※この作品はR-18です。

メイドさんのいる診療所   作:鍵山ゆーな

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邂逅

 

 ワイドショーが珍しく時事ネタで賑わっていた。芸能人の妻が失踪したと、ニュースになったのはつい昨晩のこと。

 

 失踪した女性の夫は、清純派として売れている人気俳優だった。事件か事故かと、司会者たちは好き勝手に憶測を口にしている。控室の少し古くさい箱型テレビは、まだその話題を流し続けていた。

 

 画面右上の時刻表示をぼんやり眺めながら、安藤(あんどう)治輝(はるき)は息を吐いた。昼休みもそろそろ終わりの時間だ。手にしていた野菜ジュースの紙パックをくしゃりと潰し、彼は立ち上がる。

 

 粉雪が舞う程には気温が下がった十一月半ばのこの日、治輝は出羽(でわ)市で行われた医師会の会合に参加していた。

 

 どうせ東京での出来事。出羽県という東北の北端に位置する田舎県には関係のない話だ。治輝は頭のどこかでそう考えていた。

 

 

 治輝が解放されたのは、すっかり日が落ちた頃だった。県の厚生局から減塩だ節酒だとうるさく言われているにも拘らず、会合に参じた壮年の医師たちはどうもそれを楽しみにこうして集まっているような節も見受けられた。

 

 この後も患者の診療情報提供書を二通も書かねばならない治輝は、それには付き合わず、コートの裾をきゅっと握りながらビルの外へと出る。

 

 昼間控室の窓から見えた粉雪は、すっかり大粒のぼた雪へと転じていた。まだここまで降る季節ではない筈だが。分厚い灰色の雲を訝し気に眺めつつ白い息を吐き出した治輝は、早々に駅前のロータリーへと足を向ける。

 

 住宅街とビル街が混じったような発展途上のまま停まってしまったいつもの東口へと至ったところで、治輝はようやく周囲から浮いた存在に気付いた。

 

 薄手のダウンジャケットだけを羽織った女性。雪の中にいるにはあまりにも頼りない格好。そして彼女の頭にはすっかり雪が綿雲のように貼り付いていた。寒さに震えながら、どこか途方に暮れている様子にも見える。

 

 放っておけない。治輝の身体は自然と動いていた。

 

「もしもし、ひどくお疲れのようだが、大丈夫ですか?」

 

 時たま救急外来で患者に話しかけるような声音で、彼は女性に声を掛ける。その声に、彼女はびく、と怯えた表情で前を見た。

 

「よければ、交番まで、ご案内しましょうか?」

 

 道にでも迷っているのか。そう感じた治輝の第一声に、女性は無言だが、精一杯首を横に振った。その刹那、彼女の身体に明らかな異常を認め、治輝は真顔になる。

 

 首元の爪による擦過痕、そして微かに見える鎖骨に盛り上がったケロイド状の傷跡。それらは普通に暮らしていて出来る傷にはどうも見えなかった。だからあとは彼女のその反応だけで、治輝の中から「ただの酔客かもしれない」という見立てが一気に消える。

 

「でもここでは低体温症……凍えて倒れてしまう。一旦屋根のある所まで行きましょう」

 

 咄嗟に出た医学用語を訂正しながら、治輝は彼女の肩を抱いた。その温もりで少し落ち着きを取り戻したのか、女性は小さく首肯して彼の意に素直に従ってくれる。

 

 駅前の高速バスの停留所に併設された待合室は、幸いにもまだ明りと暖房が灯っていた。その一角に女性を座らせた治輝は、

「安藤治輝、医師です」

口にしながら、彼女を安心させるように身分を証明する。提示された職員証と顔を見比べて偽りないことを把握した彼女は、改めて小さく頷いた。

 

 

 待合室に併設されていた自動販売機からホットコーヒーとミルクティをそれぞれ一本ずつ取り出した治輝は、

「どちらがお好みでしょう?」

優しく問いかけてみる。暫しの逡巡のうち、女性はペットボトルをおずおずと指差した。そうしてミルクティを受け取った彼女はそれを一口。唇からは自然と安堵の息が漏れる。

 

 余程緊張していたのだろう。女性が続けて口を開くのを待ちながら、治輝は背格好や身体特徴などを観察してゆく。

 

 歳は二十歳後半だろうか。雪に濡れた髪の隙間から覗く顔立ちも、この辺りではあまり見ない整い方。身なりの良さそうなものを身に着けているようにもぱっと見では映る。だが、治輝はそれらを彼女が「着せられている」ような違和感を覚えていた。

 

 華奢なのに胸元だけ妙に目立つ部屋着のような衣服。サイズの合わない上着。生活感のない靴やアクセサリ。あまりまじまじと眺めるのは失礼だと感じながらも、そんな人着にどこか聞き覚えがあるなと彼は逡巡していた。

 

 それは昼間耳にしていたワイドショーの終わり際、警視庁成城警察署が発表していた特異行方不明者の特徴。彼女の外見は、それにあまりにもそっくりだった。だが。

「考えすぎか……」

東京の芸能人の妻が、こんな雪国の片田舎まで来るものだろうか。そう考えてしまえば、治輝には目の前の女性はもう別人にしか見えなかった。

 

 

 低体温症の典型的な身体反応も落ち着いてきたということもあり、治輝は女性からいくつか話を聞いてみていた。例えば、観光目的なのか、雪が降る事は想定していなかったのか、といった当たり障りのない話題からだ。

 

 だが、返ってくる答えはどうも曖昧だった。どうやってここまで来たのかも定かではないし、今自らがこの場所に居る理由はおろか、そもそもここがどこかすらも曖昧だった。

 

 彼女はスマートフォンを持参していたものの、それは既に電源が入るような状態ではなく、持ち合わせていたノートパソコンの電源を流用して起動させてみても、彼女自身が画面ロックを解除できない有様だった。

 

 いよいよ様子がおかしい。記憶の混乱――精神科で聞いた症例が、治輝の脳裏を掠める。

 

 警察的な単語には怯えた様子を見せる以上、下手に大事にしても拙い。そう判断した治輝は

「そんな様子では、一晩過ごす場所もお困りでしょう。僕の自宅は隣市にありますが、もしよければ、御一緒しませんか。あ、えっと……変な意味ではなく。ちゃんと客間もありますから……。そして明日……良ければ、お体を詳しく診察させていただけませんか。そのための保護、とでも思って頂ければ……」

彼女に提案を持ち掛けていた。そして途中から困惑の表情を浮かべる女性の様子に、あからさまに浮いた言葉を吐いてしまったものだ、と頭を掻きながらも、治輝は安心させる訂正と補語も忘れなかった。

 

 

 二人分の切符を券売機で得て、彼女を連れ駅のホームへと降り立った治輝は、丁度ホームへと滑り込んで来た特急電車へと共に乗り込む。

 

 タクシーで直接帰っても良かったが。彼は狭い車内でこの不安気な女性と二人きりになるのだけは避けたかった。幸い、この時間の東京行の新幹線直通特急は空いている。

 

 もしかしたら何処から来たのかの片鱗くらいは車窓を眺めたら思い出してくれるかもしれない。治輝の脳裏にはそんな淡い期待も浮かんでいた。

 

 

 治輝は一先ず何事も無く無事夜を越せた事に安堵していた。そんな彼が寝室として使っている部屋を出ると、普段嗅ぎ慣れない食欲をそそる香りが彼の鼻腔を擽る。

 

