天才幼馴染のヒモ生活 作:猫屋敷てん
俺が朝霧琴葉を好きになるのは、予定調和とも言えるような当たり前のことだった。
隣に住んでる三つ下の可愛い幼馴染。そんな少女が、俺を兄のように慕ってくれるのだ。
いつもチョロチョロと俺の傍にいて、いつも俺のマネをしている。好きになるなという方が無理だ。
それは成長しても変わらなく、徐々に女になっていく琴葉に恋をした。
ただの幼馴染であるなんて言い訳したところで、本当の思いは誤魔化せない。
ただ――いつからだろう。その思いが惨めなものになったのは。
『ねえなお兄。私も、作ってみたい』
その台詞が多分始まりだ。
親の手伝いとかをして、ようやく買ってもらった初心者用のギター。それを奏でていた俺の背中から抱きついて、おねだりしてきたのは琴葉だった。
いつも通り家族以上にベタベタしていて、頬と頬をくっつける勢いでおねだりしてくる。
琴葉がマネしたがったのは、音楽だ。
今まで欠片も興味がなかったのに、俺がギターを買って貰って練習したり、下手くそなオリジナルソングを奏でているのを見て、自分もやってみたいと言いだしたのだ。
『琴葉。だけどギターは難しいぞ。弾けるようになっても、曲を作るのはまた別の話しだ』
『ぶー。ねーねー。なお兄!』
『……まあ、ちょっとだけだぞ』
最初は、俺の方が上手かった。当たり前だ。
これでも俺は才能があった方だと思う。未経験から一年で下手なりにギターは弾けたし、下手なりに曲を作れた。
当時はパソコンもなかったから、適当にギターを鳴らして良いメロディーができたらそれを繋げて曲にするなんてやり方だ。
『んー。弦押さえると、指が痛くなる』
『それは慣れだ。それに慣れないとギターなんか弾けないぞ』
『そっかー。頑張る!』
最初は音の鳴らし方も知らなかった琴葉に教えることは楽しかった。
人間というのは誰かに教えることが大好きな生き物らしい。
そう、最初は楽しかった。
琴葉が俺を、あっという間に抜くまでは。
『ねえなお兄、私も作ってみたんだ!』
琴葉は三ヶ月でギターが俺レベルに弾けるようになった。
そして俺以上の音楽を、誰からも教わることなく生み出したのだ。
どこからそんなメロディを生み出せるのかと愕然とした。俺の稚拙な音楽とは根本的に違い、よくできたと思っていた俺の曲が急にゴミに見えた。
本物を知れば、偽物がハッキリとわかるらしい。
その時、天才というのはこういう人種なんだと悟った。
俺と琴葉の関係が、決定的に変わった瞬間でもある。
俺は嫉妬した。嫉妬して、兄ではいられなくなった。
抱いていた恋心はグチャグチャとした何かになり、そんな醜い自分が嫌いになった。
『ねえなお兄。また作ったんだ。聞いてよ!』
でもいつだって琴葉は純情で、キラキラとした笑顔を俺に向けてくる。
ゴミみたいな曲しか作れなかった俺を、馬鹿にしたりなんかしない。それどころかいつまでも尊敬の眼差しを向けてくるのだ。
そんな琴葉に醜い感情を向けている自分が嫌になって、より自己嫌悪に陥った。
琴葉と比べて惨めになるから、ギターを手に取ることもなくなった。
必死に歌詞を書いていたノートは紙ゴミに出した。
そして俺は、琴葉という天才の踏み台に徹したのだ。
『凄いぞ琴葉。もっと俺に聞かせてくれ』
その台詞は、大分無理して吐き出した、俺が琴葉の兄であるために必要なギリギリの証明だったのだろう。
◇
琴葉の仕事机の上にあるCD。これには俺の曲が入っている。
下手くそなギターと、下手くそな歌。若気の至りとでも言うか、厨二病の結果とでも言うか、まあ子供の頃の黒歴史の塊だ。
「……はぁ」
そんなCDを見て、俺は溜め息をつく。
なぜこんなものを琴葉は未だ大切にしているのだろう。
