※この作品はR-18です。

メイドさんのいる診療所   作:鍵山ゆーな

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破壊

 

 萩雄の調査により、今回美郷くれはを困難に陥らせている「敵」の全容が明らかになりつつあった。

 

 直接見えている漏洩のルートは二つ。一つは、病院組織からの監視。これを主体的に行っているのは、真壁雪乃。そしてそれを裏で操っているのが、治輝の実母である安藤美海だった。

 

 そしてもう一つは、警察庁の内部監査で発覚した、週刊誌記者による嗅ぎ回り。これは捜査情報を漏らした白楽優香から情報提供を受けた帝経新聞の芸能担当記者、保戸野三郎が刈和野市周辺を執拗に漁っている様子。

 

 三郎は、まだ美郷くれはの居場所情報そのものには辿り着いていない。だが彼は、刈和野綜合病院周辺で「メイド服の女がいる」という、常人なら鼻で笑う程度の噂にすら食らい付いていた。当事者たちからすれば、非常に危険な兆候だ。

 

 一見監視されている方が厄介にも見える。だが、くれはの安全を第一に考えたならば、三郎の方が遥かに危険人物であるのは明白だった。彼女の居場所を掴んだならば、それを美郷恭太郎に売りかねないからだ。

 

 その三郎から、くれはをどう守るか。それが治輝達にとっての至上命題だった。

 

 

 金弥と友恵から謝罪があった日から二日が経った。この日治輝は非番。朝から釣り竿と日除け帽を被って車でどこかへ出かけていた。そして、紅葉は友恵に伴われて、出羽県警のパトカーに乗せられてどこかへ。治輝の家は久々に蛻の殻になっていた。

 

 これは当然萩雄の策だ。真壁雪乃と、その背後にいる安藤美海に対する撒き餌。あれだけ警告しても、なおやるのか。やらずに非を認め自首すれば咎めない。だが、実行したならば最早容赦はしない。それは萩雄なりの、人物の見極め方法だった。

 

 その別荘が空になった状態を、どうやら美海は目敏く察知していたようだ。この日勤務だった雪乃は、その最中に美海に空き会議室に呼び出されていた。

 

 そして雪乃も馬鹿ではない。あれだけ警告されておいて、何も手を打たないほど愚かではなかった。彼女は心情的に、もう紅葉をこれ以上裏切れないと感じていた。あの彼女が、あれだけ怒りを前面に押し出している。それだけで、雪乃は罪悪感でいっぱいだった。

 

 だから雪乃は、美海の呼び出しに際して、予めボイスレコーダーを起動していた。何かさせられるにも「自分は嫌だった」という証拠を残すためだ。

 

「今、治輝が使ってる別荘。人がいなくなったみたい。雪乃ちゃん、すぐ行ってきなさい。機材は既に用意してあるから」

 

 開口一番に、美海から要求されたのは、折から要請されていた「監視の増強」だった。

 

「おばさん、もう無茶ですよ。やめにしましょう。連絡した通り、治輝さんは警察に相談しているようです。バレてますよ」

 

 雪乃はそれを明確に拒否する。まだ戻れる。取返しがつく。彼女はそう思っていた。だが、現実はそう甘くはない。

 

「どうせハッタリ。治輝(あいつ)がそんな度胸、ある訳がない」

 

 ここで美海は、息子の人格を完全に否定していた。それだけで、雪乃にとっては失望の極みだ。この人は、彼の事なんて見てもいないし、なんなら愛してもいない。この人が見ているのは、安藤家という栄光の虚像だけ。それを雪乃ははっきりと思い知らされていた。

 

「しかし。何やら大きな動きがあるのも確かです。美郷恭太郎、でしたっけ? 俳優の。彼に関連しているみたいなんですよ、治輝さんが警察を呼んでいるのって」

 

 最早諦めて貰うには大事にするしかない。そう判断して雪乃は監視で知り得た「大名」を出した。途端、美海の表情が変わる。

 

「ねぇ。なんでその人の名前、あんたが知ってるの?」

「え、えっ……いや、その」

 

 美海の突然の豹変ぶりに、雪乃は困惑していた。明らかに様子が変。彼女は初めて恐怖を感じていた。

 

「困るのよ。今。でも逆に、だからこそ、映像(オビ)は取っとかないとまずいか……。雪乃ちゃん。何が何でも仕掛けてきなさい。もう抜けるなんて許さない。もし日和るんなら……あんたの家は無事では済まないよ。差し当たり、お父さんかお母さんのどちらかと、連絡が取れなくなるのは覚悟することね」

 

 続けて美海の口から出たのは、明確な害悪の告知だった。本性を現す彼女に、雪乃はすっかり面食らっていた。録音があるのだから、それを持って自首すればよかった筈だ。だが彼女は、既に恐怖によって支配されてしまっていた。

 

 

 治輝は普段から趣味にしていた釣りに行く振りをして高速に乗り、出羽市の南にある矢島市の出羽県警察矢島警察署に姿を見せていた。

 

 丁度そこに、一般道の別経路で「護送」されてきた紅葉と、その任に当たっていた友恵の姿が。この場所は、萩雄の要請で金弥が出羽県警に用意させた作戦会議の開催地だった。

 

 空き巣になるというのも敢えての策略で、金弥の指示により、出羽県警刈和野署の機動捜査隊員たちは捜査車両による周囲の隠密監視によって、何者かが手出しする瞬間を狙っている。

 

 そうして現地への直接指示で相手の出方を待ちながら、五人は全く関係のない警察署の中というかなり安全な場所に移動しての会議に臨んでいた。

 

「まずは、敵の的を絞りましょう」

 

 萩雄の提案に、金弥は同意だと頷く。防諜役の二人がそう言うのであれば、治輝と紅葉は何も意見する事ができなかった。

 

 この先は、実力行使に出て来るものを検挙しつつ、調略。つまり敵を味方に変える方策を採るべきだと、萩雄が説明していた。そして彼がその対象として挙げたのが、帝経新聞の記者、保戸野三郎だった。

 

「独自のツテで調べましたが。この人、元々政治局志望だったところ、上に嫌われて芸能に回されたという経緯があるようですね。だからやたら政治スキャンダルに詳しいし、芸能記者としても超一流です」

「お前すげぇな。情報源(ソース)どこだよ」

「それはまぁ、企業秘密ということで……。ですが、今回その部分を擽るのはアリでしょうね。この手の人物は、金よりも栄誉を欲しがる筈です」

 

 萩雄が調べ上げた三郎の経歴に、金弥が驚いていた。それ程には、あまりに具体的な情報だった。

 

 雪乃については、あの「警告」がどこまで効果があるかという結果待ち。先ずはその二人を敵から切り離して味方に付ける。それが萩雄の一手だった。

 

「ただ、今回の一番の問題は……『こちらもただでは済まない』という点。特に、治輝。お前はかなりきつい立場に立たされるぞ」

 

 続けて萩雄が指摘したのは、被害者である治輝の生活基盤が破壊される可能性が非常に高いという点。元々美郷くれはを抱え込んでいた時点で危うかったそれが、一気に生活困難なレベルまで破滅する可能性がある。萩雄はそれを誇張なしに率直に伝えていた。

 

 そして紅葉も最早「家庭内で虐げられていた芸能人妻」の立場では居られないだろう。今後は匿名・流動型犯罪組織に係る重要参考人として扱われる事はほぼ間違いない。金弥と友恵が命を掛けてでも守る、と約してはいるが。それでも安心はできない。

 

「それでも、やるか。止めるなら、今だぞ」

 

 一度動いてしまったら、もう止めようがない。それを萩雄は感覚としてはっきりと正しく理解していた。

 

「くれはさんは、どうですか。今なら、まだ戻れます」

 

 治輝はここでも紅葉がどうしたいかを尊重していた。他の三人も、彼女の言葉を固唾を飲んで見守っている。彼女はそれに逡巡することもなくはっきりと頷くと

「私は、治輝くんと一緒にいたい。あなたは、ずっと私を守ってくれた。だから、これからもきっとそうなんだろう……って、そう思えるから。だから、いいよ。誰かの玩具にされるなんて人生は、もうまっぴら御免だから」

自身の決断をはっきりと示した。

 

「おうおう、かなり惚れられたもんだなぁ」

「ふふ、ほんと。すごくお似合い」

「金弥さん、茶化さないでください。牧野警部補も笑わないで……」

 

 金弥は軽口を言い、友恵はその微笑ましさに思わず笑みを浮かべていた。もうこの時点で、治輝が日和見に興じるなどとは誰も考えていなかった。

 

「わかりました。僕も、くれはさんの意見を尊重したい。そして僕自身も『こんな家、さっさと壊れてしまえ』って思ってます。だから、後戻りする必要はありません。徹底的にやってやりましょう」

 

 そして治輝も、いよいよはっきりと実家との決別を宣言していた。それは間違いなく、親や周囲から理想を押し付けられ続けて来た男が、一皮剥けた瞬間だった。

 

 更に細かい調整事項を話し合ってこの場は解散となる予定だった。だが、一本の連絡電話が、事態の急変を告げていた。

 

「はい、神代。……何、真壁が現行犯逮捕(げんたい)⁉ マジかい」

 

 雪乃が出羽県警に逮捕された。それは彼等の基本戦略が練り直しを迫られるという事を意味していた。

 

 

 急報を受けて、会議室に集まっていた面々は慌ただしく動いていた。

 

「赤上げて、緊急走行(きんそう)で行きます。治輝くんは後ろからしっかりついてきてね。百メートル以内よ。PC(パトカー)からそれ以上離れてはぐれても、こっちは待てないから。でも、もしはぐれても、くれぐれも無理はしないこと。場所は分かるわよね」

 

 パトカーの運転席に乗り込む友恵が、治輝に注意事項を与えていた。その横では

「警察庁神代より、出羽本部、並びに警邏中の各局及び高速隊。当局これより緊急走行。目的地、刈和野署。羽越自動車道・出羽自動車道経由。なお後続車両あり、ナンバー読み上げます。出羽三三四、ラジオのらの――」

金弥が警察無線で緊急事態を宣言していた。

 

「出羽本部、了解――」

「高速隊、了解――」

「よし、OKだ。赤橙掲げヨシ。友恵、出せ」

 

 助手席の金弥の指示で、友恵が運転する出羽県警のパトカーが、赤色灯を点灯させて一般道から高速道路へと滑り込む。後部座席には紅葉と萩雄が同乗した。その後ろを、治輝の車が続く。

 

 本来ならば、一般車両が緊急走行車両に続いて高速走行することなど認められていない。だが今は、一刻を争う。現場判断として、出羽県警はそれを黙認していた。

 

 

 雪乃は異様に重い鉄の輪を両手に掛けられたまま、刈和野警察署の取調室で一人茫然としていた。

 

