「あ、ええと……」
急にいつもの日常的な質問に戻され、佐倉は少しだけホッとしたように息を吐いた。
それでも、平田の端正な顔がすぐ近くにあるせいで、まだドギマギしたままだ。
「私は……その……人が多いところが、あんまり得意じゃないから……。ここは、静かだし、人が滅多に来ないから……落ち着く、んです……」
佐倉は自分の指先をいじりながら、小さな声で答えた。
「放課後とか、空き時間、によくここに来て……一人で、ぼーっとしたり、スマホを見たり、してました……」
「そっか。やっぱり静かな場所が好きなんだね」
一人でいるにはちょうどいい場所だった。
「それだけ?」
平田が聞く。
愛里は少し迷ったあと、小さく答える。
「あと……写真。」
「写真?」
「風景とか。」
「たまに撮ったりするの。」
平田は少し意外そうな顔をした。
「へぇ。」
「校舎の窓から見える景色とか、夕焼けとか……」
「そういうの好きなんだ。」
愛里は恥ずかしそうに頷く。
「誰にも見せないけど……」
「いい趣味じゃないか。」
平田は素直に言った。
「写真の仕事にも役立ちそうだし。」
「そうかな……」
「うん。」
愛里は少し嬉しそうだった。
自分の好きなことを否定されなかったからだ。
平田は窓の外を見ながら言う。
「じゃあ俺も今度、遠回りした時に景色見てみようかな。」
「え?」
「佐倉さんが気に入ってる場所なら、きっといい景色なんだろ。」
愛里は少し照れながら、
「……夕方がおすすめ。」
と小さな声で答えた。
「了解。」
平田が笑うと、愛里もほんの少しだけ微笑んだ。
平田は納得したように深く頷くと、爽やかな笑顔を浮かべた。
「俺はね、さっきも言った通り、部活(柔道部&美術部)に行く時に、ちょっと遠回りしながらここを通ってるんだ。
いつも同じルートだとつまらないっていうのもあるし、こうして遠回りしていると、普段話せないクラスのみんなの様子や、新しい発見があったりするからね」
そう言って、平田は佐倉の目を優しく見つめる。
「でも、今日からは『遠回りする理由』がもう一つ増えちゃったな」
「え……?」
「これからは、ここを通るたびに『今日は佐倉さん、いるかな?』って楽しみにしちゃうと思う。
部活の前に、佐倉さんの顔が見られたら、すごく元気が出そうだし」
「ひ、平田くん……っ」
さらりと恥ずかしいセリフを言う平田に、佐倉はまた顔を真っ赤にして俯いてしまう。
地味で目立たない自分を、クラスのスターである彼が「楽しみにしている」と言ってくれたことが、嬉しくて、でも気恥ずかしくてたまらない。
「あ、そろそろ部活の時間だ。行かなきゃ」
平田はスマホで時間を確認すると、名残惜しそうに佐倉に手を振った。
「じゃあ、佐倉さん。
さっき約束した通り、おすすめの雑誌とか服の写真、メールで送ってくれるの待ってるね。
……またここで会おう」
「うん……! 部活、頑張って、ね……平田くん」
佐倉の小さな応援を背に受けながら、平田は満足そうな笑みを浮かべて、特別棟の廊下を軽やかな足取りで去っていった。
一人残された佐倉は、胸のトクトクという高鳴りを感じながら、彼から送られてくるであろう最初のメールを、今か今かと待ち望み始めるのだった。
その日の夜。
平田が部活を終え、寮の部屋でシャワーを浴びて一息ついた頃、スマートフォンのバイブレーションが短く鳴った。
画面を見ると、そこには先ほど登録したばかりの『佐倉愛里』の名前。
平田の口元に、自然と満足げな笑みが浮かぶ。
