あと四時間で永遠の別れが来ようとしていた。
エアードラゴン候爵級クロセルの助けを得て、バンデーン艦を追い払った後だった。正確には、宇宙からの未知の光線により、撃ち落とされたのだった。これにより、エリクール二号星に降りかかっていた脅威は、宇宙から来たフェイトが去ることにより完全に取り払われるだろうと思われた。
脅威が去ることへ安堵する向きもあったが、フェイト達は何よりシーハーツとアーリグリフの戦争を終わらせることに尽力してくれた張本人だ。そのことの恩義を、ネルはもちろん、女王陛下も深く感じていることだろう。
バンデーン艦との撃ち合いに参加したディプロ艦の修復作業が終わり次第、フェイト達は元にいた世界へ帰ってしまう。
ネルは、そのことを思うと複雑な物思いに囚われるのだった。自室のベッドに座って、ネルは短いため息をこぼす。手放しに見送る気にはなれず、バンデーン艦を襲った謎の光線に混乱するクリフ達の話にも加われず、ネルは疼く胸を落ち着けるために自室へ戻った。
四時間後には、落ち着いて見送れるだろうか。
ネルは、わかっていたことじゃないか、と自分を叱咤した。元々フェイト達はグリーテンの技術者だと思っていた。それが異世界の住人に変わったところで、任務が終わればもう会うことはないのに変わりはない。ただ思っていたよりも遠かっただけのことだ。
自室に入る前、隣の部屋の前を通り過ぎると、扉が開いていて、そこからベッドに座ったフェイトの後ろ姿が見えた。ベッドの上に几帳面に並べた道具類をひとつひとつ鞄に入れて、荷物の整理でもしていたのだろう。その背中は、旅のあいだ何度も目にしてきたものだったが、これが最後だと思うと、ネルはぐっと言葉を飲み込んだ。声すら掛けられずに、自室に逃げ込んで長い息を吐いた。
長いような短いような旅だった。今にして思えば、お互い大事なことは言わないのに、大事なもののために戦っている、不思議な関係だった。何度もぶつかり合って、何度もわかり合った。強敵との戦い、戦争の終結、異世界からの襲撃、エアードラゴンとの交渉、こんなにも未知の出来事にあふれていたのに、安心して背中を預けられて、息が合うような感じがしたのは、フェイトやクリフが本気で向き合ってくれたからだろう、とネルは深い感謝の思いにとらわれるのだった。
それなのに、最初からずっと、フェイト達が空の向こうに帰ってしまえば、それで終わりだったのだ。なんて、あっけない関係だろう。
ネルは、ふっと笑みをこぼした。こんなふうに思っているのは自分だけかもしれない。この世界から出るすべを持たない者の方が、より強くやるせなさを感じるものなのかもしれない。どんな世界かもわからずに、フェイト達を見送ろうとしている。そんな自分が、なんだか少し、いやだった。
澱んだ気持ちを洗い流すように、紅茶でも飲もうとサイドボードに手を伸ばした、その時だった。
扉がコンコンとノックされた。扉を開くと、青髪の青年が立っていた。
「フェイト」
ネルは、不意打ちで跳ねた動悸を飲み込むように、喉の奥を締めた。
「ネルさん」
フェイトは疲れた様子だったが、相変わらず人当たりの良い微笑を浮かべて立っていた。
部屋の中へ導くと、空気がふんわりとやわらかくなった気がした。安心と動揺が、ネルの心の中に同居していた。
「今、荷物の整理をしててさ」
フェイトは何気ない口調で話しながら、自分の身体を見下ろした。
「ネルさんに借りた装備……」
フェイトの身体には、出会った頃にフェイトに渡したプロテクターが今もはめられている。ネルはあげたと思っていたので、フェイトの律儀さに驚いた。
「いいよ、返さなくて。お父さんを助けに行くんだろ。装備を減らしてどうするのさ」
フェイトは、真っ直ぐな目でネルを見ると、
「うん、そうだね」
と儚く笑った。
