※この作品はR-18です。

ようこそ配信者ちゃんの教室へ   作:ロボっピ

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8月 その2

船上特別試験が終わり、本土へと戻ってきた私達は、待ちに待った夏休みを迎えた。

うだるような暑さの中、私は清隆の部屋のキッチンに立ち、手際よく夕食の準備を進めていた。

 

パチパチと小気味よく油が爆ぜる音の中、リビングで、パソコンの画面を見つめていた清隆が、いつも通りの抑揚のない声でポツリと呟いた。

 

「最近、アンチコメントの量がますます増えているな」

 

その言葉に、私は菜箸を持ったままリビングの方を振り返り、唇を尖らせた。

 

「あー、それね。夏休みにやることがない陰キャのストレス発散でしょ。ネットでしかイキれないカスのくせにマジうっざい。一生引きこもってろって感じ」

「学校がない分、暇を持て余した連中が四六時中ネットに張り付いているんだろう。お前が目立てば目立つほど、そういう手合いの嫉妬を買いやすくなるのは必然だ」

「もう、清隆はいつも冷静なんだから。……ほら、パソコン一回閉じて、お皿出して。そろそろご飯が出来るよ」

 

さっきまでの不機嫌な顔を引っ込め、私はカラッと揚がった大ぶりの唐揚げを大皿に山盛りにし、テーブルへと運んだ。

 

清隆は素直に立ち上がって、手際よく取り皿や箸を並べ、炊きたてのご飯とお味噌汁も一緒にテーブルへ運んでくれる。私も彼の向かい側に腰を下ろすと、2人で小さく手を合わせた。

 

「いただきます」

 

その合図とともに、清隆は衣からじゅわっと肉汁が滲み出ている唐揚げに箸を伸ばした。相変わらずのポーカーフェイスだが、どこか嬉しそうに口へ運んでいる。

 

「お前の作る唐揚げは相変わらず美味いな。下味がしっかりしているから、いくらでも食べられそうだ」

「でしょ? 清隆がたくさん食べると思って、多めに仕込んどいたんだから。あ、デザートはプリンだからね。冷蔵庫に冷やしてあるから、楽しみにしてて」

「ああ、楽しみにしている。お前の作るプリンは、市販のものより口当たりが滑らかだからな」

 

美味しそうに料理を口に運ぶ清隆を眺めながら、私も自分の分の箸を進める。船上の食事も悪くなかったけれど、こうして自分の作った料理を彼が満足そうに平らげていく姿を見るのは、やっぱり何物にも代えがたい。

 

優秀なプロデューサーであり、私の男でもある清隆。その胃袋を完璧に掴んでいるという自負が、胸を心地よく満たしていく。

そうして2人で穏やかに食事を終え、デザートのプリンをスプーンですくいながら、私は何気なく手元のスマホでチャンネルのSNSをチェックした。

 

すると、いつもの応援コメントを完全に掻き消す勢いで、ファンからの問い合わせやアンチの嘲笑コメントが殺到し、画面は異様な熱を帯びていた。何事かとコメントを追っていくと、どうやら学校の掲示板の話題で持ちきりになっているようだった。

 

 

『おい学校の掲示板ヤバい画像がアップされてるぞ』

『これ完全に合成(コラ)だろ。誰が上げたんだよ……』

 

 

「……は? 何これ」

 

胸騒ぎがして、すぐに学校の掲示板の該当ページにアクセスした私の指先が、ピタリと止まった。

 

画面に表示されていたのは、見知らぬ卑猥な写真に私の顔を切り貼りしたコラ画像だった。一目で合成だとわかる安っぽい出来だが、校内の誰かが面白半分で作って、この掲示板に直接アップロードしたに違いない。

 

――だが、だからこそ。なによりも耐えがたかったのは、そこに映る自分の「顔」だった。

学校での冴えない私なら、まだ無視できたかもしれない。

 