件名:さっきの、約束の……
送信者:佐倉愛里
平田くん、さっきはありがとうございました……。
すごく緊張したけど、お話しできて良かったです。
平田くんが本屋さんで買えるように、私がよく読んでるファッション雑誌の名前を送りますね。
『Men's Style Premium』っていう雑誌と、『CHIC adolescent』っていうのが、シンプルだけどお洒落で、平田くんに似合うんじゃないかなって思いました……。
あと、勝手に平田くんに似合いそうなコーディネートの写真、いくつか選んでみたので添付します……。
平田くんは背が高くてスタイルが良いから、こういう「ネイビーのサマーニット」に「白のスラックス」を合わせたら、すごく爽やかで格好いいと思います……っ。
恥ずかしいから、あんまりじっくり見ないでください……。
よろしくお願いします。
メールに添付されていたのは、雑誌の切り抜きやネットから保存したと思われるコーディネートの画像が数枚。
どれも平田の端正な顔立ちや爽やかな雰囲気をこれ以上ないほど活かせる、センスの良い組み合わせばかりだった。
画面に映る服を見つめながら、平田は「へえ……」と感心の声を漏らす。
「さすがは『雫』ちゃん、だね。俺の魅せ方をよく分かってる」
人見知りで、いつも教室の隅で縮こまっている彼女が、自分のために勇気を出してこの画像を選び、一生懸命に文字を打ってくれたのだと思うと、なんだか愛おしい気分にすらなってくる。
平田はすぐにベッドの上に寝転がり、返信の文章を打ち始めた。
To:佐倉さん
Re:さっきの、約束の……
メールありがとう! さっそく送ってくれてすごく嬉しいよ。
雑誌の名前、メモしたから明日さっそく本屋さんに買いに行くね。
添付してくれた写真のコーディネート、すごく格好いいね! 自分じゃ絶対に選べない組み合わせだから、さすが佐倉さん(それと、プロの雫ちゃん)だな、って尊敬しちゃうよ。
このネイビーのニット、本当に俺に似合うかな?
佐倉さんが「格好いい」って言ってくれた服、早く着てるところを見てもらいたいな。
明日の放課後、またいつもの特別棟で感想を伝えてもいい?
楽しみにしてるね。おやすみ、佐倉さん。
送信ボタンを押し、天井を見上げる。
ただのクラスメイトだったはずの少女が、今や自分だけの特別な『スタイリスト』であり、秘密を共有する協力者だ。
「明日の放課後が、待ち遠しいな……」
平田は暗くなった部屋の中で、妖しく、そして楽しげに瞳を輝かせるのだった。
あの日、特別棟の薄暗い廊下で秘密を共有してから、早いもので2週間が経った。
毎晩のように交わされるメールのやり取り。そして、放課後の特別棟での『逢い引き』。
最初は蜘蛛の糸に触れるかのように繊細だった二人の関係は、今や見違えるほど深いものへと変化していた。
「あ、平田くん……! 今日ね、言ってた雑誌の最新号、もうチェックしたよ」
前髪の隙間から覗く佐倉の瞳は、もう恐怖に怯えてはいない。
それどころか、俺の姿を見つけると、嬉しそうにパッと表情を輝かせる。あれほど重度だった彼女の人見知りは、俺の前でだけは、嘘のように鳴りを潜めていた。
普通に話せるようになっただけではない。驚くべきは、その**『距離の近さ』**だ。
「本当? さすが佐倉さん、仕事が早いね」
俺は当然のように歩み寄ると、彼女の細い肩をごく自然に抱き寄せ、顔を覗き込む。
「ひゃ、ゃ……っ、平田くん……っ」
佐倉の体がビクッと跳ね、耳まで一瞬で真っ赤に染まる。
