天才幼馴染のヒモ生活 作:猫屋敷てん
「…………俺は朝霧琴葉に勝つことができない」
かき鳴らしていたギターを止めて、俺はふと呟いた。
過去と向き合って直面した現実は、勝てないものに勝ちたいと願う愚か者の姿だ。
今弾いた曲は酷いものだ。かつて一番上手くできたと思ったオリジナル曲だが、到底琴葉に届くはずがない。
弦を押さえていた指先は痛くて、続きを弾くこともできない。
こんなものしか作れないのに、なぜ琴葉に勝ちたいと思うのだろう。
「俺は……何を考えているんだよ。俺は、どうすればいいんだよ」
もし琴葉に勝たなければこの呪縛から解き放たれないのであれば、それは一生かかっても叶わない願いだ。
俺の呪縛は本当にそうなのか。勝ちたいという思いなのか。
「俺は――」
「なお兄?」
ふと、声が聞こえた。
慌ててその声の方向を見れば、リビングの出入り口からぴょこっと覗く可愛らしい琴葉の顔がある。
「こと、は?」
その顔はとても心配そうに俺を見ていて、俺は慌ててギターを隠そうとするがもう手遅れだ。
「ど、どうしたんだ? 仕事中だろ」
「うん。でも、なお兄の音が聞こえたから」
「いつもヘッドホンつけて仕事してるだろ」
「なお兄の音だよ? 聞こえるに決まってるでしょ」
「地獄耳か」
そんなやり取りをして、俺は溜め息をつく。
こうして俺がギターを隠そうとするのも、不相応に勝ちたいと願うからだ。
違う土俵にいたら、こんな思いは抱かない。
「……久しぶりだね。なお兄が楽器触ってるの」
「ああ。もう何年ぶりだろうな」
「高校生の最後の方とかぜんぜんギター弾いてなかったよね。寂しかったな」
そう言いながら、琴葉はトコトコと俺のほうへ歩いてくる。
どんな楽器も扱いこなせる琴葉にしてみれば、俺の下手くそなギターなんて聞く意味もないだろう。
なのにそう言うのだ。
「そうだな。まあ久しぶりだから、さっぱりだ」
「…………嫌な音」
「っ――」
琴葉はボソッと毒を吐いた。
俺の心臓は恐ろしく跳ねた。
「ま、まあ……琴葉から見れば下手くそだよな」
「……違うよ。下手なんてどうでも良いよ」
「えっ?」
悲しげな顔をした琴葉は、ドサッとソファに座る俺の横に腰を下ろした。
そして足をぷらぷらさせて、フローリングの床を見つめている。
いつもハッキリと言うのに、今回ばかりは何かを言いよどむ。
「下手だろ。だから嫌な音だろ。俺もそう思う」
「ほんとにそう思ってるの?」
俺のその問いかけに対し、琴葉はじっと目を合わせてきた。
まるで水晶玉のように深い目だ。吸い込まれそうな瞳と目が合い、俺はひゅっと変な息を呑む。
琴葉は問いかけていた。
その問いかけの意味は、何なのだろう。
「何を、言ってるんだ?」
「……ん」
何かを一瞬迷った琴葉は、トンッと俺の胸に拳を置いた。
「なお兄の音は、どこにあるの」
「俺の、音?」
「ドロドロでグチャグチャで熱のない音。気持ち悪い、嫌な音」
「っ!!」
可愛らしい声と共に、放たれる毒。
初めて琴葉がそんなことを言うのを聞いた。
いつも俺の音が心地よいという今一よくわからないことを言っていた琴葉が、同じ口でそんな台詞を吐く。
ぎゅっと胸が締め付けられるような思いだった。
上手く口が開かなくて、ただただ呆然とするしかない。
そんな俺を見て、琴葉は慌てた。
「あっ……ご、ごめんね。こういうこと、もう言わないようにしようって思ってたのに」
「あ、いや。ぜ、ぜんぜん。大丈夫」
「なお兄大好き! だからあの、ごめん!!」
ぎゅっと謝罪の意を示すように抱きついて、おっぱいをぎゅうぎゅうと押しつけてくる琴葉。
