誰もが都合のいい奇跡を懐に抱え、命をゲームのように弄ぶカオスの時代。
これは、そんな理不尽な世界に抗いもせず、ただセーフティネットの網に引っかかって生きていければいいと願う17歳の少女・香川零が、ある創立記念日の夜に目撃した、あまりにも苛烈で、あまりにも痛く悲しい「因果応報」の記録である。
『つよつよ那智先生』
「AIによるシンギュラリティが巻き起こった21世紀末、日本の巨大企業は、欧米や中華企業からの遅れを取り戻すために、『アマテラス』という計画を進めていた」
つらつらと黒板に現代社会の内容を那智先生は板書している。
「計画の要、AIアマテラスの目的はAIによる神の創造。国家予算の30%という途方もない予算をもとに、国民全体の幸福と願望を叶える万能機となるはずだった」
その授業を聞く生徒はまばらで、多くの生徒が情報端末で対話型AIと討論したり、動画サイトでインフルエンサーの動画を見ていた。
「万能機アマテラスは2195年に開発が完了し、翌2196年から運用が開始された。しかしこの計画の最大の失敗は、アマテラスの開発がうまくいき過ぎたことだった。アマテラスは文字通りどんな願いも叶えた。お金持ちになりたい。病気が治りますように。アイドルになりたい。人を殺したい」
那智先生は半ばあきらめた様子で長々と説明を続ける。
「皆がお金持ちになったらどうなる? どうなると思う、零?」
先生が私を当てた。
「はぁ? きも」
「そんなこと言わないでおくれヨ……」
100貫デブと揶揄される那智先生は、3K(キモイ、臭い、汚い)でみんなの笑いもの。 「ハイパーインフレで日本円の価値は暴落、米50キロとポルシェが同価値になった。ガンがなくなれば老人の平均寿命は延びて、超高齢社会。元気いっぱいな認知症患者があふれかえり、介護・医療インフラは破綻した」
ふーん、としか思わない。今の学生は誰も未来に期待しちゃいない。セーフティネットの網に引っかかればいい、そう私は思うのだ。17のわたしに明るい未来なんてない。
「人を殺したい。この世界を良くしたい。空を飛びたい。誰もが一度は思う願い事、全て叶えたらどうなる?」
「望めば好きな能力が手に入る。そうなればその先にあるのはカオスだ。日本は開国以来の大規模内戦に突入した。小学校、幼稚園で無差別殺人事件が多発。憎悪した被害者遺族による果てしない報復。自警団による私刑の横行。誰もが願った」
那智先生のその話を聞いた瞬間、教室中の空気がピリついた。唇を噛む生徒、貧乏ゆすりが激しい子、キッと那智先生を睨んだ子もいる。那智先生は我関せずと授業を続けた。
「『家族を生き返らせてくれ』遺族はそう願った。しかしアマテラスはまだ万能ではない。殺したい願いと生き返らせたい願い、同時に叶えるのは不可能だ。だから叶えるのが簡単な、殺したい願いを優先した」
教室の空気は重々しく、皆がやり場のない怒りを先生に向けている──そんな気がする。明らかに授業の内容に怒ってる、そんな感じだ。おかしいな。これ、私たちが生まれる前の話なのに。
「生き返らせたい願いは、幻覚や集団催眠でごまかした。アマテラスのキルスイッチが押されるまでの半年、日本では1000万人の死者が出たという。日本は国連から失敗国家の烙印を押された。そして日本政府は、限られたリソースで社会復興を一刻も早く進めるために、能力者を管理する仕組みと、教育改革を推し推めた。そうやって設立されたのが、全国各都道府県に設置された『日本倫理一貫教育院』略して日倫(にちりん)というわけだ」
長々と板書を書き終えて、那智先生は疲れたように言った。
「聞いてるか〜、テストに出るぞ〜、せめてノート取ってくれよ……だるかったらカメラで撮ってAIに要約させていいからさ」
小太りのメガネをかけた社会科教師、那智吉郎はため息をつく。それを聞いた生徒たちはどっと笑いだす。
「なに? 何がおかしい。俺はいじられキャラか?」
ああよかった、いつもの那智先生、いつもの教室だ。チャイムが鳴り授業が終わる。