 昨晩思わず連れ帰って来てしまった女性は、どうやら先に起きていて、殆ど備蓄の食材が無い冷蔵庫の中から有り余りで朝食を作ってくれていたようだ。

 

「わ、美味しそう……これを、あなたが?」

 

 治輝の口からは、思わず先に感想が出る。こうした暖かい手料理などを口にするのは何時ぶりだろうか、と彼は思わず逡巡してしまっていた。

 

「碌に食材もなく、大変でしたでしょうに……ありがとうございます。いただきます」

 

 礼を口にした治輝は早速料理に手を付けてゆく。その彼の様子を、女性は一挙手一投足確認するかのように眺めていた。そしてその様子も、治輝には違和感として映っていた。

 

 そもそも、食卓には彼女自身の分は用意されていなかった。遠慮、なのだろうか。だが、それだけでは済まないとも思える引っかかりがどうしても彼の心に残る。

 

 そして、「何も言われずとも作る」ことは所作に染み付いているのに、まるで、自分が食卓につく人間ではないと思っているかの様子。それが治輝には妙に痛々しく見えていた。

 

 

 普段通勤で使う自家用車の後部座席に女性を乗せた治輝は、早速勤務先へと車を向けた。彼の勤務先は、彼が住まう刈和野(かりわの)市でも一番の大きさを誇る総合病院だった。市立病院を持てるほどの人口と予算が持てないからこそ、周辺の自治体で予算を出し合って誘致した民間の医療機関だった。

 

 第一次救急は県庁所在地たる出羽市の出羽大学付属病院か出羽赤十字病院になるが、続けての地域第二次救急はまずこの病院が選ばれる事が多い。若手医師である治輝も夜勤当直のシフトである場合には、救急科も受け持つ事もままある程には忙しい。

 

 そんな治輝の勤務先である刈和野綜合病院の殆ど使われる事がない予備の診察室に連れ立って来た女性を通した治輝は、改めて彼女を診察する機会を得ていた。

 

 本当に病院に連れて来てもらえた。それだけで治輝をすっかり信用している様子の女性は、彼からの依頼に応じて、最低限の肌着以外を脱いで素肌を見せてくれる。

 

 彼女の身体の随所には生傷や火傷跡などが数え切れない程存在していた。昨晩見えていた傷など、ほんの一部でしかなかった。その事実に治輝は思わず息を呑む。

 

 そんな身体状況と同時に、また新たな課題が浮上していた。即ち、彼女が身分を証明出来るものを一切持っていなかったという大問題だった。

 

 職場である病院に連れて来てしまって、常勤医師として診察までしてしまった以上、適切な手続きを経なければ無私でという訳にはどうしてもいかない。

 

 だが、現状彼女は保険証もなく、財布の中身も、小銭が僅かに入っているだけ。そんな有様では治輝としても手の打ちようがなかった。

 

 こういった場合、警察に届け出るのが医師としては最善(ベスト)だろう。だが、今回ばかりはそうする事よりも他の良い方法があるかもしれない、という事を治輝は模索し始めていた。

 

 それは彼自身、昨晩の「警察」という単語に恐ろしく怯えていた彼女の様が脳裏からこびり付いて離れないからでもあった。

 

 どうしたものか、と頭を捻っていた治輝の目に、昨晩から電源が切れっぱなしだった、彼女が所持していた画面が薄らと罅割れたスマートフォンが目に入る。失礼。一言断って、彼はそれから電話番号情報が埋め込まれたICチップを取り出した。

 

 それの製造番号から電話番号や契約者情報を割り出せないものか、と治輝は考えたようだ。一旦保護者さえ分かれば、医療費支払の目途は立てられる。それは彼にとっては当然の認識だった。

 

 早速知己の警察官僚に電話で解析を依頼した彼は、女性の重要な身体情報と保護した際の状況を電子カルテに記載し終えて息を吐くと

「昨晩から、何か思い出したことはありませんか」

改めて彼女に訊ねてみる。すると

「名前は……くれは。それだけは、思い出せました」

彼女は重要な手がかりを齎してくれる。丁度彼女の事を「あなた」と二人称で呼ぶことに限界を感じていた治輝は嬉しそうに頷くと

「では、くれはさんと。どうですか。他に気になったことはありますか」

続けて優しく問いかけてゆく。

 

 そう問われて、少し逡巡していたくれはが、はっとした表情で持っていた鞄の奥底から高価そうな指輪を取り出して見せる。

 

「これは……?」

「わかりません……でも、何故かここに入っていたな、というのだけは思い出せて……」

 

 それは細い指輪だった。だが、装飾の入り方には妙な重さがある。アクセサリというより、誰かとの関係そのものを嵌める類のものに、治輝には見えた。だが、それ以上の事、特に自身が結婚していたかどうかなどは未だ記憶が閉ざされたままである様子。

 

 大病院での後期研修医時代に何度か心療内科も担当したことがあったが、ここまでの「特異」な患者に出くわした事が今までなかった治輝は、判断に困ってしまっていた。

 

 すると、治輝の医療用携帯電話が着信を告げて鳴る。それは「警察庁の方が先生に御用です」という受付からの連絡だった。

 

「くれはさん、すみません。ちょっと急用のようなので……暫くお待ちいただけますか。なるだけ早く戻ってきますから」

 

 治輝はくれはに断って、その場を中座すると駆け足で駐車場へと向かってゆく。すると

「よぉ、治輝。久しぶりだな」

そこには、出羽県警察と車体に描かれた白黒ツートンカラーの貨物車のような捜査車両の前で紫煙を燻らせている、一人の優男の姿があった。

 

「金弥(きんや)さん……何故今、出羽県(ここ)に?」

「ちょうど別件でな。だが、お前さんから依頼を受けたヤツ。割に大事だから電話で喋るのもどうかと思ってな。まぁ乗れ」

 

 相手の警察官僚、神代(じんだい)金弥は、治輝の大学時代の先輩に当たる人物。今は警察庁勤めで、階級も警視まで上がっているらしい。そして先程治輝がくれはの所持品であるスマホのSIMカードの解析を依頼したのも彼だった。

 

 その彼はどうやら時間を割いて、出羽市から高速を飛ばしてここまでやって来た様子だった。

 

「お前、最近ニュース見てたか?」

「まぁ、ぼちぼちは……」

 

 助手席に座るなり、運転席の金弥から突拍子もなく缶コーヒーを手渡されながら問われた治輝は、プルタブを切りながらも、どうにも歯切れの悪い返答をしていた。本当は東京の有名人の妻が失踪したという事くらいしか知らなかったからだ。

 

「その様子だと巷のニュースの全容は知らねぇって感じだな。まぁいい。今話題になってる、芸能人妻が失踪し(フケ)ちまった案件な。お前さん、あれに、大当たり(ビンゴ)だよ」

 

 二本目の煙草に火を付けながら、金弥はその渦中の人物こそが、今先程まで診察していた女性であると言う事を治輝に告げた。まさか。どうしても別人だと信じたかった彼の口からはそんな言葉がつい漏れる。

 

 その様子にやれやれ、と肩を竦めた金弥は紫煙を大きく吐き出すと

「お前、本件(コイツ)はかなり渦中の栗だぞ」

危険因子であることをはっきりと告げていた。

 