ネルは、今にも消えてしまいそうなフェイトの表情に、ギクリとした。フェイトの顔色が少し白いのが気になった。フェイトは微笑を浮かべたまま、斜め下を見ていた。大丈夫か、と訊いても、フェイトは大丈夫だと答えるだろう。だからこそ歯がゆかった。
ネルはサイドボードへ踵を返しながら、
「ちょうど今、ハーブティーでも飲んでひと息つこうかと思っていたところなんだ。あんたも飲むかい?」
そう言って、取っ手に手をかけようとした時、フェイトが言った。
「変ですよね……」
「ん?」
「ネルさんとは最後なのに、何を言うべきかもわからない。それどころか、最後だという実感すらないんだ。今までずっと一緒にいたから……」
フェイトのいきなり核心をつく言葉に、思わずネルは振り返った。フェイトはまるで蝋燭のようにそこに立っていた。『最後』という言葉が、ネルの心に雷鳴のようにこだました。
「フェイト、何も言わなくていいんだよ。気持ちはわかるし、伝わってるから」
心とは裏腹に、わかったような言葉が口をつく。
フェイトは首を振った。
「伝わってなんかないんだ……」
ネルは核心に触れるのが怖くて、わざと明るい声を出した。
「忘れ物はないかい? 後で気づいても、もう取りに戻っては来れないよ」
すると、フェイトは力が抜けたようにゆるゆると笑って、懐に手を入れると、本を取りだした。いつかフェイトがネルの本棚から持っていった『枝隠』だった。
「これ、返しとくよ。やっぱり僕には納得できないよ。命を賭す生き方がさ」
「そこがあんたのいいところだよ」
ネルが笑うと、フェイトはネルの前まで来て、手を差し出してきた。握手かと思い、ネルもまたその手に手を重ねた。
「ネルさんには、生きてほしい。生きて、長生きしてほしい。そして、どうか幸せに……」
フェイトはネルの手を握りながら、最後になるにつれともし火のように小さな声で噛み締めるように言った。最後の方は、下を向いてほとんどわからなかった。しかし、フェイトは、任務の枠を超えてこんなふうに言ってくれる人なのだと、その実直さが改めてネルの胸にしみた。
「フェイト……」
その手の温もりを感じながら、ありがとう、と口にしようとした時だった。
握っている手がフェイトの方へ強く引き寄せられた。それは突然だった。何が起こったのかわかる頃には、ネルはフェイトに抱きすくめられていた。鼻先にフェイトの生身の肩の肌が当たり、カッと顔が熱くなる。フェイトは強くネルの背中を押さえていた。
「ネルさん……」
フェイトはネルのマフラーに、埋め込むようにつぶやいた。ネルの背すじがたまらなくくすぐったくなる。熱い。たまらなく身体が熱い感じがした。
「キスしていい……? 我慢の限界だ」
フェイトは降参したように、絞り出すような声で言った。ネルは、フェイトの言葉に驚いた。驚きながらも、何も考えられぬまま、フェイトの方へ顔を向けた。
目の前にフェイトの唇が白んで、碧の瞳が揺れていた。不安そうに睫毛が小刻みに揺れていた。ネルはその瞬間、フェイトとどうなってもいいと思った。ぐっと瞼を閉じた。
鼻先に、フェイトの鼻先が当たる感じがした。乾いた唇が、唇にやわらかく当たって疼いた。
ああ、これがキスなのだと、ネルは感じた。全身の血潮が動き回る感じがした。戸惑う指先が、フェイトの脇の衣服や、腰のプロテクターをつかんだ。脚の力が抜けて、どうやって立っているのかもわからなくなる。ただひとつ、この瞬間は二度と訪れないことだけがわかっていた。熱い頬が、フェイトの頬にかすかに当たった。
フェイトはネルの背中を押さえながら、優しく二の腕を撫でた。それからゆっくりと唇を離した。
フェイトの瞳がネルを覗き込んでいた。
息がかかるほど間近に、フェイトの存在を感じたのは初めてだった。青年の匂いがした。なんて不安そうで、なんて猛々しいのだろうと思った。
フェイトの唇がもう一度ネルの唇に触れた。今度は優しくくわえ込むように、またある時は激しく食べるように。