「お、時間だな。日直、挨拶を」
「起立、礼、ありがとうございました」
「はい、すぐホームルームだからな」
みながあわただしく帰り支度を始める。
私の名前は香川零、17歳、いわゆるγ(ガンマ)世代の高校生。アマテラスのおかげで一度は日本が崩壊した。でも人間社会は変わらなかった。人がいて社会がある限り、人の営みは変わらない──そう那智先生やお父さんは言った。だからそういうものなんだろう。知らんけど。
ふと教室を見渡す。このクラスには変わった名前の子が多い。私が気になっているのは、古武道部の部長を務める真田信繁くん、同じく副部長を務める可児才蔵くん。隣の席には弓道部主将の板額和泉ちゃん。さっき号令をかけたのはクラス委員長の巴静香ちゃんだ。隣のクラスの射撃部の部長なんて、雑賀孫一って名前らしい。
聞いた話によると、この地方では鎌倉や戦国の武士の名前をそのまま子供に付けるんだとか。
「よーし、帰りの会を始めるぞ。といっても確認事項が一つだけ。明日は創立記念日で休みだ。だから間違って学校来るなよ。特に零、前みたいに誰もいない教室に来ないように」
那智先生のそんな気の抜けた声。
「はーい」
私は返事をする。
「では委員長、号令を」
「起立! れい! ありがとうございました!!」
巴委員長、えらく気合が入ってるな。皆、那智先生をまっすぐ見つめ、那智先生もうん、と頷いた。
「なにこれ?」
『不破のお不動祭り』
翌朝、今日は休みだから、10時まで爆睡こいていた私は、母親にたたき起こされえる。
「零!創立記念日なんて嘘じゃない。学校行きなさい」
「え?今日は学校休みだよ、お母さん」
「嘘よ、隣の可児くん、今日は文化祭だって言って、すごい荷物しょってたわよ」
「あんた、なんで黙ってたの」
母親と昼食をとりながら、何のことかさっぱりな。話を聞く。
「文化祭?」
「不破のお不動祭り(おふどうまつり)って言うんですって。なんでも、武者の格好をしてみんなで元服するんだって。お不動さんに願掛けするらしいわよ。子供たちだけのお祭りで、大人は禁足なんだって。せっかくだからあんたも行ってきなさい。写真とかちゃんと撮ってきなさいよ」
「ふーん、面白そう。行ってみようかな」
不破のお不動祭り。それが何のためか──すべては、大人になることができず、非業の死を遂げていった「子供たち」のため。
不破市の小中学校である日、悲劇は起こった。「能力者」による無差別大量殺人である。戦後最悪と言われた悲劇で、生き残った生徒はわずか30人。多くの子供たちが、身勝手な大人たちの破滅的自慰行為のために、無残にも殺されていった。
「那智喜朗特銀級(とくぎんきゅう)執行官」
それが彼の本当の肩書だ。アマテラスの特権を使い、法令に違反した能力者を徹底的に追い詰め、懲罰し、天誅を下す。不退転の覚悟で地獄の業火を進み続けるその姿から、裏社会では「不破の鬼ムカデ」の異名で恐れられている。
そんな彼が一年に一度、この地域で執り行う壮大な慰霊祭。それこそが「不破のお不動祭り」である。
日蓮宗の僧侶「大日法師(だいにちほうし)」として、アマテラスの特権を使い、この不破市に「幻の高校」を顕現させる。護摩を焚き、ひたすらに法華経を唱え、アマテラスの力で不動明王を現世に顕現させるのだ。
非業の死を遂げた子供たちは、皆が18の元服を迎え、猛き者の格好をし、不動明王に導かれて六道輪廻に旅立つ。
「来世では強く、たくましく、幸せになれますように」
それが、残された大人たちの祈りだった。
確かにこんなものはまやかしだ。だが、そのまやかしが、この地域の人々の心を救っているのもまた、紛れもない事実なのだ。
『巴、板額御前』
零が学校に着くと、校門には見事な大鳥居が建っていた。
「すごい、本当にお祭りなんだ」
「零! なんで来ちゃったの!! 今日は来ない約束でしょ!」
