詳しいまえがきは省略させていただきます。
前話と同じです。
『マリンキングダム』と書かれた真新しい看板を見上げながら、僕は思いを巡らせていた。
最近オープンした娯楽施設らしく、遊園地や温泉と一体化している。
水族館で魚を見るだけではなく、観覧車やジェットコースターにも乗り、帰りに温泉で疲れを洗い流すことができるのが売りらしい。
確かに遊び疲れたら温泉にも入りたくなるのは分かる。
また、マリンキングダム周辺にはホテルも数多く設置されてるので、そのまま一泊なんてことも可能である。
――美咲さんと。
「霧崎君は遊園地と水族館どちらが好きなの?」
――っ!
僕の不埒な妄想をかき消すかのように、美咲さんが問い掛けて来た。
「美咲さん。今日は僕の恋人なんだから、名前で呼んで欲しいな」
『最後』という便利な表現にかこつけて要求を通す僕は、卑怯者だ。
『一生のお願い』
小学生の頃はこの言葉に何度やられたことか……。
案の定美咲さんは顔を真っ赤に染めて下を向いてしまう。
「えっあっ、うん。れ、蓮君……はどちらが好き?」
「う~ん、僕は遊園地かな……」
「私も同じ……っ」
しまった!
美咲さんとのデートは水族館で落ち着いた雰囲気を醸し出す方が良かったか!?
そんな僕の心配は彼女の言葉で消えていった。
「えへへ」と恥ずかしげに笑いながら、僕を見上げる彼女が愛らしい。
この子が僕の本当の恋人だとしたら、今頃抱きしめていただろう。
――そう。いくら今日一日恋人になってくれるからと言って、僕達の関係は『偽り』の域を出ることはない。
彼女と僕はこんなにも近くにいるのに、億千もの距離を感じる。
…………。
……。
チケットを無事に購入し、遊園地のゲートをくぐると絵に描いたようなテーマパークが広がっていた。
さて、何処へ行こうか。
「何乗るっ?」
美咲さんは『彼女』になる決心がついたのか、僕の腕にぎゅっと抱き付いて来た。
ほのかに香るシャンプーの匂いが僕の鼻孔と劣情を刺激する。
「え、えっと、なんでもいいよっ!」
恋人らしく振る舞えと誘導したのは僕の方なのに、いざ美咲さんが乗り気になると狼狽してしまう。
こんなに近くに美咲さんがいる。
良心の呵責に訴えて連れ出したとはいえ、これは僕が手に入れた幸せだった。
「じゃあ、あれとかどうかな?」
美咲さんが指さしたのは、天高くそびえ立つ青い柱。
いや、違う。
あれは『キングダムフォール』だ。
見れば分かるが、フリーフォール型のアトラクションで――要するに上がって、落ちる絶叫マシンだ。
「え……。ま、まじで?」
「マジでっ」
辺りに花が咲き誇るような笑顔で、僕の腕をぐいぐいと地獄へ引っ張る美咲さん。
見た目通りのおとなしい子だと思っていたし、クラスではもっと落ち着きがあったはずだが……。
――これが本来の初音美咲なのか。
またしても彼女の新しい一面に出会い、優越感を覚えてしまう。
僕は腕を引かれるまま、『マリンフォール』へと駆け出した。
…………。
……。
「ぎゃあああああああっ!」
「きゃあああああああっ!」
頂上まで上がった瞬間、心臓が口を飛び出して宙に浮かんでしまうような気持ち悪さに襲われる。
その後、急降下とともに全身に掛かるGに内臓が吊り上がる感覚を覚えた。
一度上がって落ちて、すぐに解放されると思っていた僕が甘かった。
『キングダムフォール』はそんな生易しい柱ではなく、僕達を乗せて何度も何度も上下運動を行う化け物だった。
「もう……下ろして……」
僕一人の懇願が機体に届くはずもなく、悲鳴を枯らされるまで生き地獄は続いたのであった……。
…………。
……。
「とっても楽しかったね!」