しかし俺の心は、全くといって良いほど動かなかった。
「……うぅ」
「気にするなよ。そうやって正直に言ってもらった方が良い」
「で、でも!」
「気にするな」
琴葉の口を塞ぐように俺は首を横に振り、それに琴葉は言葉を詰まらせる。
「……仕事するね」
「ああ。……ごめんな。変な音聞かせて」
「ち、違うよ。その、あのね……」
琴葉は上手く言葉が出てこない様子だった。
何かを言いかけて、でも言えなくて、無理矢理呑み込みまた何かを考える。
そして何も言葉が出てこないと思ったのか、落ち込んだ様子でトボトボと二階に上がっていった。
俺も何も言葉がでず、それをただ見送ることしかできない。
琴葉の言っている言葉の意味は何なのだろう。
俺はグルグルと悩み続けた。
「琴葉」
俺は俺が情けなくてしかたがない。
「どうすれば良いんだよ」
過去に向き合ったところで、状況は好転しなかった。
しかし、多分。まだ向き合えていないんだ。
俺は琴葉の言葉の意味を理解しようとしているのを拒んでいる。
そこに答えがあるはずなのに――
◇
昔、昔の話だ。
俺はガリウスが、好きだった。
当時はまだメジャーバンドと言えるほどではなかったのに、たった一瞬その曲を聞いただけで、俺はガリウスに惚れてしまった。
その出会いは単純でありながらも、どこかでふと運命だったと俺は思う。
「……うわ。すげえ」
「どうしたのなお兄」
当時はまだ、俺も琴葉も小学生だった。俺が小学六年生で、琴葉が小学三年生。
そんな俺達は、二人で町にあるショッピングモールに遊びに来ていた。
目的は正月に貰ったお年玉でクレーンゲームをすること。
格好いい兄ちゃんとして、琴葉に奢るために手を繋いでゲームセンターへ歩く途中だ。
その道中にあったCDショップから聞こえてきたのがガリウスだった。
琴葉の手を握ったまま、俺は衝撃で固まった。
ほんの一フレーズが耳を打った瞬間に、俺は足を止めてしまったのだ。
聞こえてきたガリウスの曲は、胸を打って、心を燃やして、俺を熱狂させる、そんな曲。
「めっちゃ良い曲だよな、琴葉」
「……うん。燃えてる曲だ」
「おう。燃えるような曲だ」
そんなことを言って、まるで花に吸い寄せられる蝶のように、俺は琴葉の手を握ったままフラフラとCDショップの中に入った。
当時のガリウスはまだメジャーとは呼べなかった。
それでも少し広めにスペースが取られていて、店内で曲が流れていたのは、ここの店長の慧眼あってのことだろう。
「すげえな」
「なお兄……楽しそう」
ずっと夢中で店内の曲に浸る俺を、琴葉はどこか微笑ましいものを見るような目で見ていた。
その時はまるで年齢が逆転していたような、そんな感じだ。
「なあ琴葉。ゲームセンターはなしで良いか? 俺はこのCDが欲しい」
「うん。良いよ。なお兄の、お金だし」
「ありがとう。ごめんな」
グシャグシャと琴葉の頭を少し乱暴に撫でて、俺はCDを持ってレジまで走る。
そんな俺も、琴葉は温かな眼差し見ていたか。
それが俺の始まりだ。
その日の帰りはフードコートでご飯を食べて、二人で家に帰った。
二人で一緒にガリウスの曲を聴いて、浸っていた夜。
あの日。あの日の琴葉は確か――
「なお兄。とても良い音だ」
「な、良い曲だよな」
「ううん。なお兄が、良い音!」
「?」
そんなことを言っていたか。
なんで琴葉がそんなことを言ったかはわからない。
まだ楽器なんて鳴らしてもいなかったのに、琴葉はそう言った。
そこにあったのは、多分――
――曲が聞こえる。
それは下手くそなギターの音色。