そう、この短期間でここまで距離が縮まった最大の理由は、俺が佐倉さんに対して、彼女自身もビックリするほどの過剰なスキンシップを仕掛け続けているからだ。
最初は手を握るだけで頭が真っ白になっていた佐倉さん。
だが、俺が髪を撫で、肩を抱き、時には耳元で囁くように服の相談をするたびに、彼女のキャパシティは強制的に拡張されていった。
「……また、そんなにすぐくっつく……。
目立たないようにって、言った、のに……」
口では「もう、ダメだよ……」と恥ずかしそうに抵抗するものの、俺の腕からすり抜けて逃げようとはしない。それどころか、寄せられた俺の体温に、どこか安心を覚えているかのようにさえ見える。
「だって、誰も来ない特別棟は、俺と佐倉さんだけの秘密の場所だからね。
それに……こうして触れている方が、佐倉さんの可愛い声がよく聞こえるし」
「~〜〜っ! もう、そういうこと、さらっと言う……っ」
顔を真っ赤にして俺の胸元に小さく拳を預けてくる佐倉さん。
その姿は、教室で見せる『地味な日陰者』でもなく、ネットの海で魅せる『アイドルの雫』でもない。
俺だけが独占している、一人の恋する女の子の顔だった。
「ねえ、佐倉さん。2週間、俺のためにたくさん服を選んでくれたご褒美……そろそろ、次のステップに進んでもいいかな?」
俺は抱き寄せた腕に少しだけ力を込め、彼女の耳元で意地悪く、でも甘く囁いた。
そして迎えた三連休の初日。
ケープとウィッグ、そしていつもとは違うお洒落な私服で完璧に変装した佐倉愛里は、約束通り服屋の前で俺を待っていた。
「お待たせ、待ったかな?」
「う、ううん……! 今来たところ、だから……っ」
誰にも気づかれることなく合流した俺たちは、さっそくいくつかのショップを回り始めた。
「平田くん、これなんかどうかな……? 爽やかで、きっと似合うと思う……」
「へえ、いいセンスだね。じゃあ、これはどう? 佐倉さんにすごく似合いそうだよ」
俺は自分の服を選んでもらうだけでなく、佐倉さんにもよく似合う可愛いワンピースを見つけてプレゼントした。
試着室から赤くなって出てきた彼女を見て、俺は素直な感想を口にする。
「……すごく綺麗だ。マジで天使みたいだよ、愛里」
「――っ!?」
どさくさに紛れて、初めて名前で呼ぶ。
佐倉さんは一瞬フリーズし、顔を耳まで真っ赤に染め上げた。
(あ、あわわわ……っ! い、今、平田くんに名前で……愛里って、呼ばれちゃった……っ!)
心の中で狂喜乱舞し、破裂しそうなほど胸をときめかせる佐倉さん。
(洋介くん……洋介くん、が……私の名前を……っ)
恥ずかしくて口には出せないものの、彼女の心の中では、俺の呼び名がすでに「平田くん」から「洋介」へと変わっていた。
ひとしきり買い物を楽しんだ後、俺たちは周囲の目を完全に遮断できる、全席個室の少しリッチな和食屋へと向かった。
落ち着いた照明の中、二人きりで美味しい料理を並んで食べる。
美味しいご飯に自然と笑顔がこぼれ、愛里の緊張も完全に解けていた。
早めのディナーを終え、店を出たところで、俺は愛里の目を見つめて本題を切り出す。
「ねえ、愛里。この後、もし良かったら俺の部屋に来ない?」
「え……っ!? よ、洋介くんの、お部屋……っ!?」
突然の誘いに、愛里の小さな肩が大きく跳ねる。
すかさず俺は、彼女が断れない、かつ最高に気になる口実を優しく囁いた。
「ほら、前に愛里がメールですごくお勧めしてくれたコーディネートの服あったでしょう?