「……」
「れ、蓮君?」
「……あ、ああ。そうだね」
彼女は平気な顔で僕の周りをくるくると舞っている。
彼女の意外な一面を垣間見ることが出来て、結果的には嬉しかったが――。
代償が大きすぎた。いまだに不快感と吐き気が僕を襲う。
鼻歌交じりに僕の前を歩く彼女に目をやる。
こんな景色も、今日が最初で最後だなんて。
「蓮君、次はあれ乗ろうよ!」
「お、おお……って、マジ?」
「ま~じっ!」
彼女が向かう先は、日本最恐ジェットコースター『パパドン』だった……。
…………。
……。
僕達はその後多種多様な絶叫マシンを見事制覇し、お昼を食べにフードエリアに来ていた。
正直内臓が掻き回されたような気分で、口に物が入るか非常に不安だ。
「美咲さんは何食べたい? イタリアン? フレンチ?」
彼女の昼ご飯を思い返し、手当たり次第に候補を出す。
無駄な努力かもしれないが、少しでも好感度を上げておきたかった。
「……あ、あんぱん……」
「……へ?」
もじもじと顔を赤く染めながら、定番の菓子パンをか細い声で呟く学校のマドンナ。
僕は彼女の言ったことが信じられずに素っ頓狂な声を出してしまった。
「私、あんぱんが好きなの……」
「だって美咲さんはいつも――」
『いつもサンドイッチばかり食べているじゃないか!』
と口が滑りそうなるのを必死で堪える。
危うく毎日彼女を観察していることを自白してしまうところだった。
「だって私があんぱんばかり食べてたら、みんなからの印象が下がると思って……」
彼女は諦めたように口を尖らせて、ぼそっと本音を漏らす。
「な、なるほど……」
「……何その顔は」
「えっあっ、いや……」
口をへの字に結んだ彼女が僕に詰め寄る。
あんぱん好きがバレて恥ずかしがる様はとても魅力的だった。
「あんぱんが好きでも、別に平気だと思うけど……」
「――っ! ほ、ほんと!?」
膨れっ面から一転、彼女の顔は『ぱああっ』という擬音が聞こえてきそうなほど明るい笑顔に変わる。
「う、うん。むしろそういう等身大な所に惹かれる人も多いと思う……」
「そ、そっか……へへっ」
彼女は口元の緩みを抑えきれないのか、手で覆い隠してしまう。隠し切れていないため、ニヤけているのがバレバレだが……。
「美咲さんの普段は見れない一面が見られて嬉しいよ」
「や、やめてっ!」
僕の発言を遮るように手をばたつかせる美咲さん。彼女は分かりやすく恥ずかってくれるので、とてもイジりやすい。
「結局、お昼どうする?」
「結局って、もう……。私が負けたみたい……」
僕が話を逸らそうとする態度を見て、唇を噛む美咲さん。
こんなに怒ったり笑ったりする子だったんだ。
皆が頭に描く美咲さんは、絵画の美少女のような――汚れを知らない天使のような存在だった。
でもそんなことはなくて。
美咲さんは何処にでもいる普通の女の子だった。
「――たい」
「え?」
「蓮君、私あれが食べたい」
彼女が指差した先にはカレーの屋台。スパイシーな香りがこちらにまで漂ってくるので、さっきから食欲はそそられていたが……。
「美咲さん……方向間違えてたりは?」
「あれ」
「あの屋台の奥のクレープ屋のことかな?」
「あれって言ってるじゃない! カレーが好きなのっ!」
「そっか、分かったよ」
「諭したような顔はやめなさい!」
美咲さんが耳まで赤く染めて僕に泣きついて来るので、よしよしと頭を撫でてやった。
振り払われると思っていたが、 美咲さんは満足気に表情を緩めている。
「それで、美咲さんは何が食べたいの?」
「カツカレー……」
「分かったよ」
今更驚くには値しない。