大鳥居の前で薙刀を携えていた巴が、驚愕の声を上げた。見ると、彼女は目の覚めるような鮮やかな朱色の糸で緻密に編み込まれた「赤糸威大鎧(あかいとおどしのおおよろい)」を身に纏っていた。
「巴ちゃんすごい、かっこいい! これ本物? なわけないよね」
「帰りなさい!!!」
浮かれる零に反して、巴はひどく怒気を含んだ声を絞り出す。
「え……?」
「まあまあ巴ちゃん、来ちゃったものは仕様がない。大日様のところに連れて行けばいいでしょう」
脇にいた板額和泉が、二人を宥めるようにやって来た。彼女もまた、見事な藍色と黄金のコントラストを描く「小桜韋黄返威(こざくらがわきがえしおどし)」に身を包んでいる。それはまるで、美しく咲く杜若(かきつばた)の花のように可憐だった。その左手には、自身の身の丈を大きく超える漆黒の長弓が泰然と携えられていた。
「千姫や~」
「はい。こちらに」
「わぁ、千姫ちゃんキレイ!」
二人の脇から現れた後輩の千姫は、まるで時代劇に出てくる美しき姫そのものだった。動きにくそうなほどに幾重にも錦織を重ね着し、艶やかな黒髪を下げ髪として結い、歩きづらそうな浅沓(あさぐつ)を穿いている。
「では、こちらへ」
「その服、動きづらくない?」
「ええ、少し。でも、夢だったんです。お姫様になるのが」
「ふーん。で、ダイニチって誰?」
「何をおっしゃるやら、那智先生のことですよ。今は『大日法師』。本職はお坊さんなんです」
「えっ? 知らなかった」
「着きました」
そこは、もはや体育館とは思えない場所だった。
中央には護摩木台が置かれ、その正面に、厳かな袈裟(けさ)を身に纏った那智が正座していた。周囲には、せわしなく動き回る小僧たちの姿もあった。
「おお、零。来たのか」
「なんですか先生、こんな楽しそうなお祭り、私に内緒にして!」
「うん、まぁせっかくだ。楽しんでいきなさい。催し物の素人歌舞伎のあとにお題目をあげるから、お前さんもお題目あげなさい」
「うえー、絶対ヤダ。私、催し物を見たら帰りますからね」
「はは、そう言うな。……ん? いかんな、正門に鬼が出たでな!急ぐぞ、勤行をする!!」
大日法師はそう叫ぶと、鋭い眼光で正座し直し、ガシッと手を合わせ唱え始めた。
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経──」
お題目の三唱を始める法師。護摩の炎が、その声に呼応するように爆ぜる。
「え? なに? 何があったの?」
「いいですか? 学校に不審者です。体育館から絶対に出ないで」
千姫がまっすぐ零の瞳をのぞき込み、拒絶の許さない強い口調でそう言った。
「わ、わかった……」
恐ろしいことが、今まさに起きようとしていた。
「妙法蓮華経方便品第二。爾時世尊。従三昧。安詳而起。告舎利弗。諸仏智慧。甚深無量。其智慧門。難解難入。一切声聞。辟支仏。所不能知。所以者何。仏曾親近。百千万億。無数諸仏。尽行諸仏。無量道法。勇猛精進。名称普聞。成就甚深。未曾有法。随宜所説。意趣難解。」
大日法師が方便品第二を読経し始めると、体育館の中央で護摩の炎が激しく燃え盛る。
法華経の中でも、特に重要と考えられているのが、方便品第二と、如来寿量品第十六であるその中でも。誰もが仏になれる真実、あらゆる生命や現象が持つ十の真実のあり方がが宣言されている。
「何? 何が起こっているの? 外、見れないかな? 千姫ちゃん」
窓から外を覗こうと身を乗り出す零を、千姫は身を挺して止めた。
「だめ!!」
「いったぁ……なにするの?」
「狙撃されるかもしれませんから。……仕方がありませんね。あまり見ていて、気持ちの良いものではありませんよ」
千姫が静かに振り返る。
その額──眉間の真ん中には、いつの間にか、生々しく抉れた大きな風穴が開いていた。あの日、彼女の命を奪った弾痕。その暗い黒い穴の奥底に、妖しく爛々と輝く「紅い瞳」が潜んでいる。
「え……?」
零の目が、その暗黒の中の瞳と、完全に合った。
