TS転生橘ありす 作:湯けむり桶
(落ち着くのよ、私。昨日の夜のことは……そう、ただの不可抗力。今日からは気持ちを切り替えて、プロのアイドルとして一歩を踏み出すんです)
事務所の廊下を歩きながら、私は何度も深呼吸を繰り返していた。
昨夜、文香さんへの妄想でベッドシーツを大惨事にした記憶がよみがえりそうになるのを、必死で頭の隅へと追いやる。
今日の目的は、プロデューサーから今後のレッスンスケジュールについて説明を受けること。邪念を捨てて、真面目な「橘ありす」に戻らなければならない。
そう自分に言い聞かせ、少しうつむき加減に歩を進めていた、その時だった。
ふっと、目の前が急に暗くなった。
「あ──」
気づいた時には遅く、私の身体は何かしらの「壁」に正面から衝突していた。
いや、壁というにはあまりにも柔らかく、弾力があり、包み込まれるような圧倒的な質量。
顔面がその肉厚な「何か」に完全に埋もれ、身動きが取れなくなる。息を吸うと、お日様の下で干したお布団のような、どこか素朴で甘い香りが鼻腔をいっぱいに満たした。
(えっ、な、何、これ……っ!? )
底なしの柔らかさに絡め取られて、あたふたと手をもがくように動かすものの抜け出せない。
「あららー? すみませんー、大丈夫ですかー?」
頭上から、おっとりとした、のどかな声が降ってくる。
その声に導かれるように、私は埋もれていた顔をなんとか上へと向けた。
視界に飛び込んできたのは、心配そうにこちらを覗き込んでいる、豊満という言葉すら生ぬるい抜群のプロポーションを持った、レッスンウェア姿のアイドル。
──及川雫。
「けぉっ!?!?」
橘ありすらしからぬ、奇妙な裏返った声が口から飛び出した。
それもそのはずだ。私の顔は今、彼女の代名詞とも言える、あの規格外の「胸」に完全に挟まれ、包み込まれていたのだから。
「うわわ、ごめんなさい! ちゃんと前を見ていなくて……っ!」
私は顔を真っ赤に染めながら、慌ててバタバタと後ろへ飛び退いた。中身が元男のプロデューサーなだけに、その破壊力は文香さんとはまた違ったベクトルで脳髄を直撃している。
「いいえー、私の方こそ、のんびり歩いていたから気づかなくて。怪我はありませんでしたか?……ええと、新しく入った、橘ありすちゃん、ですよね?」
「は、はい。今日からお世話になります……。及川、雫さん、ですよね」
「はーい、及川雫です! よろしくね、ありすちゃん。ちっちゃくて可愛いなぁ……胸がキュンってしちゃいますー。……あ、これ、実家から送られてきたお菓子なの。良かったら食べてね?」
「あ、ありがとうございます……」
雫さんは屈託のない大らかな笑顔で、私の手を握ってぽんぽんと叩いた。
少しだけお互いのことや、これからの活動について簡単な雑談を交わした後、
「それじゃあ、私はこれからレッスンだから。またねー」
と、彼女はパタパタと手を振って廊下の奥へと歩いていった。その背中を見送りながら、私はようやく大きく息を吐き出す。
「……びっくりしました。っていうか、及川さん……デカすぎです……」
画面のデータとしては知っていた。「バスト105cm」という、アイドルマスターシンデレラガールズにおける絶対的な頂点の数字を。
しかし、それを12歳の橘ありすの視点、そして至近距離の肉体言語として実体験した衝撃は、想像を絶するものがあった。文字通り、世界が胸で埋め尽くされるかと思った。
(……はっ。及川さんにあれだけ密着して私の股間は……あ、大丈夫。ちゃんと落ち着いてる)
ふぅ、と胸をなでおろす。昨夜の一件があっただけにヒヤヒヤしたが、私の「男性の証」は大人しく眠ったままだ。どうやら、純粋な驚きと、雫さんの持つ圧倒的な「母性」の前に、オスとしての本能が圧倒されたらしい。
(でも……あの破壊力。もし、私のチート能力が、あの大らかな雫さんに牙を剥いたら……?)