 合鍵で治輝の家に入ろうとしたら、即座に警官に囲まれた。その際の職務質問で、美海に無理矢理持たされた撮影器具を咎められた。そして邸宅に対する侵害の意思ありとして、住居侵入罪の現行犯で逮捕。その状況は明らかに彼女にとっては不本意な状況だった。

 

 そして雪乃は、どうしても警官の態度に納得がいっていなかった。鍵を渡されている管理者だと言っても取り合って貰えないどころか、「詳しい話は署で聞くから」の一点張りだったからだ。

 

 警官が皆、まるで予め来るのが分かっていたかのような雰囲気だった。ハメられた。雪乃はいよいよそれを自覚して焦っていた。

 そこへ、緊急走行で矢島から到着した面子のうち、金弥と萩雄が先に彼女の前に姿を現す。治輝と紅葉は友恵に促されて外で待機している。

 

「真壁雪乃さん、ですね。一応(ヽヽ)初めましてですね。弁護士の黒部と申します」

「警察庁の神代です」

 

 それぞれの自己紹介を受けたところで、雪乃はますます青ざめていた。普通、弁護士と警察官が並び立っているなど、あり得ない事。それを彼女は理解していたからだ。

 

「いい表情だ。どうして弁護士と警察が一緒に、という顔をしている。話が早くて助かります。ずばりご名答。貴女が関わった犯罪は、もう単なる軽犯罪では済まないからですよ」

 

 早速萩雄が、不敵な笑みを浮かべたままに簡単に事情を説明し始める。そして匿名・流動型犯罪の一端を雪乃が担った可能性がある。それを萩雄に指摘された時、彼女は

「あ、あのっ! 私、本当は嫌だったんです。だから、断ったっていう証拠……音声も、あるんですけどっ!」

いよいよ反論すべきが来たと感じて事実を告げた。だが

「あのね、真壁さん。申し訳ないけれど、事情があったからって、犯罪は犯罪だ。やったという事実はなくならない。そして貴女に酌むべき事情があったかというのは、僕らが今ここで決める事ではなく、検察官や裁判所が後々決める事だ。それは、わかりますね?」

「……はい」

萩雄はそれに対して貴女の考えが甘かった、とはっきり告げてやる。それで雪乃はがっくりと項垂れるしかない。

 

「だが、仰る通り。情状酌量の余地はあると、私は踏んでいます。だから、提案があるんです。ここから先は、神代警視、お願いできますか」

「了解した。真壁さん。この際です。私達に協力しませんか。司法取引という形で」

 

 司法取引。その言葉に雪乃の表情はますます曇る。つまり警察に情報を売れと言われているのと同義。それが理解できるからだ。そして、彼女は既に家族を人質に取られている。喋ったら危害を加えられるのではないか、というのを彼女は不安視していた。

 

「上位犯罪を取り締まる為の情報提供をしたということで、提供者の犯罪に対して大きな情状酌量を与える。こういった取り組みが、今、日本でも始まっています。正式には『協議・合意制度』と呼びますが。平たく言えば、日本版の司法取引ですね。それを、本件に適用することが、警察庁上層部から許可されています」

 

 続けての金弥からの具体的な説明。それを受けるかどうかを、雪乃は真剣に悩んでいた。

 

「あ、あの……すみません。申し出は大変ありがたいんですけど……一晩、考えさせてもらっても、いいでしょうか」

 

 雪乃から出たのは、現実的にも思える申し出だった。だが、

「真壁さん。残念ながら、そんな時間的余裕は一切ない。すぐ決めてほしい。この人たちの顔も、どうか立てて、ね」

萩雄はそれを即座に否定する。そして取調室の外に合図を送っていた。それに呼応して入室してきた人物たちの顔を目の当たりにして、彼女は遂に観念する。

 

「真壁……」

「雪乃ちゃん……」

「やめて、二人とも……。そんな顔で、私の事、見ないで……お願い……」

 

 脅しでも何でもない。ただ、情報の出し方を工夫しただけ。それだけで、一瞬で雪乃を降伏させてしまう。その末恐ろしさを、この時治輝は「この男だけは敵でなくてよかった」という形ではっきりと自覚していた。

 

「私は、この際……どうなってもいい。でも、家族だけは。お願いします。何でもします。だから、私が仕方なくやらされた、という点を、すぐに確認してください」

 

 雪乃は確かに折れた。だが、彼女からすぐさま齎された重大な供述と物証に、萩雄と金弥は真顔になる。それには確かに、彼女が従わざるを得なかったという事実が十二分に含まれていたからだった。

 

 

 雪乃の取り調べは、誰に脅されたのか、そして何を指示されていたのか、その時の様子はどうだったか、という点に絞って行われていた。この調子では、逃亡の恐れなしとして釈放され、在宅での捜査に切り替えられるのも時間の問題だろうと皆楽観していた。

 

 そんな中、再び金弥の携帯が着信を告げて鳴る。

 

「なんか嫌な予感すんなァ……。はい、神代」

 

 最早既知感しかない。そう口にしながら金弥はそれに出る。そして案の定、それはまた彼等にとって想定外の事態が発生したという連絡だった。

 

「はぁ。保戸野が。えっ、これから刈和野署(ここ)に任意で来んの?」

 

 保戸野三郎が、刈和野綜合病院付近で警邏中の警察官の職務質問を受け、あまりにも言動が怪しかったことから、警察署へ任意同行ということになったらしい。金弥が受けた電話は、それを報告する機動捜査隊からの連絡だった。

 

「どうするよ、萩雄」

「向こうからのこのこやって来るなら、むしろ探す手間が省けましたよ。一気に畳みかけましょう」

 

 思わず金弥は後輩に確認してしまう。そして萩雄はそれを好機だと捉えている様子だった。

 

 

 保戸野三郎は下手を扱いたものだ、と自身の焦りを護送されるパトカーの中で顧みていた。彼がそこまで露骨になった理由は、

「先生、くれはの居場所はまだ掴めないんですか?」

一見丁寧な口調だが、報酬を払っている以上有無は言わせない、と言わんばかりの脅し文句を、今朝方匿名型通信アプリ経由で受けていたからだ。

 

 向こうさんが何故焦っているのか。それを知る余地は彼には一切なく、知ろうとも思っていなかった。ただ三郎は、ただ高額報酬の義理という一点だけで、くれはの擬態していた姿にまで辿り着いていた。

 

 だが、病院から出て来る患者、特に老人に聞き回ったのは彼の失敗だった。三郎の認識は「くれはが田舎の地方都市に泥臭く馴染んでいた」という点に至っていなかった。だから、異物感だけを嗅ぎ回った挙句、変な奴がいる、と通報が入ってこのざまだ。

 

 それが認識阻害の手だとしたら、相手もなかなかの切れ者。三郎はここから先は心して掛からなければならない、と肝に銘じていた筈だった。

 

 三郎が通されたのは、取調室ではなく、署内の簡易な面談室だった。そこにやってきたのは、若いスーツ姿の男と、如何にも現場担当のように見える、警邏作業着姿の婦人警官の二名。若造が担当なら十分やり込める余地はある。三郎はそう高を括っていた。

 

「保戸野三郎さん、ですね。帝経新聞社会文化部、芸能・事件担当の所属でいらっしゃる。出羽市出身で、政治記者を目指して上京。しかし、政治局に入りたい一心で政治家とのコネクションを次々と確立したものの、それが上層部に嫌われて芸能の末席に飛ばされた方。でも、未だその夢は諦められていない、ロマンチストな部分もお持ち……」

「ちょ、ちょっと待て。あんた何物だ。俺の何をどこまで知っている……⁉」

 

 スーツの男から開口一番に繰り出された情報の多さと正確さに、三郎は面食らっていた。それに不敵な笑みを浮かべて

「申し遅れました。私、弁護士の黒部と申します。貴方がお探しの美郷くれはさんの担当弁護士、と言えば、少しは身に覚えがあるでしょうか?」

萩雄が名乗る。そしてあくまで取り調べの記録をする担当に徹していた友恵もまた、内心

「この子、末恐ろしいわね……」

と思わず感嘆の息を吐いていた。

 

「あ……いや。待てよ。別に俺ぁ美郷くれはなんて女は知らんが。俺がそいつを探しているという証拠でもあんのか?」

 

 三郎は面食らって、つい口を滑らせてしまっていた。先ずは任意同行の事情聴取に弁護士が同席しているという点に疑問を抱くべきだったのにだ。

 

「あなた、今、女って言いましたね? 何で、美郷くれはが女性だという事を、御存じなんですか?」

「あ、う……」

 

 萩雄の指摘。それに三郎は思わず言葉に詰まる。それに大きく頷いた萩雄は続けて

「先程、どこまで知っているか、とお聞きになられましたね。『全部』ですよ。保戸野さん。美郷恭太郎から受け取った金額。第二勧業銀行出羽支店、普通口座の〇三七五六四四。金額は、五百十二万七千――」

口座番号と金額を具体的に示してみせる。それには三郎も参ってしまったようで

「わ、わかった。それ以上は勘弁してくれ……」

慌てて止めに入る始末。確かにその口座に入金があった時、振込名義は「アンドウミカ」だったが。その人物が美郷恭太郎の関係者だとまで割れている時点で、彼は詰んでいた。

 

 萩雄は圧倒的な情報量の差で、あの敏腕新聞記者である三郎まで一瞬で降伏に追い込んでしまった。いよいよ末恐ろしい、とその場にいた友恵は思っていた。

 

「だそうなので。あとは牧野警部補、お任せしますよ」

「はい、任されました。あなた、警視庁成城署の巡査長、白楽優香に情報料五万円を渡して、捜査情報を受け取った。既に白楽はあなたから金銭を受け取って『刈和野市』という被害者の居場所を漏らしたということを認めていますが。どうですか?」

 

 それがどういった罪になるのか。そして既に白楽は自白(ゲロ)っている。それを突き付けられて、三郎はいよいよ降参するしかなかった。

 

 警視庁捜査官、つまり地方公務員に対する贈賄罪。三郎の罪はそういう形になるだろう。そしてここでも「協議・合意制度」の説明がなされていた。

 

「さて、保戸野さん。私達は今、美郷恭太郎絡みの大きな事件を追っています。あなたが優香……白楽巡査長にしたことは許しがたいが。それはそれ。あなたの今回の罪が消える訳ではないが。こちらの陣営に『協議・合意制度』を通じて参加しませんか」

 

 友恵からの提案。それに三郎は揺さぶられていた。彼自身、贈賄程度はただの微罪。金額的にも大した量刑になるとは思えないという認識で動いていた。そしてきっとそれは正しいだろう。

 

 だが、このままでは警察発表により社内の立場が悪くなる可能性があった。それだけは避けたい。彼はそう考えていたからだ。

 

「保戸野さん。私、先程知っていると言いましたよね。あなたは存外『ロマンチスト』であると。実は私、あなたのそこを高く評価しているんですよ。どうです。もう一度、社会の木鐸として、改めて記者生命を全うしませんか。そのいい機会だと思います」