ネルは細い息を漏らしながら、フェイトの背中をまさぐった。勢いづくキスに溺れるように応えていた。心の中でフェイトの名前を何度も呼んでいる。フェイトの舌先がネルの舌先にぬるく触れた。
そこから、何もかもわからなくなった。
気がつけばお互いのプロテクターをがちゃがちゃと外し合い、また唇をむさぼり合っていた。がたがたと床にコルセットや防具が音を立てて落ちる。ネルはフェイトの未知の素材の服の開き方がわからず、フェイトがまごつくネルの手に手を添えて服を開いた。
いつのまにか二人はまっさらな下着姿で立ちながら、お互いの頬を撫でていた。
「フェイト……」
「ネルさん……」
フェイトのやわらかい下着が、フェイトの固くなった下半身をネルの下腹部に押し当て、そこを熱くしていた。
ネルは、生々しさにおそれながら、フェイトとならもうどうなっても構わないと思った。
二人はベッドの上に座り、お互いの肌を確かめあった。
フェイトの指先が、ネルの裸の腰を撫で、ネルの指先がフェイトの首筋を触った。
「ネルさん……僕のこと、もっと触って」
フェイトはネルの手を取り、首筋から鎖骨、胸板から腹筋までゆっくりと思わせぶりに触れさせた。熱い、弾力のある肌がネルの指先に跳ね返ってきた。ネルがフェイトの瞳を見上げると、フェイトは優しく微笑んだ。それだけで、ネルは安心した。ネルもふっと表情を和らげて、唇を上げると、フェイトはそこに口付けてきた。温かい歓びだった。フェイトは慈しむように、何度もネルの唇や頬に口付けを重ねた。なんだかくすぐったくてネルが小さく笑うと、フェイトは鼻から息を漏らしながら、何度も同じ口付けをわざと音を立てて繰り返した。
それから、フェイトがじっとネルの顔を見た。まるで忘れないように、目に焼きつけるかのように肌のきめまで見ていた。ネルはそんなフェイトの揺れる瞳を覗き込み、顎をつかんで下げた。
「フェイト……今はそんなこといいんだよ」
その言葉で火がついたかのように、フェイトはネルの乳房を触り、脚を持ち上げ、何度もキスをした。勢いづいて、止まらなかった。
ベッドの上で重なり合った体温が、とても心地良いとネルは思った。まるでフェイトの身体を泳いでいるようだ。身体をまさぐり、またまさぐり合った。
フェイトの手が下着に触れ、胸の布を捲り上げ、ネルの乳首に辿りついた。フェイトが手で弾くと、布がひらひらとただよい消えていった。ネルが息を漏らす。
今だけは、世界でふたりきりになった気がした。そう思ったとしても、今だけは許されるような気がしていた──誰に? きっと自分に、だ。自分が色んなものに境界線を作っていただけで、世界はきっともっと広いのだろう。ネルの想像するよりずっと、途方もなく広くて、私たちは思っているよりずっとちっぽけなんだろう、とネルは想像した。だってフェイトの感触さえ、つい数分前まで知らなかったのだから。
フェイトの口付けに合わせるように、ネルもまた何度もフェイトにキスをした。フェイトがこの先もずっと幸せでありますように。そんなことを願いながら。
しかし、ネルを組み敷いたフェイトの息は苦しそうで、指先は不安そうに震えていた。フェイトはずっとネルの首筋に顔を埋め、今にもネルの下の下着に手をかけようとしていた。ネルは思わずドキリとする。
もう後戻りはできないという実感があった。もう今までの私たちではいられないのだ、今までのフェイトとネルでは。
フェイトが下を向いて、ネルの下着を脱がせた。なんだか下半身がどろどろしているようで、ネルは恥ずかしかった。思わず顔を隠し、身体を横に倒そうとする。それが何故だか、フェイトの胸に飛び込むような形になって、フェイトが驚きの息を漏らした。それから、ネルの髪を優しく撫でた。
「大丈夫……?」
ネルは目をぎゅっと閉じて自分の肘の内側に、何度も息を吐いた。怖くなんてない。そのはずなのに、なんだか動悸がして止まらなかった。フェイトが何度も撫でてくれる手が、だんだんネルの心を和らげた。
