昼間の「触れ合えない生殺し」の時間が、俺たちの乾きを限界まで引き絞っていた。
だからこそ、遮光カーテンを厳重に閉め切り、部屋が濃密な暗闇に満たされた瞬間、俺たちの理性のタガは音を立てて外れた。
「……待ってたよ、あなた」
ベッドに入った俺の胸元へ、美咲が吸い込まれるようにしてその半透明な肢体を重ねてくる。
毛穴という毛穴から冷たい霧が侵入し、俺の皮膚の裏側、脊髄の髄、そして脳の最も柔らかい部分を彼女の霊的な神経が侵食していく。昼間、決して触れられなかった彼女の境界線が、ドロドロに溶けて俺の内側へと完璧に融解していくこの瞬間こそが、今の俺たちにとって唯一の救いだった。
「美咲……っ、すごいな。今夜は、溶け込んでくるのが、いつもよりずっと深い……」
「ん……。だって、お昼の間、ずっとあなたに触りたかったんだもん……」
脳の特等席で、美咲の濡れた吐息がじっとりと木霊する。
俺がズボンをずらし、熱く硬く張り詰めたペニスをゆっくりと手のひらで包み込んだ、まさにその瞬間だった。美咲はまだ何も動かしていないというのに、ひぅ、と喉の奥で高い女の悲鳴を漏らした。二人の男と女の神経回路が完全に一本に繋がったのだ。
(熱い……っ、あなたの手が……私の、存在しないはずの割れ目を、直接撫で広げてるみたい……っ)
パニックに陥った彼女の思考が、ダイレクトに俺の意識に流れ込んでくる。
俺が自分のものを強く握り、カリを擦り上げる往復運動のすべてが、彼女の側では、衣服に守られた柔らかい秘部の最奥にある小さなクリトリスを、ぬるついた指先で容赦なく弄り回されている生々しい感覚へと「翻訳」されていく。さらに今夜は、ただ感覚が繋がるだけでなく、お互いの「見せたい幻想」までもが完璧に同期し始めていた。
俺の脳裏には、美咲が俺の身体に半分溶けた状態のまま、残った半透明の両手で自分の豊かな胸の先端をそっとつまみ、擦り合わせている淫らなイメージがありありと弾ける。月明かりに透ける白いワンピースの胸元が大きくはだけ、生前よりもずっと淫らに色づいた彼女の肉体の輪郭が、暗闇の中にくっきりと浮かび上がる。
「あ……そこ、筋のところ……すごく、気持ちいい……ッ! あなたの硬いのから、直線の電撃みたいに、私の一番ふやけた奥の壁まで染み込んでくる……っ!」
脳内で響く彼女の声は、生前の清楚な彼女からは絶対に想像もつかないほど、快楽に魂を売り渡した雌の響きを帯びていた。昼間の「すり抜ける寂しさ」の反動が、彼女の深層心理にある淫らな本性を暴き立てているようだった。
俺は彼女の狂おしい懇願に獣のような息を吐き、狂ったように手のストロークを荒げた。くちゅ、くちゅ、と部屋に響く湿った自慰の音が、俺たち二人の脳内を狂わせるメトロノームになる。
「ねえ……頭の中で想像して? 私のここ、ぬるぬるに濡れてて、あなたの硬いのをぎゅうぎゅうに締め付けてるの……。早く、あなたの熱いの、私の中にいっぱいに注いで……ッ!」
「美咲……っ、お前の中……本当に熱くて、締まってるみたいだ……っ!」
手のひらで感じる熱い摩擦の刺激と、美咲が感じる冷たく蕩けるような深い愉悦が、ひとつの巨大な渦を巻いて混ざり合う。限界の扉は、理性を置き去りにして唐突に開かれた。
俺の腰が激しく浮き上がり、熱く濃い白濁が、脈動とともに腹の上に何度も吹き飛んだ。
同時に、美咲の身体が激しく波打ち、魂ごと融解するような深い絶頂に飲み込まれた。
「あぁぁぁ……っ!! イッく、イってる、イッちゃうのぉ……ッ!!」
男の射精という突き抜けるような鋭いカタルシスと、女の全身がとろとろに溶けていくような泥濘(ぬかるみ)のような長い余韻が、有線で繋がった俺たちの脳内を何度も、何度も往復する。俺たちはベッドの上で重なり合ったまま、何度も共に痙攣し、互いの絶頂を最後の一滴まで貪り合った。
やがて、部屋に完全な静寂が戻ってきた。
美咲は俺の胸にぴったりと額を寄せたまま、快感の残滓に浸りながら、この世のものとは思えないほど幸福そうに微笑んでいた。
「……大好きだよ、あなた。これ以上気持ちいいこと、もう世界のどこにもないね……」