 

 ここで萩雄が助け舟を出した。それは三郎にとっては非常に魅力的な提案だった。

 

「それは……つまり、俺を美郷恭太郎への反撃に使おうってわけだな。あんた、なかなか面白ぇな。いいだろう。その話、乗るぜ」

 

 萩雄の見立て通り、三郎は金よりも名誉を取る男だった。このまま反社の言いなりになるより、少しでも社会の役に立ちたい。それが彼の本心だったからだ。

 

 

 結果として、保戸野三郎と真壁雪乃は協議・合意制度への参加に明確に同意し、拇印署名をしたことで、一旦は逃亡や証拠隠滅の恐れなしと判断されて即日釈放されていた。

 

 但し、雪乃は報復の対象になる恐れがあったことから、暫くは治輝の自宅で友恵による警護の対象となることになった。

 

 

 翌日。出羽県は激震に晒されていた。刈和野綜合病院という地域の大病院に対して警察の家宅捜索が入るという、あまりない大事が発生していたからだ。それと前後して

「安藤美海さんですね。あなたに対して捜索差押許可令状が裁判所より発行されています。差し押さえるべき物件としては、携帯電話、パソコン、記憶媒体等――」

羽後市にある医療法人十文字会の理事長室でふんぞり返っていた美海に対しても、警察の捜査の手が伸びていた。容疑は、住居侵入罪の教唆及び真壁雪乃に対する脅迫罪。そして彼女がそれらを否認する中

「十時三十五分。逮捕状を執行します」

美海はいよいよ通常逮捕されてしまう。それは彼女が高名な医者の妻から犯罪容疑者へと転落したという事を意味していた。

 

 

 出羽におけるその出来事と並行して、東京でも衝撃的なニュースが巷を賑わせていた。

 

「自らの妻を性的上納か。美郷恭太郎、清純派俳優の裏の顔」

 

 そんなおどろおどろしい見出しの記事が、芸能誌の一面を飾っていたからだ。それはくれは側に転んだ三郎が投下した地中貫通爆弾(バンカーバスター)だった。

 

 警察庁幹部から得たとされる具体的な捜査情報もさることながら、失踪して行方不明となった筈の美郷くれはに対しての自社独占インタビューの内容も載っているという、非常に生々しい、リアリティに富んだ記事。帝経新聞の独占スクープだった。

 

 そしてそれが明るみに出た事で、恭太郎の許には、多数の報道記者が押し掛けていた。

 

 本来は公共放送のドラマに主人公として出るくらいの清楚な人物として通っていて、大手プロダクションやテレビ局でも格の違いから「聖域」扱いの彼だったが。この期に及んでは最早そんな色眼鏡では、誰も彼を見てはいなかった。

 

 帝経新聞に続け、とばかりに、次第に恭太郎に対する報道機関の当たりは熾烈さを増していた。

 

 特に恭太郎にとって致命的だったのは、くれはに対する数々の暴力的虐待・性的虐待の事実も赤裸々に報道されてしまった事だった。

 

「恭太郎がそんな事をする訳がない」

 

 その報道を信じたくない、白楽優香のような一部の熱狂的ファンは依然存在していたが。それは圧倒的少数派(マイノリティ)にまで転落。世間一般的なイメージとしては「ぐうの音も出ない程の畜生」という嫌悪感がしっかりとこびり付いてしまっていた。

 

 スポンサーは世論に敏感だ。だから、清純派の彼のイメージを買っていた民放CMは全て打ち切りとなり、十億単位の違約金が発生していた。

 

 スポンサーが難色を示していたのは恭太郎個人が契約するCMだけでは当然ない。テレビ局やネット媒体の広告主ですら彼を嫌悪し始めた。

 

 だから、テレビドラマやバラエティでも彼は軒並み降板となり、出演者や映像の差し替えが相次いでいた。既に収録済みだった年末特番や配信作品についても対応協議が始まり、放送局側は対応に追われていた。特に帝経新聞傘下の「サンテレビ」では

「あの記者、よくもやってくれたよ。よりによってこんな師走(メチャイソ)の時期にそんな大スクープ持って来なくてもいいだろうに……」

三郎に対する恨み節とも取れる発言が漏れ聞こえる始末だ。それ程までには、今回の報道による恭太郎の人格ブランドイメージ毀損は著しかった。

 

 結果として、芸能界では俳優・美郷恭太郎が地上波から一瞬で消滅するという、先週までは絶対にあり得なかった、とんでもない状況が生じていた。

 

 

 現時点で逮捕・検察官送致された人物の中で、一番悲惨だったのは美海だ。彼女は単なる権威に執着した女だけでは済まなかった。

 

 当初彼女は雪乃に対する教唆について

「私は何も知りませんよ。真壁医師(せんせい)が、うちの息子に執着してやったことでしょう」

既に大事になっているという事と雪乃が警察の協力者に転んでいるという事には気付けず、平然とシラを切っていた。だが、雪乃の携帯電話(スマホ)の解析結果や彼女自身が残していた美海とのやり取りの録音から、それが完全な虚偽であること簡単に露呈してしまう。

 

 そういった状況から、非常に悪質で更に余罪を追及する余地ありと認めた金弥と友恵が萩雄の協力も得て押収された美海の携帯電話を解析したところ、彼女と美郷恭太郎との繋がりは思ったより強固であるという事が浮かび上がって来た。

 

 美海は、恭太郎のセフレだった。これは確かに捜査上では然したる情報ではないかもしれない。だが、彼女の息子である治輝と、恭太郎の夫であった紅葉にとっては筆舌に尽くしがたい程の衝撃的な事実だった。

 

 更には昨今出羽県内で多発していた強盗致傷・強盗致死・老人を狙った特殊詐欺などの匿流組織が絡んでいると思われる事件に、美海が指示役として関与しているということも判明していた。

 

 その事から、美海は強盗致死・詐欺の容疑でも出羽県警によって再逮捕されていた。

 

 

 そしてそれがやはり三郎の手によって帝経新聞から続報として報道されたことで、美海が理事を務めていた医療法人十文字会と、その傘下にある刈和野綜合病院、更には彼女を放置していた夫で院長の治三は出羽県の内外から厳しい批判の目に晒される事となる。

 

 それに対して治三はすぐさま記者会見を開き、その場で理事長と院長の辞職を表明した。

 

 結果として、彼は妻が勝手に虚栄心で起こした不祥事の責任を負って、大病院の権威医師という立場を永遠に追われる事となる。その様子を、治輝は実に複雑な表情でテレビ越しに眺めていた。

 

 そんな治輝が治三から「これから行く」という連絡を受けたのは、その日の夜。暫くして現れた父の姿は、あまりにも痩せこけていて憔悴していたように、治輝には見えた。

 

「どうぞ、中に入ってください」

「いや、ここでいい。あなたが、くれはさんですね。初めまして。治輝の父、治三です。息子が、いつもお世話になっています」

 

 少し休んでほしい。その一心で勧めた治輝だったが。それに治三は首を振った。そして心配そうに顔を出した紅葉にも彼は礼儀正しく挨拶をした。

 

「私は、何も知らな過ぎたな……」

 

 暫くの沈黙の後。一日一本と決めて吸っていた筈の煙草を蒸しつつ、紫煙を吐きながら、治三は申し訳なさそうに今回の件の所感について口にしていた。

 

 その様子には、少し前まで治輝自身に対して、くれはに対する自費診療の件を咎めていた時のような威厳はちっぽけも見られない。だから治輝は、この哀れな父親を殊更責めようとは最早思えなくなっていた。

 

「安藤家本家からは、勘当された。つまり、私もお前も、もうこの土地には居れんだろう」

 

 続けて出た重大な事実の通告。それは元々想定内の事だったから、治輝は小さく頷いた。

 

「今日は、今まで、家や病院に無自覚に縛り付けていたことを、詫びに来た。それだけだ。さらばだ。もう、会う事もあるまい……。達者でな」

 

 結局父は、最後まで自分の話だけをして帰っていった。そして治輝は治三に対して何を言う事も出来なかった。そういった余裕が一切与えられなかったからだ。

 

 どこまでも自分勝手な人だった。そういった印象だけが、彼の中には深く刻まれていた。

 

 既に彼は実母を他人と認識していたから、こうして父からも面倒を見切れないと突き放されてしまった今、治輝にとって家族と呼べるのは、最早紅葉一人になってしまっていた。

 

 

 刈和野綜合病院では混乱が続いていた。既に院長だった治三は辞職を表明し、医療法人の理事の一人は塀の中。連日県内外の報道記者が周囲で生放送を繰り広げ、通常診療どころではない。

 

 そんな状況だから、病院は患者の受け入れ中断という、苦渋の決断を下していた。

 

 そうした混乱の極みにある中、治輝と雪乃は揃って院長室に呼び出されていた。そこにいたのは、看護師長と副院長だった。彼等はそれぞれ次期の医療法人理事長と院長に内定している、実質ナンバーワンツーの組み合わせだ。

 

「お二方には、本日付で当病院から退職していただきます」

 

 看護師長の旭川鳴美が、二通分の解雇通知書を治輝と雪乃に手渡しながら、告げた。

 

 治輝の解雇理由は「院内倫理規定違反及び今般の混乱の責任を問い」とあった。彼はそれに既に覚悟を決めていたから、特に何も言う事はない。

 

 むしろ問題だったのは雪乃の方だった。彼女の解雇理由には「院外不祥事の責任を問い」とある。つまり、逮捕と検察官送致を理由として彼女は体よく病院から追い出されようとしている。それだけは、治輝は看過できなかった。

 

「僕はやむを得ないとしても、真壁先生の解雇はやり過ぎでしょう。何とか停職程度で済まないんですか」

 

 その決定に、治輝は思わず食い下がっていた。しかし

「前理事、あなたのとんでもない母親とつながりがあったという以上、当院ではこれ以上庇い立てしかねますよ。軽率にあの女とつるんだツケだとでも思ってください」

鳴美には最早取り付く島もなく、けんもほろろ。彼女はこの際だからと本気でこの病院から膿を絞り出す気でいるようだ。

 

「……仕方ない、ですよね。私は、所詮裏切り者……。結局、誰からも信用されない道を選んだのは、間違いなく自分です。それは、理解しています。治輝さんも、ありがとうございます。でも、悪いのは、私ですから……これは、受け容れます」

 

 そして雪乃は静かにそれを受け容れ、鳴美と治輝に応答していた。その言葉を吐きながらも、明らかに憔悴している様子の後輩の姿を、彼は暫く忘れられそうになかった。

 

 そしてこの日を境に、雪乃は友恵の警護を離れ、自宅へと戻っていった。

 