そしてガリウスの影響を多大に受けたのだと誰しもが理解できるような、そんな曲。
俺にとっての黒歴史で、消し去りたいほどの音。
「琴葉……またCD流しているのかよ」
もう流さないって約束したのに、一階にすらその音色が聞こえてくる。
下手くそで、耳を塞ぎたくなった。
でもそれが、俺がまだ過去に向き合えていない証拠なのだろう。
「気持ち悪い嫌な音……」
ふと、さっき琴葉に言われた言葉を口ずさむ。
これは気持ちの悪い嫌な音。いいや、違うか。
下手くそなだけだ。よくよく聞けばわかる。この音色は、下手くそなだけだ。
この音色は別に気持ち悪い嫌な音ではない。
ではさっきの俺との差はどこにあるのだろう。
――ジャンッとギターをかき鳴らした。
「……今の俺とそこまで技術は変わってないだろ」
確かに暫く弾かなかったから下手にもなったが、流れているギターの音色を聞けばこれも大分下手だ。
多分まだ初めて間もない頃。プロになれると勘違いして調子に乗って録音したやつだろう。
始めたての俺と、数年ぶりの俺。そこには大きな違いはないように見える。
いや、それは技術の部分だけだ。
「……楽しそうに弾くな。お前は」
技術以外の全てが、違うような気がした。
聞こえてくるギターの音色は、どこか心が躍るような、楽しくなってくるような、そんな音だ。
「楽しそうに……ガリウスが大好きだったんだな」
ああ、そんな感じだ。大好きがそこには込められている。
楽しくて楽しくてしかたがなくて、何時間だって弾いていたい。
そんな〝熱〟が込められている。
じゃあ今の俺はどうだろう。流れる音色を聞きながら、ギターを構える。
この曲は俺の体に染みついていて、途中から合流するようにだって弾くことができた。
――ジャンジャンジャンッ。
俺もCDに合わせてギターを鳴らす。
そこにはやはり、技術的な差はほとんどない。
でも決定的に何もかもが違った。
「ははっ……気持ちの悪い嫌な音だな」
俺が鳴らしたそのギターの音色は、気持ちの悪い嫌な音だった。
今なら琴葉の言葉の意味がよくわかる。俺のギターは空っぽだ。熱がない。
楽しいとか、大好きだとか、そういう強烈な思いがない。
聞こえてくる音色とは対照的に、空っぽだった。
俺はそっとギターを見る。ボロボロで使い込んだ跡があって、多くの思い出があるギター。
あの時の俺には楽しいしかなかった。
「勝ちたい。勝ちたいって、何だろうな」
この熱を持っている時の俺には、勝ちたいなんて感情が微塵もなかった。
それがあの日、大好きだった音楽で琴葉に負けたから勝ちたいと思った。
それが俺の呪縛である。
でも、音楽に勝ち負けなんてあるのか。
「琴葉は……俺の音楽が好きだった。下手くそで琴葉から見れば素人も良いところなのに」
俺の音楽を琴葉が好きだと言ったのに、勝ちたいって何だろう。
勝ちたいなんて思いに囚われて、琴葉に屈服して、その支配下に入った俺。
それは琴葉に音楽で勝利することで払拭できるものなのか。
そんなもの、ないのに。
音楽には好きか嫌いかしかないだろう。
「っ!!!」
俺は――ギターをかき鳴らした。
思うがままに、あの日の熱に近づけるように、無我夢中でかき鳴らし、熱唱した。
そこにはガリウスが大好きだっていう思いしかない。
音楽を愛しているという思いしかない。
俺のグチャグチャになった心を、かつての熱で取り戻すような、そんな音楽を俺はかき鳴らした。
指先が裂けるように痛い。喉が燃えるような感覚に陥る。
だがそれが良い。
勝つとか負けるとか、そんな下らないことに囚われていた俺をぶん殴るような、そんな音色をかき鳴らした。