三人が矢島に越して暫く。治輝と紅葉にとっては二年目の春だった。矢島山麓診療所の一角では、小さな産声が上がっていた。
紅葉が出産したのは、彼女に顔立ちがそっくりの、美人になる事は保証されている娘。彼女はその娘に、「
桜葉を取り上げた主治医の雪乃も、すっかり姪のように溺愛してしまっていた。
紅葉はたった一月で、職場に復帰していた。それが出来たのは、診療所と普段生活する居住棟とが継ぎ目なく融合している建屋の作りが功を奏した結果だった。
そして暫くすると、診療所の待合室には妙な暗黙の了解が生まれていた。
診察を待つ老人たちの視線は、壁に据え付けられた最新型の大型テレビよりも、むしろベビーベッドへ向いている。
診察室の隅、あるいは待合室には、いつの間にか小さな揺り籠が置かれるようになっていて、その何処かには必ず桜葉がいる。泣けば誰かがあやし、眠れば「今日は静かだな」と御老体たちが笑う。
「あんらぁ、今日はまんずめんげごだ」
「安藤先生より人気あんでねぇべかな?」
そんな声が飛ぶたびに、治輝は苦い顔をし、紅葉は申し訳なさそうに笑い、雪乃はカルテを書きながら吹き出していた。
久々に地域に産まれた「孫の顔」見たさに、血圧を測るついでに顔を見に来る者も増えた。
気付けば、一日数本しか来なかった乗合バスも、いつしか診療所前で客を降ろすようになっていた。診療帰りの老人を待つタクシーの姿も、今では珍しくない。
御老体方の噂によれば、採算が取れないからと廃止寸前だった路線バスも、利用者が少し戻ったらしい。
誰が言い始めたのか「メイドさんのいる診療所」は、「あそこ行けば、人の顔が見られる」と噂の、矢島山麓の小さな寄り合い場にもなっていた。
そして診療所には、すっかり居付いてしまった人物がもう一人。出羽県警察矢島警察署の地域課長である筈の友恵だった。
気付けば居住棟の一角には彼女のデスクと警察無線が設置されていて、さながら駐在所のような有様だ。
紅葉か雪乃か、どちらの仕業かは分からないが、友恵が使用している部屋のドアには
「出羽県警察矢島警察署 地域課 矢島山麓分室」
という小ぢんまりとした表札がいつの間にか掲げられていた。
この日も警察署「本庁舎」で朝の仕事を終えた友恵が、何時ものように巡回時の姿で、地域課長が乗るにはあまりにも縮こましい白黒ツートンカラーの原付バイクでやって来た。
「桜葉ちゃん~❤ おばちゃんが、きまちたよぉ❤」
テンションはすっかり近所のおばさん。それに気付けない、妙齢である筈の友恵の姿に、
「友恵さん、また来たんですか……」
院長の治輝はすっかり呆れ顔だ。そんな彼に対し、
「治輝くん、見張ってないとまた無茶しそうなんだもの。金弥からも頼まれているし、矢島署地域課の課長としては見過ごせない存在なのよ」
友恵はあっけらかんとしていた。そして「妻二人」から聞き及ぶ限り、彼女は県警本部長とヨリを戻したらしい。友恵の左手薬指には、金弥から贈られた指輪がきらりと光っていた。
「友恵さん、本当は僕なんかの様子よりも、
「あらあら。赤ちゃんは出羽県、ひいては日本国の宝ですわよ。あなたたち、どんどん出生率向上に寄与してくださいましね」
治輝の苦言には、友恵は時折官僚的冗談で切り返してくれる。中央からは離れて久しいが、相変わらず遠くを見ている人だ。治輝はその点だけは、この気さくで自由奔放な先輩を尊敬していた。
昼休憩の時間には、紅葉と雪乃が育てている旬の野菜がたっぷりと使われた昼食が、友恵にも振る舞われる。
このキャリア警視は昼食代を浮かせに来ているのではないか、と治輝としては時々疑問に思わなくはないのだが、確かに普段から世話になっているので、彼は何も言えずにいた。
「友恵さん、今日取れたお野菜、お部屋に置いておきましたからね」
「くれはちゃん、ありがと~! いっつも助かるわぁ。ん、おいしい! くれはちゃん、また腕あげたね」
「えへへ❤ 料理だけは、得意ですからっ❤」
紅葉も、友恵とはかつてはあれだけ警察を嫌っていたとは思えない程には打ち解けていた。彼女としても「他の警察は信用ならんが、矢島署、特に友恵さんだけは特別」という思いがあるようだ。
「しかしこの二人は、なんでこんなに食べても、スタイル変わらないんだろう。なんなら、くれはさんは、子供一人産んでるのに……。世の中、不公平すぎる……」
そんな美女二人を眺めながら不平を漏らすのは、すっかり胎が膨れた雪乃だ。彼女も、治輝の子を無事身籠っていた。そんな彼女は、胸のサイズが妊娠してから二カップも大きくなってしまって、下着は特注になってしまっている。
「だから雪乃は早食いだし栄養が偏りすぎなんだ。もうちょいそこをだな……」
治輝が配慮のない余計な一言。それには思わず対面に座っていた雪乃から蹴りが。そして左隣の紅葉からは肘突きが。更には
