王政庁「鷲の間」に並ぶ重臣の顔ぶれにサネッカが欠けた。
王都教区も代理の大司教を急遽立てることになった。
しかし、国家や組織はシステムゆえ、それで何かが大きくかわることはなかった。
彼らがいなくても、王国は、教会は、歩みを止めない。
トリスハイ家はマチハバ中央区一帯の運河の管理を任されている。
これは昔からの事だが、運河はたびたび死体捨て場として使われた。
運河の性格上、夕方以降は無人の倉庫街が並ぶ、薄暗い地区であり、どうしても治安は悪かった。
ぱっとしない貴族カギョーロルは知っていた。
王都から来た有力貴族ダスラン卿が、ある日の朝、登校中の女子学生をかどわかしたことを。
ダスランはわざわざカギョーロルを訪ねてきて、許可を求めたのだ。
とんでもない、と。聞かなかったことにするから、そのようなことはやめてくれと言ったが、意味が分からない、といった風に再度押し込んできた。
とにかく不気味だった。王都から来た有力貴族に逆らえるわけもない。
警視卿あたりにたれこむかとも思ったが、中央政庁の力関係がさっぱりわからない。
ダスランが警視卿とつながっていたら最悪、縛り首の未来が待っている。
しぶしぶ「許可」を与えて、手のものを運河で見張らせた。
そうするとダスラン本人が運河の倉庫街にやってきて、通学路にもなっている中央通りを通る、女学生に話しかけ、意気投合の風で馬車に乗せたではないか。
「許可」を与えたものの無理やり拉致したとなると、どうしようかとも考えたが、見る限り平和的であったので、目をつぶった。
その日の晩である。学校の教師と、その女学生の死体が管理する運河に浮かんでいたのは。
小心者のカギョーロルはそれ以来、びくびく生きてきた。
「はい30回目ーーー!!」
「はひぃーーー!」
カギョーロルは体をのけぞらせ気絶したが、ベイリーが31回目に着手すると、意識がもどった。
「わかった!もうどうにでもしてくあああああああ!」
「31回目ーーー!!・・・
「どうにでも」って、こするの以外で?」
「そう、そのとおり!そのとおり!おっしゃる通りで!」
ここはトリスハイ家の納屋。
ダスランがらみで「許可」の話を聞きつけたベイリーとアゼミが乗り込んだというわけだ。
当初は有力貴族の犯罪を密告することになるのでためらっていたが、32回目の射精でカギョーロルはついに吐いた。
そしてベイリーも吐いた。
「大丈夫か。」アゼミがベイリーの背中をさする。
「けほ。アシハラでもゲボ吐いたら背中さするんだ。」
「怒り、だな。」「フランゼとか先生の事考えたらつい吐いちゃう。」
カギョーロル「もうどうにでもしてくれ。」
アゼミ「貴様、しょうもないことで随分と精液を出したものだな。聞かれて素直に言えばよかったものを。貴様に非はほとんどないことではないか。」
「32回目はゴメン。もどしとく?」
「いや、一度出たやつはもういい。戻しようもないだろ。」
「しゃべらなかったのはな・・・
貴族間の力関係ってやつがあるんだ。いつもそうだ。俺ばかり押し付けられる。最初の結婚だってそうだった。」
カギョーロルはぶつぶつとわが身の不幸を愚痴る。
結婚と聞いてがぜんベイリーは食いついた。
「結婚!最初の結婚はどんなだったの!」
露骨に「やべ」という表情をするカギョーロル。
王政に携わるとある有力貴族からとんでもない女を押し付けられ、さんざん苦労したという話をカギョーロルはした。
「とんでもない醜女で、子供もできなかった。いや、正直彼女で、その。勃たなかったからだが。だから彼女が不妊というわけではなかろうけども。」
ベイリーは首をかしげる。
「その女の人って、もしかしてエジーニャって言わない?」
カギョーロルは露骨に「やべ」という顔をした。
「はい33回目ーーー!!」
「あうううおおおおおおお!!」
カウントしたのはベイリーで、抜いたのはアゼミだ。
アゼミ「人の母親を醜女などというからだ。人の所業ではない。」
「はぁっ!はぁっ!まさか、エジーニャの娘だとは・・・
生まれたことすら知らなかったが、子供が育つのははやいものだな。」
「ママを放り出したんだっけ?」
「もうしごかないと約束するなら話す。」
「話さないとしごくよ。」
「あれはある雨の日だった。」
カギョーロルは話し始めた。