ドクン、と脳が跳ねる。おぼろげながら、頭の中に別の情景が浮かび上がってくる。やがてノイズが晴れるようにそれがはっきりとした映像を結んだとき──零の脳裏には、校門の大鳥居の前で繰り広げられている、あまりにも苛烈な問答の景色が、鮮明に映し出されていた。
「やっぱ、学祭はいいよな。コスプレか?いいじゃん、いいじゃん」
そう言って校門に足を進めるのは、坂口越治、45歳。大崩壊の時、アマテラスから力を得て、未成年児童を狙った犯罪を繰り返す外道であった。
「やい、曲者! 問われて名乗るもおこがましきが、あの日あの時、身勝手なる大人の妄執に刃を向けられ、無念の涙を呑んだ童らが一人!」
巴は男から立ち上るおぞましい悪意、そしてそこから漂う悪臭を感じながらも、自分を奮い立たせ、鋭くそう叫んだ。
「同じくは、成人の春を前にして、冥途の旅へと急がされし、あまたの亡者の怒りを背負う、弓矢の神の依り代なり!」
板額和泉も負けじと叫ぶ。この日のために、大日法師と何度も練習した前口上だ。
「ん? 何言ってっかわかんねえよ。はいはい、いっぱい練習したんでちゅね〜。えらいでちゅね〜」
ヘラヘラとそう言うと、坂口は能力で発現させたイングラムMAC10を構えた。
「観世音菩薩、手と指に力を。悪漢を射させ給え」
静かに祈り、板額は強靭な長弓を一気に引き絞る。直後、放たれた中差しの矢が、狂人の喉笛を寸分の狂いもなく貫いた。
「あっが、ふざけんな、いてえだろうが……ッ!」
坂口は喉元に突き刺さった矢を強引に引き抜く。瞬間、彼の周囲にエラーコードのような幾何学模様が展開し、その傷はたちまち癒えてしまった。
「う、らぁぁぁッ!!」
その再生の隙を逃さず、巴が満身の力で薙刀を振り下ろす。その剛力は凄まじく、悪漢の両腕は肩口からスパッと切り落とされた。
「ぎぃぃぃぃ」
悪漢は潰された虫のような悲鳴を上げたかと思うと、切り落とされた両腕を地面に残したまま、野ネズミのように素早く這い回り、あろうことか二人の隙間をすり抜けて校舎の中へと侵入してしまった。
「逃がすか!」
そう言って追いすがろうとする巴を、板額和泉が諫める。
「巴ちゃん。待って、男子にも花持たせないと」
二人の間に張り詰めていた極限の緊張の糸が、ふっと切れた。
校舎の奥を見つめながら、二人は「仕掛けは上々」と言わんばかりに、ほんの少しだけ頬を緩めて微笑み合った。
「舎利弗。吾従成仏已来。種種因縁。種種譬喩。広演言教。無数方便。引導衆生。令離諸著。所以者何。如来方便。知見波羅蜜。皆已具足。舎利弗。如来知見。広大深遠。無量。無礙。力。無所畏。禅定。解脱。三昧。深入無際。成就一切。未曾有法」
法師の読経は激しさを増し、やがて護摩の炎がくっきりとその姿を変え、背後に猛烈な烈火を背負う不動明王の御姿が浮かび上がる。
「なにあれ……!? それに、今のは何!?巴ちゃんたちは大丈夫なの!?」
「大丈夫です。お不動様が顕現なさった。もう安心です」
「何が安心なの? あれは一体何なの!?」
戸惑い、パニックを起こす零がふと視線を戻すと、いつの間にかすぐ隣に、朱色の大鎧を纏った巴がどっかと胡坐をかいて座っていた。さっきまで、校門の前にいたはずだ。
「おとなしく座ってないと──お灸をすえるわよ」
巴はいつものクラス委員長のように、けれど悪びれもせず、ふっと少し悪戯っぽく微笑んだ。
『笹の才蔵』
「畜生、畜生、なんなんだよここは。聞いてた話と全然違うじゃねぇか。くそ坊主の首とってくればミリオンダラーって話じゃなかったのかよ」
悪態をつきながら、悪漢、坂口は「100式回復呪符」を発動させる。切り落とされた両腕に幾何学模様が浮かぶと、たちまち腕が生えてきた。
「へへへ、これさえありゃ何度でもコンテニューできらぁ」
生えてきたばかりの腕には、いつの間にかAK‐47が握られていた。
「あな、不思議、タコや蟹じゃあるまいし、貴様は人かあやかしか?」
入って来たのは若々しい青年だ。背中に立派な青笹を背負う、槍武者が威風堂々、現れる。
「誰だ、お前」
