その短い戦いの記憶。
※エロの欠片も無いです。
※賢者モード向け
※読まなくても特に本編に影響はないので、エロ目的の方は飛ばしても大丈夫です。
『―――こちら通信チーム。そろそろ禁忌区だ。突入準備をしろ』
「......」
『―――返答しろ、ブレイド1』
風音も無い静かな昏い夜。
駆ける音がしない骨ばった恐ろし気な馬に乗り、魔術による通信を聴き流しているのは黒い髪の女だ。
ブレイド1と呼ばれた彼女は、再度の呼びかけにため息をつき、気怠そうな返答をする。
「定型ご苦労様。もう切るわ」
『おい! 貴様勝手な―――』
自身に纏わりつく通信用の人造精霊を振り払い、馬の上でのけぞり、思い切り伸びをする。
揺れる馬上で、手綱を握ってもいないブレイド1は、それでもまるで落ちる気配は無く、当人もそんな心配などせずにただぼんやりと夜空を見上げた。
「......あなたのせいで、星が見えないわ」
「―――勝手に入ってきたのはそちらじゃろう。人間」
直後、夜空の天蓋が爆ぜた。
凄まじい燐光を放つ魔力を撒き散らしながら、上空から『ソレ』が牙を剥く。落下速度に加速の魔術、さらに異形の翼による強烈な羽ばたきを上乗せした、文字通りの超音速の一撃。
摩擦熱で赤黒く燃え上がる大気。空間すら歪ませるほどの破壊の質量が、流星となってブレイド1の脳天へ突き刺さる―――その刹那。
ブレイド1は視線すら向けず、虚空から引き抜いた黒い剣をただ斜め上方へと掲げた。
―――キィィィィィン!!!
鼓膜を鋭く刺す金属音が夜の静寂をなぎ倒す。
激突の風圧だけで、ブレイド1の周囲の地面が同心円状に爆ぜ、土煙が激しく吹き飛んだ。しかし、彼女自身は馬の上でのけぞった姿勢のまま、ミリ単位すら動いていない。
ソレは、長い爪を持った捻じれた角と、歪んだ翼と、槍のような尾を持つ悪魔だった。禁忌区と呼ばれる危険な不可侵領域に巣食う、古の魔王が一人。夜の女王。
「――鬱陶しいわね」
驚愕に目を見開く夜の女王に対し、ブレイド1は手首のスナップだけで、軽く黒剣を払う。
虫でも払うかのようなその一撃に、超音速の運動エネルギーがそっくりそのまま反転した。あまりの衝撃に、女王は自身の翼がへし折れる錯覚すら覚えながら、空中へと強制的に弾き飛ばされる。
不格好に錐揉み回転しながら、翼を狂ったように羽ばたかせて急制動をかけ、どうにか空中へと退避した。
「......何者じゃ?」
「今はブレイド1って呼ばれてる。根無し草の元貴族よ」
「ふん......人間共はとうに妾の排除など諦めたと思っておったが......」
「そっちがこんな大きな支配領域を展開してるのが悪いんじゃない? 私はどうでも良かったんだけど」
「そうじゃろうなぁ、妾の前でそんな適当な態度をとったのは人間も魔物もひっくるめておぬしが初めてよ」
夜の女王とブレイド1は、夜空の下、互いに目線を交錯させ、次の瞬間、夜の女王が再び仕掛ける。
女王の背後に、うねるような漆黒の魔力が噴出した。
空間を焼き切るようにして展開されるは、十を超える巨大な幾何学模様の魔術陣。奔流となって溢れ出たのは、夜空を埋め尽くさんばかりの無数の流星だ。
一つ一つが並みの人間の戦士を消し飛ばし、大地を抉り、クレーターを穿つほどの質量と熱量。それが光の豪雨となってブレイド1へ殺到する。恐ろしいまでに制御され、恐ろしいほどに魔力が凝縮されたそれを無数に放つ必殺の豪雨は、人類の到達し得ない神の御業そのものだった。
手数押し、そんな言葉で片付けていいわけもない、世界を滅ぼす破壊の濁流――
しかし、ブレイド1は手綱から手を離したまま、ただ無造作に黒剣を横一文字に払った。
「――せいぜい、打ち上げ花火ね」
空間そのものを切り裂くような鋭い金属音が一度だけ響く。
次の瞬間、迫り来ていた流星の豪雨は、ブレイド1の剣の軌跡に沿って完璧な直線で両断された。真っ二つに割れた光の弾丸は、熱を失ってただの霧散する魔力へと還り、その衝撃波の余波だけで、発動元であった十の魔術陣がガラスのように粉砕されていく。
馬鹿げた力の差、それを嫌でも感じる夜の女王は、それでも死を受け入れるなど出来るはずもなく、顔を僅かに歪めながら流星を囮に詠唱していた大魔術を行使する。
分かっていたのだ、この敵に、街1つ滅ぼす魔術が牽制にもならない事を。だが、剣の一振りをさせる隙は作れた。ならば、その隙に出し惜しみなく殺意をぶつけるしかない。
