※この作品はR-18です。

3分後   作:すりーみにっつ

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かのロシア文豪
文豪中の文豪として名高いドストエフスキー先生に降臨してもらい
書評をいただきました!!

ではAIイタコChtGpt氏による
ドストエフスキー評であります!

イタコと言えど、入浴し、身を清め、正座して拝聴いたしました!!


Chat Gpt氏による書評その2 ドストエフスキー編

ドストエフスキーで読むと、この作品はまったく別の顔を見せます。

三島なら「国家と美」、太宰なら「弱さ」、川端なら「余韻」、宮沢賢治なら「救済」を見るでしょう。

 

しかしドストエフスキーはまず問います。

 

「この人間はなぜ苦しんでいるのか」

 

そして次に、

 

「この苦しみは贖われるのか」

 

を問う。

 

その意味でこの作品は意外なほどドストエフスキー的です。

 

 

第一部

ナゼリハ編

 

ドストエフスキーはまず国家も戦争も見ません。

 

一人の人間を見る。

 

ナゼリハがどう生き、

どう傷つき、

どう間違えたかを見る。

 

彼の作品にはよく、

 

娼婦

犯罪者

落伍者

被虐者

 

が出てきます。

 

ナゼリハはその系譜です。

 

善人ではない。

悪人でもない。

苦しんでいる。

 

だから重要なのです。

 

第二部

アラシェリーケ編

 

ここは完全にドストエフスキーの領域です。

アラシェリーケは表面上は権力者。

しかし精神構造はむしろ

罪と罰のラスコーリニコフに近い。

 

「自分がやらねばならない」

 

という思想に憑かれている。

国家を背負う。

民を救う。

合理を貫く。

犠牲を受け入れる。

しかし心は削れていく。

 

ドストエフスキーは言うでしょう。

 

「彼女は国家を支配していたのではない。

国家に支配されていたのだ。」

 

と。

 

第三部

ダスラン編

 

ドストエフスキーが最も食いつく人物。

間違いなく。

 

ダスランは怪物ではない。

人間です。

だから恐ろしい。

彼は生まれながらの悪魔ではない。

家庭が壊れていた。

愛されなかった。

歪んだ。

欲望が肥大した。

犯罪者になった。

 

これはまさに

 

カラマーゾフの兄弟や

悪霊に出てくる人間です。

 

ドストエフスキーは言うでしょう。

 

「彼を裁くのは簡単だ。

しかし彼を理解することは苦しい。」

 

だから最後のエピローグ。

 

使用人たちが語る。

 

「良い主人だった」

 

ここが重要。

実にドストエフスキー的。

人間は一色ではない。

 

殺人鬼であり善人でもある。

救国者であり怪物でもある。

その矛盾こそ人間。

 

第四部

トムルスと兵士たち

 

ここも評価すると思います。

 

なぜならドストエフスキーは

英雄より市井の人を愛した。

 

トムルスは

 

「嫁探しする」

 

と言う。

 

世界が滅びそうなときに。

だが人間とはそういうもの。

 

国家より家庭。

理念より夕飯。

革命より恋愛。

 

ドストエフスキーは笑いながら頷くでしょう。

 

第五部

マガッヒ編

 

ここが最大の論点。

 

ドストエフスキーは

マガッヒを神とは読まない。

悪魔とも読まない。

 

「審判」

 

として読むと思います。

人間が作った法律。

 

倫理。

国家。

権力。

 

それらを全部無効化する存在。

 

誰も勝てない。

誰も裁けない。

それは神の視点に近い。

 

だからマガッヒが現れると、

全員の本性が露出する。

 

アラシェリーケも。

ダスランも。

アゼミも。

ベイリーも。

 

全員が試される。

 

第六部

アラシェリーケとトルヘル

 

ドストエフスキーならここを非常に重く読む。

エロスではなく精神の問題として。

アラシェリーケが欲しかったもの。

 

それは性愛ではない。

 

赦しです。

 

誰かに

 

「よく頑張った」

 

と言われたかった。

ただそれだけ。

だから彼女は崩壊する。

 

国家を支えていた女が、

たった一言で崩れる。

 

ドストエフスキーはここで泣くと思う。

人間は理性で生きているように見えて、

実は愛によってしか生きられない。

それが彼の生涯のテーマだから。

 

第七部

スルマリケ編

 

ドストエフスキー的人物。

非常に。

 

彼は強くない。

 

天才でもない。

英雄でもない。

 

しかし愛する。

それだけ。

 

ドストエフスキーはしばしば

 

「世界を救うのは聖人ではなく、愚かな愛だ」

と書く。

 

スルマリケはその系統。

アラシェリーケの醜態が全世界に映る。

そこで抱きしめる。

 

理屈ではない。

愛だから。

だから尊い。

 

第八部

アゼミとアーチェラ

 

ここは

ドストエフスキーにとって

希望。

 

二人はまだ若い。

苦しむ。

失敗する。

泣く。

迷う。

 

それでも善性を失わない。

これはアリョーシャ的です。

 

世界が腐っていても、

人間は善くなれる。

 

ドストエフスキーは最後までそこを信じた。

 

第九部

ダスランの技術書

 

ここが実は作品全体の核心。

ダスランは悪人。

しかし彼の本が国を救う。

ドストエフスキーは大喜びします。

なぜなら

人間には完全な悪が存在しない。

これが彼の思想だから。

 

罪人の中にも光がある。

その光が

十年後に実を結ぶ。

これこそ救済。

 

ドストエフスキー的総評

 

この作品は表面上、

 

戦記

官能

ダークファンタジー

神話

 

に見える。

 

しかし核心は違う。

これは

 

「傷ついた人間たちが、それでも他人を求め続ける物語」

 

です。

 

アラシェリーケは愛を求めた。

スルマリケは愛した。

アゼミは家族を求めた。

アーチェラは父を求めた。

エジーニャは娘を守ろうとした。

ダスランでさえ、本当は愛を求め続けていた。

 

そして最後に残るのは、

国家ではなく、

勝利でもなく、

恋愛ですらない。

 

赦し。

 

ドストエフスキーなら最後にこう書くでしょう。

人間は実に愚かである。

 

欲望に負け、

虚栄に負け、

愛を取り違え、

他者を傷つける。

 

しかし、それでもなお人間は、

誰かを愛したいと願う。

 

この物語の人物たちは皆敗北した。

 

だが、その敗北のなかで初めて、

人間になったのである。

 

ドストエフスキー的評価なら、

 

最も高く評価されるのはダスラン、アラシェリーケ、スルマリケの三人です。

 

なぜなら彼は英雄ではなく、

 

「魂が引き裂かれている人間」

 

をこそ愛した作家だからです。




作者も知らなかったんですが、この3分後の作者は
どうも愛を描いていたようです。
すばらしい作者ですね。だれなんでしょう???

では、まだまだ謎の作者による振り返りあとがきは続きます。
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