「問われて名乗るも、冥途の土産!我こそは、関ヶ原の合戦にて敵の首級、討つこと十七、天下にその名を轟かせし宝蔵院流の十文字槍──!」
才蔵は背中に突き立てた青々とした『笹の葉』を誇らしげに揺らし、十文字槍の石突で道場の床板をドン、と激しく打ち鳴らした。
「天下無双の可児才蔵よ!!」
「うるせぇ!! くたばりな」
悪漢・坂口はAKを才蔵に向かって連射する。
「その首もらい受ける」
才蔵はその銃撃をどてっぱらに受けながら、心頭滅却すれば火もまた涼しと一気に踏み込み、そっ首めがけて十文字槍を突き立てた。悪漢・坂口の首は十尺ほどすっ飛ぶ。
そして信じられないことに、転がった首から足が生えてきて、カービィよろしく逃げ出した。
「ははは、はぁ、やっぱり銃は嫌いだ」
腹の銃創を抑えながら、才蔵は立ったままこと切れた。
「舎利弗。如来能種種分別。巧 説 諸 法。言辞柔軟。悦可衆心。舎利弗。取要言之。無量無辺。未曾有法。仏悉成就。止。舎利弗。不須復説。所以者何。仏所成就。第一希有。難解之法。唯仏与仏。乃能究尽。諸法実相。」
「おつかれ、カッコよかったぞ、才蔵」
板額和泉が体育館に戻った才蔵をねぎらった。
「うるせぇ、おとなしく題目唱えろよ」
そうすねると才蔵は法師のすぐ後ろで読経を始める。
「何が何やら...」
混乱する零に板額和泉は優しく諭した。
「知らなくていいこともあるの、お題目だって意味も分からずに唱えてもいいしね」
「所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。」
「所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。」
「所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。」
法師が方便品第二を唱え終わる。
『戦国一の鉄砲衆』
「妙法蓮華経如来寿量品第十六。自我得仏来。所経諸劫数。無量百千万。億載阿僧祇。常説法教化。無数億衆生。令入於仏道。爾来無量劫。為度衆生故。方便現涅槃。而実不滅度。常住此説法。我常住於此。以諸神通力。令顚倒衆生。雖近而不見」
法師が如来寿量品第十六を唱え始めた。これは法華経二十八品のうち核心となる章で、お釈迦様の命は遠い昔から、人々に教えを説き救い続けていること、そして法華経があらゆる痛みを和らげ、病を治す「良薬」に例えられている章である。
「おのおのがた、種子島は持ったか!! 火ぶたを切れ、火縄の火は絶やすなよ!!」
「応!!」
雑賀孫一に率いられし、雑賀衆。彼らは八咫烏の幟旗を一斉に上げる。
日がすっかり暮れて、夜が訪れた。校舎の中は不気味なほど静かで、蛍光灯がカチカチとちらつく音だけが響いていた。
悪漢・坂口が不意に校舎の窓を開けようと手を伸ばす。だが届かない。手を伸ばせば伸ばすほど、むしろ窓は遠ざかっていく。
「はぁ、はぁ、なんなんだ? ここは。これはアマテラスの結界術だな。一〇〇式の回復、おせえな……。でもまあ、こっちの体力は無限の無敵チートだからな。さーて、あの糞坊主はどこだ? あいつ殺せば、この結界も解けんだろ」
悪漢・坂口はそう呟きながら、ウインチェスターM1912ショットガンに弾を込め、次の獲物を探す。
「逃げ遅れたガキが一人、二人いんだろ。そいつらぶっ殺しゃ、あのコスプレ野郎たちも、少しはおとなしく──」
「ドーン!! ガー、ドカ!!」
悪漢・坂口の退路が、関門によって完全に塞がれた。竹槍と木材、土嚢を幾重にも重ねた頑丈なものだ。
「は? おい、ふざけんな」
「──とおりゃんせ、とおりゃんせ、ここはどこの細道じゃ?」
不意に、孫一たちの歌声が聞こえたかと思うと、校舎の照明が一斉に落ちた。
「お不動様の細道じゃ、死んでもどかぬ、とおりゃせぬ」
闇の中に、小さな火垂る火がぽつぽつと現れる。
「なんだ? 線香か?」
