天才幼馴染のヒモ生活 作:猫屋敷てん
あの日の俺には、音楽に対する邪念がなかった。
ただ楽しいという気持ちしかなかった。
だから琴葉は、言ったのだろう。
「なお兄、良い音だ」
幼い琴葉は、必死でギターの練習をする俺の横でいつもニコニコ聞いていた。
少なくとも聞いていて気持ちの良い音を出せた自信はない。しかし琴葉はとても気持ちが良いように、目を細めるのだ。
「そうか? まだまだ下手くそだ。もっと練習しないとな」
「んー。そーいうことじゃないよ。良い音なんだよ」
「…………?」
琴葉は幼い頃から天才だったから、その言葉の意味はよくわからない。
俺はクエスチョンマークを頭上に浮かべ、琴葉は楽しそうにニコニコしている。
ただいまいち意味がわからぬとも、琴葉が良い音だと言ってくれることが、何よりも嬉しかったのだ。
「まあ、よし! もっと練習するぞ。そしてガリウスの曲を弾いて、俺の曲も作るんだ」
「わーい。かっこいいぞなお兄」
パチパチと手を叩く琴葉に良い気になって、俺は夢中でギターを弾く。
そこにはやはり、邪念がなかった。純粋な好きという気持ちしかなくて、ただ弾いていることが楽しかった。
優劣とか、勝ち負けとか、そんなこと考えたこともない幸せな日々。
だから、それを拗らせて全部変になったのだ。
ただ好きというだけで良かったはずなのに、琴葉に負けたという邪念が一瞬過ったことが全ての継起だ。
そこで勝ち負けなど馬鹿らしいと思えればよかったのに、一瞬の邪念で全てが狂った。
好きというのは拗らせると厄介だ。
俺という人間をぶっ壊し、琴葉に屈服させるほどに厄介だ。
真実は、好きを拗らせた馬鹿な男の転落でしかない。
だからそれを取り戻すために、もっと純粋で、あの頃のような、そんな音楽である必要がある。
思うがままに弾けば良い。
そこに己の思いを乗せれば良い。
変な邪念とか、プライドとか、そういうのは全部捨てれば良い。
そうすればそこには、純粋な音しか残らない。
――部屋中に音が鳴り響く。それは下手くそなギターの音。熱の籠もった声。無我夢中で弦を押さえて、指が切れそうになる魂の叫び。
そんな、音。
「っ――――はぁ、はぁ」
数分、十分。あるいは一時間。どれほど一心不乱にギターをかき鳴らしただろう。
俺は気付けば息を荒げて、ぐったりと天井を見上げていた。
恐ろしいほどの疲れが体にのしかかる。
しかしとても、心地よい。
「これが俺の、音。……そう、なのか?」
天井を見上げながら、俺はふと呟いた。
体中が熱くなって、心が燃え上がる。その脳裏に浮かぶのはかつての記憶だ。
これが、俺の、音――
「うん!」
そして入り口の方から明るい返事が聞こえてくる。
そちらの方向を見れば、ニコニコとした笑顔を浮かべた琴葉がぴょこっと顔を見せていた。
仕事をすると二階に行って、急に俺のCDをかけ始めた琴葉。
俺に気付いて欲しいという一心で、行動したのだろう。
そんな琴葉はトコトコと軽快な足取りで駆け寄ってくる。
「なお兄、良い音だ。私が大好きななお兄の音」
「……そうか。良かったよ」
何だか凄いスッキリしたような、爽快な気分だった。
プライドとか、勝ち負けとか、そういうのが全て馬鹿らしくなる。
「音楽ってのは楽しいもんだよな。それをずっと、忘れていたよ」
「うん。そうだよね。それがなお兄の教えてくれたことだ」
そう言って琴葉は、ニコッと微笑んだ。
「なお兄の音、ずっと濁ってた。でも今はとても澄んでる。もう大丈夫だね」
トンッと俺の横に座った琴葉は、先ほどとは違ってとても嬉しそうに笑って、俺に体をこすりつけてくる。
まるで猫みたいであり、とても擽ったかった。
「その音が私の始まり。今の私があるのはなお兄がいるから。ようやく、戻った」
そしてぎゅっと深く、それは深く抱きついてくる。
大きな胸が押し潰れるほどに強い抱擁は、琴葉の愛の深さを物語っていた。
それを見ていると、何だかとても嬉しくなる。俺もそっと琴葉の頭を撫でて髪を梳いた。
「何か凄い遠回りをした気分だ。ここに戻ってくるために、ウジウジと悩んで時間を無駄にした」