 美郷(みさと)くれは。それが失踪した女性の氏名だった。その夫である美郷恭太郎(きょうたろう)には、家庭内暴力加害者の疑いが掛かっている。そんな捜査情報を金弥は治輝に齎してくれる。金弥は軽口こそ多いが、口の軽い男ではない。だから治輝もそれを神妙な面持ちで聞いていた。

 

「警視庁(シチョウ)本部(ホンテン)の生活安全課(セイアン)も諸端(はな)から疑って掛かって見てたみたいだがな。捜索差押許可令状(キップ)が出そうな証拠は今のところ(ヽヽヽヽヽ)ないそうだ」

 

 金弥は語尾のある言葉を強調した。それはつまり、治輝が今まで見たありのままが正解であるという示唆だった。

 

「お前、降りるんなら今のうちだぞ。なんなら俺が彼女をこのまま出羽の県警本部まで連れてってやるが?」

 

 金弥が続けて口にしたのは、現実的な提案だった。確かに彼に任せれば、くれはは悪いようには決してならないだろう。だが、それが本当に彼女の望んでいる事なのだろうか。それが最早治輝の中では曖昧だった。

 

 くれはは、頑なに警察は嫌だと言っていた。どうしてそこまで嫌がるのかは今の治輝には知る由がまだ一切なかったが。今ここで彼女を金弥に引き合わせると言う事は、少なくとも自身を信用して心を開いてくれつつあるくれはに対する裏切りにはならないだろうか。

 

 治輝の考えは既にそこにまで及んでしまっていた。そうである以上、彼にはくれはを例え信用がおける先輩であろうとも警察官に預けようという気にはどうしてもなれなかった。

 

「……まだ、虐待(DV)があった、という直接的な証拠はありません。極めて疑わしい痕跡は確かに存在していますが、それがいつから存在していたかを、現時点では証明できません」

 

 極めて冷静を装って、尤もらしい否定の仕方を治輝はした。それを噛みしめるように聞いていた金弥は再び大きく紫煙を吐き出す。そして

「取り敢えず、見なかったことにしてやるが、防カメ捜査なども当然やってるから、もう『時間の問題』だからな。見つかった時に言い訳できるようにだけはしとけよ」

それが提案への拒絶であることを理解した金弥は、遂にそれ以上追及しなかった。少なくとも今この場では、後輩の選択を尊重して捜査情報にしかなり得ない今回の件を一旦握り潰してやるつもりらしかった。

 

 

 金弥が運転する警察車両を見送った治輝は、その足で副医院長の許を訪れていた。都合が良い事に、そこには入院などの手続きを司る看護師長も一緒にいた。

 

「僕が今朝連れて来た、身元不明の患者ですが。先程警察への照会結果が出ました」

 

 二人には予め治輝から簡単に事情が説明されていた。それの詳細確認というのがこの場の趣旨だった。

 

 くれはの身元を耳にした看護師長の旭川鳴美(あさひかわなるみ)はその身元を聞くや否や、

「治輝先生。そういうのはホントやめてください、っていつも言ってますよね。困ります」

まるで野良猫を拾って来た子供を見た母親のような拒否の仕方をしていた。この感情的な物言いには常々思うところがあった様子の治輝は

「お言葉ですが。雪の降りしきる出羽駅前で佇む怪我をした女性を放っておけ、って貴女は言うんですか」

少し語気を強めながら反論した。それに対して鳴美はあくまで事前相談もなく渦中の栗を拾うような行動が気に入らないと感情論で突っ撥ねてくる。

 

「まぁまぁ。旭川さんもそうかっかなさらず。しかし治輝先生。流石に今回の患者は無茶ですよ。私共の病院には、精神科や心療内科はない。わかりますね?」

 

 ここで諍いを仲裁に入ったのが、壮年の副医院長だった。刈和野綜合病院の院長である治輝の父、治三(はるぞう)とは医学部時代からの同期らしい。

 

 その彼が言う事も尤もだった。精神疾患の所見がある患者は、専門の設備が無い病院では入院引き受けはし難い。それは医務的には常識だからだ。

 

「それに、そんな爆弾(ヽヽ)、抱え込むだけでリスクですよ。週刊誌なんかのブン屋にその辺うろつかれたりするの、私は絶対嫌ですからね」

 

 鳴美の口調こそ感情的だったが、言っている内容自体は病院側の総意に近かった。芸能絡みの厄介事を院内へ持ち込むことに、首を縦に振れる人間などいない。病院としての意思をそこまで明確に示されてしまえば、治輝はいよいよ二の句が継げなくなってしまう。

 

「なんかあったら、先生が全部責任取る、ってんならいいんですけど。まぁ、そんなの、無理でしょ?」

 

 鳴美のとどめの言葉が、決め手だった。院長の息子の勤務医師というだけでは、何も自由にならない。それを突き付けられてしまった治輝は、くれはに公的な保護を付けてあげたい、という当初の目的をすっかり頓挫させられてしまっていた。

 

 

 打ち合わせから帰り道。とぼとぼと肩を落とす治輝はくれはに対してどう説明したものか、と頭を悩ませていた。

 

 まさか「病院では匿えないと言われてしまったのでこれから警察に行きましょう」とは、彼は最早口が裂けても言えなかった。既に拾った渦中の栗。今更無かった事にはできない。

 

「治輝さんっ!」

 

 そんな彼を見かけて声を掛けてくる人物が。それはこの病院で後期研修医として務める、真壁雪乃(まかべゆきの)だった。彼女は治輝の高校時代の後輩だ。

 

「まーた、旭川師長に怒ら(ごしゃがら)れたんですか。もう噂になってますよ」

 

 雪乃から耳にしたそれに、治輝は深い溜息を吐かざるを得ない。鳴美は周囲を巻き込み、正論と感情論を使い分けて自分に有利な世論を形成するのが上手。治輝にとって一番苦手なタイプの人物だった。

 

「正体不明(へん)な患者、また連れて来ちゃったんですよね。前は診療報酬(レセプト)取れたからいいですけど、今回はそれすら怪しいとか……そういう想定外(イレギュラー)、旭川さんホント嫌いですからねぇ……」

 

 治輝の横に並びながら、雪乃は語ってくれる。どうやら、治輝が保護した女性を連れ込んだ話は、もう院内中に広まっているらしかった。

 

「でっ。今回こそはその正体不明な患者さんに会わせてくれるんですよね?」

 

 雪乃は少し目を輝かせながら。治輝の癖(ヽ)はこれが初めてではなかった。前回も彼女に色々と手助けして貰って、事なきを得た彼だったが。その時彼女は患者自身を診る事が叶わなかった。それではあまりに当事者として不適当だ、と苦言を呈された過去がある。

 

 以前の治輝であれば、何かに事付けて難色を示していただろう。だが、手詰まり感がある現状だ。彼はこの際雪乃を巻き込んでしまおうか、と考えていた。だから

「ああ。御推察の通りちょっと厄介でね。真壁の意見も是非聞きたい。一緒に来てくれるか」

「やった! じゃあ、早速行きましょっか♪」

彼女からの申し出を敢えて快諾したのだった。それに、雪乃は嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 

 

 一人残された病室で、くれははそわそわと身体を揺すっていた。なるだけ早く戻ってくる。それを約されたはいいものの、あれからかなり時間が経ってしまっている。彼女は孤独と不安で押しつぶされそうになっていた。そこにようやく