でも、雑に切り取られていたのは、私が人生を懸け、清隆と二人で完璧に作り上げてきた、あの最高に可愛い『エンジェルちゃん』の顔だった。夏休みも妥協せず、爪の先までこだわり抜いた私の聖域。それが、どこの誰とも知らない卑猥な肉体と繋ぎ合わされ、安っぽく晒されている。

 

そのおぞましさに、頭の芯がジチジチと焼け付くようだった。

 

「……っ、……う、くっ……」

 

一瞬で血の気が引き、心臓が嫌な音を立てて脈打ち始める。

ただの嫌がらせじゃない。私のすべてをドブ泥で汚された事実がたまらなく惨めで、恐怖と人間不信が頭の中を真っ白に染め上げていく。

 

胃の奥から猛烈な吐き気がせり上がり、ガタガタと震える手から力が入らなくなって、スマホが床へと滑り落ちた。

 

「ルヰ」

 

名前を呼ばれ、ハッと顔を上げる。

 

「きよ、たか……」

 

呆然としながら、掠れた声でその名前を呟いた。

いつの間にか席を立っていた清隆が、床に落ちた私のスマホを静かに拾い上げていた。液晶に表示された最悪な画像を、彼はいつもの平坦な瞳で見つめている。

動揺も不快感も一切見せないまま、清隆は淡々と画面をスクロールした。

 

「なるほど。お前が配信で見せている顔を切り抜いて、悪質な加工を施したわけか。校内掲示板への直接投稿となると、犯人は身内に絞られるな」

 

「最悪……最悪だよ、誰だよこんなことした奴……っ! これ、このままネットにたくさん拡散されるんだ……っ、みんなに見られちゃうんだ……! 私の、私のエンジェルちゃんが、こんな汚い姿にされて、一生残り続けるんだ……っ! どうしよう、清隆、どうしたらいいの……っ!?」

 

涙をボロボロと溢れさせながら、私は彼の服の裾を縋るように握りしめた。一番大切な『エンジェルちゃん』を汚され、それがネットの海に広がっていく恐怖と焦燥感で、完全にキャパオーバーして取り乱してしまう。

 

ショックで息がうまくできなくて、ただ目の前の彼に救いを求めることしかできない。

そんな私を見下ろしながら、清隆の口元がわずかに吊り上がった。

 

「だったら、その状況を逆手に取るしかない」

 

清隆の低く抑揚のない声が、パニックになっていた私の頭に冷水を浴びせるように響く。

 

「お前のその、ドロドロとした負の感情。自分を傷つけた奴らへの激しい怒り、憎しみ、絶望。――それを全部、次の配信のネタにする」

「ネタに、する……? こんな酷いことされたのに、ネットの奴らの見世物にしろって言うの……!?」

 

思わず叫んだ私の前で、清隆が静かに膝を突いた。彼の手が、私の顎から頬へと移り、涙を親指で優しく拭った。その冷たい感触が、私の熱くなった頭をじわじわと侵食していく。

 

「違う。今までのお前は、全肯定の光の天使『インターネットエンジェル』だった。だが、傷つき泥を塗られた者が狂気に堕ちていく姿は、大衆が最も好むコンテンツだ。お前のその負の感情は、今最も価値のある素材になる」

 

彼の冷徹なロジックが、混濁していた私の思考を鮮やかに塗り替えていく。

 

「『インターネット・ダークエンジェル』。それがお前の新しい姿だ。

次の配信で、お前の本音をすべてぶちまけろ。コラ画像を作った犯人、それを面白がっている学校の連中。その全員に向けて、お前の絶望と怒りを『圧倒的な恐怖』として叩きつけるんだ」

「圧倒的な、恐怖……」

 

涙で濡れた視界の先で、彼の無機質な瞳の奥を見つめているうちに、その言葉の意図が、私の頭の中にじわじわと染み込んでいった。

 

胃の奥の気持ち悪さも、心臓の嫌な脈打ちも、すぐには消えてくれない。指先だって、まだ小刻みに震えている。

 

……だけど、清隆の冷たい手が頬に触れている安心感と、彼の差し伸べた「復讐の選択肢」が、私の脳を確実に覚醒させていく。

汚された惨めさが、そっくりそのまま、犯人どもへのドス黒い憎悪へと形を変えていくのが分かった。

 