 表向きの理由は美海が逮捕され、自身や家族が報復されるおそれがなくなったから、という事だったが。彼女自身、裏切って深く傷つけてしまった紅葉の側に居る事は出来ない、と感じているのだろうということは、治輝としても容易に想像ができた。

 

 だから治輝は、雪乃のその選択に異を唱える事が、遂に出来なかった。

 

 

 そうして関係者の処遇整理が淡々と進む中、いよいよ不穏な空気が漂い始める。警察当局の解析と追跡によって、美郷恭太郎による妻・くれは暗殺の計画が実行に移されたという事が判明していた。それを、治輝は自宅にやってきた金弥から聞かされていた。

 

「対象(マルタイ)の家(ヤサ)には既に監視が貼り付いている。ヤツの通信は全部総務省が抑えている。だが、ヤツは決して自分で手を動かさない野郎だ。だから、証拠(ログ)が取れている段階で、やらせるしか手がない。そして、それにはくれはさんの協力が必要だ」

 

 金弥が要請してきたのは、紅葉を囮として襲撃を実際に実行させ、現場を制圧。関係者を現行犯逮捕し、それを実行させたとして教唆で恭太郎を逮捕する。そんな大規模な捕物作戦に対する協力だった。その全容を聞いた時、治輝は思わず固唾を飲んでいた。

 

「僕は出来れば、くれはさんにはこれ以上怖い目に遭って欲しくない。ですが、これが事件を終結させて、本当に彼女が平穏を取り戻すには必要な手続きであることは承知しています。だから、あとはくれはさんの意思次第……だと思います」

 

 住まう家をぐちゃぐちゃにされる事自体は、治輝としてはどうでもよかった。どうせ競売に掛けられてしまう。もう長くは住めないという事を彼は理解していたからだ。

 

「……私は、構いませんよ。あの人と決着をつけて、治輝くんと本当に一緒になる為なら、何でもします」

 

 そして紅葉の意思も既に決まっていたようだ。それには、金弥と同席していた普段からの警護担当である友恵は思わず目を見張っていた。

 

「くれはさん、本当に変わったね。ほんと、恋する乙女というか。盲目さでもこの方向に生かせるのは見習いたいわ」

 

 友恵は思わずその姿勢を尊敬(リスペクト)していた。彼女自身も、そのあたりには思うところが沢山あるようだった。実際、それを聞いて、金弥は露骨に目線を逸らしている。治輝はそんな様子から先輩の欠点の一部を垣間見たような気がして、思わず苦笑していた。

 

「よしわかった。治輝はこれから俺と一緒に出羽本部だ。救急やった事あんだろ? 恐らく検挙対象が来るのは今夜だ。既に出羽赤十字には医師派遣の要請をしてある。お前もドクターヘリに同乗してもらうからな」

 

 金弥は既に幾何かの怪我人が出る事は覚悟している様子。そしてそれの対処も考えてあるようだ。彼はそこに治輝を既に組み込んでいた。それには、先輩として、後輩に活躍できる晴れの舞台を提供したという側面もあるように思えた。

 

 

 襲撃の予告を受けて、震えて何もしない程、紅葉ももう精神は子供のままではなかった。彼女は友恵の協力も得て、侵入対策に注力していた。

 

 特に雪乃が仕掛けたまま置きっ放しになっていた監視カメラは今回の件では有効活用できる。本来ならば事件証拠品にもなり得る品で、半ば押収品のような扱いだったが。紅葉はわざわざ雪乃に許可を取って、それを外の死角になる箇所に設置し直していた。

 

 それを監視しながら、紅葉を友恵が護衛する。別荘の周囲には闇に紛れ、出羽県警本部機動捜査隊が張り込んでいる。そして制圧が必要になった場合に備え、少し離れた場所にある県警が借り上げた空き家には、本部機動隊が一個小隊控えている。総力戦の様相だ。

 

 

 時刻は九時を回っていた。既に紅葉は友恵と共に早めの夕食を済ませていた。紅葉は万が一に備えて、治輝と自身の貴重品や着替えなどを倉庫に運び込んでいた。その彼女には、金弥の手配で警察無線機が一台貸与されている。使い方は、友恵がレクチャー済みだ。

 

 その作業の最中、いよいよ動きが見える。監視カメラに一瞬人影が映ったのを、友恵は見逃さなかった。そして刹那には、それの映像が停止する。間違いない。

 

「こまち一号より、出羽本部及び警戒中の各局へ。当局、積雪を確認。繰り返す、積雪を確認――」

 

 こまちはこの作戦に際して当事者の無線に与えられた符牒。一号が友恵、二号が紅葉だ。そして積雪は襲撃犯到来の確認を意味していた。

 

「こまち二号にあっては、その場で待機。位置は一階倉庫。入口封鎖を維持」

「こ、こまち二号、了解――」

「出羽本部了解、捜一特殊事件捜査係(SIT)出動――」

「機捜一、了解――」

「機動一了解、突入準備――」

 

 無線連絡に応じて、それぞれが順調に立ち上がる。深く頷いた友恵は紅葉が立て籠る倉庫を背にするようにして、自動拳銃の安全装置を解除する。

 

 するといよいよ家屋の電源が切られる。襲撃犯が電線を切断したようだ。続けて、ガラス戸を激しく叩く音が響く。防犯フィルムなどで強化してあるとはいえ、相手は空き巣ではない。明確な殺意を持った襲撃犯だ。破られるのも時間の問題だった。だから

「警察です。あなた方の行動は把握されています。今すぐやめなさい! 撃ちますよ!」

友恵は先ず警告しながら、一発。跳弾しないように、床に目掛けて発砲した。それでも、襲撃犯たちは怯みもしない。恐らくは、捨て駒だろうが。何かに駆られている。友恵の頬には冷や汗が思わず滴っていた。

 

 そしていよいよ、一番脆かったトイレの出窓から一人が侵入してくる。夜闇に紛れてはっきりとは見えないが、まだ幼さも残る顔立ち。恐らくは未成年。だが友恵に躊躇はない。

 

「うわあああっ‼」

「止まれ。撃つぞ!」

 

 警告にも応答しないことを確認して、友恵は犯人の足に目掛けて発砲。それはどうやら彼の右足に命中したようで

「ぎゃあああっ‼」

苦悶が混ざった悲鳴が室内に木魂する。だが、それでもまだ正面の敵は侵入を諦めていない。明らかに異常だ。そしていよいよ、正面玄関の鍵の部分に綻びが出来、開錠される。

 

「行け、行けぇぇぇ‼」

 

 威勢よく、三人が友恵に飛び掛かってくる。一人、二人と足元を狙って撃ち、それぞれを行動不能にしていく。だが、多勢に無勢。残る一人を制止する事が出来ず、

「うう、っ‼」

友恵は左側面から思い切り大腿骨を金属棒、恐らくはバールのような何かで激しく殴りつけられ、倒れる。だが、それにも怯まず、彼女は更に発砲。殴りつけて来た一人も、相打ちで行動不能に討ち取る。そこでようやく、

「出羽県警機動隊だ‼ 全員武器を捨てよ‼」

「SITより各局、こまち二号確保、負傷なし――」

駆け付けた機動隊が突入を開始する。更には、ヘリで臨場した特殊事件捜査係(SIT)も最初の犯人が突入してきた箇所から現場へ突入。最重要防衛目標である紅葉の救出に成功していた。

 

 援軍を得たことで、その場は速やかに制圧された。だが、それも一筋縄ではいかない。犯人たちは最後まで抵抗を諦めず、制圧の最中で更に二名が軽傷を負っていた。

 

 戦場となったそこには、速やかに救急措置をしなければならない者が多数いた。ドクターヘリで降り立った治輝は、その凄惨さに眉を顰めながらも、救急の基本である緊急度判定(トリアージ)を行ってゆく。

 

 先ず最優先だったのが、友恵。左脚を押さえたまま、彼女は床に倒れ込んでいた。立ち上がろうとしても、脚に全く力が入っていない。

 

「牧野警部補、大丈夫ですか。治輝です」

「援軍、ありがと……ちょっと、しんどいかも」

「左足ですね。失礼、患部診ます……。これはおそらく、骨、やられてますね、緊急度赤。すぐバイタル取ります。救急隊の皆さん、すみません。この患者さんを最優先で」

 

 治輝の判断で、彼と共にやってきた出羽市消防本部の人員により、友恵はすぐさまヘリの中へと搬送された。

 

 続けての重傷者は、制圧された襲撃犯五名のうち四名。孰れも友恵によって返り討ちにあった若い男達。特に重篤だったのは、最初に彼女に襲い掛かった者。出血してから時間が経っていて、失血死の恐れがある。

 

「君、いくつ?」

「じゅ、じゅうきゅう……」

「この辺では見ない顔だが、出羽の人かい?」

「とうきょうから、きた……」

 

 止血処理を施しながら、治輝はいくつか質問をしていく。答えられるか。意識が朦朧としていないか。生命反応(バイタル)も診ながら、適切に患者を振り分けてゆく。

 

「医療一から出羽本部、出羽消防本部、刈和野消防本部。これより優先患者一名、こまち一号、ヘリにて出羽赤十字に搬送。続けて応援要請します」

 

 治輝は警察無線で状況を説明し、搬送の準備に取り掛かってゆく。現場では、更に近隣から駆けつけた救急隊と機動隊の隊員たちとが手分けをして負傷者の救助に当たっていた。

 

 最終的に双方で重傷者六名、軽症者二名を出す死闘となった真冬の暗闘は、こうしてようやく幕を下ろしたのだった。

 

 

 出羽県警察本部で構えていた金弥は、紅葉救出成功の報を聞いて、胸を撫で下ろしていた。彼女は現在特殊事件捜査係のヘリで本部へと護送中とのことだ。

 

 だが続けて彼の許に

「こまち一号、出羽赤十字に搬送」

という、治輝からの無線が飛び込んでくる。金弥はそれに思わず舌を打っていた。だが、彼は指揮官。ここを動く事はまだ出来ない。

 

「先輩、俺が行って来ましょう」

「悪いな。萩雄。頼めるか」

 

 紅葉の被害者供述調書を取る手前、共に本部に控えていた萩雄が、友恵の様子を確認する役目を買って出た。だから金弥は安心して捜査指揮に専念する事が出来た。

 

 

 萩雄が出羽市東部郊外にある出羽赤十字病院に到着すると、そこでは医師と看護師が慌ただしく行き交っていた。その中に、出羽県警の捜査員たちの姿もちらほら見受けられる。

 

「おい、治輝。牧野警部補の容態は」

 

 その中に混じって、野戦医師として働く治輝の姿を確認した萩雄は、彼に声を掛ける。治輝ははっとして声の主を見る。そしてすぐさま、彼が金弥の代理で来たという事を察知して

「左大腿骨頸部複雑骨折の疑いで画像検査中。靱帯や腱もやってる可能性がある。恐らくは手術になる」

まだ予断を許さないという救急科医師としての所見を正しく伝えていた。

 