「くれはさん、ごめんなさい。お待たせしました」

治輝が戻ってきたことから、彼女は思わず涙目になってしまう。そんな様子を一瞬雪乃が「随分と懐かれているみたいですね?」とジト目で見つめて来ていた気もしたが。治輝はそれを気にしないことにした。

 

「同僚医師の真壁も連れて来ました。女性の身体やセンシティブな部分は、僕よりも彼女の方が上手かなと思いまして」

「くれはさん。お話は伺ってます。よろしくお願いしますね」

 

 治輝に紹介された雪乃は早速笑顔でくれはに語り掛けた。年も近そうな医師二人。彼等にならば、ある程度は話してもいいかも知れない。そう考えた時、くれはの心は次第に軽くなりつつあった。

 

 雪乃は診察室に入ってくれはを一目見るなり、治輝へ小さく視線を返した。それだけで、凡その事情は伝わったらしい。それは彼としても説明が省けて助かる、と感じる部分だった。

 

「ちょっと治輝さん。後ろ向いててもらっていいですか。プライベートゾーン確認しますんでね。すみませんね、くれはさん。見せたくないところ、見ちゃいます。ん~~……。どうですか、こことか、痛いですか?」

「んっ……そうですね、まだ、ヒリヒリする……」

 

 どうやら雪乃は治輝が医療目的だとしても若干観察するのが憚られるような箇所の傷などを確認しているようだ。衣擦れの音に背を向けながら、彼は緊張で息を飲んでいた。暫くして。

「はい、結構です。ありがとうございます。ふむ……。治輝さん、ちょっと電カル借りますね」

雪乃は診察した所見を敢えて声に出さず、カルテにそっと追記していた。それには

「右乳房上端に新瘡あり、ケロイド状」

とある。それを目の当たりにした治輝はいよいよ元の世界に彼女を戻すのは危険だと犇々と感じていた。

 

「くれはさん。あなたの事情は大体理解しました。ですが、ここは病院。特段の事情がなければ、残念ながら入院はできません。ですから、提案があります」

 

 この場には匿えない。その事実を敢えて伝えず、制度のこととして語った治輝は、

「あなたがよければ、ですけれど。暫く僕の家に過ごしませんか。くれはさんも昨晩ご覧になった通り、空き部屋ばっかりの家です。正直僕もそこまで使いこなせてない建物で、ホコリまみれで申し訳ないですけど……」

具体的な提案をする。それは自費で彼女を匿う用意があるという意思表示だった。そこに

「ちょっといいですか、治輝さん」

雪乃が割り込む。或いは反対されるのでないか、と身構えていた彼だったが、

「せっかくだから、お手伝い(メイド)さんとして雇ったらどうですか。そしたらほら、治輝さんが十割負担する分、働いてもらうってことで帳尻が合いますし?」

雪乃の提案は治輝のそれよりも更に踏み込んだものだった。

 

「それでっ! 普段はこういう格好をしてもらって! これなら身体の傷も目立たないし、くれはさんには絶対似合いますって!」

 

 続けて雪乃は自身の私物のスマホを手早く操作して、北方PROJECTというゲームのメイドさんを模したキャラクターを表示させる。どうやらこの画面上の彼女は、雪乃の「推し」であるようだ。雪乃の説明にも熱が入る。

 

「真壁……お前、それ絶対着せたいだけだろ?」

「ソ、ソンナコト、ナイデスヨ? ほ、ほら。刈和野市ってこういう人全くいませんし。逆に目立たせちゃえ、というか。寧ろ、そういうもんだ、って思わせたらこっちの勝ちですって!」

 

 治輝は雪乃の様子から指摘する。否定する言葉を吐いた彼女だったが、明らかに目が泳いでいた。それでも確かに理に適っているようには治輝には聞こえたから、あとはくれはの意思次第か、と彼は感じていた。

 

 そんな二人の様子を微笑ましく思ったのだろう。くれはから思わず笑みがこぼれた。それは、明らかな心境の変化だった。そして、

「ありがとうございます。ご迷惑でなければ……お世話になろうと思います」

くれははその好意に甘んじる事を決心していた。その言葉を聞いて思わずガッツポーズをする雪乃とは対照的に、治輝は一先ず彼女を救う事が出来た、という安堵で胸を撫で下ろしていた。

 

 

 その日の夜、治輝は自宅に暫く逗留する事となったくれはと、自宅から「制服」を持参した雪乃の三人で食卓を囲んでいた。

 

 彼女のオタクっぷりは筋金入りであるようだ。「推し」の衣装とそれに合わせる為の下着セットを、雪乃は三着分も持参していた。

 

 衣裳自体は深い紺色を基調とした、少し古風でありながらも、格式のあるメイド服。

 

 白いフリルエプロンは妙に装飾的で、現代の給仕服というより、どこか古い洋館の使用人を思わせる意匠をしている。そして、象徴のようにあしらわれた大きな白い背中のリボンも特徴。実用性よりも「可愛らしさ」を優先したような衣装だった。

 

 治輝にとっては何処が違うのかが一切分からないそれらは、話しぶりによれば雪乃自身でも時たま身に着ける事があるらしい。そして彼女がくれはに着てほしいと今宵持参したその衣装たちは、雪乃が持つ同意匠の衣装の中では既に下着も含めてサイズアウトしてしまったもののようだ。

 

 くれはですらかなり豊満(グラマー)な体型であるのに、それを凌駕する成長ぶりが雪乃にはあるようだった。然るに、そういう話題に医学・栄養学の切り口でしかどうも興味がなさそうな治輝は「体型維持に余念を残せない」という後輩の悩みには気付きそうにない。だから、

「ん~~~❤ くれはさんの、料理! めっちゃおいしい!」

「真壁さぁ、そんなに掻っ込んだら血糖値が上がるだろうが。そんな食い方だと健康診断で数値が死ぬぞ?」

くれはの料理に舌鼓を打つ雪乃につい苦言を呈しがちだった。

 

「ま~だ、母親(おが)みでぇなこと言ってますね、この人は。美味しい料理なんて、あったかいうちに頂ねば無作法というものです。ていうかね。栄養学観点で突っ込むんなら、毎日昼飯と晩飯合わせて野菜ジュース二本とおにぎり三つだけで済ます治輝さんには言われたくないですっ!」

 

 すかさず更にくれはの焼き具合が完璧な鮭の塩焼きを皿に取りながら、雪乃が反論する。医者の不養生という故事を地で行く治輝の事を、彼女は割と真剣に心配している様子でもあった。

 

「こんな感じで、自分の事にはトコトン無頓着な人なんで……くれはさんが居てくれると、とても心強いんです。どうぞよろしくお願いしますね」

 

 甲斐甲斐しく二人の食事の世話を焼いてくれる、早速メイド服に裾を通したくれはに、雪乃は治輝の普段の世話を委任する。それがとても嬉しかったのか、

「はいっ! 畏まりました。えっと、ゆきのお嬢様?」

「あ……っ。尊っ……」

くれはは先程雪乃から教わっていた知識(ヽヽ)で応答してみる。そんな思わぬ直撃弾を受けてしまった雪乃は感激で涙目になってしまっていた。そのやり取りを尻目に小さく嘆息した治輝は