「……やって、やる……っ。絶対に、ただじゃおかない……」

 

まだ震える声で、だけど確かな殺意を込めて呟く。

乱暴に涙を拭い去った私の瞳には、冷徹な怒りと、狂気的なまでのプライドがギラギラと戻っていた。

 

「それでいい。お前がステージに立つなら、俺は裏方の仕事を完璧にこなそう」

 

清隆は満足そうに小さく頷くと、私のスマホをテーブルに置き、すぐにパソコンに向かってカタカタと小気味よい音を立ててキーボードを叩き始めた。犯人のIPアドレスの追跡と、配信の環境構築を進めてくれているのだ。

相変わらず、裏での仕事が早くて頼もしい男だ。

 

それからの数日間、私は部屋に引きこもり、自分の持つすべての『演出技能』を注ぎ込んで、完璧な堕天使への変身準備を進めた。

 

いつもの水色とピンクを基調とした、光の天使のようなセーラー服。そのデザインをベースにしながら、冷徹な黒と赤を纏ったセーラー服へと一から縫い直し、ウィッグも白髪ベースの髪に黒と赤のメッシュが混ざり合ったものに変え、メイクのライン一つ、照明の陰影一つに至るまで、徹底的に計算し尽くした。

 

清隆が裏で完璧な舞台の基盤を整える傍らで、私はビジュアル面での『ダークエンジェルちゃん』を完全に創り上げていったのだ。

 

──そして、土曜の夜。

 

部屋の主照明を落とした室内。姿見の前に立つ私は、いつもの『インターネットエンジェル』とは真逆の、おぞましくも目を離せないほど美しい堕天使へと生まれ変わっていた。

 

新しく立ち上げたのは、誰にも存在を教えていないまっさらな裏アカウント。

 

名前は──『インターネット・ダークエンジェル』。

綺麗な私しか知らない信者達にも、画面の向こうで私を貶めて喜んでいるゴミ屑どもにも、私の本物の声を叩きつけてやるための場所。

 

清隆のタイピング音が静かに響く中で、私は画面に表示された『配信開始』のボタンを、迷うことなくその指先でタップした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

 

 

数日前に遡る──

 

 

 

悪質なコラ画像の拡散から2日後。ルヰが自らの演出技能を注ぎ込み、『インターネット・ダークエンジェル』としての配信準備を裏で必死に進めていた頃、俺の元に一之瀬から一通のメールが届いた。

どうやら、白波の件で俺に相談したいことがあるらしい。あの体育館裏での一件に立ち会った身としては、一之瀬が何を思い詰めているかは容易に想像がついた。

 

そして現在、夏休み特有の喧騒が響くケヤキモールのカフェ。俺は対面に座る一之瀬帆波と向き合っていた。

いつもなら周囲を明るく照らすような彼女の笑顔は今、曇天のような不安と焦燥に覆われている。

 

「急に呼び出しちゃってごめんね、綾小路くん。メールでも書いたんだけど、私、千尋ちゃんとどうやって仲直りしたらいいか分からなくて」

 

一之瀬は組んだ指先にきゅっと力を込めながら、縋るような視線を俺に向けてきた。

 

「俺に女子同士の揉め事を相談されても、有効なアドバイスができるとは思えないが……そこまで悩むなら、俺なんかじゃなく、『エンジェルちゃん』にでも相談してみたらどうだ?」

 

あえて何も知らないふりをしながら、俺は注文したコーヒーゼリーにスプーンを伸ばす。

 

「それはダメ!!」

 

一之瀬が弾かれたように立ち上がり、悲鳴に近い声をあげた。

カフェの数人がこちらを振り返る。それに気づいた一之瀬は、すぐに慌てて席に座り直した。

 

「ごめんね。急に大声出して」

 

恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、一之瀬は声を潜めて真剣な眼差しを俺に向ける。

 

「実は、私も最初はエンジェルちゃんに相談しようと思って、過去の配信ログを見てみたの。そうしたら……千尋ちゃん、あの告白について、事前にあの子に相談してたみたいで」