「わかった。ありがとう。先輩はこの後すぐ総務省出羽通信局に行かなきゃいけないらしいから、牧野警部補の件は俺が引き継ごう。お前は救急が一段落したら本部に顔を出して、くれはさんを安心させてやれとのことだった」

 

 萩雄はその返答に代わって金弥からの指示を治輝に伝えていた。無線で無事は把握してはいたが、最愛の女性の名がいよいよ出たことで、治輝は一先ず大きく胸を撫で下ろしていた。

 

 

 総務省出羽通信局で先程の襲撃がどういう指示系統で行われていたのかというのを確認していた金弥の、そこからの動きは素早かった。「下請け」と実行犯の通信も、関連性も含めて全て把握済みだった。だから、その対象の確保を、彼は素早く警視庁に指示する。

 

「ああ、忙しい。こんなに山盛りなのは、大学のクソ教授に無茶ぶりされて以来だな」

 

 金弥はこれからまた出羽県警本部に戻って、山のような捜査資料と戦わなければならない。デスクワークはそこまで柄ではないと思っていた金弥だが、現場では後輩たちが命がけで働いている。それを思えば、この程度は彼にとって何でもなかった。

 

 

 妻の暗殺が失敗した。それを美郷恭太郎は肌で感じていた。予定の時間になっても、実行指示を出した人間から応答がない。次の手を打つべく準備を進めていた彼だったが

「美郷恭太郎、そこに居るのは分かっている。警視庁だ‼」

思いの他、警察の動きが早い。それを悟った恭太郎は、反撃を諦めてスマホを素早くトイレに投げ込み使用不能にすると、パソコンに備え付けてあったデータ破壊装置のスイッチを押す。そして平然を装いながら

「何ですかこんな夜中に。僕は毎日マスコミに追いかけられていて参ってるんです。明日にしてもらえませんか?」

役者であった時のような営業の顔で困惑を伝える。だが、警視庁の捜査員達は最早容疑を固めてここに踏み込んで来ている。

 

「美郷恭太郎。美郷くれはへの殺人未遂、殺人教唆の疑いで緊急逮捕する。通信局の解析は終わってる。実行犯も、『下請け』も全部抑えた。観念する事だ」

 

 捜査員たちは有無を言わさず、彼に手錠を掛けると、続けて部屋の中の捜索へと移ってゆく。指示は昨日。実行は先程。なのにどうしてこんなにも早くバレたのか。それへの理解がまだ追いついていない恭太郎は、拘束されたまま唖然とする他なかった。

 

 

 美郷恭太郎、妻・美郷くれはへの殺人未遂と殺人教唆容疑で逮捕。翌日はそのニュースでどの放送局ももちきりだった。新聞社の一部では号外を発行するところも出ていた。

 

 しかもそれが、出羽県に実行犯を送り込んでの暗殺(テロ)計画で、現地では警察と実行犯の衝突があったという事実に加え、恭太郎が匿名・流動型犯罪組織のトップであったと伝えられると、背後関係や余罪を厳しく追及すべきだという声が世論を支配し始めていた。

 

 くれはが失踪したことを端に発したこの一件で、恭太郎とくれはの夫婦関係は完全に破綻した。誰もが彼等の離婚は時間の問題だと理解していた。そしてその実務を担当したのは、萩雄だった。

 

 だが、彼としての想定外は、「美郷恭太郎のくれはへの執着心が意外に強かった」という事に尽きる。恭太郎は国選弁護士を通じて、

「くれはへの殺意はなかった」

「虐待の事実は少なくとも認めていない」

「だから離婚事由にあたらない」

として、くれはとの離婚を拒否してきた。そればっかりは、萩雄にとっても青天の霹靂であった。だから彼は、思いのほかその「所有権」を放棄させることに苦心する事となる。

 

 

 今年もいよいよ新年の幕が開け、出羽には厳冬が訪れようとしていた。

 

 戦場となった治輝の住まいは、最早冬を越す事に耐えられそうにない。だから競売にかけられるより前に、治輝と紅葉は引っ越しを強いられていた。

 

 一旦は、重要参考人としての保護も兼ねて、出羽県警が用意したホテルで過ごしていた二人だったが、新たな住まいが準備できたということもあり、彼等はそこへと移っていた。

 

 元々いた県央・県南とは柵が薄い、矢島市。治輝が趣味の釣りでよく訪れる土地だった。そして、かの反抗劇の諸端、作戦会議の舞台となった土地でもある。その少し山沿いにある古びた団地に、治輝と紅葉の新居はあった。

 

 萩雄が無理に離婚事由を探そうとせず、先に認められていた美郷恭太郎と安藤美海が通姦していたという事実から、民法第七七〇条一項の一規定を適用して離婚調停に持ち込んだことで、美郷くれはは晴れて戸籍を取り戻す事に成功していた。

 

 その際に彼女は、家庭裁判所からの許可を得て、正式に氏名を「成瀬紅葉(くれは)」というものに変えていた。彼女のそれは、既に通名として十分成立していた。だから家庭裁判所が改名理由を特に問題視しなかったことも大きかった。

 

 だから、治輝と紅葉は結婚出来る下地が既に整っていた。だが彼女が「まずは恋人生活をしっかり楽しみたい」と希望していたので、二人は事実婚状態のまま、矢島市へと越す事になっていた。

 

 二人が新たな暮らしの場として選んだのは、今までの立派な邸宅とは程遠い、ダイニングキッチンと言うにはあまりにも手狭な調理場がこじんまりとあるだけの、ワンルームの貸しアパート。家も職も何もかも失っての、二人だけの再スタートだった。

 

 最早治輝にお手伝い(メイド)さんを雇う余裕はなく、紅葉は自由の身だ。だが、彼女は自分で治輝を選んでそこにいる。二人はそれだけでも、最早十分だった。

 

 

 治輝は今の時期を一旦の休業期間と位置付けていた。当然次の職場は探しているものの、それはそこまで優先度は高くない。あまりにもここ三か月が激動だったから、少しゆっくりしたい。それが彼の本音だった。

 

 かの襲撃事件の際に救急対応が見事だったことから、治輝はその場に居合わせた医師たちからは頗る好評だった。だから、当事病院である出羽赤十字病院を始めとして、いくつかの大病院からスカウトの話が来ていた。

 

 だが、声を掛けて来たのはどれも医療圏が県央・県南の病院ばかり。通勤する事自体は問題はないが。治輝はどうしてもそこに乗り気ではなかった。だから、前向きに検討するとは各々返答しているものの、未だ決めきれずにいた。

 

 それでも今のところ金銭的には問題ない。向こう三か月は何とか紅葉と慎ましく暮らしていくだけの蓄えはある。それは彼が元々派手な趣味を持たず、研修医時代からひたすらに仕事人間だったというところに由来する。

 

 それに加えて、先だって父から贈られた、贈与税が掛からない程度の、申し訳ばかりの金額の生前分与が存在する。全てを合計しても個人開業するには明らかに不足だが、一旦の運転資金の融資を受けるには十分な額ではある。

 

 だから治輝は、そこまで社会復帰を急いでいなかった。先ずは紅葉との生活を立て直す事が最優先。彼はそれに現時点では注力していた。

 

 

 二月も二週目に入ったこの日、紅葉は事件の後処理に係る警視庁と警察庁での手続きのため、一旦帰京する金弥と萩雄に同行していた。だから、治輝は久々の一人の時間を得ていた。

 

 だから、治輝は萩雄から受け取っていた、紅葉の書類一式をようやく確認する機会を得ていた。担当弁護士から受け取っていたのは、彼女の今までの除籍謄本、調停の判決謄本、そして新たに発行された治輝を世帯主とした本籍・個人番号入りの矢島市の住民票だった。

 

 そして元々治輝がこれからやろうとしていた、紅葉の診療情報提供書の作成に必要な、継続した医療を彼女が受ける為の公的な証明書、つまり国民健康保険の保険証などもその中に入っていた。

 

 それらを一旦後回しにして、治輝が紅葉の除籍謄本を読み解いてゆくと、そこからは彼女の壮絶な半生が浮かび上がって来る。

 

 紅葉は小学生の頃、両親を事故で失っていた。だからその影響で、出羽市の児童養護施設に移されていたようだ。そこから数年して、中学三年の時分。東京のとある芸能プロダクションの社長の養女として、特別養子縁組が行われている。

 

 そしてそれに係る除籍謄本には萩雄のメモが付箋で貼り付けられていて

「約二千万の寄付」

とある。それは、紅葉が施設への高額寄付の見返りとして、恣意的かつ例外的に引き渡されたという事実を示していた。

 

 そうして養女になった紅葉だったが、高等教育は受けさせて貰えず、芸能プロダクションが管理するアイドル養成所のようなところに入れられ、芸能や接客の知識を叩き込まれていたようだ。そうした経緯も、萩雄のコメントとして付箋で貼り付けられていた。

 

 そして、その社長の戸籍から除籍された際の除籍謄本には、やはり

「美郷恭太郎が一億五千万で身請け」

と補足があった。無論単純計算はできないが、差額だけで言えば一億三千万の儲け。体のいい人身売買。忘八ですら眉を顰めるような、人権無視のぼろい商売だった。

 

 治輝はその事実を目の当たりにして、思う。立場や状況は違えど、どこか似た者同士なのだな、と。そして彼は、紅葉もまた「役割」に人生を奪われた人間なのだという事を再確認していた。

 

「……さて、やるか」

 

 治輝がいよいよ元の作業に戻ろうとする。現状彼はどこにも属さない野良医師の立場だ。医師免許は無効にはなっていない。だから、保険医ではないので診療報酬を取る事はできないが、自費扱いで診療情報提供書を書く事は出来る。無論紅葉に対しては無私だ。

 

 その彼が、ふと書類に紅葉の生年月日を記そうとしてはっとする。そういえば彼女の誕生日を聞いたことがなかったと。治輝の目線は、自然と住民票に落ちていた。

 

 書類にある紅葉の情報が記された箇所のうち、生年月日の欄には「二月十四日」と記載があった。その日までは、もう半月もない。

 

「くれはさん、誕生日すぐだったんだ……。そうだよな、彼女は自分からなんて、絶対に言い出せないもんな……」

 

 大事な事が抜け落ちていた。その事に気付いた治輝は、診療情報提供書の執筆を止め、早速スマホを眺め始めていた。

 

 

 紅葉は金弥と共に出羽空港に最終便で戻ってきた。萩雄は東京の所属弁護士事務所で何やら作業があるようで、この日は同伴していなかった。それを出迎えに行った治輝に

「治輝くん、見て! カード、作れたの!」

紅葉は得意げに自身の名が入ったクレジットカードを見せびらかせてくる。それは彼女がこれからも何度かお世話になりそうな、国内航空会社が発行するマイレージ機能付きで年会費無料のカードだった。

 