「そんなことないよ。なお兄にはお休みが必要だったの。……私のせいなんでしょ」
「っ……」
ふと、琴葉は呟いた。
俺を見上げてくる瞳は複雑な感情が浮かんでいて、俺は息を呑む。
「なお兄が壊れた切っ掛けは、私なんでしょ」
なぜそんなことを言うのか、という思いと、傍にいればわかるかという複雑な思いが胸を打つ。
確かにそうだ。琴葉という才能のせいで、俺は好きという感情を拗らせてしまった。
だがそれは、琴葉には知られたくなかった。格好悪いから、というのももちろんあるが、琴葉が罪悪感を抱いてしまうからだ。
俺は琴葉の才能を、殺したくはない。
「い、いや。何を言って」
「隠さなくて良いよ。わかってる。隠せないよ。わかってるでしょ」
「…………琴葉」
琴葉には隠し事ができないらしい。
俺は観念するように息を吐く。
「私のせいなのはわかってた。それを知った時は音楽辞めようかなって思ったけど、多分それが一番なお兄が悲しむから止めた。そして、ずっと待ってたんだよ」
「……ごめんな。気を遣わせた」
「ううん。ごめんね」
そっと俺の肩口に顔を埋めることは。その抱擁はとても強くなり、琴葉の悔しさが伝わってくるようだった。
「だから、私が責任を持ってなお兄をお世話しないといけない。そう思ったんだ」
「そうか……ありがとう。もう大丈夫だ。遠回りして傷つきまくったけど、もう何も心配することはない」
俺は琴葉を元気付けるようにそう言った。
これで全ての条件をクリアした。
琴葉に屈服していた俺は、勝ち負けの愚かさを理解して今まで抱えていた鬱々とした全てが消え去った。
琴葉に対する劣等感みたいなものもなくなり、ようやくこの関係を再編できる。
そうして俺が吹っ切れたことで、琴葉も恐怖を捨て去って――
「だから、ずっとお世話する。なお兄の望みは何でも叶えてあげる。浮気は駄目だけど、その分私の体を好きにして良い。なお兄はおまんこでぴゅっぴゅして、その心地よい音を鳴らしていれば良い。もう大丈夫だね。ずーっと私と一緒にいよう」
琴葉は俺が自立することを許さなかった。
「琴葉? 何を言って。いや、もう大丈夫だ。俺ももう一度働く。琴葉に甘えて堕落していく日々はもう終わりだ」
「ううん。駄目だよ。あのね、堕落じゃないの。なお兄が幸せになるために必要なこと。ほら、おっぱい気持ちいよね♡」
ぎゅうぎゅうと柔らかな胸を強く押しつけてくる。
己の秘部を、服越しにグリグリと押しつける。
甘い吐息混じりの囁きを俺の耳元でして、ずっと甘い監獄に捕えようとする。
「外は怖いよ。またなお兄が壊れちゃう。だからね、駄目。お外にはもう出さない。お買い物は通販で、外出はデートとかそういう時だけ。お金は沢山あるから、何の心配もいらないの」
甘い悪魔の囁きだ。
琴葉の恐怖は消えていなかった。俺がたとえ吹っ切れたとしても、外に出したらまた壊れてしまう。その恐怖をまだ琴葉は抱えている。
心配性というには言葉が軽いだろう。
それは呪縛だ。俺が強い呪縛を抱えていたように、琴葉もまた恐ろしい呪縛を抱えている。
それは未だ解呪されることなく琴葉を蝕み、甘い監獄を形成していた。
「琴葉……」
「ん?」
今までの俺なら、それに逆らえなかった。その甘言に溺れて、またぬるま湯に引きずりこまれていただろう。
でも今の俺は過去の俺とは違う。吹っ切れて、あの日の格付けと屈服は全部忘却した俺だ。
「お前は俺のことを好きすぎだし、心配しすぎだよ」
そのまま俺は、琴葉をソファに押し倒した。
「ひゃんっ♡ なお兄激しい♡ でもそんななお兄が好き。ソファでする? おまんこ使う?」
頬を染めて、俺が誘惑に乗ったことを喜ぶ琴葉。
そんな琴葉の頬を俺はそっと撫でた。
琴葉には、百の言葉を尽くそうとも意味はないだろう。
琴葉の本質は一切変わっていない。己を貫き通す、我の強い少女だ。
故に行動で示すしかないのだ。
「お前は俺のことを幻滅するぐらいが丁度良いよ」
「ん? どういうこと?」
言葉なんて意味が無い。だから俺は乱暴に胸を揉む。
俺がどれだけ変わろうと、琴葉が変わらなければこの関係性が終わることはない。
その呪縛を解き放つための――わからせセックスを始めよう。