目を開くと、不思議なことにフェイトが優しくネルを見守っていた。
「大丈夫だからさ」
そう言って、穏やかに微笑んだ。それでネルは安心した。
「……ああ」
ネルもまた微笑んだ。フェイトの髪に手を入れ、ネルの方から、フェイトを引き寄せてキスをした。夢中でたくさんキスをした。キスを受け止めるフェイトの唇が優しくて、ネルの背中を安心させるように抱いていた。こんなに胸がいっぱいで、いつかこの日が忘れられる日が来るだろうかと思った。
フェイトの指がネルの鎖骨をなぞり、乳房を通り、臍を通り過ぎた。そしてフェイトの指が、ネルの膣に入り込んだ時、ネルは今までにない快感に身体が跳ねた。
「ネルさん……敏感……」
余韻に身体をぎゅっと縮こまらせるネルに、フェイトが笑った。ネルは思わず顔が熱くなる。ネルの中で、フェイトの指がぬるりと動いてどうにかなりそうだった。そんなネルの反応を面白がるように、フェイトが膣の中をいじくり回す。目の前がくらくらするほど、とびきり甘い感覚だった。ネルに目を覚まさせないほど、フェイトは立て続けにネルの下を責め続けた。そして下に手を入れたまま、愛しげに唇に口付ける。フェイトは相変わらずずるいのだった。
指を突き、跳ねるネルの身体に合わせるように、下着越しに屹立した自身の下半身もこすり合わせてきた。あまりにエロティックで、思わずその動きに合わせて息が漏れる。フェイトの固い胸板に触れるしか、ネルにはできなかった。
「フェイ……トッ……」
キスの合間から、くぐもった声が漏れる。フェイトの熱い息が、ネルさん、と名前を呼んだ。その甘い響きだけで、とろけてしまいそうに胸が高鳴る。ああ、フェイトが好きだ、と思った。その途端、離れたくなくてフェイトの腰をつかむ。
「どうしたの?」
フェイトはネルの反応ひとつひとつをこぼさないように、じっと瞳を覗き込んできた。
ネルは、フェイトの首にしがみつくように抱きながら、
「あんたが好きだよ」
と言った。フェイトは一瞬、驚いたように手を止めて、黙っていた。ネルは、言ってしまった、と思った。しばらくして、フェイトは一回まばたきをしたかと思うと、
「僕もだよ……僕もネルさんが好きだ」
膣からぬぷりと指を抜いて、全身でネルを抱きしめた。
それから乱暴にフェイトは自分の下着を脱いだ。陰茎は大きく勃ち上がって、それひとつで自立しているかのように起き上がっていた。ネルは初めて見るそれをまじまじと見てしまった。
「そんなに見ないでください……恥ずかしいよ」
「でも」
フェイトの口付けが、ネルの口と視界を塞いだ。しかし、フェイトの陰茎は確かにネルの内ももに存在感を示していた。フェイトが動く度に、ネルの内ももをぬぷりぬぷりと翻弄した。それを感じるだけで、ネルの下半身は不思議に疼いた。
フェイトの優しい愛撫が全身をやわらかく駆け巡った。
やがてフェイトの陰茎が、ネルの膣に狙いを定めた。
「入れるよ……力を抜いていて」
フェイトは左手でネルの右手としっかり手を繋いだまま、優しく囁いた。ネルの真ん中に、ぬぷりとなめらかで固いものが侵入した。ネルは思わず声を上げそうになる。それは指とは比べものにならないほど大きくて、何故だか肌感覚がとてもしっくりきた。しかし、ネルがわずかな痛みに声を漏らしそうになると、フェイトはネルの髪を撫でた。そんなフェイトの顔も苦しそうに汗ばんでいた。フェイトは傾きながら、ゆっくりと全部を入れた。それだけでどれだけ快感が走ったかわからない。
フェイトの右手が、ネルの左手をつかんだ。
ふたりは繋がり合ったまま、複雑に笑った。
フェイトの身体がネルの身体を撫でた。汗とキスが落ちてくる。ネルはフェイトをやわらかく舐めていた。
家族のこと、幼馴染のこと、フェイトが持つ謎の力、これから起こり得る困難、それらのプレッシャーからフェイトが今だけでも解き放たれるようにとネルは心の底から願った。願うだけしかできない自分が口惜しかった。