僕を含め、学校の皆は彼女のことを神格化し過ぎている節がある。
美咲さんに微笑んでから店員にカツカレーを二つ注文する。
彼女はカレーを前にして目を宝石のように煌びやかせていた。
「頂きます」の合図を皮切りにカレーを頬張り出す美咲さん。
「美味しい?」
「うん!」
「美咲さんが喜んでくれたならそれで良かったよ」
下手にフレンチやイタリアンを要求しない分、安上がりな『彼女』だ。
今日で友達に戻る僕には何の関係もない話だが……。
「美咲さんはどうしてカレーやあんぱんが好きなの?」
「普段食べられないから、食べてみたくて……」
「そうなの?」
「家ではイタリアンやフレンチしか出てこないし、友達の前で食べるのは恥ずかしかったから……」
そういえば美咲さんの家は庭に虎が放し飼いされているような大豪邸だと聞いたことがある。
噂には尾ひれがついてしまうものだったが、どうやら家柄が良いことは本当らしい。
彼女が英才教育を受けているのだとしたら、人前で庶民的な食事を摂らないように教え込まれていたとしても不自然なことではなかった。
『友達の前で食べるのは恥ずかしい』
僕はその友達に含まれていないということなのか。それとも今日限定なのか。
そんな単語一つ一つに過敏に反応してしまう自分が惨めだった。
「あっ……」
そんな屋台前のテーブルで昼食を楽しんでいると、美咲さんの視線の先には泣き叫ぶ少年の姿が。
どうやらソフトクリームを床に落としてしまったようだ。
視線を落とすと、真白な水溜りが少年の下に広がっていた。
「大丈夫?」
美咲さんがかがんで視線を少年に合わせ、眉をひそめながら話し掛ける。
いつも耳にする声遣いより、更に温和な口調で。
しかし、少年は美咲さんの声が耳に入らないくらい泣き叫んでいた。
このくらいの歳だと、ソフトクリームを無駄にしてしまったショックは大きいだろう。
「っ! ちょっと待っててね!」
美咲さんは少年の頭を優しく撫でた後、急いでその場から駆け出した。
「美咲さん……」
この場にはカツカレーを食べている僕と、相変わらず泣き喚く少年が取り残される。
話し掛けようにもこの調子だし、上手い言葉が思いつかない……。
――こんなに子供が泣いているのに、親はやって来ないのか。
そんなことを考えているうちに、美咲さんが息を切らしながらこちらに戻ってきた――右手にソフトクリームを携えて。
「はいっ!」
美咲さんが差し出すソフトクリームを受け取ると、少年の歪んだ顔は一瞬で笑顔に変わる。
少年は「ありがと! お姉ちゃんっ!」と舌足らずな声でお礼を発し後、遠くへ駆け出してしまった。
親御さんと無事に合流出来れば良いのだが……。
「美咲さん、偉いね」
「子供が好きなだけだよっ。将来は保育師になりたいんだ」
夢を語る美咲さんの表情は充実感に満ち溢れていた。
そんなキラキラ光るような彼女を見ていると、僕まで心が洗われる。
「保育師か……」
園児と仲良く遊ぶ美咲さんを想像すると、胸がチリチリと焦がれるようだった。
保育師の制服を着た彼女は大人の色気に溢れていて。今よりも更に魅力的で。
けれど、その隣に僕は――。
「カレー冷めちゃった。ごめんね」
「あっ。いや、大丈夫!」
美咲さんが申し訳なさそうに弱々しい声で呟く。
「でも、カレーは冷めても美味しいよっ!」
「……ありがと、蓮君っ」
僕の許しを得て元気になったのか、美咲さんはさっきの少年のような笑顔で再びカレーを頬張り始める。
そんな彼女につられるように、冷めても美味しいカツカレーを口にした。
…………。
……。
まえがきと同じ。
作品に関しても語るべき事はありません。本文さえ見てもらえれば
それで幸せです。