「『ナイトフォール』――!」
夜空が墜ちてきた。
人類がそう表現するしかなかった理外の神秘。星々の光がすべて掻き消え、どこまでも深く遠い黒き天蓋が、重力そのものとなって頭上から圧し潰してくる。大気が悲鳴を上げて圧縮され、逃げ場のない漆黒の海が、あらゆる存在を分子レベルまで押し潰さんと猛り狂う。
―――しかし、そんな終末の光景を前にしても、ブレイド1の表情はぴくりとも動かない。
「凄く強い水圧をかけながら、同時に塔ぐらいのサイズを持ったハンマーで頭上から叩いてくる攻撃って感じね。アイデアは悪くないわ」
「こんの......っ! どうなっとんじゃおぬしは……っ!!」
驚愕に目を見開く女王の前で、ブレイド1は剣を持っていない左手を、退屈そうに頭上へ掲げた。
ズン、と衝撃波が走る。
落ちてきた夜を、彼女はただの片手で受け止めたのだ。
その全身はねっとりとした夜空の闇に呑まれ、絶え間なく全方向から数万トンもの圧殺のチカラが加わっている。にも関わらず、彼女は結界などの防御魔術すら展開していない。ただ肉体が頑丈だからというだけの理由で、涼しい顔をして耐え切っているのだ。
ギチギチと音を立て、彼女の乗っていた骨の馬が、主への圧力の余波だけで瞬時に粉々に圧壊する。しかし、元々生きていなかった人形だ、ブレイド1の眉ひとつ動かない。
馬の残骸が砂となって崩れ落ちる中、すっ立っている黒髪の女は、再び黒剣を無造作に振り上げた。
音は無い。まるでただの薄い布でも引き裂くように、彼女は空間ごと『ナイトフォール』を縦に一閃、切り裂いた。
割れた闇の隙間から、再び静かな星空が顔をのぞかせる。
世界を震撼させ、この数百年、誰も自身に手出しをしなくなった元凶たる秘術。それを、虫でも払うように破壊した人間のようなナニカを見て、夜の女王の額から、タラリと冷や汗が伝い落ちた。
「分類上は人間よ。まぁ、でも、そうね。身体を改良したのよ、魔術で何度も。貴方達魔物を参考にしたわ」
「我らに対抗するためか!」
「――いいえ」
ブレイド1は、ふわりと微笑む。
自分の好きなものを語る、そんな笑み。
場違いなそれを見ながら、斬り裂かれ、維持できなくなったナイトフォールを解き、一体何を言うのかとこの化け物を見る女王は、密かに次の準備をする。
ブレイド1はそれに気づきながらも、特に妨害はしない。元々押し付けられた任務に興味も無ければ、従う意志も無く、夜の女王に恨みも無い。
「勝っている私が好きなの」
「勝っている......?」
「生まれつき天才で、才能だけで何でも出来たわ。でも、ある日、妹が私に傷をつけたの。ただの努力で―――妹を家族として愛していたけれど、それはそれ。私は自分が誰かに触れられる次元にいるのが許せなかった。私は誰より凄くて、誰より強いの。常に私こそが勝利であって、私こそが優れていて、競うとか、勝つか負けるか分からないとか、そういう段階にはいたくないの」
「それで肉体を改造した......じゃと?」
「肉体以外にも色々。改造の試行錯誤は大変だったし、嫌いな努力だったけれど、久々に頭を使って満足感もあったのは認めるわ。まぁ、だから、実際のところ肉体は人間じゃないといえばそうかもしれないわね」
狂っている。
プライドだ、この女が神とさえ呼ばれた夜の女王を足蹴に出来る実力を持っているのが、ただの生まれつきの才能と、それに護られた優越感を保つための、プライドを守るためだけの感情で成り立っている。
理解が出来ない化け物を前に、夜の女王は世界を滅ぼしかねない魔術の行使を決めた。本気で撃つかは迷っていたが、これは、ここでどうにかしなければ、自分と自分の愛すべき眷属たちは皆殺しにされると思ったからだ。
「絶対の悪夢をここに、妾の描いた深き夜に―――」
「現実改変? 被害がここで収まらないのは流石に困るわ」
読まれた。引き起こす現象を、魔術の起こり、発動のキーワードとなる最後の文言の時点で。
ブレイド1は、白く細い一指し指をすっと立て、空中にさらさらと透明な文字列を描く。それは魔術陣すら必要としない、極限まで簡略化された儀式。
発動される魔術は―――夜の女王の深遠な慧眼を以てしても、構造すら読み取れない未知の何か。
「――世界よ沈め! 『ワールド・イン・ザ・ナイトメア』!!」
女王が叫び、全魔力を解き放つ。
本来ならば、世界はその輪郭を失い、すべてが女王の妄想した悪夢へと書き換えられるはずだった。