カギョーロルは音楽好きで、趣味で楽譜を書いていた。
エジーニャも音楽はまんざらでもなく、夫婦生活は趣味で結合していた。
しかしある日、音楽性の方向性で大喧嘩をした。
「それが破局の原因だ。」
アゼミ「なんだそれは芸能人か。」
「じゃあさ!ちょっとアンタの楽譜見せてよ。」
よろよろと立ち上がり、カギョーロルは棚から自作のものと、取っておいたエジーニャの楽譜をとりだした。
カギョーロルはまず自分の楽譜で一曲を弾いた。
ベイリー「ダサ。」
カギョーロル「ダサいとはなんだ!18年前はこれが最先端だったんだ!」
「生まれる前じゃん。」
カギョーロル「子供は育つのが早いなあ・・・」
「次はエジーニャの楽譜だ。」
カギョーロルがエジーニャの楽譜を弾く。
ベイリー「ダサ」
カギョーロル「そうだろお!!!!」
「はい34回目ーーー!!」
「おおおおおお!!」
アゼミ「ベイリー。今のはさすがに理不尽であろう。」
「ごめん。」
ベイリーは気まずそうに謝った。
「音楽のことで怒るのは、ちょっと違った。マジにゴメン。」
こういうやりとりをして忘れそうになるが、ベイリーは非常に大人の姿。豊満美人で淫らな恰好をしている。
が、カギョーロルは34回も射精していて賢者であるため、心がみだされることはなかった。
「こちらこそ、すまなかった。ベイリー殿、アゼミ殿。
なんであれ、人の音楽性を落とすのは音楽趣味者としてよろしくなかった。まあ、君らにひどいことをされはしたが、自省の機会にはなった。」
アゼミ「なんと人間のできた貴族だ。こちらこそ先ほど、つい勢いでしごいてすまなかった。戻すか?」
「いや、いいです。」
「ひとつ君たちに聴かせたい曲がある。今日は大月が満月だ。ちょうどいい。」
カギョーロルは下半身全裸のままだが、鍵盤式の楽器を椅子に座って弾き始めた。
「今から300年前の大音楽家が月の光をモチーフに作った曲なんだ。シンプルなのと有名だから、練習用にもよく使われる。」
ベイリーとアゼミは気が付いたら床に座って聴き惚れていた。
窓から月光がさしている。
「懐かしいなあ。大昔、君たちが生まれるか生まれないかくらいのころに、知り合いの娘さんに教えたことがあるんだ。人に教えたことはあれっきりない。その娘さん、随分飲み込みがよくてね。いまごろどうしてるかなあ。」
大月があたりを照らす。
3分後
王都
昨今、密科の成果である人工電流が普及し、夜の街に灯がともり始めた。
しかし、ごく限定的で、王宮でさえ、夜八の刻でその灯りは消えてしまう。
この世界には大月と小月が空に浮かぶ。今夜は大月が満月であり、鍵盤式の楽器がおかれたアラシェリーケの一室には月明かりがさしていた。
月の明かりを題材にした哀調あふれる調べが部屋に流れていた。
弾いているのはアラシェリーケだ。月の蒼光に照らされ、顔の陰影がくっきりしている。
そこにスルマリケが入室してきた。
「スルマリケ、参りました。」
「呼んだのは他でもない。その方、なにか私に言いたいことがあるそうだな。」
アラシェリーケは演奏を止めずに横目でスルマリケを見る。
スルマリケはしばし沈黙したのち
「書生のようなことを申し上げます。」
と、前置きし、続けた。
「摂政殿は、有力者たちの悪徳を黙認されています。これを、もう少しなんとかならないかと。庶民ばかりか、中級貴族にまで不満の声があがっているのは報告の通りです。」
「すべて承知しておる。」
スルマリケは再び沈黙した。
月光の調べが流れる。
「お前もおそらく理屈では承知はしているだろう。
例えばダスランの殺人趣味を公開し、奴を縛り首にしたとする。
確かに年に10人20人の庶民の命は救われよう。それでよいのか。」
スルマリケは重い口を開く。
「ダスラン卿の農業指導は的確であり、ここ5年ほどで食糧生産は飛躍的に伸びております。国民の栄養事情はかなり改善し、昨今、栄養不足からの病はかなり減っております。」
「ならばどうだ。10人20人の犠牲は。ダスランは万の人間を救っている。許容できまいか。」
スルマリケは再び重い口を開いた。
「できません。私は・・・警視卿ゆえ。」
「職務ゆえというのであれば、その意見自体は尊重しよう。
しかし心得違いをするなスルマリケ。」
「・・・」
「お前が無謬とでも?