 それは紅葉がいよいよ独立戸籍・住民票を持ち、一人の大人として認められた証でもあった。

 

「お、おお。よかったですね。ところで、支払い口座は……」

「大丈夫、萩雄弁護士さんがうまくやってくれて、治輝くんのところになってるって」

「ああ、それならよかったです。普段の生活費はそれで決済してくださればいいですよ」

 

 治輝の不安は杞憂だった。流石敏腕の弁護士だ、と治輝は内心胸を撫で下ろしていた。紅葉は扱い上中卒で、未だ職歴もない。そんな収入もない中で彼女自身の口座に引き落としを設定されては、ひとたまりもないからだ。

 

「ああ、それについてだが。一応出羽県犯罪被害者等支援条例による支援金の振込口座は紅葉さんのにしてあるからな」

「金弥さん、どうもお手数をお掛けしました」

 

 続けて少し疲れた様子の金弥から語られたのは、犯罪に巻き込まれた人が受け取れる、県条例による支援金。

 

 これも萩雄が色々動いてくれて、転居支援や当面の生活支援も含めた形で、紅葉はしばらく困らない程度の給付を受けられるようになったらしい。彼女は今日その犯罪被害者証明と手続きの為、警視庁と警察庁へ出向いていたようだった。

 

「それでね、治輝くんにお礼したいな、って思って……。プレゼント買ってて……。それで、早速十万円くらい使っちゃったかも……ごめんね?」

「そのくらいなら全然。でもなんだろ、気になりますね」

「ふふ、届いたら、見せてあげる」

 

 それは今までにない二人の距離感の会話だった。金弥はそれを微笑ましく眺めていた。

 

「おう、じゃあ仲良くやれよ。俺はまたこの後本部で書類と格闘(バト)んなきゃならんからよ……」

「お、お疲れ様です……ありがとうございました」

「金弥警視、ありがとうございました!」

 

 丁度出羽駅前行のリムジンバスが到着したことで、金弥はそれに乗り込んでいった。それを見送った二人は

「それじゃ、帰りましょうか」

「うん♪」

連れ立って治輝が車を停めていた空港併設の駐車場へと足を向けていた。

 

 

 治輝が運転する車は、出羽市から高速道路で矢島市へと至っていた。そんな中

「そうだ、くれはさん。来週、誕生日だったんですね……気付かなくて、ごめんなさい」

「あ、言ってなかったね……でも、私の誕生日なんて、そんなの、気にしなくていいのに……。誰かから、聞いたの?」

「ああいえ。くれはさんに診療情報提供書を書こうと思って、そしたら生年月日そういえば知らないな、って。それで萩雄から預かってた住民票とかで。職務上の理由ですね」

治輝は誕生日の話題を出していた。紅葉はやはりどこからか自身の情報が漏れる事に警戒心を抱いている。それを理解できる治輝は、医師としての仕事の延長で知ってしまったことをちゃんと補足していた。

 

 治輝はまず何よりも自分の事を気に掛けてくれる。それが紅葉にとって何よりも嬉しい事だった。一人の人間として扱われている。そんな当たり前の事実が、紅葉にはまだ新鮮だった。

 

「それで。折角なので……その、二人で旅行にでも行きませんか」

「旅、行……?」

 

 治輝は割に頬に熱が上がっているのを自覚しながら誘ったのだが。肝心の紅葉はどうもピンと来ていないようで、何やら過去を思い出して震えてしまっていた。

 

「そんなに身構えなくても、大丈夫。ただ、二人きりで遊びに行くだけです」

 

 紅葉の中では、旅行といえば集団で行くものというイメージがあるのだろう。そして、彼女の経験の大半は、恐らくは「商品(コンパニオン)として男性への同伴」という形。だから治輝がそうではないと説明すると、彼女の表情はどこか安堵したような嬉しそうなものに変化する。

 

「でも、お金とか……百万は、かかるでしょ……?」

「大丈夫ですよ。それはよっぽど豪遊した場合とか、性的サービス込みでの料金でしょう。僕はただ、くれはさんと普通(ヽヽ)の事がしたいだけです。普通に遊びに行くだけなら、五万円もかかりませんよ」

 

 紅葉の感覚や伝聞と世間一般とのズレを整理しつつ、治輝は彼女を安心させようとしていた。そしてそれならば、と紅葉は承諾する。かくして二人は、今週末にいよいよ初めての「デート」に挑む事となったのだった。

 

 

 週末の日曜日。紅葉の二十七歳の誕生日。その日、二人の姿は刈和野市よりも更に北の、県北と呼ばれる地域にある県内随一の観光都市、北都(ほくと)市にあった。

 

 治輝はコートの下にあまり着飾らないポロシャツにジーパン姿の余所行き程度の格好。それに対して、紅葉は迷いなく「メイド服」を選んでいた。

 

 以前雪乃から半ば押し付けられていたものは少し綻びが出始めていたということもあって、紅葉は少し黒味が混ざった赤色を基調に、フリルを多めにあしらった、少し現代風の給仕服の意匠を取り入れた、彼女自身が新調したものを身に着けていた。

 

 実用性よりも「可愛らしさ」を優先するという概念は継承しつつも、背中を彩っていた白いリボンの代わりに、メイド服の赤と同色で出来た、幾重にも編み込まれたリボンの頭飾りが特徴的。

 

 紅葉は美しい長髪をポニーテールにまとめ、そこへその頭飾りを丁寧に結い付けていた。

 

 その調度(コーディネート)全体には、クールで丁寧というよりは、可憐で少女趣味な感じを強調したいという意図が透けて見える。これこそが、治輝に対して紅葉が用意した「お礼」だった。

 

 自分で調度したもので、自らの意思で治輝に尽くしたい。そんな紅葉の意思が、前面に現れていた。

 

 それが分かる彼は、周囲の好奇の目など、最早気にしていられなかった。全力でこの可愛い恋人を受け容れる。そう腹を括ってしまえば、周囲の視線など不思議と気にならなかった。

 

 

 昼食の後は、二人は手を繋ぎ、武家屋敷群を散策していた。思った以上に様になる。屋敷の縁側ではしゃぎながら美味しそうにソフトクリームに舌鼓を打っていても、画にしかならない。

 

 治輝はそんな紅葉の姿を見る事が出来ただけでも、今回誘って良かったと心底感じていた。

 

 一方で、メイドさんがまるでアニメ・ゲームの世界から出て来たように見受けられるのだろうか、紅葉は外国人観光客にちょくちょく声を掛けられていた。ただ、彼女はそこまで英語は得意ではないようだ。それを、治輝が適宜通訳することで、事なきを得ていた。

 

 そうして自然と自身を助けてくれる彼の姿に、紅葉はこの人と一緒になれて良かった、と改めて感じていた。二人が当初繋いでいた手は、気付けばいつの間にか腕組みに変わっていた。それ程には、彼等の親密さは一気に深まっていた。

 

 

 夕方、二人は今日の宿泊地である、龍田湖(たつたこ)を見下ろせる山沿いにある白桃(はくとう)温泉郷へと至っていた。その途中の光景に

「あれ、このへん、なんか見たことあるかも……」

紅葉は不思議そうに感想を口にしていた。治輝はハンドルを握りながら、手応えを感じて頷いていた。そしていよいよ雪が深い温泉郷に近付くにつれて、

「……! 私、ここ、知ってる……! そうだ、私、小さい頃、ここに住んでたんだ!」

紅葉の記憶が鮮明に蘇ってくる。

 

 彼女の幼い頃の記憶は、後から積み重ねられた「支配された記憶」に埋もれてしまっていた。だとすれば、紅葉を現地に連れていけば、童心を思い出し、そこから新たな思い出を作って行けるかも知れない。治輝の狙いはそこだった。

 

 そして彼の思惑通り、懐かしさでいっぱいになっている様子の紅葉には、思わず笑みが零れていた。

 

 

 宿に着いた二人を出迎えたのは、初老の女将だった。どうやら彼女がこの宿を一人で切り盛りしているらしい。その彼女はメイド服姿の紅葉を見るなり

「あれ、あんだ、くれはちゃんでねが⁉ あいー。まんず立派さなっだごど!」

親し気に声を掛けてくる。外見ではなく、顔で判断している。それだけで、彼女の幼い頃の知己であったというのが、治輝にも分かる。

 

「お、おばさん! よかった、お元気そうで!」

「いやー。事故があって、旦那さん達(がた)亡ぐなっでしまっでから、すっかり姿見えねぐなってだども……元気そうでまんずえがった。んで、そちらの方は彼氏さんだべか?」

「はい。本日お世話になります、安藤治輝と申します」

 

 方言交じりだが、とても気さくに話しかけてくる女将に、治輝は思わず深く首を垂れながら自己紹介する。

 

「なんもなんも、そんな畏らねでも。雪も途中すごかったべ。除雪機も、あんまこさ来ねもんだがらよ……寒いべから、まんず中さ入って休め。くれはちゃんもほれ、足元さ気を付けでな?」

 

 女将は二人の荷物が入ったキャリーケースを持ってくれながら、建物の中へと誘う。二人は深雪をかき分けながら、それに続いていった。

 

「くれはちゃんの家は、この一づ先の、旅館やったったんだどもよ。ボイラー爆発する事故あっでな。んで、あどなもかもね、って辞めてしまったんだ。いやぁ、しがす、良ぐ来だ。お代は何もいらねがら、泊まってっでけれす。我が家(おらえ)だど思っで、な?」

「いやいや、流石にそれは……」

「くれはちゃんがらは、なんも頂がれね。んだべし、連れで来でけだだげでもよ、あんださは感謝しがねぇもの」

 

 治輝はいきなりの申し出に困惑していた。確かこの宿はそこそこ値が張る老舗だった筈。それがまるっきり無料という訳にはいかない、と彼は恐縮していた。

 

「ね、治輝くん。おばさんのお魚料理、すっごく美味しいんだよ! 楽しみだなぁ♪」

「ほれな。こんた顔されだら、もうなんも料金(じぇんご)なんで取られねもの。今日あど他さなんも客もいねすし、気にさねぐでいいがら」

「うう……すみません。それでは、お言葉に甘えさせて頂きます……」

 

 早速色々と懐かしみを感じる紅葉の姿を女将が微笑ましそうに眺めながら。そこまで言われてしまえば、治輝としても最早厚意を無下にはできなかった。

 

 

 宿泊する部屋に荷物を置いた治輝は、早速冷えた身体を熱い温泉が張られた広い湯舟で存分に伸ばしていた。

 

 彼が普段紅葉と暮らしている家の浴室にあるのは、一人が入るのがやっとの、古い団地にありがちな正方形の浴槽。足を伸ばして入浴することは叶わない。

 