「くれはさん、ご馳走さまでした。僕は寝室で診療情報提供書の続きを書いていますから、何かあったら呼んでくださいね。真壁も、今日は適当に泊まっていっていいから。何ならくれはさんの身体の様子をもうちょっと詳しく診ておいて貰えると助かるかな」

「ほんと、仕事人間ですよね。治輝さんは。まぁでも、そんなご褒美な診察なら大歓迎です。追加で診ておくところ、いっぱいありそうですしね。隅々まで暴いて差し上げますよ。フフフ」

後輩に指示を与えつつその場を中座しようとしていた。意気込む雪乃の様子に、くれはが少したじろいでいたのは、治輝の見間違いではなかった。

 

 

 こうして治輝はくれはとの奇妙な共同生活を開始していた。そしてそれは彼の当初予想以上に長期化してしまっていた。

 

 だが、彼にとってくれはの存在は一切苦痛ではなく、それどころか仕事をしているだけで家事が自動で回る感覚に非常に助けられていると感じていた。

 

 だから、治輝もくれはも、それぞれ「まだ半月」ではなく「もう半月」といった認識でいた。

 

 当初の目的であった、「巷の認識阻害」については、どうやら上手くいっている様子だった。

 

 それこそ最初の一日二日は「余所者がいる」という噂がまことしやかに語られたものだが。くれははそれを気にするでもなく自分の居場所とばかりに堂々とスーパーや治輝の自宅に制服(ヽヽ)を身に着けたまま出入りしていた。

 

 それだけでも「独身の医者先生の家に出入りするお手伝いさん」というイメージ固定戦略としては完璧に機能するものだ。だから、一週間も過ぎれば誰も異物であるとは思わなくなる。

 

 更にくれはの元来の性格もこの場合は好転する方向に寄与していた。彼女は営業スマイルがとにかく上手。だから、自宅(ヽヽ)でふとした瞬間に憂鬱さを見せる事はあっても、外出先では気さくで気配りが出来るメイドさんだった。

 

 だから更に一週間も経った頃には、彼女のファンは存外あちこちに存在していて、「とびっきりめんこいメイドのお姉さん」はすっかり刈和野市の風景の一部として溶け込むことが出来ていた。

 

 

 一方で、くれはは共同生活を通じて、治輝が只者ではないという事に薄々気付き始めていた。

 

 年も大して変わらない筈なのに、立派な家に一人で住んでいること。そしてそれは彼自身の持ち家ではなく、家族所有の「別荘」であること。

 

 そういう「土地」と「家」を簡単に持ち得る環境にどうにも覚えがあると思えて仕方なかったくれはは、時々胸が苦しくなる思いをしていた。

 

 そして何より、くれはが自由に出来る金銭の額は、間違いなく彼女の記憶の中では現状が一番多かった。

 

 治輝から「生活費の決済に使ってください」と渡されたクレジットカードは、一定の地位や多額の預金がなければ加入すら許されないような特別な契約によって発行されたものだという事がくれはにすらも分かる。

 

 そんな無限振出可能な小切手に近い何かを、見ず知らずの自分に対して簡単に貸与出来る。それがどれだけ凄い事かを、くれはは身に染みて感じていた。

 

 だが、現状居場所がない彼女は、そういった些細な違和感を覚えつつも、彼の好意に甘え続ける他ない。どうしたら、この大きすぎる恩を返していけるだろうか。くれははそんな事にも次第に悩むようになりつつあった。

 

 

 そんな平穏は、共同生活を営み始めて三週間目の或る日、唐突に綻びが見え始める。

 

 この日治輝は夜勤明けの非番で、昼まで惰眠を貪っていた。そこに誰かが訪ねて来た気配と、くれはの声にならない悲鳴を感じた彼は、慌てて外套を羽織って寝室から飛び出る。

 

「美郷くれはさん、ですね。警視庁本部生活安全課の者ですが……少々、お話を聞かせていただきたく」

「あ、あぁ……あの、っ……」

 

 治輝が察知した通り、突然の「警察」の来訪により、くれははすっかり腰を抜かして怯えてしまっていた。すかさず

「くれはさん、大丈夫ですかっ⁉」

治輝が駆け寄ったものだから、彼女は思わず彼の身体に縋ってしまう。その様子を、警視庁から派遣されてきたらしい女性二名の警察官は怪訝な眼差しで見つめていた。

 

「あの、失礼ですが……貴方は?」

「あ、っと……ポッケに……あったな。刈和野綜合病院の脳神経内科医、安藤治輝と申します。この家の家主です」

 

 警察官のうち、くれはと同じ背格好でやはりこの辺りでは見ない、美人だが眼光が鋭くベテラン感を醸し出す女性の問いかけに、治輝は身分を証明しつつ応答する。その間も、くれはは彼の右腕をぎゅっと掴んだまま。その仕草が治輝には妙に痛々しく映っていた。

 

「ああ、成程……あなたが。事情はある程度神代より伺ってます。申し遅れました、私、警視庁本部、生活安全課の係長、警部補の牧野友恵(まきのともえ)と申します。こちらは部下の白楽優香(はくらくゆうか)巡査長」

 

 牧野警部補の名乗りで、どうやら敵意(ヽヽ)のある用件ではないことを察した治輝は、

「大丈夫、くれはさん。落ち着いて。一旦客間まで行きましょう。皆さんも、どうぞおあがりください」

同居人を落ち着かせつつ、来訪者たちを案内した。

 

 

 治輝が普段着への着替えを済ませる間、牧野と白楽はくれはの身体を調べていた。治輝が「大丈夫だから」と安心させたことで、彼女は存外素直に警察官の指示に従うようになっていた。

 

「金弥の言う通りだった。本当にあちこちにあるわね」

 

 証拠調べに際して、事実を淡々と口にする牧野に対して、白楽はどうしても余計な事を言いがちだった。そろそろ釘を刺すべきか。牧野がそう考えた矢先、

「これが、本当にあの(ヽヽ)恭太郎がやったことなんですか……? あたしはちょっと信じられない、かも……」

ついに、彼女の口から率直すぎる感想が漏れる。あまりにも他人事なその一言に、くれはは肩を震わせ、牧野は眉を顰める。一瞬客間の空気が凍り付く。

 

「そういえば優香は、被疑者(マルヒ)のファンだったね。今日はちょっと黙ってようか。ね?」

「あっ、えっ……。はい、すいません……」

 

 思わず牧野は声音を落とし、少し語気を強めた。そんな上官の声音をあまり聞いたことが無かった白楽は、咄嗟に謝罪の言葉を吐きつつも畏怖で震える。

 

「くれはさんも、ごめんなさいね……。お辛い中、見せたくないもの、見せてくださってるのに……」

「い、いえ……。お仕事、ですものね……。大丈夫、です……」

 

 証拠調べの手を止めぬまま、牧野は今度はくれはを安心させるような声音で謝罪した。然るに、牧野の言葉を聞いたくれはが絞り出した声音は、あからさまに恐怖で震えていた。

 

 

 治輝が着替えついでにここまでのくれはの身体状況が記された電子カルテの複製印刷物を携えてやってくると、どうやら吟味中であるような声が客間からは漏れ聞こえてくる。

 

 それが一段落するのを待って、治輝は入室してもよいかを中にいる女性三人に対して訊ねた。許可が出た事で、彼はいよいよ主治医の顔となって警察官と対峙する事となる。

 