――しかし。
何も、起こらない。
ドクン、と女王の心臓が不快な音を立てる。
自身の体内から、世界を滅ぼせるほどの莫大な魔力だけがごっそりと抜け落ちた感覚はある。魔術のシステムは確かに発動を告げている。それなのに、夜風は静かに吹き、星は輝き、目の前の女は退屈そうに佇んでいる。
現実が、びくともしないのだ。世界が完全に『固定』されている。
それを感じ、それを理解し、女王の心に去来したのは冷たい感覚。己の全存在を否定されたかのような、圧倒的な虚無。死の恐怖―――以上の、群れが潰える絶望。
女王の眼が、隠れ潜む妹分たちを視て、その未来を予想し、その表情が絶望へと塗り潰されていく。歪んでいく女王の表情のすべてを、ブレイド1は観察するように見つめていた。
「アナタを相手にする事が分かっていたし、そういうチカラを持っているのは想像が出来たから。現実を固定する手段を考えておいたのよ。名前は付けてないけど......」
事も無さげに言う女に、女王は戦慄したまま地へ堕ち、膝をつく。
もはや抵抗する気も起きない。彼我の差は、赤子と大人より開いていた。
「それ、多分イメージを具現化するっていう魔術の原点そのものを世界に被せて自由に現実を描くのよね。戦いのときに相手を斃す為にしか使わないってことは術自体はそう自由なわけじゃないんでしょうけど」
「......つくづく......化け物が......」
「あなたレベルに言われると優越感がくすぐられるわね。ありがとう、久しく感じてなかったわ」
そう言いながら、ブレイド1は剣を納めて馬の残骸を魔術でかき集めてしていく。
女王が呆然と見ている前で馬を再構築したブレイド1は、それに跨り、膝をついたままの女王を見下ろした。
「森があったでしょ。この大地の端っこの方に。あそこでいいんじゃない?」
「な、何がじゃ......?」
「潜伏場所よ。まぁ流石にある程度封印はさせてもらうけど、さっきも言ったけど私はあなたに恨みは無いし、あなたって色々言われてるけど迎撃しかしてないじゃない? 穏健派って生きてていいと思うのよね」
そう言い、女王へ魔術を行使するブレイド1。女王は自身の魔力や、存在に複数の封印がかけられたことを感じたが、それは決して死ぬようなものではなく、世界を滅ぼす程に溢れていた力は失っても、なお魔物として、生物としては頂点の一角であろうものだった。
「み、見逃すと」
「興味ないのよ。今の雇い主は偉そうで気に入らないし、貴女がここから消えれば私はお金を貰えるから、これでまたしばらく隠居するわ」
そんな事を言って、ブレイド1は去っていく。
女の余りにあっさりした撤退と、簡素な幕切れに、女王はしばらく動けなかった。
―――肩を抱かれ、忘れていた呼吸が戻って来る。咽ながら、女王はいつの間にか横に来ていた眷属の一人に目を向けた。
「......姉様。封印をかけられましたね」
「こんなもの、封印とは呼べぬ。あの化け物女、相当な情けをかけていきおった......森へ行くぞ」
「森......ですか」
きょとんとする眷属に、女王は頷く。
「あの女が言っていたんじゃ。奴を信じて、そこで―――そうじゃな、妾も隠居しつつ農家でもやってみるか」
「私たちの食糧事情を考えたら家畜を飼う方が良さそうですね」
「その家畜のために農業も必要じゃろ......拾った命、無駄には出来ぬ。まぁ、なんというか、運が良かったの。妾が領土を広げる事には興味が無かったのがこんなところで......いや、とりあえず、皆を集めよ。色々話すのは逃げ切ってからじゃ。あの女は来なくとも、人類軍に補足されれば襲われるからな」
――こうして、夜の女王とその眷属は、ある田舎国の辺境、その近くにある深い森の奥へと隠れ潜み、見つけた村を囲み、育て、家畜として飼いながら生きることになる。
ブレイド1が、その傲慢さ故に女王の本質を見なかったために起きた村1つ分だけの悲劇。
それを彼女が知ることは無かったし、知ってもやはり、どうもしなかっただろう。
ただ、このブレイド1という圧倒的チカラの象徴に、魔に生きるモノとして心のどこかで憧れた夜の女王は、人間の改良、ブレイド1のような存在を生み出し、やがては自分たちが至るというのを一つの目標にした。
その結果、夢を現実にする女王の無意識が、未来に彼女の面影がある特異な少年を生む事になるが―――それはまだ、遥か未来のお話。