「そうだったのか?」

 

感情の起伏を一切排したトーンで、俺は短く問いかける。

 

「うん。だから、もし私が相談を持ちかけたら、千尋ちゃんにはすぐに私だってバレちゃうと思う。……あの時のことを知っている綾小路くんにしか、相談できなくて……っ」

 

なるほど、一之瀬も過去の配信ログからそこまで把握していたか。それだけ情報が割れているのなら、確かに彼女の警戒ももっともだ、と俺は内心で納得する。

 

「ふむ……」

 

一之瀬の苦渋に満ちた告白を聞きながら、俺はすくい上げたコーヒーゼリーを一口、口へと運ぶ。

舌の上に広がる、洗練されてはいるが、どこかマニュアル通りな苦味と甘み。

 

(……このコーヒーゼリー、ルヰの作る方が美味しいな)

 

ふと、そんな感想が脳裏をよぎった。特に特別な方法で作っているわけではないとあいつは言っていたが、不思議とあれの方が美味かった。これが世間で言う『胃袋を掴まれる』ということなのだろうか。そんな思考を、俺は表情に出さず胸の奥に仕舞い込んだ。

 

「……あの無人島試験の時は、最後に千尋ちゃんも『指示に従う』って言ってくれたから、なんとか収まったの。でも、もしまた何か些細なきっかけがあったら、クラスのみんなはきっと、私を庇って千尋ちゃんを責め立てちゃうと思う……それが、すごく怖いの。本当は、私が千尋ちゃんを裏切ったのが原因なのに……っ」

 

一之瀬の懸念はもっともだった。Bクラスの連中が一之瀬に向ける狂信は凄まじい。無人島試験で白波がクラスを裏切ったという『前科』がある以上、もし次のトラブルが起きれば、彼らは一之瀬を守るため、すでに孤立している白波を今度こそ決定的に排除するだろう。

 

「それに……千尋ちゃん、今はその、エンジェルちゃんの熱狂的なファンみたいでね。前に謝りたくて話しかけようとしたら、千尋ちゃんのスマホの画面が偶然見えちゃって……。ネットの掲示板で、エンジェルちゃんのアンチと凄い勢いでレスバしてるのを見ちゃったの」

 

一之瀬は本当にショックそうに、眉を八の字に下げて溜息をついた。

 

一之瀬からすれば、失恋のショックで行き場をなくした友人が、ネットの存在に依存して攻撃的になってしまったように見えているのだろう。自分が彼女を追い詰めてしまったという罪悪感が、その表情をさらに曇らせていた。

 

「そうなのか。だが、白波が今、それだけ何かに没頭できているのなら、今はそれでいいんじゃないか。現に、無人島試験の件以降、確かに試験には協力的なんだろ? ならば、これ以上彼女を刺激せず、そっとしておくのが最善だと思うが」

「でもっ……! それじゃあ、私と千尋ちゃんは、ずっとこのままで……!?」

 

食い下がろうとする一之瀬の言葉を、俺は淡々としたトーンで遮った。

 

「一之瀬。お前が白波にしてやれることは、もう一つしかない」

 

感情を一切交えず、事実だけを突きつけるように言葉を重ねる。

 

「これ以上、白波に関わらない。それだけだ」

 

俺の冷徹な宣告に、一之瀬は目に見えて肩を震わせ、今にも溢れそうな涙を必死に堪えるように下唇を噛んだ。

 

自分が良かれと思ってついた『優しい嘘』が、白波にとっては最も屈辱的な裏切りになってしまった。ルヰのこれからの配信によって、その一之瀬への拒絶感をさらに増幅させられていく白波に、一之瀬の善意はもう届かない。

 

どれだけ一之瀬が綺麗事や善意を尽くそうと、傷つけられた側の頑なな拒絶を覆すことはできないのだ。

 

「そんなの……そんなのってないよ、綾小路くん……っ」

 

一之瀬は掠れた声で、そこから言葉を続けることができなかった。

テーブルの上にポロポロと涙を落とし、完全に打ちのめされて俯いている。

 