「
友恵も声音を落として、治輝を睨みつける。それで明らかな失言だったと気付かされた彼は、縮こまる他ない。
「ノンデリの治輝くんは、ほっといていいから。雪乃ちゃんは、お腹の子の為にも、食べなきゃダメだよ?」
「そうそう。いっぱい食べなさい。もう一人の身体じゃないんだから、ね?」
紅葉と友恵は、雪乃を本気で心配している様子。だが、スタイルに困ったことがなさそうな美女二人に揃って言われると、説得力が皆無であるため、雪乃としては複雑な心境だ。
しかしこうして誰かに心配してもらうのも悪くない、とも彼女は思ってしまうのだった。
そんな友恵は、昼休み恒例のお茶会の最中、
「そういえば、ここって、最近すごく流行ってるらしいじゃない。むしろ県警よりも県庁の方が、ものすごい効果だって注目して、目を付け始めてるみたいよ?」
唐突にそのうち県都からの視察があるかもしれない、という示唆をする。それを聞いた治輝は
「今更ころころ掌返されても困りますけどねぇ……」
名誉な事だとは思いつつも、どうも複雑な心境の様子。だが、紅葉と雪乃は
「テレビとか、来るのかな?」
「これは、メイド服ちょっと新調しなきゃいけないかもですね」
「いいね、私も欲しいかも」
存外前向きそうだった。そんな女性職員の様子にも、治輝は苦笑いだ。
「あなたたち三人の職場だものね。こればっかりは、イチ警官の私がどうこう出来る話でもないわ。苦情はそうね……最近県議会で辣腕を振るってらっしゃる、県警本部長様の方がむしろ聞いてくれるんじゃないかしら?」
そんな友恵は、少し無責任に、だがどこか楽しそうに言葉を放ってくれる。彼女のその発言こそが、彼等の過去の柵からの独り立ちを象徴していたかもしれなかった。
地方の過疎地の診療所。そこで男一人、女二人の共同生活。
医務員の格好も奇天烈で、傍から見れば明らかに奇妙だった。しかし彼等は異物では最早なく、しっかりとその地に根付いた「風景」となっている。
そこには平穏だけが、しっかりと息づいていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。鍵山ゆーなです。
いかがだったでしょうか。初めてのオリジナル作品でした。
本作は、起承転結を通して少しずつ登場人物たちの背景や関係性が明らかになってゆく構成を意識して執筆しました。
そのため、最後までお付き合いいただけたのであれば、作者としてこれほど嬉しいことはありません。
どのキャラクターがお気に入りだったでしょうか。
感想や評価、コメントなどで教えていただけると、今後の創作の励みになります。
なお、本作はC108にて単行本同人誌として頒布予定です。
二日目(8/16)
東1ホール オ-12b
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にてお待ちしております。
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どうぞよろしくお願いいたします。
どのキャラが一番好きでしたか?
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安藤治輝(主人公)
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美郷くれは(紅葉)
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真壁雪乃
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神代金弥
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牧野友恵
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黒部萩雄
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保戸野三郎
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安藤恒三
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白楽優香
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安藤治三
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安藤美海
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美郷恭太郎