お前の父が母が、祖父母たちが。どのような裏稼業をなしてきたか、知らぬわけではあるまい。お前もまた、警視卿になる数年前。まだサラナス行政庁にいたころを思い出せば、そのような無駄口はたたけまい?」
「個人の悪徳は承知。それでもなお、です。」
曲は終盤。アラシェリーケはしばらく無言で弾き、ほどなくして最後の鍵盤をたたいた。
アラシェリーケは演奏を終え、楽器の蓋を閉じ、立ち上がった。
窓辺に寄り、開けた。風が吹き込む。アラシェリーケの髪の毛は風でそよいだ。
「お前の一族がそうであるように、私の一族も、他の貴族も、大小を問わねば誰しもが手を汚している。我らは悪徳の大地に咲いているのだ。誰余すところなくその養分で育っている。いや、それは貴族に限るまい。」
アラシェリーケはスルマリケに横顔を向ける。
スルマリケはその美しさにハッとした。
「この世は地獄だ。私はそれでも、少しでも住みよい地獄を目指している。」
アラシェリーケは再び外を見る。
「お前となら、この地獄をともに歩めそうな気はするぞ。」
「摂政殿。マガッヒの事はご存じでありましょうか。みなは伝説の類、異常犯罪者の話に尾ひれがついていると言いますが、現職について知りましたところを申し上げますならば、すべて、報告のとおり、まごうかたなく奴は存在しました。」
「それで?」
「摂政殿、いえ。アラシェリーケ様。貴女は美しい。美しすぎる。そして非道。非道すぎる。いえ、その非道が人格に根差したものとは思いません。が、言葉を選ばずに言えば非道としか言いようがない。」
「何が言いたい。」
「マガッヒに狙われます。」
「もういないのだろう。20年も前の話ではないのか。」
「眷属が確認されました。」
ほう、おもしろい。
アラシェリーケは再び着席した。
「お前も座れ。こちらが気を遣ってならん。」
スルマリケは椅子に座った。
「眷属とな。それは初耳だな。」
「明日、一報をする予定です。」
「仮にいたとして、軍隊で撃退できないのか。」
「20年前に建兵達が戦い、敗れています。そして小戦闘であれば、数多の手練れの戦士たちが一敗地にまみれております。」
「それは20年前の話だろう。密科の成果はいまや空飛ぶ軍艦や巨砲を生産し、運用している。」
「報告の通りであれば、おそらくそれですらかなうかどうか。」
「心配のし過ぎだ。なんとなれば、この私が辱めを受けて耐えればよいだけの話だ。」
「よくありません!」
スルマリケは憤って立ち上がった。
そしてハラハラと泣き、膝から崩れ落ちた。
「お慕い申しております、摂政殿・・・
私は貴女が、貴女が、あの怪物に凌辱の辱めを受けるなど
とうてい耐え切れないのです。」
なるほどな・・・とアラシェリーケは頬を拳に預け、嘆息する。
「お前の慕情はわかった。職分ではない私的な意見、だな。率直にうれしくはあるが、あえて捨ておく。」
スルマリケは黙ってうなずいた。
「一つ面白い話をしてやろう。
私の父はツーリカルの森林官であった。王族と言えど末端の下級貴族はそういうものだ。
その父は、18年前、か。ずいぶん昔のことだが、上司に盲目の少女のむち打ちを命じられた。
父は悩みに悩んだすえに鞭を構えたそうだが、そこにマガッヒが現れ、上司をさんざんに辱めて去っていった。
父はマガッヒに投げ飛ばされ、気が付いたら騒動は終わっていた。
おかげで少女を鞭うたずに済んだと、私に言っていた。
父が躊躇したのは私と同い年くらいの少女だったから、らしい。」
スルマリケは泣きはらした目を丸くした。
「ある日ツーリカルに現れた怪人は、最後、ツーリカルの戦いを最後に消えた。どこか詩的、であるな。」
アラシェリーケは微かな笑みをたたえてスルマリケに言った。