の扉が急に開く音がした。窓側を向いて座っていた私は首だけでもどうにか教室の扉側を見ようとする。
「あれ。目覚めてる」
そこにいたのは紛れもない、小学生時代の藍奈とその取り巻きだった。
いつもにこにこして愛嬌のあるくりんとした瞳は、瞳孔を開いて私をじっと見つめている。その眼には狂気しかなくて、いつもの可愛らしさなんて微塵も感じられない。口角を緩くつりあげ、カカカと悪魔のような笑いを漏らす藍奈。その後ろについて、取り巻きもわらう。
その笑顔は高校生になった私にとっても恐怖を感じるほどで、一瞬でも目を逸らせばすぐにでも殺されてしまいそうだった。
「ねえあんたさ」
普段は聞いたことのない、ドスのきいた声で藍奈は私に話しかけた。上靴のパタンパタンという音が、ゆっくりと近付いてくるのがわかる。思わず恐怖で目を逸らしてしまった。だめだ。殺される。
その足音は私の斜め後ろで止まり、藍奈の手が私の髪をガッと掴む。痛い。頭の痛覚が敏感に反応する。恐る恐る藍奈の顔を見ると、藍奈はニタリとわらった。
「邪魔なの」
そう言った藍奈の手には、小学生が持っているとは思えないような大きな、切れ味の良さそうなカッター。藍奈はそれを私の髪に当てる。この頃私はまだ髪が長くて、母親から受け継いだ黒髪がとても自慢だった。高校生になったいまは肩より少し下くらいに切ったが、小学生の頃の私は髪が命だった。
藍奈は、自らが掴んだ私の髪にカッターを当てた。怖くて、声も出ない。足もガクガク震えている。
素早く取り巻きがやってきて、1人が私のもう半分の髪を掴む。そしてあとの取り巻きはハサミをジャキジャキと鳴らしながら、私の髪に押し当てる。首を振って抵抗したいが、この距離なら首を振れば頬を切られかねない。私は成す術もなく、ただただ恐怖に震えていた。
「いっくよぉ」
楽しそうにわらいながら、藍奈が言った。
その瞬間、教室のドアが開く音がした。
瞬時に藍奈は、私の髪を掴んでいた手を放す。と同時に取り巻きも私の髪から手を放した。
誰がきたのか見る勇気もなく、ただひたすらに逃げ出す方法を考え続ける。でもお願い、いま来たひとがもし藍奈の取り巻きでも髪を切ろうとするようなひとでもないのなら、私を助けて____。
そう、必死に祈った。
「え、なにしてんのお前ら」
直樹の、声だった。藍奈はカッターを急いで隠したのか、私の腕を少し切った。生暖かいものが腕から流れてゆくのがわかる。直樹、助けて。お願い。お願いだから。
次の瞬間、藍奈の声が聞こえた。
「あ、なおちゃんか! なぁんだ、誰かと思ったぁ」
言い終わってから、あはは、と軽くわらう藍奈。先ほど私に向けられたドスのきいた声とはうってかわって、まるで別人のように高くて可愛らしい声だった。なおちゃんとは直樹のあだ名で、この頃みんながそう呼んでいた。無論、私はずっと直樹呼びだが。
そんな藍奈のぶりっこ声を前にして、直樹は明らかに不審そうに声を発した。
「いや..だから何してんの? そこにいんのそらだろ。なんで縛ってんの」
その名前呼びが気に食わなかったのだろう。今度はわざとだろうか、藍奈は私にしか聞こえないように舌打ちをして、カッターで私の腕を切った。意図的なのだろう、結構深く傷が入った。痛っ、とちいさく声をあげる。直樹の足音が聞こえないということはおそらく、直樹はまだ入り口付近にいるのだろう。私の傷はたぶん見えていない。
藍奈は落ち着いた声で、淡々と話し始めた。
「なおちゃんこそ、なんでこんな時間にここにいるの?」
取り巻きがそうよそうよと同意し始める。直樹が黙っていると、藍奈が続けて話す。
「……もしかして、そらと一緒に帰るとか? 」
さっきのぶりっこ声よりも少しトーンが低い。顔が見えないので表情はわからないが、言葉の響き方からするときっといま藍奈は笑顔だ。笑顔で喋ったときの声の響きと、口角を上げずに喋ったときの声の響きの違いは明確なのだ。
黙っている直樹に取り巻きが追い討ちをかけると、直樹も淡々と話を始めた。
「残念だけど違うわ。忘れ物取りに来た。……でさっきから話逸らし続けてるけど、いま何してんの?」
直樹の声は至って冷静だったが、怒りを含んでいるようにも聞こえた。そんな直樹に怖気付いたのか、藍奈は黙ってしまった。パタンパタンと上靴の音が聞こえ、直樹は少しずつだが近付いてきているようだった。さっきまでの震えはだいぶおさまったが、腕の出血量はどんどんと増えていく。じんじんとした、焼け付くような痛み。私はただ歯を食いしばって耐えることしかできなかった。
「ねえ」