「それでは先ず、安藤先生の方から事情聴取させて頂きましょうか」

「はい。何なりとお訊ねください」

 

 治輝の事情聴取自体は大して時間が掛らなかった。あくまで事実ベースでの話にしかなりようがなかったからだ。そして出羽駅前に於いて記録されていたくれはの前行動(マエアシ)と治輝を伴った後行動(アトアシ)にも矛盾がなかったことから、それは事実であると認定されていた。

 

 くれはが出羽に来た理由。そして何故足取りが掴めたのかについては、牧野が推測だと断った上で語ってくれた。

 

 東京駅から新幹線に乗車した時、くれはは携帯電話の電源を切っていなかったそうだ。何故そうだったかは定かではないが、いざという時に助けを呼ぼうとしたのかも知れない、と治輝は考えていた。そして、

「記録では、一度。警察、成城署の生活安全課(セイアン)から電話をしていますね。そこから、電波が途切れた。ちょうど、大谷(おおたに)市付近だったかなと」

「あ……そうだ……。電話、かかってきて……びっくりして、落としちゃって……」

「なるほど、それで割れてしまったんですね」

くれはのスマートフォンが壊れてしまったことについても、状況らしきものが浮かび上がってくる。

 

 牧野が捜査記録を辿り、くれはの証言と状況証拠が一致し始める。そして破損した携帯電話という物証までが一つに繋がるにつれ、当時の逃避行の輪郭が朧気ながら浮かび始めていた。

 

「だけれど、全列車が停車する啄木(たくぼく)駅を発車した時点で、北行きの新幹線には、くれはさんはいなかった。だから、西行き、つまり出羽方面に向かったものと推測できたようですね。失礼とは思いながら、戸籍謄本等も確認させて頂きましたが。くれはさんは出羽県北部のご出身のようだった。だから初動の捜査官たちは新幹線への乗り方は一応心得ていたものとして、出羽駅を中心に県内各駅を当たっていたようですね」

 

 あくまで状況証拠のみを取り扱う牧野の姿勢に、治輝は助けられていた。ここであの日くれはの情報を金弥に喋ったという事実が明るみに出ると、話が変わってくる可能性があったからだ。

 

「くれはさんは、やむを得ない事情(ヽヽヽヽヽヽヽヽ)により、この家に逗留しております。ご存じとは思いますが……」

「ええ。カルテの提供、大変助かります。こちら、お預かりしても?」

「はい、どうぞお持ち下さい」

 

 くれはの事情聴取の終わり際、治輝は主治医として彼女のカルテの写しを提供していた。早速牧野はそれを捲って中身を改め始めている。

 

「あの、牧野警部補は神代先輩をご存じなんですか?」

「ああ、そうですね。大学時代の同窓生。まぁある意味腐れ縁のようなものですか……。恋人だったこともありますが、今は、下世話ですが、セフレみたいなもんですね」

 

 治輝の問いに、牧野はあっけらかんと彼の先輩とは本当に気安すぎる付き合いをしているという事実を語って見せる。それに彼は苦笑いをせざるを得なかった。

 

「病名、解離性記憶障害……ですか。なるほど。状況的にもあり得そうな話ですね。先生は脳神経内科医だと仰っていましたが、精神科も診られる?」

「はい。後期研修で一応。ただ、当院には科としては無いため、脳神経内科で常勤しております。ところで、失礼ですが……今回は事情聴取でしょうか?」

「その通りです。被害者供述調書の取得という形になりましょうか。くれはさんを今すぐどうこうしよう、という話ではないですので、そこはご安心ください」

 

 治輝の声音に滲む焦燥を察した牧野は、安心させるように笑みを返した。それで彼は大きく胸を撫で下ろしていた。

 

「安藤先生がくれはさんを匿っていらっしゃった事情は了解しました。こちらとしても、二次被害を生まない為の避難措置であると理解していますから、このまま継続して頂いて結構。ですが。ご存じとは思いますが……『特異行方不明者』として届出がある以上、ある程度『動きがある』のはやむを得ないかと。それだけはご了承ください」

 

 聴取を終えた牧野は、書類の尻をとんとんと叩きながら、治輝を見やる。それは「この女を守り切れる自信があるのか?」と問いかけるような目。そして既に引き返せない道を踏んでいると自覚のある治輝は、それに改めて大きく頷いていた。

 

 一方、牧野の「動きがある可能性が高い」という言い草に、くれははどうにも深刻そうな表情を浮かべていた。

 

 

 捜査員たちは宣言通り、くれはに対して特に何もすることなく引き上げていった。その晩。治輝は自らの寝室に小さく設けられていた書斎の椅子に座り、今後どうすべきかを真剣に検討していた。

 

 牧野に問われるまでもなく、治輝はくれはの人間としての当然の権利を擁護するつもりでいる。だが、既に悪意がすぐそこまで迫って来ているのを、彼は肌で感じていた。

 既に引き返せない程にはくれはに深入りしてしまっている。それは彼の自覚するところだ。治輝の関心は最早「くれはを守り切れるか」ではなく、「どうやってくれはを守り切るか」という点に移ろっていた。

 

 そうして思慮を重ねる治輝に、

「先生……? いる……?」

くれはから声が掛かる。どうしたのか。治輝は彼女からの呼びかけに応じて立ち上がって部屋のドアを開ける。すると途端に、いつもの制服姿のくれはが彼の胸に飛び込んでくる。今までにない行動に、治輝が思わず戸惑っていると、

「先生……わたし、ここに、いたいの……」

くれはが彼の背をきつく抱きながら縋ってくる。気付けば、治輝の寝間着は彼女の零した涙で濡れそぼりつつある。余程深刻な事態だと、彼が主治医の顔になるのには秒針の刻は不要だった。

 

「くれはさん、大丈夫です。僕は、いつでも、あなたの味方ですよ。ゆっくり、落ち着いてからでいいので……思った事、思い出した事、全部、喋ってみてください。急がなくて、大丈夫ですから」

 

 治輝はくれはの身体を抱き返して、彼女の背を摩りながら、寝台へと誘導する。そうして寝台の端に申し訳程度に座った二人は、暫くの間身体を寄せ合っていた。

 

 互いの息遣いが聞こえるような距離のままそうしていると、

「今日、警察のひと、きたよね……。それでもう、今までのままじゃ、足りない、って。そう、思ったの……」

くれはの口から、いよいよ核心に近いものが零れ始める。治輝はその内容を吟味するのを後回しにして、ひたすらに聞きに徹していた。

 

「もう、命令されて、知らないひとに、えっちなこと、するの……や、なの……。警察に連れてかれても、みんな……わたしのこと、えっちな目で、見る……。それで、命令されて、しらないところに、行ったら……そこに、わたしのこと、えっちな目で見てた人が、必ず、いるの……。だれも、助けてくれない……。みんな、わたしの、おっぱいと、お○んこにしか、興味、ないんだな、って……。そういうのが、ほんとうに、いや……」

 

 続けての彼女の言は、くれはが警察不信となった理由について、十二分に理解できるものだった。警察当局による何かしらの握りつぶし。その代償に、くれはの性が上納されていたということだ。そして、彼女に命令しているのは誰か。それは最早考えるべくもない。

 