スターダムを駆け上がる琴葉にとって、俺の曲など駄作も良いところだ。
今すぐ捨ててやりたいが、そうすればこれを大切にしている琴葉は滅茶苦茶怒るだろう。
普段怒らない琴葉を怒らせる怖さは、長い付き合いだとよく知っている。
「っ……いや、掃除掃除。俺は俺のやることをやらねえと」
俺はこのままCDを見ていると馬鹿なことを考えることになりそうだと、パンっと頬を叩いてやるべきことをやる。
今日ここに来たのは、掃除のためだ。
ずっと琴葉は部屋に籠もって曲を作るから、俺が掃除をしないと埃まみれの部屋になる。
そうして俺が換気でもするかと遮光カーテンの掛かった窓に歩んだところで、入り口の方から声が聞こえてきた。
「あ、なお兄いた」
「ん?」
振り向けば、そこにいたのは琴葉だ。
しかしいつものラフなTシャツと下着姿ではない。
ボサボサの髪が綺麗に櫛どかれ、レースの入った白のブラウスと、黒のロングスカート。
ピアスも身につけ、化粧をして、身支度をした琴葉がそこには立っていた。
「どうでしょうか?」
「え、あ、……めっちゃ似合ってるぞ」
いつもの隙だらけな格好から、急にお洒落をされるとドキッとしてしまう。
俺に見せるようクルッと一回転した琴葉は、にひひと可愛らしい笑顔を見せる。
意外にも琴葉は曲を作るだけでなく、こうして年頃の女の子らしい一面も持っていた。
「良かった。じゃあスタジオ行かないといけないので、留守番お願いね、なお兄」
「ああ。了解。そう言えば今日行くって言っていたよな」
「うん。なお兄も行く?」
「えっ……いや。部外者が行っちゃ駄目だろ。行かないよ」
「そっかー。じゃあ夕飯楽しみにしてます!」
そう行って琴葉、パタパタと走りながら部屋を出て行った。
見送りに行こうかとも思ったが、足が動かなかったため断念する。
華々しいスターダムを駆け上り、kotoとして充実した毎日を送っている琴葉。
対して俺はブラック企業で精神がおかしくなり、琴葉のヒモやってるクソ男だ。
この対比が嫌になる。どこで何が捻れてこんなことになったのか。
しかもそんな琴葉と毎日のように体を重ねて、堕落して行くのも人として終わっていく気分になった。
「……情けないな夜崎直哉」
ポツリと俺は俺を叱責し、パンと頬を叩くと掃除へと戻った。
この部屋には琴葉の栄光が至る所に存在する。そんな部屋の掃除は、どこか自傷的なものになってしまった。
◇
どこで何を間違えたのか――
琴葉に嫉妬してしまったことだろうか?
いや、そんなの人間として当たり前のことだ。嫉妬という感情は修行僧にでもならなければ消え去ることはできない。
ならば逃げ出した時だろうか? ああ、これはそうかもしれない。
逃げずに立ち向かっていれば、あるいはちゃんと考えていれば――何かが変わったかもしれない。
人は思考を放棄した瞬間に堕落する。俺がグチャグチャになった感情をリセットするために、琴葉から離れようとしたことは正しいことだろう。
だがその時に、考えなかった。
結果的にロクに調べることもせず入社したのがブラック企業であり、そこで俺は心を壊した。
向いているはずのない営業職につき、果たせないノルマと上司からの罵倒。
他の人達はちゃんとできているのに、俺だけができなかったから、ホワイトボードに俺の成績が張り出され、みんなの前で説教されることも日常茶飯事。
ノルマをクリアできないから、残業に次ぐ残業。そしてまた失敗して怒られる。
怒られて、怒られて、怒られて、その果てに休職だ。
ちゃんと考えていれば、俺に営業職なんて無理だと別の職を選んだだろう。
これは自暴自棄になって、思考を放棄したツケだ。