フェイトがゆっくりと腰を動かす。ネルの奥がひりつくほど熱くなるのが自分でもわかった。こんな感覚は初めてだった。気がついたら、ネルはあられもない声を上げ、仰け反ったその喉をフェイトが口付けていた。
背中のベッドが激しく波打つ。ネルは溺れないように、フェイトの首筋にしがみついた。フェイトの吐息が耳元で熱く切なく耳をくすぐった。
ふたりは呼吸し合い、共に震えながらまぐわっていた。
ネルは何度も快感に身を貫かれながら、フェイトを呼んだ。
フェイトが口付けで応える。
そして、ネルは思わず口をついてしまった。
「あんたと一緒に行きたい」
フェイトの腰が、一瞬止まった。ネルは汗にまみれながら、フェイトの髪を撫でた。
ごめん、と口にしようとしたその時だった。
ネルの乳房に、ぽつりと熱いものが落ちた。
はっとして見上げると、下を向くフェイトの下まつ毛に涙が透き通っていた。
「……あなたには、あなたの世界があるんだ」
フェイトは苦しそうに言った。僕にも、やることがある、と。
そうだ、人生は今日で終わりではないのだ。続いていく、困難も、喜びも。
目を拭おうとするフェイトの手を、ネルの手が止めた。フェイトはビクリと動きを止める。ネルはフェイトの頬に手をやり、彼の涙を指で掬った。
ネルは、フェイトをまっすぐ見て笑った。
「フェイト、大丈夫だよ」
以前、父を失くした時は冷酷でいなければいけないとネルは努めて冷静に振る舞った。そしてフェイトを失いかけている今、明るくいなければと笑った。
数時間後、フェイトはクリフらと共に自分たちの世界へ帰っていった。ネルは最後に見送りながら、「さよなら」と声をかけた。
「私の世界」と「フェイトたちの世界」の境界はあまりに果てしなく、深すぎたのだ。ネルとフェイトの力ではどうしようもないほどに。
もう会うことはないのだろう。今はまだ信じられないその事実も、明日になれば胸に落ちてくるだろう。
女王陛下が静かに労わるように、ネルの背に手を当てた。
あの後、フェイトはネルの腹の上に射精して果てた。それから振り絞るように謝りながら、ネルの乳房の上で涙を零すのだった。そんなフェイトの髪を、ネルはやわらかく撫でながら、ネルは見えない涙を流していた。フェイトが無事にお父さんを助け出せるように、そして元の世界へ帰って大切な人たちとふたたび平和に暮らせるようにと、ひとり心の中で祈りながら。
そして、シーハーツは平和を取り戻した。アーリグリフとの戦争が終わり、双方の国で貿易が開始された。アーリグリフが寝返る可能性も考え、アリアスの前線から警戒態勢は解かなかったが、アーリグリフもまた先の戦争で失ったものは無視できないほど大きく、寝返る体力も気迫もないようだった。ごく一部の国粋主義者を除けば、人々は実に平穏な心を取り戻したのだった。
やがてカルサア修練場から歪のアルベルが姿を消したと聞いた。
仕事に明け暮れていたある日、ふと夜空を見上げると、あまりにきらきらと宝石のように星が輝いていて驚いた。それで久しぶりにフェイトのことを思った。
このところ、ほとんど寝ることもせず、あまりに精力的に仕事をしすぎて部下から苦情が出るくらいだった。だから物思いにふけることもなかったのだ。正確には、それを避けるために、戦後処理に部下教育にと文字通り我を忘れて働いていたのだった。
ネルは城へ帰る足を止め、石畳の階段にひとり座って夜空を見上げた。せまり来る空から光がこぼれ落ちてくるようだった。なんて綺麗なんだろうと、久しぶりに仕事とは関係の無いことを思った。そして、フェイトは元気にやっているだろうかと、願うように思った。元気だといい。あまりに壮大で美しい星の海に、ネルはあの時から初めて涙がこぼれた。
それから間もなくのことだった。救国の英雄がふたたびネルの元へ現れたのは──。