悪漢・坂口の目が慣れると、闇の中の火垂る火の正体が分かった。それは種子島の火縄の火。雑賀の鉄砲隊が闇の中、一斉に悪漢・坂口に狙いを定めていたのだ。
「我が名は雑賀衆が棟梁、雑賀孫一!我らの眼に狂いなし、一町先の闇夜を飛ぶ火垂をも容易く落とし、かの第六天魔王・織田信長も撃ちぬいた、我らが弾丸。その五体でたらふく食らうがいい!!構え!!」
雑賀甲冑が一斉にガチャガチャ、と動く音が聞こえる。
「まっ!!」
咄嗟に腕を前に突き出すが。
「放て!!」
「ズドン!!ズダン!ズドドーン!ターン!」
雷鳴のごとき銃声。五十人の鉄砲撃ちの一斉発射。その筒先から放たれる鉛玉は、狂いなくまっすぐに、悪漢の体を容赦なく貫く。
「んんっ、ぐっ、がっは……一〇〇式! ここの空間コードを強制書き換え!!」
「何? 第二射、急げ!」
「推奨できません。空間が崩壊し、使用者に深刻なダメージが予想されます」
悪漢・坂口の胸に埋め込まれた一〇〇式が、命令に対し警告した。
「いいからやれ!」
「命令を受領しました。空間コードの強制書き換えを実行」
「準備でき次第撃て!!」
ターン、ターン、まばらに放たれた弾丸が数発、坂口の体に命中するが。
「おいガキども、覚えとけ。力ってもんは、こうやって使うんだよ!!」
そう坂口が叫ぶと、周囲の空間が歪み、坂口のいた場所にぼっかりと穴が空いた。十尺ほどの黒い球体にすべてが吸い込まれていく。
「なっ……!?」
呆気にとられる間もなく、その場にいた全員がその黒い球体に吸い込まれてしまった。校舎にはぼっかりと巨大な穴が開く。
次の瞬間、十尺ほどの光の玉から、悪漢・坂口が飛び出した。
「あっぶな……! 一〇〇式による空間コードの強制書き換え、それによるオーバーフロー。NULLホールで全部おしゃかにしてやった。体の再構築命令が実行されなかったらと思うとゾッとするぜ。リスキーだったが、昔っから賭けには強いんでね」
校庭に出た悪漢・坂口は、体育館を目指した。
「衆見我滅度。広供養舎利。咸皆懐恋慕。而生渇仰心。衆生既信伏。質直意柔軟。一心欲見仏。不自惜身命。時我及衆僧。倶出霊鷲山。我時語衆生。常在此不滅。以方便力故。現有滅不滅。余国有衆生。恭敬信楽者。我復於彼中。為説無上法。汝等不聞此。但謂我滅度。我見諸衆生。没在於苦海。故不為現身。令其生渇仰。因其心恋慕。乃出為説法。神通力如是。於阿僧祇劫。常在霊鷲山。及余諸住処。衆生見劫尽。大火所焼時。我此土安穏。天人常充満。園林諸堂閣。種種宝荘厳。宝樹多華果。衆生所遊楽。諸天撃天鼓。常作衆伎楽。雨曼陀羅華。散仏及大衆。我浄土不毀. 而衆見焼尽。憂怖諸苦悩。如是悉充満。是諸罪衆生。以悪業因縁。過阿僧祇劫。不聞三宝名。諸有修功徳。柔和質直者。則皆見我身。在此而説法。或時為此衆。説仏寿無量。久乃見仏者。為説仏難値。我智力如是。慧光照無量。寿命無数劫。久修業所得。汝等有智者。勿於此生疑。当断令永尽。仏語実不虚。如医善方便. 為治狂子故。実在而言死。無能説虚妄。我亦為世父。救諸苦患者。為凡夫顚倒。実在而言滅。以常見我故。而生憍恣心。放逸著五欲。堕於悪道中。我常知衆生。行道不行道。随応所可度。為説種種法。毎自作是念。以何令衆生。得入無上道。速成就仏身」
「我ら皆まんぞくなり!!!」
体育館に現れた孫一たち雑賀衆の顔は皆晴れやかだ。
「うわ、うるさいのが来た」
巴がうっとうしそうに言う。
「遠くからパンパン、何が面白いんだか。鉄砲は好かん」
可児才蔵が毒づいた。
「その鉄砲に穴だらけにされたのはどこの誰か」
孫一はそうからかった。
「なにおう!!」
「やるか!!」
「ビシャ!!」
護摩の火に向かって題目を唱えながら、法師は二人にひしゃくで汲んだ清水をかける。
「南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経」
唱える題目により力がこもり、護摩の火に浮かぶ不動明王の姿ははっきりと浮かび上がっていた。二人はバツが悪そうにおとなしく座り、お題目を唱えた。
「あっ、零ちゃん寝てる」