そういえば、ルヰが配信の衣装を作るのに生地が足りないと言っていたな。この後、手芸店にでも寄ってみるか。

 

俺は手元の伝票を引き寄せ、これ以上この場に留まる意味はないと判断して静かに席を立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネットの海というものは、一度濁り始めると一気に泥沼化していく。

 

学校の掲示板にアップロードされた、私を蔑めるための悪質なコラ画像は、私のあずかり知らぬところで急速に一人歩きを始めていた。

 

匿名掲示板の性質上、誰かがブレーキを踏まない限り悪ノリは加速する。今や悪質な悪ふざけで便乗投稿を重ねる生徒が日に日に増えていた。

 

(……見なきゃいいのに、ほんと、バカだな……)

 

自分に呆れながらも、スマホの画面に並ぶ、悪意に満ちた画像や言葉の数々をどうしても追ってしまう。それらを目にするたびに、胃の奥がキリキリと痛み、精神的にガリガリと削られていく。

 

清隆という精神安定剤のおかげで、今は睡眠薬なしでも眠れるようにはなった。

 

──だからこそ、彼が隣にいない日はダメだった。

 

清隆の言葉に背中を押され、新衣装は何とか完成させることができた。だけど、いざ作業が終わって部屋で一人になると、どうしてもあの卑猥に汚された自分の顔や容赦のない誹謗中傷が頭をよぎって病んでしまう。

彼がいない夜の静寂はネットの悪意を何倍にも膨張させ、このままだと配信の前に自分が完全に潰れてしまいそうだった。

 

そう思った私は、少しでも頭を空っぽにするための気分転換として、ケヤキモールのスーパーへと買い出しに出かけることにした。

 

今日の清隆は別件の用事があるため、お留守番だ。一人でカートを押し、ぼんやりと売り場を回る。

 

「──あれ? 結城さん?」

 

背後から、柔らかく落ち着いた声に呼び止められた。

振り返ると、そこには平田が立っていた。

 

「あ、平田くん。久しぶり……」

「やっぱり結城さんだ。……って、なんだか少し顔色が悪いよ? もしかして、ちょっとやつれてる……?」

 

平田は私の顔を覗き込むと、本気で心配そうな表情を浮かべて眉をひそめた。

 

やつれている、か。まあ、鏡を見なくても分かるくらい、今の私は酷い顔をしているんだろう。でも、本当の理由なんて口が裂けても言えなくて、私は少し力なく笑うことしかできなかった。

 

「あはは……ちょっとね。でも、平気、平気……」

 

自分の暗い表情を隠すように、あえて彼の買い物カゴに視線を落とした。

カゴの中にはキャベツやニンジン、肉といった食品が収められている。

 

「へえ、料理するんだ? 意外と自炊派?」

「うん。実はね、いま個人的に応援している子がいて。その子の動画を参考にして、いろいろ勉強してるんだ」

 

平田はちょっと照れくさそうに笑いながら、買い物かごに入った野菜の位置を少し直した。

 

「……それって、もしかして、エンジェルちゃん?」

「えっ、結城さんも知ってるの!?」

 

平田はパッと顔を輝かせ、嬉しそうに声を弾ませた。

 

「そりゃあわかるよ。この学校であの子を知らない生徒なんてほとんどいないし、私も料理動画とかよく観てるし」

 

私の言葉に、平田は嬉しそうに何度も頷くと、さらに熱っぽく語り出してきた。

 

「そうなんだ! 実は、彼女が配信を始めたばかりの頃、僕、ネットでちょっと悩みを相談したことがあってね。その時に彼女が言ってくれた言葉に、すごく救われたんだ。今の僕がクラスをまとめられているのも、全部エンジェルちゃんのおかげなんだよ」

 

嬉々として語る平田の顔を見ながら、私はすべての合点がいった。

 

間違いない。確か5月頃の配信で、生真面目にクラスの相談をしてきたあのアカウント──『平和主義』さんの正体は、平田だったんだ。

 