「先生は、むりやり……警察に、いかない。むしろ、守ってくれた……。だから、ここに、いたい……。でも、わたし……おかねも、ないし……家事くらいしか、できない……。でもきっと、もう……それじゃ、たりない……」

 

 そんなことはない。治輝はすぐさま否定したかったが。それはくれはの人格・意思の否定になる。それが分かる彼は、彼女を抱きしめたまま、何も言えなくなってしまっていた。

 

「だから……わたし、せんせいが、必要なの……。あなたが、ほしいの……。ん、っ……」

 

 いよいよ治輝を押し倒しながら、くれはが彼の唇を奪う。職業倫理に照らしたならば、直ちに止めさせるべき状況だ。然るに、彼はくれはの心境を慮った時、彼女の意思を拒絶することがどうしてか出来なかった。だから、

「ん……せんせい、おっきくなって、くれた……うれしい……❤」

くれはがいよいよ治輝の男性自身に触れて来ていても、それを止める事が出来ない。彼は最早、なされるがままになるしかなかった。

 

「ん、っ❤ れる、っ❤ ちゅぱ、ちゅぷっ❤ ん、く、っ❤」

 

 指示も命令もしていないのにも拘らず、くれはが自然と治輝の肉棒を咥えていた。恐らくそれは、「奉仕の作法」として彼女の身体に染み付いたもの。彼はそれを非常に痛々しいとは思いながらも、制止できずにいた。

 

 何より治輝も、この時のくれはが初めての相手。むしろ彼女から与えられる甘美な快感に溺れて、それどころではなかったのかも知れなかった。

 

 くれはの口淫は、治輝の快感を増幅させるかのように、じっくりねっとりと続いていた。彼がいよいよ精を迸らせてしまいそうになった刹那、くれはが唐突に逸物から口を離す。

 

「く、くれはさん……?」

「そろそろ、お○んこ……シたい、よね……?」

 

 それもまた、仕込まれた動作なのだろう。メイド服のスカートを捲り上げ、くれはが太腿と秘所を覆うショーツを露わにさせる。本来ならば煽情的な光景だろう。だが、治輝の視線と興味は、そういった女性的な箇所ではなく、彼女の両足そのものに注がれていた。

 

 くれはのそこには多数の傷痕が存在していた。治癒寸前のものが大半だが、中にはまだ化膿していたり瘡蓋のままの箇所も、いくつか見受けられる。

 

「くれはさん、大丈夫ですか……? 痛くないですか……?」

 

 思わず、治輝はその傷痕に優しく触れてしまっていた。するとくれははくすぐったそうに、だが、嬉しそうに身を捩る。

 

「せんせいは、や、じゃないの……? こんな、傷だらけの、足、なのに……」

「くれはさんの、ですから……嫌だなんて、とんでもない……。後で、傷薬、塗ってあげますね」

 

 それは、今まで相手にしてきたどの男も一切しなかった動作。それだけで、くれはの身体は未知の快感に浸食されつつあった。しかしまだ、彼女にとっては身体が妙に熱い、といった程度の認知でしかなさそうだ。

 

「も、もう、いいから……。お○んこ、シよ……?」

 

 治輝の優しい手つきに快感で身体をぞくぞくと震わせていたくれはが、いよいよそれから逃れたい一心で、飛燕草の花弁と草蔓の紋様が丁寧に刺繍され格式ある意匠に仕上げられた、鉄紺色の大人びたショーツのクロッチをずらして、秘唇を露わにさせる。

 

 性感を受けて蕩けたくれはのそこは、全く手入れされておらず、しっかりと生え揃う黒叢に覆い隠されていてもなお分かるほどには濡れそぼっていて、ぷっくりと膨れた陰核も、くれはが陰唇を広げて見せているので、治輝の目にははっきりと視認できる。

 

 そのあまりに神秘的な光景に、彼が思わず生唾を呑み込んでいると

「そうだ……これ、いるよね……?」

くれはが徐に右耳に着けていたピアス型のイヤリングにぶら下がっていたブローチの中から、小さな小物を三つも取り出した。それらは先端に小さな真珠が括られた、小さな身体装飾用のピアスたち。

 

 それを目の当たりにした治輝は三つという奇数であることではっとする。恐らくそれは女性の局部に付けさせるもの。しかも大体その類は女性が自発的に身に着けるものではなく、支配的な男が性交時や連れ立っている際に、自己顕示欲で女に身に着けさせるものだ。

 

 どこまでこの女性(ひと)の尊厳を踏み躙れば気が済むのか。治輝の中には怒りのようなものが次第にこみ上げてくる。そんな彼の様子を

「せ、せんせい……? だいじょうぶ? クリピアス、つけるよ……?」

くれはが不安そうに覗き込んでいた。それで治輝は正気に戻り、彼女の目をしっかりと見る。そして

「くれはさん。それは仕舞ってください」

治輝ははっきりとそれが不要であると告げた。途端、くれはは身体を震わせ始める。さもあろう。治輝に否定された。何が悪かったのか。もうおしまいだ。彼女は一瞬でそこまで思慮を巡らせてしまっていたからだ。

 

「あ、あのっ……。ふぇ……?」

 

 震える声を絞り出すくれはを、治輝は優しく抱き留めていた。そして彼女の背を髪ごと優しく撫でてやりながら

「くれはさんは、そんな痛々しい装飾なんかなくても、十分魅力的だし、えっちで、素敵ですよ……。でも、ここから先、どうするかは、あなたが決めることだ。僕は、あなたが望むなら、童貞(はじめて)を捧げてもいいと思っている。でも、あくまで、あなたが望むなら、です……。ただ『繋ぎ止めたい』というだけなら、やめにしましょう」

はっきりと彼女の決断を迫った。それは医師としての最後の倫理の壁。治輝自身、ここで更にくれはに求められたならば、もう踏みとどまる事が出来ないと感じていたからこその、最終確認だった。

 

 くれはとしては、もう限界だった。どうしてか、先程から身体の芯が熱い。今すぐ最奥に滾ったものを受け容れなければ狂ってしまいそうだった。それ程に、目の前の男が愛おしい。くれはの身体はそう感じてしまっていた。だから、

「いい、の……わたし、せんせいが、ほしい……。せんせいじゃなきゃ、もう、いや、かも……。だから……せんせいの、お○んぽ……わたしの、お○んこに、いれる、ね……?えっち、しちゃう、ね……。ん、ぅぅっ❤」

遂に彼女は自らの意思で、格好付けたようにも聞こえる言葉とは裏腹に、すっかり滾ってしまっていた治輝の逸物を、ゆっくりと蕩けた秘唇で咥え込んでゆく。くれはも、いよいよ自発的に彼を選んだ。二人共、もう後には引き返せなかった。

 

「はぅ、ぅぅっ❤ なに、これ、っ❤ すごい、のぉ❤ せんせい、の❤ かたくって❤ おっきくって……❤ ねぇ、っ❤ せんせい、も❤ いっぱい、きもちよく、なってぇ❤ くれはの、お○んこ、で❤ いっぱい、きもちよく、なってぇ❤ んぁ、っ❤」

 

 くれはが息を弾ませ、癖なのだろうか、煽情させる言葉を吐きながら、早速肉同士がぶつかる音が立ってしまう程に腰を懸命に浮沈させ始める。暗がりの中、治輝が開きっ放しだったノートパソコンのモニタから発せられる光が、二人の蠢く影を鋭く照らしていた。