あれ、ネット通販で頼んでおいたのが、ちょうど今日の午前中に部屋に届いたんだ。
……良かったら、俺がそれを着てるところ、一番に愛里に見てほしいなって思って」
「あ……私が、お勧めした、お洋服……!」
自分が選んだ服を大好きな人が着てくれる。その誘惑に、愛里が抗えるはずもなかった。
赤くなりながらも、彼女はコクコクと小さく、でも嬉しそうに頷いた。
「……うん。見たい、です……。洋介くんのお部屋、行く……っ」
完全に俺への信頼と好意で満たされた愛里を連れて、俺は寮の自室へと向かう。
5月1日の破滅を前に、誰にも邪魔されない二人だけの甘い時間が、いよいよ幕を開けようとしていた。
ガチャリ、と鍵を閉めて愛里を部屋に迎え入れる。
「お、お邪魔します……っ」
男の子の部屋、それも大好きな「洋介」の部屋に初めて入った愛里は、緊張で借りてきた猫のようにソワソワと周囲を見回している。
そんな彼女を優しくベッドに座らせ、俺はキッチンへと向かった。
「ちょっと喉乾いたよね。冷たい飲み物淹れるから、少し待ってて」
「あ、ありがとう、洋介くん……」
冷蔵庫を開け、グラスに飲み物を注ぐ。その手元で、俺は懐から小さな小瓶を取り出した。
――神様から転生特典として貰った、特製の『媚薬』。
この薬の面白いところは、ただ無差別に理性を狂わせるものではないという点だ。
「平田洋介のことが気になっている女の子」にしか効果を発揮せず、俺に好意がない相手にはただの美味しい水で終わる。
(愛里なら……まあ、間違いなく抜群に効くだろうな)
2週間かけてじっくりと距離を縮め、今日一日で完全に俺に心を許した愛里だ。
どれほどの反応を見せてくれるか、俺の好奇心とサディスティックな欲求が小さく疼く。
微量の薬を飲み物に混ぜ、平然とした顔で愛里の元へと運んだ。
「はい、どうぞ。ゆっくり飲んでね」
「わぁ、ありがとう……っ。ちょうど、少し喉が渇いちゃってて……」
愛里は疑うこともなくグラスを受け取ると、コクコクと喉を鳴らしてそれを飲み干した。
「ぷはっ……ふぅ。……おいしい」
グラスを机に置き、愛里はふんわりと微笑む。
だが、それから1分もしないうちに、彼女の様子に劇的な変化が現れ始めた。
「……あれ? なんか、急に……体が、あつくなって、きちゃった……っ」
愛里の手が、着ていたカーディガンの胸元をゆるめるようにパタパタと仰ぎ始める。
白い肌が、みるみるうちに耳の裏や首筋まで、お風呂上がりのように上気してピンク色に染まっていく。
ハァ、ハァ、と、心なしか吐息も荒く、熱を帯びていくのが見て取れた。
「愛里? どうしたの、顔がすごく赤いよ。大丈夫?」
俺がわざと心配するフリをして、ベッドのすぐ隣に腰掛け、彼女の顔を覗き込む。
すると愛里は、潤んだ瞳でじっと俺を見つめ返してきた。
普段なら恥ずかしがってすぐに逸らすはずの視線が、今は吸い寄せられるように俺から離れない。
「洋介、くん……。なんか、変なの……。頭が、ぼーっとして……洋介くんの匂いが、すごく、近くに聞こえて……っ」
「俺の匂い?」
「うん……。すっごく、落ち着くの……。でも、胸の奥が、どきどきして、苦しくて……っ」
媚薬の効果はテキメンだった。俺への好意が何倍にも増幅され、抑え込んでいた「触れたい」という欲求が、彼女の理性を甘く溶かしていく。
愛里は熱い吐息を漏らしながら、吸い寄せられるように俺の腕にすがりついてきた。
いつもなら俺からのスキンシップに赤くなるだけだった彼女が、自ら進んで、俺の体を求めて動いている。
「洋介くん……お願い、ぎゅって、して……? もっと、洋介くんに……触りたい、の……っ」
トロンと蕩けた瞳で、上目遣いに俺をねだる愛里。
その姿は、完全に俺の虜になった極上の『天使』そのものだった。
まだまだ続きます