直樹の声。その声はさきほどよりも確実に私に近付いていて、藍奈の目の前に直樹が立っているようだった。藍奈がふるえているのがわかる。あ、あ..とちいさく声を漏らし、じりじりと後ろに下がっているみたいだ。でも藍奈の後ろには私の椅子がある。藍奈は真っ先に私の腕の前にきたのだろう、制服のすそがすこし傷口に当たった。下手に動くと私の傷が直樹にばれることを恐れて、逃げられないのだろう。
正直私はすこしだが安心していた。直樹がきっと助けてくれる、そう思った。でも複数対私たち2人では、きっと逃げ出せられる確率は低い。しかも相手は凶器を持っている。
「オイ!!!!!!!!」
突然教室に響いた直樹の怒声に、私まで驚いて肩が震えた。
そのとき、カシャーンと床に何かが落ちたような音がした。私の目の前まで転がってきたそれは、私を傷付けた藍奈のカッターだった。藍奈のカッターの先端には赤いものがべっとりと付着している。その赤いものが私の血だというのは一目瞭然だ。
「..何それ。……カッター?」
直樹は私の足元にあるそれを指差した。すると藍奈は「違う、違うのっ」と言い訳をしながら私の足元にあるカッターをとった。だがそのとき移動したことで、私の腕の傷が露わになる。
「そら?!! 血やばいじゃんこれ!!!!!」
急いで駆け寄ってきて、私の腕からぼたぼた零れ落ちる血をどうしようかと見つめる直樹。その瞬間、藍奈が指を鳴らした。パチン、と気持ちのいい音が、教室に響く。
「今よ」
くすくすとわらう藍奈のその言葉を合図に、取り巻きが直樹の腕を掴んだようだ。耐えられなくなって後ろに目をやると、5人ほどの取り巻きがはなせはなせともがく直樹をとらえていた。それを見て、再びくすくすとわらう藍奈。
藍奈は私が座っている椅子の背をもち、直樹の方にぐるりと回転させた。目の前には両手両足をひとりずつにおさえられ、動けない直樹。そして、カッターをチキチキ言わせて私を見る藍奈。その眼はまるでゴミを見るような眼だった。
すると藍奈は再び、黙って私の髪にカッターをあてた。嫌だ嫌だとちいさく抵抗する私なんてお構いなく、髪をジョキジョキと手際よく切っていく。思った通り、切れ味のよいカッターだ。私はだんだん、幼い頃から綺麗だと褒められ続けた髪を切られることがつらくなり、やっと声をあげた。
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"い"や"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"や"め"て"や"め"て"や"め"て"や"め"て"や"め"て"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"」
それはとても人間とは思えないような声だったが、私は泣きながらそう叫び続けた。まるで狂ったように、ひたすら。だらしなく涎を垂らし、えぐえぐとしゃくりあげる私を見て、藍奈はあははははは、と楽しそうにわらい狂って髪を切り続けた。じょきじょき。じょきじょき。じょきじょき。直樹が怒鳴る。やめろと。人間のクズだと。何をしているんだと。それでも止まらない。じょきじょき。じょきじょき。じょきじょき。じょきじょき。
切り刻まれるごとに、藍奈の高笑いと私の叫び声、直樹の怒声が混じり合って響く。
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10分ほどたっただろうか、あのあとも同じように使い続けた私の喉はもう潰れてしまい、声なんてカラカラにしか出ない。自分の足元にバサバサと落ちてゆく自分の髪を見て、人形のようにパクパクと口を動かし続けるだけ。それだけ。もう今更何をしようが、切られた髪は元のようには戻らない。
「さて、こんぐらいかな」
満足そうに言って、カッターの刃をチキチキとしまう。髪を切られた精神的ショックと、なおも腕からこぼれつづける自らの血。私のからだは既に痙攣して、まともに言葉も発せない状況だった。あうあうと痙攣し続け、首をだらんと垂らした私はまるで本当に人間じゃないみたいだろうと自分でも思う。
行くよ、と藍奈が一声かけると、取り巻きは直樹の両手両足をはなしてさっさと出て行ってしまった。教室の外では藍奈たちの楽しそうなわらい声が聞こえる。
教室に取り残された私たちふたりは、沈黙を保っている。
すると突然、直樹が泣きながら私に土下座した。
「守ってやれなくて、ごめん……っ!!!」
直樹はそう言うと起き上がり、嗚咽を漏らしながら私の縄を解いてくれた。自由になった手足をぶらんと垂らしたあと、バランスがとれずにゴロリと転げ落ちる。自分の髪の毛と血に濡れ、私はもうぐちゃちゃだった。すかさず私の元に駆け寄り、私を抱きかかえる直樹。
「..あいつら絶対許さん」
薄れていく意識のなか、最後にこの言葉をきいた。