あのじっとりとした射精の夜から、数日が過ぎていた。
俺はもう、美咲の前で自分の肉体が訴える昂ぶりを慰めることを、隠そうともしなくなっていた。
毎晩、遮光カーテンを閉め切った暗がりの布団の中で、彼女の半透明な視線を全身に浴びながら、ゆっくりと自分の手のひらを動かす。美咲はベッドの横に正座し、月明かりを吸い込んだ境界線の曖昧な瞳で、俺の手元をただじっと見つめ続けていた。
それは、触れ合えない二人に許された、唯一の、そしてあまりにも歪なコミュニケーションだった。
しかし、その夜——いつもと明らかに、世界のルールが違っていた。
度数の高い焼酎で無理やり脳をぼやけさせ、目を閉じて熱く脈打ち始めたペニスを握る。手のひらの摩擦熱と、脳裏に浮かぶ生前の美咲の裸体を重ね合わせ、じりじりと射精までの距離を詰めていく。
いつも通りの、孤独な自慰のはずだった。
だが、俺のストロークが少しずつ速まり、シーツに擦れる皮膚の音が部屋に響き始めた、その時。
「……ねえ」
耳元で直接、鼓膜が震えた。
驚いて目を開けるより早く、ベッドの横にいたはずの美咲が、倒れ込んでくるようにして俺の胸の上にその身体を重ねてきた。
ひやり、とした冷気が強烈に胸元を叩く。けれど、すり抜けない。
いや、すり抜けてはいるのだが、彼女の半透明の肢体が、まるで乾いた砂に染み込む冷たい霧のように、俺の皮膚の毛穴から、筋肉の繊維から、細胞の奥深くへと、ドロドロに溶け込んでいく。
「な、にを——」
拒絶の言葉を紡ぐ暇さえなかった。背筋の髄を一筋の強烈な電流が駆け上がり、次の瞬間、脳の中でパチンと何かが弾けた。
二人の、男と女の、生者と死者の神経回路が、境界線を失って一本に繋がったのだ。
「ん……ぁっ、は、あぁ……っ!?」
俺の喉の奥から漏れたのは、自分のものではない、甘く高い女の悲鳴だった。いや、それは俺の口から出たと同時に、俺の脳の芯に、美咲自身の驚愕の声として直接響いていた。
手が、勝手に動く。自分の硬く猛り狂った塊を手のひらで強く握りしめ、カリを擦り上げ、根元へと引き絞る。
その、男としての単調で鋭い往復運動が、俺の脳内で、全く別の感覚へと「翻訳」されていく。
(熱い……っ、あなたの手が……私の、存在しないはずのところが、擦られて、る……っ)
美咲のパニックに陥った思考が、ダイレクトに俺の意識に流れ込んでくる。
俺が自分のペニスを強く握るたび、美咲の側では、衣服に守られた柔らかい割れ目の、その最奥にある小さな蕾(クリトリス)を、ぬるついた指先で容赦なく弄り回されているような感覚に囚われていた。
男としての外側へ放出されるべき熱く鋭い衝動が、彼女という霊的なフィルターを通過することで、内側へと果てしなく沈み込んでいく、甘く蕩けるような「雌の愉悦」へと変換されて返ってくる。
「美咲……これ、どうなってる……!? お前が、俺の中に、いるのか……?」
俺の声は、快感と恐怖でガタガタに震えていた。
「わからない……私、何もしてない、のに……っ。でも、すごい、あなたの手が動くたびに……私の中の、一番奥が、きゅうきゅうに熱くなって……はぁ、あぁっ!」
美咲は俺の胸の上で、まるで目に見えない肉の触手に全身を愛撫されているかのように、激しく身をよじった。
彼女は俺の肉体と重なり合いながら、透明な両手で、自分の下腹部をきつく抑え込んでいる。乱れた白いワンピースの裾が月明かりの下で激しく跳ね、肉体を持たないはずの彼女の、しなやかな腰の曲線を淫らに浮かび上がらせる。
俺が恐怖を忘れて、手の動きをさらに速める。
くちゅ、くちゅ、と部屋に響く湿った音が、俺たち二人の脳内を狂わせるメトロノームになる。
「あ……そこ、だめ、そんなに強く擦られたら……頭が、おかしくなっちゃう……っ!」
これはもう、単なる虚しい慰めではなかった。
俺は自分の肉体を扱きながら、同時に、美咲の最も柔らかく蜜に濡れた秘部を、指先で、拳で、激しく掻き回し、犯し尽くしているという、強烈な逆説の錯覚に完全に呑まれていた。
彼女の死者特有の冷たい愉悦が、俺の生々しい熱い衝動と混ざり合い、脳の髄をドロドロの液体にしていくような甘美な津波が、何度も、何度も押し寄せる。
「もっと……激しく、して……。私、触られてないのに……ここ、びしょびしょに、疼いてるの……感じて……っ!」
俺の耳元で、美咲の声が震える。
それは、生前の彼女からは絶対に想像もつかないほど、淫らに潤み、快楽に魂を売り渡した雌の響きだった。
その純潔の崩壊に、俺は獣のような息を吐き、狂ったように手のストロークを荒げた。
美咲の半透明の輪郭が、部屋の闇の中でパチパチと白く輝きを増していく。二人の結合度が深まるにつれ、彼女の透明な背中が、目に見えない快感の楔(くさび)を打ち込まれたように激しく弓なりに反った。
「んあっ……! いい、それ……っ! あなたの硬いの、私の奥の奥まで……全部届いてる……っ!」
限界は、爆発を伴って突然訪れた。
俺の腰が大きく浮き上がり、熱く濃い白濁が、激しい脈動とともに俺の腹の上に何度も吹き飛んだ。
その瞬間、俺の脳内は、美咲の叫びで完全に埋め尽くされた。
「あぁぁぁ……っ!! イッちゃう、イッてる……! あなたの熱いのが、いっぱいに……ッ!!」
美咲の全身が、本当に、直接そこを貫かれて精液を叩き込まれたかのように、激しく痙攣した。
彼女の経験したことのない、全細胞が一度に融解するような深い絶頂の波が、有線で繋がった俺の脳内へと津波のように逆流してくる。
男の射精という一瞬の鋭い解放感と、女の全身がとろとろに溶けていくような長い余韻が、お互いの脳を何度も往復し、俺たちはベッドの上で重なり合ったまま、何度も、何度も共に痙攣し、互いの絶頂を貪り合った。
やがて、部屋に静けさが戻ってきた。
俺の腹は白く汚れ、部屋には荒い二人の呼吸音だけが残されている。
美咲は俺の胸の上に完全にうつ伏せに重なり、快感の残滓に浸りながら、この世のものとは思えないほど幸福そうに微笑んでいた。
「……すごかったね、あなた」
彼女の声は、喉を激しく焦がした後のように甘く掠れていた。
「私、もう……これなしじゃ、寂しくて耐えられないかも……」
俺はシミの浮いた天井を見つめながら、静かに、背筋が凍りつくような震えを感じていた。
これは、ただの奇跡の快楽などではない。
俺たちは、お互いの魂を切り刻んで混ぜ合わせるような、決定的な禁断の領域に、今度こそ足を踏み入れてしまったのだ。