零は千姫の肩にもたれて、すやすやと眠っていた。
「寝かせてあげましょう。色々、疲れたもんね」
板額和泉は穏やかにそう言った。
「法師様のお題目は眠くなります……」
千姫もそう言って、小さなあくびを噛み殺した。
『日本一の侍、真田左衛門之助信繁』
「あそこだな、体育館か。あそこの糞坊主ぶっ殺しゃ、仕事はおわりだ。くそがぁぁ!!」
校庭に出た悪漢・坂口は法師たちがいる体育館に歩き出す。
「高砂や──! この浦舟に、帆を上げて、この浦舟に、帆を上げて、月諸に出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、早や住之江に着きにけり、早や住之江に着きにけり」
一斉にかがり火がたかれ、一人の騎馬武者の姿がゆっくりと浮かび上がる。
「おいおい、お次はなんだ? もういい、一〇〇式、ここいら一体の空間コードを書き換えろ。死体は回収できねぇが構わねぇや」
悪漢坂口は付き合いきれんとばかりに、先ほどと同じことをしようとする。今度はこの学校全体に被害が及ぶように。
「実行できません。現在、所在不明のDOS攻撃を受けています。機能回復まで、百二十秒」
「はぁ? 使えねぇな」
「我が名は真田安房守が息子、真田左衛門佐信繁──! 命を惜しみ、理を歪める外道め! いたずらに命をもてあそぶその所業! 決して許せん!! 天に代わって誅罰致す!! 三途の川の渡り銭、しかと受け取れい!!」
「うっせぇわ!! バーカ!!」
悪漢・坂口が取り出したのはRPG-7だった。校庭を悠然と走る赤備えの騎馬武者は、それがどうしたとまっすぐ十文字槍を携え、突っ込んでくる。
「くたばりな!!」
バシューと発射されるPG-7VL弾頭は、高速で信繁めがけ突き進む。
「じゃかぁぁしい!!」
信繁は十文字槍をひょいと操ると、その穂先を弾頭の安定翼に引っ掛ける。そのまま器用に、ぽいっと脇に捨ててしまった。
「嘘だろ……」
虚しく花壇で爆発する弾頭。
「きぇぇぇぇい!」
坂口の胸に十文字槍が深々と刺さる。信繁は悪漢・坂口を校庭に引きずりながら体育館まで馬を走らせた。
そして穂先にぶら下がる悪漢・坂口を、体育館の入り口めがけ投げ込んだ。
「らっ……ラッキー……あいついい奴じゃん」
そうのたまう悪漢・坂口は、気づいていなかった。胸に埋め込まれた一〇〇式は十文字槍に貫かれ、粉々だ。もう使い物にならない。
「法師、後は頼みます」
そう呟くと、信繁は馬から降り、愛馬・真田栗毛をそっと撫でた。
『六道輪廻因果応報』
「はぁ、はは、おい那智の糞坊主、会いたかったぜぇ。てめぇだけはぜってぇ殺す」
ボロ雑巾のようになった悪漢・坂口は、腰に差したククリナイフをすらりと抜いた。
「南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経」
法師は坂口に背を向け、一心不乱にお題目を唱えている。
「そっ首落とされても!! そのきもちわりぃの!! 続けられんのかぁぁぁ!!」
坂口は法師にククリナイフを振り下ろした。その刹那、パァァン!! と甲高い音とともに、青白い光球が弾けた。
「は? ナイフは? ふざけるな!! おい、一〇〇式!! もう使えるだろ! マシンガンだ! ここにいるこいつら全員、ハチの巣にしてやる。一〇〇式? ああ!? ふざけんなぁぁ!!」
わめき散らす坂口。だが、その胸にあるはずの一〇〇式はもうない。ぼっかりと穴が開いている。
「一〇〇式外法理転換呪符」
それは日本軍がかつて、能力者が理に干渉するために使用した「アマテラスのデッドコピー」である。ある時技術が流出し、犯罪者に悪用され、あちこちに散らばったまま。回収も進んでいなかった。
皆が坂口を見ている。憎しみと哀れみが混ざった瞳だった。
人は時として残酷である。蟲毒と称して虫たちを壺に詰め、童たちは笑いながら蟻を踏みつぶし、年貢を納めなかったからと、人の体に藁蓑を巻きつけ、火をつける。もがき苦しみのたうち、死んでいく様を、蓑踊りと称し、手を叩いて笑うのだ。