『男子と話すときは、絶対に周りの女子を連れずに一対一でサシで話すこと』

『君の味方をして暴走しちゃう女子がいたら、君が責任を持ってしっかりコントロールしてあげること』

 

──あの時、私が画面越しに授けたアドバイス。それを平田は忠実に守り、泥臭く実践したのだ。だからこそ彼は、女子からだけでなく、反発しがちだった男子からも絶大な信頼を勝ち取り、今のDクラスを完璧に引っ張るリーダーになれている。

 

やっぱり平田は、どこまでも真っ直ぐで、あの言葉を本気で信じてくれた平和主義さんなんだな……。と同時に、自分のあの拙い、画面越しの言葉が、目の前の優しい優等生を本気で救い、彼をここまで変えていたのだという事実に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

 

「あはは、そっか……。実は私もエンジェルちゃんのファンで、料理の参考に結構観てたんだ。でも、平田くんにとってそんな特別な存在だったんだね」

 

ファンとしての共感を口にすると、平田は自分のことのように嬉しそうに深く頷いた。

 

「そっか、料理が得意な結城さんもファンなんだね。彼女のレシピ、本当にわかりやすくて、すごいよね」

 

──が、次の瞬間。彼はハッと何かに気づいたように、急に表情を強張らせた。

 

「……待って。ファンってことは、結城さんも、あの……最近のネットの……」

 

泳ぐ平田の視線。

どうやら彼は、私の顔色が悪い理由を、『ファンであるエンジェルちゃんが悪質な嫌がらせを受けて、ショックを受けていた一人』だと完璧に勘違いしたらしい。

 

「……うん。そりゃあさ、ファンなら、彼女があんな酷い目に遭ってたら……誰だってショック受けるよ……」

 

俯きながら呟いたその言葉は、ファンとしての建前であり、同時に、本気で傷つき、病んでいる私自身の本音そのものだった。

 

「そうだよね……ごめん、辛いことを思い出させちゃって。でも、僕も同じ気持ちだよ」

 

平田の瞳に、静かで激しい怒りの炎が宿るのが見えた。誰よりも他人の痛みに敏感な彼だからこそ、その憤りは本物だった。

 

「彼女の尊厳をあんな風に傷つけるなんて、絶対に許されない。僕も、あんな酷いことをした人のことは、絶対に許せないよ」

 

──あの温厚で、誰にでも優しい平田が、こんなにも剥き出しの怒りを見せるなんて。

 

予想外の激しさに、私は思わず小さく目を見張った。それだけ彼にとって、エンジェルちゃんから貰った言葉が大切で、今回の卑劣な仕打ちが心の底から許せなかったのだろう。

 

「結城さん、僕達で彼女を支えよう。彼女に救われた僕達が、今度は全力で彼女の味方になる番だ」

 

真っ直ぐに、一点の曇りもない目でそう言い切る平田。

 

ネットの悪意に晒され、誰も彼もが敵に見えて、孤独と恐怖で押し潰されそうになっていた私の心に、彼の言葉が優しく染み渡っていく。

 

(ああ、そっか……)

 

俯いたまま、私は小さく息を吐き出した。

私が必死に作り上げてきた『エンジェルちゃん』は、汚れちゃったかもしれない。

 

だけど、その場所を、私の言葉を、本気で信じて守ろうとしてくれている人が、こんな身近にいてくれた。

 

犯人への怒りは消えない。まだ怖くて、指先だって少し震えている。

だけど、平田の温かい言葉のおかげで、心の奥の冷え切っていた部分に、小さな灯火が宿ったような気がした。

 

(そっか。エンジェルちゃんとしての私にも、ちゃんと味方はいるんだ……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「配信は終了しました」

 

味気ないシステムメッセージが画面に浮かび、機材の赤いランプが静かに消える。

それと同時に、さっきまでの熱狂が嘘のように、自室に重みのある静寂が戻ってきた。

 

「……ふぅ。これで、大丈夫かな?」

 

カメラの前で見せていた冷徹な声を引っ込め、私はいつものトーンでぽつりと言葉を漏らした。

 

