天才幼馴染のヒモ生活 作:猫屋敷てん
ピンポーンとチャイムが鳴って、インターホンに映っていたのは見知らぬスーツ姿の女性だった。
その姿は見てまず思うのは、訪問販売か何かだろうかということだ。
宅配ではないし、宗教勧誘の類いでもなさそう。となれば訪問販売や営業とかが考えられるが、新人っぽい女性社員一人で来るものか。
「こんにちは。琴葉ちゃん、いる?」
そうして困惑していれば、インターホンから聞こえてきたのは、琴葉を呼ぶ親しげな声だった。
琴葉ちゃん、と呼んでいるということは友人だろうか。
いや、琴葉が友人をここに呼ぶなんて聞いていない。琴葉に友人はいるとはいえ、招くのであれば俺に一声かけるはずだ。
「……琴葉は今、二階で仕事中ですが」
少し迷いつつも、俺はインターホンのボタンを押してそう答える。
ヒモとして、家主の代わりに訪問者に対応するのも仕事のうちだ。ああ、情けない。
「あ、あれ? 琴葉ちゃんじゃない……。あ、えっと私、朝霧さんのマネージャーをしております、
「っ!?」
マネージャー。その単語に、俺はビクッと体を震わせた。
マネージャーはまずい。一番俺の存在やこの関係を知られたくない相手だ。
「あー……幼馴染の、
「は、はい?」
「と、とりあえず、玄関を開けますね」
どうやって誤魔化すかと脳をフル回転させるが、こんなところで問答を続けても怪しまれるだけだ。
俺は観念して、オートロックの解除ボタンを押した。
そして重い気分でドアを開ける。そこに立っていたのは、カチッとした黒いパンツスーツを着こなした俺より少し年上の若い女性だった。
長く綺麗な黒髪に、メガネをかけて有能そう。
彼女――三枝さんは、俺の姿を見て一瞬、驚きに目を見開いた。
俺の格好はTシャツにスウェットパンツ。そして精気を搾り取られた後のだらしない顔。対する彼女は隙のない社会人で、正反対と言っても良い。
その視線が、怪しむように、そして値踏みするように俺の全身を舐める。
「……どうも」
俺は居心地の悪さに、そんな情けない挨拶しかできない。
「……夜崎さん、ですか。その琴葉ちゃんから、男性と一緒に住んでいるとは伺っていなかったので……」
当たり前だ。琴葉はそんなこと言わないだろう。天才アーティストkotoが、無職の男をヒモとして養っているなんて知られてプラスになるはずがない。
常識外れの面がある琴葉といえど、そこら辺の分別はついていた。
「あはは。色々ありまして」
「そうですか」
三枝さんの声は冷静だが、その目には明確な「驚き」と「警戒」が浮かんでいた。
「……ま、まあ、立ち話もなんです。どうぞ」
「お邪魔します」
とりあえず俺は、三枝さんを家の中へと促した。
訝しみながらも、三枝さんは俺の後に続いて部屋へ上がる。
いつもは夕方する掃除を今日は朝の内にしておいたので、それは幸運だ。俺はリビングのソファに三枝さんを案内し、キッチンに走ってお茶を沸かす。
茶葉を蒸らしている間、俺は三枝さんの様子を伺うが、その目は部屋の隅々までも観察していて、時たま俺にも厳しい視線を向けてくる。
怪しまれているのだろう。当たり前だ。逆の立場なら俺だってなんだよこの男はとなるだろう。
「……どうぞ。お茶です。熱いと思うので気をつけてください」
「どうも、ありがとうございます」
俺がテーブルに淹れ立てのお茶を置くと、三枝さんは会釈して礼を言ってくる。
そして俺は緊張の面持ちで対面に座り、これから本題に入るという空気に唾を飲んだ。
「…………」
三枝さんは立派な社会人だ。スーツを綺麗に着こなして、真っ昼間からちゃんと働いている。
とても立派な人だ。ただその姿を見ると、過去のトラウマがふと蘇った。
「っ……」
周囲には同い年の社会人。そして俺の前には強面の上司。
ホワイトボードにこれ見よがしに張り出されたのは、唯一ノルマをクリアできなかった俺の営業成績だ。
そして始まるきつい叱責。「無能」「役立たず」「給料泥棒」そんな暴言を浴びせられ、ただ頭を下げることしかできない。
俺自身仕事ができない自覚はあったから、言い訳もできずただ謝り続けた。
そんな嫌な記憶が蘇る。
「――あの、聞いていますか?」
「は、はい! すいません! すいません! すいません!」
ふと聞こえてきた三枝さんの声に、俺は反射的に立ち上がると何度も頭を下げて謝り倒す。
あの頃の俺は、こうして謝ることしかできなかった。だから体に染みついている。
「あ、えっと。落ち着いてください。大丈夫ですか?」
「っ……あ、すい、ません」
そしてその言葉に、俺は急に我に返った。
目の前には俺を叱責する上司ではなく、困惑する三枝さんしかいない。