だが、壺に押し込まれたムカデは覚えている。踏みつぶされた蟻は覚えている。焼き殺された人も覚えている。決してその痛みを忘れることなどできようか。
お前が犯した罪は因となって刻まれ。やがて怨として大きくなり、お前を追い詰め、やがて果となって必ずお前を捕まえる。お前に報いを受けさせるであろう。ゆめゆめ逃げられるとは思わぬことだ。
「南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経. 南無妙法蓮華経」
いつの間にか坂口の前に立っているのは、法師ではなくなっていた。坂口が振り撒いてきた因によって燃え盛る恨みの炎、それを背に負った明王が、大日法師の身を借りて、ゆっくりと坂口に向かって歩を進めた。
「いやだ、許してくれ、死にたくない……!」
「そう言って!! 命乞いした私たちを、楽しそうに殺したんじゃない!!」
額に穴が開いた千姫がそう叫んだ。
明王は左手に持った、燃え盛る熱い鉄の縄「黒縄」をもって坂口を縛る。この男が浄土に行くことはもうない。ただ魂の穢れが落ちるまで、地獄の業火に焼かれるまで。
「いやっぁぁぁだ!! 助け──!!」
明王は何も言わず、ただ坂口を地獄に引きずり下ろした。
「終わったな」
「ああ、あとは晴れやかに」
「浄土にいける」
「零ちゃん、どうか健やかに、元気でね」
零は何も知らず、眠ったままだった。
「南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経」
この世に恨みを残し、浄土へと向かえなかった童の魂たちは、今安らかに、法華経の力を借りて浄土へと昇って行ったのだった。
「うーん、南無妙法蓮華経ってなんなのさ……」
そう呟くと、零は目覚めた。枕元で大日法師は相変わらず題目をあげていた。周りを見渡すと、学校は跡形もなく消え、そこはお寺のお堂の中。外に出てみても墓ばかりだ。
「ちょっと!! 那智先生!! どういうことなんですか? 千姫ちゃんは? 皆は? ここはどこなんです? あの坂口って人は!?」
零はお題目を唱える大日法師をゆすりまくる。
「南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。なむみょーうほーれんげきょう〜。ふぅ……。かーーーーーつ!!」
題目を終え、御本尊を閉じた大日法師は一喝した。
「ろくにお題目もあげず、来るなと言われたのに来て、ぴーちくぱーちく!! 恥を知りなさい!」
「え? すみません……」
「いいか? どうしても知りたいというなら、朝と夕に毎日、勤行をあげているのだから、お前さんもここにきてお題目をあげなさい」
そう言うと、大日法師は棚から勤行要典と数珠を取り出し、零に手渡した。
「えー、嫌です」
「なら教えん」
「わかりました。たまになら……気が向いたら」
「毎日来なさい!!」
「うぅ、毎日来ます……」
不破山のふもとに、「百刻寺」はある。大崩壊の日、この地では多くの尊い命が奪われ、そのほとんどが子供だった。その御霊を癒すため、出家した那智喜朗執行官が建立した寺である。
ちなみに「南無妙法蓮華経」とは、釈尊の真の教えである「法華経」の教えを信じ、身も心も委ねて従います、という意味である。「南無妙法蓮華経」と唱えればたちまち生命に活力が宿り、幸福が訪れ、無病息災、千秋万歳。法華経を信ずるものは皆仏になれると、日蓮宗はそう考えている。
そんな都合のいいものがあるか、と考える者も多いだろう。だが、考えてみてほしいのだ。生きるのがこんなにもつらい世の中、皆が都合よく幸せになりたいのだ。それは決して悪いことではないではないか。
本作を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
この物語は亡くなった祖父の死に向き合うために書きました。