天才幼馴染のヒモ生活 作:猫屋敷てん
ショッピングモールに併設された小洒落たカフェ。客も少なく琴葉について話すのにピッタリな場所に俺は案内された。
手慣れた様子で席につき注文を済ませた三枝さんの前に、俺は座る。
メガネの向こう側から放たれる眼光には相変わらず迫力があり、俺を身震いさせるに十分のものがあった。
「……えっと。今日は、お時間ありがとうございます」
「いえ。何よりも一番大切なお時間だと思っています」
事務所に巨万の富をもたらすkotoの存続に関わる話だ。確かに全てをなげうってでもするべきだろう。
俺は何から話すべきかと口ごもり、しばしの沈黙が訪れる。
「……まずは前提として、夜崎さんが琴葉ちゃんとそういう行為をしている。そして職につかず養われているというのは事実ですか?」
「うっ……事実です」
「そうですか」
俺が中々話し始めないから、切り出したのは三枝さんの方からだった。
その言葉は刃物のように鋭く、淡々と事実を突きつけてくる。
無論真実故に俺はただただ頷くだけだ。
「今回は、なんでそんなことになったのか。そのことについて話したくて……」
「ええ。ぜひ聴かせてください」
一つ深呼吸をする。これから話すのは、俺がどれだけ弱くてみっともない男であるかという話だ。
だが勇気を持って口を開いた。
「俺と琴葉は仲の良い幼馴染で、俺が……最初は音楽をやっていたんです――」
零れ落ちるように、俺は口から言葉を吐き出していた。
俺と琴葉が幼い頃からの幼馴染であること。俺がガリウスに憧れてギターを始めたこと。それをマネした琴葉が一瞬で追い抜いていったこと。
怒濤の言葉が漏れ出てくる。
「……琴葉ちゃんの切っ掛けが夜崎さんだったんですね」
「はい。最初は、琴葉も音楽を作るというのはあまり興味がなかったんです」
「琴葉ちゃんはなぜ音楽を始めたのか教えてくれませんでしたが……多分その切っ掛けが大切なものだったのでしょう」
そうであるなら、少し嬉しいという思いはある。
kotoの始まりが俺であったなんて、胸を張って誇れることだ。しかし――
「俺は……それを受け入れられなかった」
あの日の俺が抱いたのは、嫉妬だ。
「可愛がっていた妹分に才能の差を見せつけられて、ちっぽけなプライドが傷ついたんですよ」
「…………」
今考えれば若気の至りとも呼べるものだが、当時の俺は本当に苦しんだ。
ガリウスに憧れてギターを始め、必ず世界に名を轟かせると馬鹿な夢を見た俺に、本物という冷や水を浴びせかけてきたのが琴葉だ。
まだ子供だった俺にその水はあまりにも冷たくて、苦しかった。
「その後は必死に隠して、格好いい兄ちゃんであろうとして、道化みたいでしたよ。みっともないですよね」
「……いえ。私はそう思いませんよ。マネージャーをやっていると……琴葉ちゃんに心を折られて音楽を止める人も見てきたので」
「ははっ。そう言ってくれるとちょっと助かります」
やはり琴葉という天才はそうなのだろう。とはいえ三枝さんの言う人達と、俺とではレベルが違う。彼らはもっと高いレベルで琴葉に折られた人達だ。
結局俺はどこまで行ってもガリウスもどきだった。
「そして俺は高校卒業と同時に琴葉から逃げました。今思えば馬鹿なことだとは思いますが……当時は真剣で、そのまま何も考えずブラック企業に入社です。そして精神がぶっ壊れて、休職した俺を琴葉が拾ってくれたのが顛末です」
そこまで俺は一気にまくし立てるように話し、ぐっと運ばれていたコーヒーを飲み干す。
ここら辺の話は俺のみっともない部分であり、あまり話したくはなかった。
それでも話したのは、一人で抱えていることが苦しくなったからだろう。
「俺にとっての誤算は、琴葉の愛が想像以上に深かったことです。俺も琴葉のことは好きでしたが、……琴葉は俺以上に俺が好きだったみたいです」
「あの様子を見る限り、そのようですね」
「はい。精神がおかしくなった酷い俺を見た琴葉は、凄い過保護になりました。外に出ることも難色を示すぐらいです」
三枝さんの脳裏には、俺のためにkotoを捨てるといった琴葉の姿が映っているだろう。
本心からあれを言い切った琴葉には、愛という狂気があった。
「……そうですか。恐らくあまり話したくなかったことでしょうが、話してくださりありがとうございます」