ゆっくり周囲を見回しても、ここは会社ではなくいつものリビングだ。
俺はふっと冷静になり、顔を赤くしながら着席する。
「……突然すいません」
「いえ。大丈夫です。では、改めまして三枝と申します。こちら名刺です」
「どうも、ご丁寧にありがとうございます」
俺も名刺を渡さねばと癖でポケットを漁るが、社会人時代の名刺は全て処分したため渡せるものがない。
しかたなく名刺を受け取るだけになった。
名刺には三枝桜と書かれている。琴葉の所属する事務所のマネージャーであることは間違いないらしい。
嘘であって欲しかったが、現実は無情だ。
「本日は琴葉ちゃんの様子を見るためにお邪魔しました。半年ほど前から一人暮らしを始めたということだったので、心配はしてないのですが、念のためと」
「なるほど。琴葉は確かに心配しちゃう一面もあるので、よくわかります」
琴葉は少し常識外れなところがあり、一人暮らしとなれば何をやらかすのかと不安にもなるだろう。
しっかりしているところと、していないところの差が激しいのが朝霧琴葉という少女だ。
「琴葉ちゃんからは一人で暮らしていると聞いていたので……驚きました」
「ははっ……そ、そうですか」
そう言った三枝さんの目は、俺を探るように鋭かった。
一人暮らしだと思っていた琴葉の家に、まさかの平日の真っ昼間からズボラな格好の男が一人。
その目は琴葉が騙されているのでは、と疑っている。
「失礼ながら夜崎さんは琴葉ちゃんとはどういうご関係ですか?」
「……幼馴染です」
「幼馴染、ですか。この家には遊びに来ている、ということですか?」
「…………」
そこで俺は言葉を詰まらせた。
嘘をつくのは簡単だ。
しかし多分すぐバレる。
だが正直に言うわけにもいかない。
様々な考えが俺の脳裏を駆け巡り、故に口が開かなかった。
とはいえいつまでも黙ったままだと、三枝さんの目はより鋭くなる。
「えーと。手伝いと言うか何というか」
「手伝い、ですか? それにしては親しげに……まるで同棲しているようですが」
そう言った三枝さんの目は、部屋中にある痕跡を見つめていた。
ソファにあるのは二人分のクッション。リビングには明らかに俺の物だとわかるような私物に、キッチンをみればお揃いのマグカップが置いてある。
この部屋には、男女が同棲していることを告げる証拠が山ほどあった。
俺は何も言えない。
「琴葉ちゃんからは一人暮らしだと報告を受けていたのですが……失礼ながらご職業は?」
「…………」
無職です。
俺はその言葉を口にできなかった。
リビングには嫌な沈黙が流れている。
それを破ったのは、三枝さんがカチャンとティーカップをテーブルに置いた音だった。
「……私達には琴葉ちゃんの大切なキャリアを守る義務があります。ぜひ夜崎さんについて、詳しくお聞かせいただければと思います」
とても優しげに行っているが、その言葉の裏では俺が琴葉のキャリアを傷つける存在であると断定している。
kotoの人気は日に日に増していて、その曲と歌声に多くのファンがついているのだ。
顔出しはしていないが、それ故に偶像が作られていた。
kotoとは若き天才アーティストだ。作る曲も、その歌声も、純粋な少女をイメージさせた。
俺の存在は、そんなkotoのイメージをぶち壊すものだろう。
マネージャーとして看過して良い存在ではない。
「あ、えっと……俺は――」
「――ねえなお兄。今日の夜ご飯だけどさー」
俺が口を開いたその瞬間、階段を軽やかに下りる音と共にリビングに顔を出したのは琴葉だった。
呑気な声でぴょこっと顔を見せ、そして目敏く俺の対面に座る三枝さんを視界に入れる。
「三枝さん?」
「琴葉ちゃん……」
「……なるほど」
あっという間に、何が起きたか琴葉は察したらしい。
そして不機嫌な顔をして、トコトコと俺の下まで駆け寄ってくる。
「琴葉ちゃん、今夜崎さんからいろいろ聞いていたところなの」
「そーですかー。三枝さんが知りたいのってつまりこういうことでしょ?」
「へっ――?」
琴葉は一切の躊躇をしなかった。
流れる水のように淀みない動作で俺の頬を両手で掴む。
そして困惑する俺をよそに、そのまま情熱的なキスを始めた。
「ん、ちゅぅ♡♡」
「!?!?」
柔らかな唇が俺の唇をはみ、舌が口内に侵入してくる。
慌てて抵抗しようとしたが、上手く力が入らない。まるで生気を吸い出されるように、激しい琴葉の舌使い。
俺はされるがままに、琴葉にベロチューをされ、それを三枝さんに見せつけることになった。
「えっ? こ、琴葉ちゃん!?」
「んー、ちゅっ♡ ――ふふ、つまりこういうことです。報告してなくてごめんね、三枝さん」
そう言って琴葉は、蠱惑的に笑っていた。