 だからこうして広々とした湯舟での入浴は、治輝にとっては久々だった。彼がそのありがたみを噛みしめていると

「治輝くん、いる?」

「はい、今浸かってますよ。どうしました?」

脱衣所から紅葉の声が。治輝がそれに応答すると

「よかった。じゃあ、入るね❤」

「わ、わぁ⁉ くれはさん⁉ ここ、男湯ですよ⁉」

一糸纏わぬ姿となった紅葉が現れてくる。今まで彼女が局部を露出させていたところは何度も見ていたが、基本的にそういう時でも彼女は全ては脱がず、着衣していた。だから、ほぼ見た事がなかった恋人の全裸姿を見た治輝は、頬に紅葉を散らしながら慌てて視線を逸らす。

 

「他にお客さんもいないから、彼氏さんと一緒に入っておいで、っておばさんが」

「あはは……さようですか」

 

 男湯に紅葉が入って来た理由。それは完全に女将のお節介だった。早速髪の手入れをする彼女の様子を眺めながら、治輝は調理場の方を向いて、そっと手を合わせていた。

 

「ふー、きもちー❤」

 

 身体を清めた紅葉も、湯に浸かる。二人は自然と寄り添っていた。

 

 治輝はふと、幸せそうな表情の彼女の身体に視線を落とす。当初はぼろぼろだった紅葉の身体からは、傷痕や火傷痕はかなり消えていた。一部痣になって消えないようなところも幾何かあるが、それは最早如何ともしがたい。

 

「大丈夫ですか? 沁みたりしませんか?」

「うん❤ 治輝くんが、いつも、大事に、優しくしてくれるから……❤ かなり、良くなったよ❤」

 

 こういう時でも自分を大事に慮ってくれる治輝に、紅葉はすっかり甘えていた。彼の肩に頭を預けた紅葉は、物欲しげな目で彼を見つめている。それは二人だけの合図だった。

 

 その仕草をきっかけに、二人は自然と唇を合わせてキスを交わし始める。それが舌を絡めた濃厚なものに変化するのには、然程時間は掛からなかった。

 

 蕩けた目で続け様のキスをねだりながらも、自然と紅葉の手は治輝の股間へと伸びていた。少しずつ鎌首を擡げつつあったそれを、優しく、だが丁寧に扱いてゆく。

 

「んふ❤ はるきくん、すっごく、おっきく、なってて❤ きもちよさそう……❤」

「くれはさん、すっごく、きれいだし、手でするの、うますぎるから……」

「うれしい……❤ はるきくんも❤ もっと、いっぱい、さわって……❤ わたしのこと、いっぱい、なでて❤」

 

 治輝は自然と彼女の身体を抱きしめる形となる。やはり少し痣の残る乳房を優しく撫でてやると、それだけで紅葉は気持ちよさそうな甘い声を漏れ出る吐息に混じらせ始める。

 

 それを耳元で聞いてしまっていた治輝は、いよいよ我慢ならず、自身も紅葉の手の動きに負けじと、彼女の股間に手を伸ばし、そこの黒叢を掻き分けるかのように触れていた。

 

「ん、ぅ❤ はるきくん、だめぇ❤ クリ、だめ……❤ そんな、やさしく……されたら、っ❤ すぐ、えっち❤ したく、なっちゃう、から……っ❤」

「だめ、ですか……? ここ、こんなに、大きく、かたく、なってますよ……?」

「だから、なの、っ……❤ いま、はるきくんの❤ おっきい、お○んぽ❤ いれたら❤ ぜったい、とまらなく、なっちゃう、からっ……❤ のぼせちゃう、からっ❤ えっち、は……あとで、おへやで、ね……?」

 

 それは紅葉なりの自制だった。この場で交わり始めたらなら、最悪救急車を呼ぶ破目になってしまう。だから彼女は、この場では挿入しないという事を硬く心に決めていた。

 

「そのかわり、おっぱいと、おくちで、シてあげる……❤ そこに、すわって……?」

 

 それは今まで治輝が要求すらした事がない行為だった。どうやら紅葉は自身を悦ばせたい一心で、今できる最大限をぶつけようとしてきている。それを理解した治輝は、興奮を隠しきれず、紅葉の指示に従う。

 

「ん、っ……❤ やっぱ、はるきくんの、お○んぽ❤ おっきい、ね……❤」

「そう、ですかね……?」

「うん❤ いままで、これは、なんども、させられたけど……。こうやって、さきっぽ❤ たにま、から、はみでちゃう、ひと❤ はじめて、みたかも❤」

 

 紅葉はかなり胸が大きい。彼女より更にとなると、治輝としては紅葉と同じくらいのスタイルである筈の友恵か、それこそあのメイド服がサイズアウト(ヽヽヽヽヽ)したという雪乃くらいしか思い浮かばない。だが、それでも彼女の谷間は治輝の逸物を受け止め切れていなかった。

 

「あーっ、はるきくん。いま、だれかとくらべたでしょ?」

「ソ、ソンナコト、ナイデスヨ」

 

 じっと谷間を見つめる治輝の視線に、紅葉が頬を膨らませながら不平を漏らした。図星をはっきりと指したそれに、彼は思わずしどろもどろになる。

 

「ゆきのちゃん、くらいだったら、まだ、ゆるす……。でも、ともえさんは、ダメ……。そんな、わるいお○んぽは、こうだっ❤」

「う、ぁぁっ⁉」

 

 紅葉はいよいよ両乳房で彼の逸物を挟み込むと、下乳を両手で支えて上下にたぷたぷと揺らして刺激してゆく。それは膣に挿入した時とはまた違った、強烈かつ甘美な快感。思わず腰を浮かせてしまった治輝の肉棒は、いよいよ鋭く鰓を張る。

 

「こんなに、おっきな、お○んぽ、なら……❤ これもできる……かも❤ はむ……っ❤ れぅ、っ❤ ちゅ、ちゅぱっ❤」

 

 乳房を揺らして刺激する動きを止めぬまま、紅葉は治輝の亀頭を器用に咥え込んでいた。そして飴を舐める時のように、丁寧に舌で蕩かせてゆく。

 

 元々紅葉の口技は数々の男を悦ばせて来たとあって、既に達人の域。そこに愛したい、気持ちよくなって欲しい、という熱情まで乗ってしまったなら、まだ経験が浅い治輝が容易に耐えられるような快感には決してなりようがなかったのは、致し方がないことだった。

 

「くれは、さん……。その、パイズリフェラ、やば……。もう、っ」

「ん、んっ❤」

 

 治輝の申し出に、紅葉は数度小さく首肯して、そのまま少し喉奥へと深く咥え込む。お湯を汚したら拙いから、そのまま口の中で。そんな彼女の意思を感じ取った治輝は、快感に逆らわずそのまま精を紅葉の口腔に迸らせてゆく。

 

「んッ、っ❤」

 

 勢いよく飛び出たそれを、紅葉は嬉しそうに喉を鳴らしながら飲み下してゆく。その射精は、治輝自身も驚くほどに、長く強く続いた。その全てを、彼女は美味しそうに飲み干していた。

 

 紅葉はそのまま、口を窄めて尿道に残った精を搾り出す後始末の口淫へと移行する。その彼女の今までにない献身的な奉仕に、治輝は余韻ですっかり腰を抜かしてしまっていた。

 

「はふ……❤ とっても、こくって、おいし……❤」

「ごめんなさい、そんなもの、のませて、しまって……」

「ううん……❤ はるきくんの、だから……❤ うれしい……❤ のみたい、っておもったから……だから、いいの❤ むりやり、のまされたこともあって……そのときは、やだったけど……。はるきくんの、は❤ すっごく、よかった……❤」

 

 順調に幸福な経験で記憶を上書き出来ている。それを紅葉の言葉から感じていた治輝は、愛おしくなって思わず彼女を抱きしめていた。それに応じて、彼女も彼の背を優しく抱き返してくれる。

 

「そろそろ、あがろ? これ以上、えっちなことしてたら、本当にのぼせちゃう……❤」

 

 紅葉の指摘に、治輝も同意だった。明らかに脱水気味。それを彼自身も自覚するところだったからだ。

 

 

 風呂から上がった二人を待ち受けていたのは、数々の魚料理と肉料理。その量は最早予約サイトの写真を凌駕する「歓待」だった。その一角には、出羽県では有名なほぼ塩分の固まりのような塩鮭や、鰰(ハタハタ)の熟れ鮨なども並んでいる。

 

「わ、すご~い‼ こんなにたくさん、いいの⁉」

「おらも、張り切っでしまっだもんでよ。くれはちゃんの好きなのばっかすだ。なんも遠慮さねで、なんぼでもけ」

「ありがとう、おばさん! いただきます❤」

 

 紅葉はそれらに早速舌鼓を打っていた。一方治輝は「これ、百グラムあたりの塩分量、どれくらいなんだろうか」などという如何にも医学博士らしい命題を目の当たりにして固まってしまっていた。

 

「あれ、あんだ、ぼだっこ初めてだが? まんず辛ぇがら、酒ことやれ。ほれ、飲め飲め」

「え、ええ。ありがとうございます。噂には聞いていましたが……塩噴いてる鮭なんて初めて見ました。すごいですね。ではお言葉に甘えて……。うっ⁉」

 

 口に含んだ瞬間、鮭の旨味と共に口いっぱいに塩分が広がる感覚。治輝は慌てて注がれていたぐい呑みグラスから酒を一気に呷る。すると不思議と食後感は悪くない。

 

「これは、ダメな食べ物ですね……。あまりにも酒が進み過ぎる……」

「あんだ、お医者さんだが? んだば、あんますいい気さねがもだげど。寒みどごだど、酒こど塩ねば、凍えでしまうがらよ」

「ええ、地域の特性としては理解しています。なので、適量で、毎日食べなければ効率的かつ合理的な食べ物なのも分かります。でも辛い……」

 

 治輝の感想に、女将はにやりと笑う。そこに県厚生局が減塩・節酒と口うるさく言う理由の一つを垣間見た気がして、治輝は思わず苦笑いだった。

 

 その後は女将も酒を嗜みながらの談笑。彼女は早くに夫を病で失い、それ以来一人でこの宿を切り盛りしているそうだ。彼女の娘や孫は跡を継ぐ気がないようで、当代限りではないだろうか、ということを語っていた。

 

 紅葉のことは、生まれた時から知っていて、自分の娘のように可愛がっていたと。だから、事故で両親を失った彼女が養護施設に入るという話を後から聞いた際に、自身が引き取ってあげればよかった、と女将はずっと後悔していた様子だった。

 

「あんだどいるど、くれはちゃん、ほんと幸せそうだもの。次は『孫』の顔どご見れるがもわがんねかな」

「おばさん。任せて! 絶対幸せになって、見せに来るから!」

 

 照れて固まる治輝の代わりに、酒も入っていつも以上に饒舌になった紅葉が宣言する。既に事実婚と言っても過言ではない二人だが、彼は改めてこの女性を幸せにしなければ、という決意を新たにしていた。

 

 