そして休職した俺はオンボロ木造アパートで一日中布団にくるまって、スマホの画面を見るだけの日々が始まった。
風呂には入らなかったし、飯は食わなかった。
考えることは、琴葉と途方もない差がついてしまったということだ。
学生でありながら世間に認められ始めていた琴葉の音楽は、ネットの世界にいると良く聞こえてくる。
その度に布団にくるまって一日中スマホを見ている俺と、光り輝く世界にいる琴葉との差を見せつけられるのだ。
初恋の年下幼馴染の、格好いい兄ちゃんにはなれなかった。俺はこのまま一人寂しく死んでいくのだろう。
ずっとそんなことを考える。
そんな中、人として終わっている俺の下に久しぶりに聞く琴葉の声が響いた。
『なお兄――!!』
その時確か、琴葉は高校卒業を間近に控えた日だ。
忙しいはずなのに、どこから聞きつけたのか琴葉が俺の家に押し入ってきた。
その可愛い顔は涙でグチャグチャになっていて、琴葉は泣きながら俺に縋っていた。
その時思ったのは、情けない姿は見せたくなかったというちっぽけなプライドだ。
格好いい兄ちゃんでいるために琴葉の前から逃げ出したのに、結局かっこ悪い兄ちゃんを見せてしまった。
それでも琴葉は俺を見捨てない。
それが俺と琴葉が同棲することになった切っ掛けだ。
「なお兄!」
そうだ。あの日もそうやって叫びながら俺の名前を呼んでいた。
大成功を収めた琴葉は、俺なんか見捨てて良いはずなのに、全てを投げ捨てて俺の下に来てくれた。
本当に琴葉は良い子で、そんな琴葉に嫉妬する俺が情けなくて嫌いなのだ。
「ねえ! 大丈夫?」
ゆらゆらと体が揺れ動いた。
その時ふと、この声が夢のものではないと気付く。
俺の意識は急速に、浮上した。
◇
「っ――こと、は」
目を開ければ目の前に琴葉の心配そうな顔があった。
いつも通りとても可愛くて、俺の自慢の妹分の顔だ。
「なお兄うなされてたよ。それにソファで寝るのは良くないよ」
「あ、ああ。すまん」
どうやら家事を終えて、そのままソファで寝てしまったらしい。
懐かしい夢を見た。夜崎直哉という情けない男の夢だ。
「おっと。もう夜か。すまん、すぐ飯を作るよ」
「無理しないでね。私も手伝うよ」
「いやいや。琴葉も疲れてるだろ」
琴葉の格好を見る限り、今帰宅したばかりだろう。
外はすっかり暗くなっていて、何時間もスタジオにいた琴葉に働かせるわけにはいかない。
「でも無理はしないでね。もうなお兄が辛い姿見たくないから」
「わかってる。もう大丈夫だ」
あの日、家に押し入ってきた琴葉に散々ぶっ壊れた姿を見せた。
あれから琴葉は凄い過保護だ。
とはいえもうそんな姿を見せるつもりはない。
俺は立ち上がり、キッチンへと歩もうとする。
「んー。えいっ」
「うおっ!?」
そんな俺の背中に、ふと琴葉が抱きついてきた。
「こ、琴葉?」
大きな胸が背中で潰れるほど強く抱きついてきて、いつもと違う香水の匂いが鼻をくすぐる。
琴葉は頬を俺の首筋にこすりつけて、心配そうな声音で言った。
「なお兄、辛いことがあったらちゃんと言ってね。何か、顔色が悪いから」
「何、変な夢を見たからだよ」
「あのブラック企業の?」
「……そ、そうだな」
本当のことは話せない。
話せるはずがない。
夜崎直哉という醜い惨めな男の夢だなんて、俺は言えなかった。
だから醜い俺は徹底的に隠して、嘘をつくように俺は頷く。
「じゃあ私が癒やしてあげるね。今日もなお兄の音を聞かせて」
「琴葉……」
己の雌の部分をアピールするように、琴葉は胸をこすりつけてくる。
ああ、なぜ琴葉はこんなことをするのだろう。
本当に曲を作るために俺が必要なのだろうか。
俺は凡人だから、天才の考えることなんてわからない。
「ああ、いくらでも」
今は考えることを止めた。