「いえ……話しを聞いてくれ、ありがたいです。」
会話が一段落し、そう言った三枝さんの目には、敵意みたいなものがなくなっていた。
まだ探るようなものはありつつも、俺を信用しようとしている。
「正直に申し上げて、私は夜崎さんが琴葉ちゃんを騙しているのではと思っていました。琴葉ちゃんは少し常識がないところもあり、そこを不安視していたので」
「いえ、気にしないでください。……俺が逆の立場でもそう思います」
「そう言っていただけて助かります」
三枝さんは軽く頭を下げて謝罪をする。
だがそう思うのも当たり前だ。
常識がない若き天才少女が、無職のヒモを養っていた。それを見れば百人が百人、男が何も知らない少女を誑かしているのだろうと思うだろう。
「琴葉の思いは、嬉しくはあります。凄い愛されているので」
「ええ……」
「でも今はそれが、暴走しているのは否めません」
そう言いながら俺は琴葉の言動の数々を脳裏に浮かべる。
深い愛と、深い執着。そして甘い過保護。そこにあるのは暴走した愛だ。
琴葉は最近こそ普通に擬態することも覚えたが、本質は何も変わっていない。
かつて同学年の女の子に殴りかかったように、己を貫き通す我が強い女の子だ。
「夜崎さんは、どうしたいんですか?」
「俺は琴葉に迷惑はかけたくないです。あの才能を一番近くで見ていたので。でも、琴葉は放してくれません」
「…………難しい問題ですね」
俺がヒモから脱却したいという思いを知ったことで、三枝さんの態度はより軟化する。
俺の話を百パーセント信じたわけではないだろうが、目的は同じだと寄り添ってくれる。
だがそうすると、もっと難しい問題に直面するのだ。
「琴葉ちゃんの説得は難しいでしょうか?」
「……無理だと思います。俺ももう大丈夫だと説得を試みましたが無理でした」
「なるほど」
三枝さんも困り顔で考え込む。
琴葉が頑固で一度決めたことはそう簡単に曲げないことは、マネージャーならわかっているだろう。
それによってkotoが終わったとしても関係がない。
琴葉は優先順位が全部おかしいのだ。本当に狂気的と言える姿がある。
「私としても、その関係は正していただきたいです。琴葉ちゃんは夜崎さんのことをとても愛しているようなので、その仲は引き裂きたくない。その為にも、正しい関係になることが大切だと思います。私も、協力いたしましょう」
「三枝さん、助かります」
俺と三枝さんはそう言って握手をする。
俺達が目指すのは、琴葉の箱庭からの脱却だ。そしてもっと世間にバレても問題ない清い関係になる。
その目的が一致した以上、手を取り合うことができる。
それを妨害してくる琴葉を倒すために、俺は強力な協力者を得ることが――
「あははー。なお兄みーつけた♡」
ゾクッと背筋が凍り付いたように寒くなった。
聞き覚えのある可愛らしい声が聞こえたかと思ったら、背中に押しつけられるとても柔らかい感触。
そして甘い香りが漂って、唇が俺の耳元に触れた。
「何してるの。三枝さんと」
耳元で囁かれたその言葉は、底冷えするほどに平坦だった。
細い指先が俺の頬を触り、なでなでと撫でてくる。
それはとても擽ったくて、人間恐怖を覚えると、本当に動けなくなるのだと実感した。
「こ、琴葉。ど、どうしたんだ。こ、こんな所に」
「それは私の台詞だよなお兄。スーパーに行くって言ったはずのなお兄が、町中のカフェにいたら心配で見に来るでしょ?」
ああ。なるほど確かにそうだ。スーパーに行くにしては連絡もせず長居しすぎた。
だけど……なんでカフェにいるってわかったんだろう。
「ほら、なお兄。行こう」
「あ、いや。そ、そう、だな」
「うん。三枝さんも、今日の話は忘れてね♪ 何を話してたかはあとでなお兄から詳しく聞くけど、何にせよこれは私達の問題だから」
「こ、琴葉ちゃん!」
「行こうなお兄」
琴葉は三枝さんの言葉を一切聞いていなかった。
この関係を壊す奴は全員敵だと言いたげで、グイグイと俺の腕を引いてこの場を離れようとする。
俺がそれに、逆らえるはずがなかった。
「ねえなお兄。勝手にどっか行っちゃ駄目だよ? 行くときはちゃんと私に報告すること!」
そうやって可愛らしく言う琴葉に、俺はぶんぶんと頷くことしかできなかった。