 並べられていた料理は、主に紅葉の胃袋の中に納まって、すっかり消えてしまっていた。その後片づけを、彼女は手伝っていた。部屋に一人残された治輝は、敢えて一つの布団、しかも二人で寝られる大きさの「夫婦布団」が敷かれている事に気付き、思わず唸っていた。

 

 しれっと退路を塞いでくる。あの女将はやり手であると治輝は認識していた。当然逃げる気は更々ないのだが、ここまでお膳立てされてしまうと、彼としてもどうしても気恥ずかしさが勝ってしまうようだった。

 

 治輝が灯油ストーブが置かれた広縁で降りしきる雪を酔い覚ましがてら眺めていると、

「ただいま! わ、あったか~❤ 廊下寒いから、助かるよ~」

部屋に紅葉が戻ってくる。どうやら彼女はもう一度湯に浸かって来たらしい。彼女の身に着けている虹色の浴衣の襟元は少し緩んでいて、跳ねた水分のせいで、ポニーテールの先端や前髪が少し湿っていた。

 

「治輝くんは、そんなところで、黄昏れて……どうしたの?」

「いや。さっきの女将さんとくれはさんのやり取りを思い出して、覚悟を決めていたところです。お構いなく……」

 

 彼自身も、「悪い酒」に酔っていたのかもしれない。普段ならば漏らさないような内心をぽろっと口に出してしまっていた。それで真剣に考えてくれているという事を察した紅葉は嬉しそうな笑顔のまま、彼にすり寄ってくる。

 

「私ね、今まで子供が欲しいなんて、一切思わなかったの。穢されるのが、役目だったから……。きっと、誰も責任なんて取らないし……そもそも、誰のかも分からない子なんて、生まれて来たら絶対に不幸だな、って思ってたから……」

 

 紅葉は彼の背に抱き付きながら、今までの考えを吐露していた。それは当然だろう、とも治輝には思えた。人生に絶望していたならば、誰かを幸せになど出来る筈がないからだ。

 

「でも、治輝くんと出会って、こうやって、幸せにしてくれる、って分からせられて。何も持ってなかった私を、自分の家とか、色んなのを捨ててまで……助けてくれた。だから、あなたの子供なら、欲しいな、って思っちゃったの……。だから、つい……。迷惑だったかな?」

 

 紅葉はこの期に及んでもどうしても一歩引いていた。きっと重い。迷惑かもしれない。それが自らが望んでいる事であっても、その遠慮が、どうしてもにじみ出てしまっていた。

 

 そしてそれを聞いた治輝は、一瞬言葉を失っていた。だが何か意を決して立ち上がると、紅葉を抱きすくめ、そのまま布団へと運ぶ。普段にはないあまりにも強引なそれに、彼女は思わずとぎまぎさせられていた。

 

「僕も、くれはさんとなら、欲しいですよ。でも、あなたが言った、『恋人期間も楽しみたい』も分かる。だから、こうしましょう。戻ったら、IUDは抜去。そして、妊娠したら、結婚する。それまでは、恋人として。それで、どうですか?」

 

 それは、治輝なりの思いやりだった。紅葉の希望を両立する、最善のやりかた。最適(ベスト)ではないが、最善(ベター)。それを彼は提案してみていた。

 

 それを聞いた紅葉は、やはり嬉しそうにしっかりと首肯しながら、治輝に抱き付いた。彼女から芳る甘い匂い、そして薄い布越しから伝わる鼓動の速さがいつもより強く感じられる。彼はそんな感触を得て、思わず顔に熱を上げてしまう。

 

「ね、治輝くん……えっち、しよ……? まだ、妊娠はできないけど……いまね、私……すごく、あなたが、ほしい……❤」

 

 続けて出た紅葉の言葉。それは、紛れもなく彼女の本心だった。それを拒絶する気は、治輝には一切なかった。

 

 

 浴衣の帯を解いてはだけさせ、下履きを脱いだ治輝の上に、同じように浴衣をはだけさせた紅葉が乗りかかってくる。その彼女が履いていたショーツを目の当たりにした治輝は、

「えっ……くれはさん、それ……」

「えへへ❤ すっごく、えっち、でしょ❤ わたしのこと、だいじにしてくれる、はるきくんに、バレンタインプレゼント、だよ❤」

思わず声をあげてしまう。その反応に、紅葉は嬉しそうにかつどこか擽ったそうにはにかんでいる。

 

 紅葉がこの時身に着けていたのは、一見深紅のレース生地を基調にした妖艶な総レースのショーツに見えるが、本来秘唇を覆うべきクロッチが丸ごと省略された、性交をする為だけに作られた非常に大胆な意匠のもの。

 

 そんな性交の為だけに存在するような下着を身に着けた紅葉の秘唇は、既に期待からぐしょぐしょに濡れそぼっていた。彼女の華奢な太腿にまで、既に蜜が溢れて垂れて来ている様が見て取れる。

 

「あらためて、すきなひとの、お○んぽ、っておもうと……なんだか、どきどき、しちゃう……❤ はるきくん、だいすき❤ くれはの、お○んこで❤ いっぱい、きもちよく、なって❤ ん、ぅぅぅ、っ❤」

 

 紅葉は治輝への想いの丈を口にしながら、無遠慮に腰を降ろして、膣内に彼の滾った肉棒を迎え入れた。彼女の膣は、早速すっかり滾ってしまっている治輝の逸物をきゅうきゅうときつく締め付けてくる。今までにない快感に、思わず彼の表情が歪む。

 

「はぁ、ん、はぅ、っ❤ かちかちの、お○んぽ、すごい、よぉ……❤ わたしの、お○んこ❤ はるきくんの、お○んぽが、よすぎて❤ よろこんじゃってる、よぉ❤ はるきくん、すき❤ だいすき、なのぉ❤」

 

 紅葉は治輝への愛情を口に出して表現しながら、そのまま夢中で腰を浮沈させて性器を擦り合わせ、彼の肉棒から精液を搾り取らんと抽迭を始める。それだけに留まらず、

「ねぇ❤ はるきくんも、うごい、てぇ❤ おっきな、お○んぽで❤ わたしの、なか❤ すぽずぽ、かきまわしてぇ❤ いっぱい、いっぱい、あいしてぇ❤ はるきくんに、わたしの、えっちな、お○んこで❤ きもちよくなってほしい、のぉ❤」

紅葉は自身の動きに同期した抽迭を治輝にねだる。それは、彼が初めて紅葉と交わった時の状況と似ていた。ただ、当時とは環境も状況も関係性も何もかもが違う。治輝には最早遠慮する理由は一切なかった。

 

「くれはさん、ここ、ですよね、っ……は、っ……くれはさん、も……いっぱい、きもちよく、なって……」

「ひあぅ、っ❤ うんっ❤ そこっ❤ お○んぽ、の❤ カリ、っ❤ ごりごり、って❤ きもちいい、ところ、あたるっ❤ それ、されると、っ❤ すぐ、イっちゃう、っ❤」

 

 いよいよ堪らなくなってしまった様子の治輝は彼女の腰から尻にかけてを鷲掴みにして持ち上げながら、自ら突き込むような抽迭で絶頂に向かって駆け上がろうとする。そんな治輝の情熱的な抽迭に、

「ん、っ❤ お○んぽ、びくびく、ってして❤ すっごく、かたく、なってきて……っ❤ はるき、くん、いいよ❤ がまん、なんて❤ しなくて、いい、から❤ わたしの❤ くれはの、お○んこ、で❤ いっぱい、きもちよく、なってぇ❤ わたしも、また、イっちゃうっ❤ すっごく、きもちいいの、きちゃう、から……❤ いっしょ、に……❤ いっしょに、イこ❤ おくに、お○んぽ❤ いれた、まま、イってぇ❤ なかだし、せーし❤ いっぱい、おくに、かけてぇ❤ ん、そこぉっ❤ そこにいっぱい❤ どくどく、って❤ せーし、だしてぇ❤ しきゅう、たぷたぷに、なって❤ あかちゃん、できちゃう、くらい❤ いっぱい、なかだし、してぇっ❤」

紅葉も嬉しそうな蕩けた表情のまま、彼の腰の動きに合わせて亀頭に子宮口を擦り付けるような抽迭で彼の射精を誘う。

 

「あっ、あぁっ❤ ん、ぉ、っ❤ おくぅ❤ お○んぽ、で❤ こんこん、って❤ ごりゅごりりゅ、ッ❤ されるの❤ きもちいぃっ、らめぇ❤ イく、イぐぅぅぅぅぅぅっ❤」

「くれはさん……ぼく、もッ!」

「だして、だしてぇぇぇ❤ せーし、おくで、だしてぇ❤ ひぁぅぅっ❤ んぅぅぅっ❤ はぅぅ、っ❤ はるきくんの、あっつい、せーし❤ わたしの、お○んこ、の❤ なかで、でて、る、よぉ❤ わたしの、お○んこ❤ はるきくんの、あかちゃんの、もと❤ いっぱい、たねづけ❤ されちゃって、るっ❤ なかだし、きもち、いいよぉっ❤ はぅ、んぅぅぅっ❤」

 

 二人は同時に絶頂に至っていた。子宮の入口に向かって迸る愛しい人の精液の感覚を味わう事となった紅葉は、多幸感で蕩け切った表情のまま、絶頂と膣内射精の余韻に浸っている。

 

「ん、っ……❤ いっぱい、でて、りゅ……❤ はるき、くんの❤ あかちゃんの、もと……❤ わたしの、お○んこから❤ あふれて、きちゃって、る……❤」

 

 絶頂の波が一段落した様子の紅葉が、ゆっくりと腰を浮かせて治輝の肉棒を膣から引き抜く。すると彼女の秘唇は、早速彼の精をどろどろと溢れさせてゆく。それはすぐさま、布団の敷布にもべったりと付着してしまっていた。

 

「わぁっ、布団、べとべとに……」

「ん、ぅ❤ はるきくんの、せーし❤ いっぱい、たれちゃった……❤ でも、おばさんが、ね❤ 『そういうためのお布団だから、気にしなくていい』って……❤」

 

 夢見心地の様子な紅葉が、宿からの「厚意」を口にしていた。それで、治輝はいよいよ孫の顔を見せてやらねばならないか、と頭を掻かざるを得なかったのだった。

 

 

 結局その晩は、すっかり気持ちが昂ってしまったらしい紅葉にせがまれ、五回も膣内射精という乱打戦。事後に気絶するように抱き合って眠った二人が目を覚ますと、時計の針は十一時半を指していた。

 

 当然、女将には

「あいー、まんず夕べはお楽しみだっだなやぁ。こんた様子だば、孫もすぐだべかな」

「も、もう。おばさんたら……っ」

「いや、重ね重ね、ご迷惑を……」

全てを見透かされていて、笑われてしまう始末。その指摘に二人は真っ赤になってしまうのだった。

 

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