 

 くれはが治輝にも抽迭を同期させるように求める。彼は上手くできるか不安ではあったが、覚悟を決めて彼女の腰を優しく掴みながら、肉棒を抽迭させる。

 

 その動き自体は、やはり経験が浅い男のそれ。くれはにとっては、今まで相手にして来た男の中では最もぎこちないと感じるものだった。

 

 だが、今までは男根を受け容れる際に潤滑剤(ローション)を必ず要していた彼女の秘唇や膣は、すっかりくれは自身の愛液で濡れそぼっていて、治輝の逸物を、それらが無くてもしっかり咥え込んでしまっている。

 

 それだけでも、今までとは全く違う。くれはが実直にそう感じてしまうのも無理はなかった。そしてそれが性感というものである事にまだ気付けない彼女は、身体の欲求と衝動に抗えず、夢中で抽迭を繰り返している。最早、治輝の事を慮る余裕はなさそうだった。

 

 くれはの容赦ない抽迭。普段の彼女ならば早く終わってほしい、その一心での腰つきだったろうが、今は明らかに「治輝を気持ちよくさせたい」という欲望によって突き動かされたものだった。そこには、確かに熱が籠っていて、童貞だった彼を容赦なく攻め立てる。

 

 くれはにとって、未知の快感。その最たるものが、いよいよ彼女に襲い来る。

 

「あっ、あぅっ❤ おくぅ❤ こんこんっ、って❤ しゅるの❤ しゅごいっ、らめぇ❤ せんせい、だめっ❤ なんか、きちゃう、っ❤ しゅごいの、くるっ❤」

 

 既に呂律が回っていない様子のくれはが、その来襲を治輝に具に伝えていた。恐らくは絶頂(オーガズム)。未だどこかで医師である自分を見失っていなかった彼はそう判断した。

 

 自身の拙い抽迭でそうなってくれているという事に、嬉しさを覚えていた治輝だったが。実際のところ、彼自身も限界が近かった。膣内射精だけはいけない。抜かなければ。彼の脳裏にはその事がはっきりと過っていた。

 

「ぼくも、もう、っ……。で、射精(で)ちゃいそう、でっ……。くれはさん、膣外(そと)に出しますから、一旦、とまって……」

 

 治輝がはっきりと意思表示をする。だが、彼女は動きを止めるどころか、彼の身体にしっかりとしがみついて来る。くれはの意思は、最早明確だった。

 

「ちょっ、くれは、さんっ……。そんな、くっついたら、っ!」

「だめっ❤ せんせい、っ❤ ぬいちゃ、やだぁっ❤ はなれちゃ、やだっ❤ お○んぽ、ぬかない、でぇ❤ そのまま、なか、でっ❤ なかじゃなきゃ、やぁっ❤ くれは、の❤ お○んこ❤ せーし、で❤ いっぱいに、してっ❤ おく、までっ❤ せんせいの、で❤ そめて、ほしいのっ❤ おねがい、だしてぇっ❤」

 

 くれはの腰遣いは治輝と離れたくない一心で、深く腰を落として彼の逸物を膣奥までしっかり飲み込んだまま、子宮口を雁首の裏筋に擦り付けるかのようなねっとりと、射精を促すものに変化していた。

 

 今晩が初体験である治輝が、そんな淫蕩な腰つきに耐え切れぬ筈もなく。

「うわ、ぁぁ、っ……」

いよいよ彼の箍は呆気なく崩壊してしまう。どくどく、と脈動した治輝の肉棒の先端から、子種がどぷどぷとくれはの膣奥へと注がれてゆく。

 

 治輝の精が膣奥や子宮口へとびちゃびちゃと浴びせ掛けられる感覚を得て、

「あっ……ひあぁ……んあああっ……❤」

くれはは嬉しそうにびくびくと身体を震わせていた。

 

「ふふ……❤ せんせい❤ すっごく、きもちよさそうな、かお……❤」

 

 気付けば蕩けた表情のままのくれはが、呼吸を乱して放心してしまっている治輝の顔を覗き込んでいた。そんな彼女の膣は、未だ滾ったままの彼の逸物を咥えたまま、再起を促すかのようにきゅうきゅうと締め付けてくる。

 

「えへへ……❤ せんせいの、せーし❤ たぷたぷ……❤ くれはの、お○んこ❤ きもち、よかったんだ……❤ うれしい……❤」

 

 そんな彼女は、彼自身の反応や表情から、思わず表情を綻ばせていた。くれは自身、膣内射精は何度も経験していた。寧ろ、彼女にとってそうされるのは今まで当然だった。だから、彼女は避妊薬と常に隣り合わせだった。それは彼女にとって生命線だったからだ。

 

 だが、今回はそれを持たぬまま、生の肉棒を受け容れてしまっていた。その状況自体、かつての彼女は烈火の如く嫌っていた筈。

 

 ところが、今回の治輝の精だけは、それが何故かはくれは自身もまだ理解が及んでいなかったことだが、どうしても受け容れたいと彼女は思ってしまっていたようだった。

 

「ごめんなさい、くれはさん……なか、に……」

「ううん……せんせいは、わるくないよ……❤ わたしが、なかに、ほしかったの……❤ それにね……すっごく、よかったんだよ……? からだが、ほわほわ、ってするというか……すっごく、しあわせな、かんじ❤ いままで、えっちしても……こんなには、ならなかった。わたし、せんせいと、えっち、できて❤ すっごく、うれしい、から……❤」

 

 治輝の謝罪に、彼女は嬉しそうに、全く不快ではなかったという事を語ってみせる。必要とされた。その事実が彼の心に満ちた時。くれはの膣内に埋まったままだった彼の逸物が、再びむくむくと活力を漲らせ始める。

 

「ん、ぅ❤ せんせい、また、シたく、なっちゃった……? ふふっ……❤ おなじひと、と……にかい、つづけて、なんて……はじめて、かも……❤ でも、いやじゃない……❤ わたしも、せんせい、が❤ もっと、ほしい、から……❤」

 

 気付けば、二人はどちらともなく唇を合わせる。そして、先程大量に注がれた精をぐちゅぐちゅと攪拌するかのように、彼等は再び身体を合わせ始めていた。

 

 

 翌朝。治輝は久々に精魂尽き果てた感覚で寝台に沈み込んでいた。あの後開放された性欲に抗えなくなったくれはによって、三回も搾り取られてしまったからだ。

 

 その彼を、くれはがそっと揺する。彼女は当然のように先に起きていて、朝食の準備を整えていたようだった。

 

「あ、くれは、さん……。そ、その。おはよう、ございます……」

 

 治輝は彼女の顔をまともに見る事ができなかった。性愛に溺れてしまった自分が妙にこそばゆく、今まさに恥ずかしい呆けた顔を晒しているだろうことが自覚できたからだ。

 

 そんな昨晩愛し合った男の様子を、くれはとしては微笑ましくも可愛らしく、そして愛おしく感じていた。ますます、ここから離れたくない。彼女は改めてそう決心していた。

 

「先生、ご飯、できてる。一緒にたべよ?」

 

 優しく微笑みながら、くれはが治輝の手を取る。それは今までにない、好変化だった。昨晩の行為の「意味」を必死に探していた彼としても、そんな彼女の症状の好転には救われる思いをしていた。

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