一瞬だけ頭をよぎった不敬な妄想を、私は激しく頭を振って打ち消した。ダメだダメだ、まずはレッスンの説明だ。
私は急ぎ足でプロデューサーの待つ部屋へと向かいながら、この事務所の持つ「底知れないポテンシャル」に、改めて武者震い(と少しの興奮)を禁じ得ないのだった。
プロデューサーから今後のレッスンスケジュールについて、一通りの説明を受け終えた。
細かく組まれた予定表を見つめている橘ありす。
「よし、じゃあ百聞は一見に如かずだ。まずは実際のレッスンルームを外から少し覗いてみようか」
「はい、わかりました、プロデューサーさん」
そう答えて、二人でレッスンルームへと向かう。
しかし、その入り口に到着したまさにその時、プロデューサーのポケットでスマートフォンが激しく震えだした。画面を見たプロデューサーの顔が、一瞬で引きつる。
「……あ、すまない、橘さん。急な別件が入ってしまって、今すぐ現場に向かわなきゃいけなくなった。一通り見学したら、今日はもう上がっていいから。鍵は閉めなくて大丈夫だ、それじゃあ!」
「えっ、あ、はい。お疲れ様です……」
嵐のように、急ぎ足で廊下を駆け抜けていくプロデューサーの後ろ姿を見送る。
前世でゲームをやっていた時から思ってはいたが、売れっ子アイドルたちを何人も抱えるプロデューサーの労働環境は、実際に生で見ると本当に過酷そのものだ。
(……プロデューサー、本当に大変ですね。過労死しないでくださいよ……?)
心の中でそっと手を合わせ、私は気を取り直してレッスンルームのドアのガラス窓に視線を戻した。
中では、数人のアイドルたちが激しい洋楽のビートに合わせて、大粒の汗を飛び散らせながらダンスレッスンに励んでいた。
──愛野渚、大沼くるみ、十時愛梨、そしてさっき廊下でぶつかった及川雫。
(……すごい。これが、アイドルの練習……!)
スタジオのスピーカーから流れる重低音に負けないくらい、彼女たちの動きには力強さと、圧倒的なプロの気迫があった。
美波さんの流れるようなしなやかな手足の動き、渚さんのアスリート顔負けのキレのあるステップ。くるみちゃんも泣きそうな顔をしながら必死についていっている。
だが。
いくら真面目に「橘ありす」として見学しようとしても、前世が男だった私の視線は、どうしても彼女たちの「ある部分」へと吸い寄せられていってしまった。
(……いや。これは、ちょっと……)
激しいターンやジャンプが繰り返されるたび、薄手のトレーニングウェアの下で、信じられないほどの質量を持った球体たちが、重力を無視して縦横無尽に暴れ狂っている。
愛野渚の、健康的かつ扇情的なラインを描く形の良い胸。
大沼くるみの小柄な身体に似つかわない大きさの胸。
とときんこと十時愛梨の、今にもウェアを突き破りそうな爆乳。
そして、さっき私の顔面を優しく包み込んだ、及川雫の規格外すぎる100cm超えの巨躯が、ステップを踏むたびにドッタンバッタンと恐ろしい勢いで揺れていた。
(めの、目の毒すぎます……っ! どこを見ていいのか分かりません……!)
顔がカッと熱くなる。
さすがにこのレベルのプロポーションを持ったお姉さんたちが、汗を流しながら目の前で激しく胸を揺らしているのだ。純粋な12歳の女の子のフリをしようにも、中身のオタク男子の理性が悲鳴を上げている。
気がつくと、パジャマをドロドロにした昨夜の記憶が脳裏をよぎり、私の股間がまたしてもピクリと微かな熱を帯び始めた。
(だ、ダメです、落ち着きなさい私! ここは神聖なレッスンルームですよ!?)
常識改変能力があるとはいえ、こんな場所で「女の子の橘ありす」のスカートの前が盛り上がったら、さすがに精神的社会死を迎えてしまう。
私は慌てて視線を彼女たちの足元へと移し、荒くなる呼吸を必死に整えるのだった。