俺はシミの浮いた天井を虚ろに見つめながら、静かに思った。
昼間の飢えを埋めるための、底なしの快楽。俺たちは確実に、決定的な禁断の領域に溺れ、狂い始めている。だが、その圧倒的な満ち足りた余韻のまま、俺たちはいつの間にか深い眠りへと落ちていった。
◇
「……ん」
カーテンの隙間から差し込む朝の光に、俺はゆっくりと目を覚ました。
時計を見ると、会社に行くにはちょうどいい時間だ。起き上がると、シーツの端に、いつの間にか憑依を解いた美咲がちょこんと腰掛けていた。朝の光を浴びる彼女の姿は、昨夜の淫らな姿が嘘のように、いつもの穏やかな恋人の佇まいに戻っている。
「おはよう、あなた。よく眠れた?」
「おはよう、美咲。……うん、すっきり起きられたよ」
俺はスウェットのままキッチンへ向かい、トースターに食パンを二枚放り込んだ。昨夜の激しい結合の気怠さが少し残っていたが、不思議と気分は穏やかだった。フライパンで目玉焼きを二つ焼き、コーヒーを淹れる。
昨日の野菜炒めのリベンジとばかりに、少し丁寧に盛り付けて机に運ぶと、美咲も嬉しそうに俺の向かいの席に腰掛けた。
「わあ、今日の目玉焼きは綺麗に焼けたね。半熟?」
「ああ、美咲の好きな、トーストに乗せて食べるのにちょうどいい硬さにしたよ」
「ふふ、合格。やっぱり私のトドメの小言が効いたのかな」
トーストを齧り、コーヒーを啜る。美咲はその様子を満足そうに眺めながら、他愛のないおしゃべりを続けた。
「そういえば、さっきテレビのニュースで、江の島の水族館のリニューアルの特集をやってたよ。新しいクラゲの水槽ができたんだって。綺麗だったなあ」
「江の島か……懐かしいな。俺たち、付き合って最初にデートしたの、あそこだったもんな」
何気なく、本当に何気なく口にした言葉だった。
「……え?」
美咲が、不思議そうに小首を傾げた。
「江の島……だっけ? 私たち、最初に行ったの」
「え……? 何言ってるんだよ、美咲。ほら、付き合って一ヶ月記念の時にさ、俺が慣れないドライブで道に迷って、結局夜遅くに到着した、あの江の島だよ。美咲、車の中でずっとお腹空いたって怒ってたじゃないか」
俺が笑いながら記憶をなぞると、美咲はあははと笑ってくれる——はずだった。
だが、美咲は、境界線の曖昧な瞳を少し泳がせ、自分の半透明の指先をじっと見つめたまま、困ったように眉をひそめた。
「そ、そうだっけ……? ごめんね、あなた。なんだか、ちょっと……うまく思い出せなくて」
「美咲……?」
箸を持つ俺の手が、ピタリと止まる。
「怒ってたのは、なんとなく覚えてるような気がするんだけど……それが江の島だったかどうかが、霧がかかったみたいに、ぼんやりしちゃってて」
美咲は無理に笑顔を作ろうとしていたが、その瞳の奥には、明らかな困惑と小さな恐怖が怯えのように揺れていた。生前の彼女なら、俺との大切な思い出を忘れるなんて絶対にあり得なかった。俺が忘れていて、彼女に怒られることの方が入道雲のように多かったはずなのに。
「……そっか。まあ、寝起きだしな。頭がぼーっとしてるだけだよ」
俺は努めて明るい声を出し、コーヒーを飲み干した。
「うん、きっとそうだよね! ごめんね、変なこと言って」
美咲はいつもの優しい笑顔に戻り、俺の出勤の準備を後ろから手伝うように付いてきてくれた。
だが、スーツに着替え、アパートのドアを閉めて駅へと歩く道すがら、俺の胸の奥には、昨夜の精液のようにネットリとした不気味な違和感がへばりついて離れなかった。
脳髄をドロドロに溶かす、あの極上の結合の快楽。
昼間の触れ合えない乾きを完璧に癒やしてくれる、あの歪なデート。
俺たちは、確かにそれでお互いを満たし、この部屋に繋ぎ止めている。
だが、昨日感じた「身体の透け」に続き、今朝は「生前の大切な記憶」が彼女から零れ落ちた。
——まさか、あの憑依の代償は、彼女の輪郭を消すだけじゃないのか。
美咲という存在そのものの『中身』を、思い出を、魂を、あの快楽の波がガリガリと削り取って消滅させようとしているのではないか。
歩行者信号の点滅を見つめながら、俺は朝の冷たい空気の中で、ただ一人、小さな戦慄に身を震わせていた。