頭を締め付けていたウィッグをゆっくりと外す。地毛の髪がふわりと肩に落ちる開放感に小さく息を吐きながら、私はデスクの椅子をくるりと回転させ、部屋の隅に佇むプロデューサー──清隆の方を振り返った。

 

壁に背を預け、腕を組んだままの清隆は、相変わらず感情の読めない瞳で私をじっと見つめてくる。

 

「内容としては完璧だ。裏アカを用いた演出、そして奴らの心理を突いて自発的な削除に追い込む一連の流れは、これ以上ない『最適解』だったと言える」

 

淡々と、私の結果だけを正当に評価する清隆の声。彼は冷徹な響きを孕んだまま、言葉を続けた。

 

「……だが、本当によかったのか? お前はあえて猶予を与え、奴らが自ら引き下がる形を選んだが。あのまま特定データを学校側に提出して、完全に社会的破滅──退学まで追い込むこともできた。俺はそのための仕込みもすべて終わらせていたが」

 

本気で私のために復讐の牙を研いでくれていた彼の言葉に、私は少しだけ肩をすくめ、外したウィッグを机の上に置いた。

 

「んー……まぁ、一応これでも天使(エンジェル)を自称してるわけだしね。一度くらいはチャンスをあげてもいいかなって」

「随分と寛大な処置だな。あのチャット欄でアンチを相手に凄まじい殺気を放っていた『フラワー』……白波が聞けば、生ぬるいと怒り狂いそうだが」

 

清隆の口から出たその名前に、私は思わず苦笑交じりの笑みを浮かべた。

 

普段はあんなに大人しくて気弱そうな彼女が、ネットの海では猛烈な信者として、あそこまで過激にアンチを煽り倒していたのだ。そう思うとおかしいような、けれどそこまでして私を守ろうとしてくれたことが、純粋に嬉しかった。

 

「いいの。私怨に任せて本当に退学まで追い込んじゃったら、普通のファンに引かれちゃうでしょ? 私はあくまで、みんなの『エンジェルちゃん』なんだから。ブランディングは大事にしないと」

 

そんな風に、いかにも計算高い配信者らしい理由を並べてみせる。

だけど、本当の理由はそれだけじゃなかった。

 

平田の真っ直ぐな言葉。環境を整えてくれた清隆の存在。そして、チャット欄で泥を被りながらも全力で戦ってくれた白波の猛攻。

 

背景は違えど、私のために動いてくれた人達の存在が、ネットの悪意で凍りついていた私の心を、確かに救ってくれたのだ。

 

「……それにね。ちゃんとエンジェルちゃんにも、味方がいるって分かったから。だから、もういいの」

 

私は満足げに目を細め、ふわりと穏やかな笑みを浮かべた。

──だが、次の瞬間。

私の瞳から、すべての光彩がスッと消え失せた。

 

ハイライトの消え失せたその目で、私は部屋のどこかにある、まだ恐怖に震えているであろう犯人の足元を冷酷に睨みつけた。

 

「……でも。もしも性懲りもなく、また同じことを繰り返す馬鹿がいるなら」

 

一文字ずつ、心臓を直接凍りつかせるような温度で言葉を紡ぐ。

 

「今度こそ、跡形も残らないくらい徹底的に潰す」

 

部屋の空気が一瞬で凍りつくような、私のどす黒い本性。

しかし、清隆はそれを前にしても怯む風すらなく、ただフッと満足そうに口元を僅かに和ませた。

 

「そうか。お前がその引き金を引くというなら、その時は俺も、プロデューサーとして容赦なく手を出させてもらう」

 

そんな私の歪みを、否定もせず当然のように受け止める冷徹な相棒が、すぐ隣にいる。

 

ただ守られるだけの、か弱き天使のフリをするのはもう終わりだ。

 

可愛く、清く、そして誰よりも恐ろしく。

──私はインターネットの天使なのだ。

 

私を信じて跪く信者たちのためにも、私を汚そうとする不届きな悪意には、それ以上の絶望をもって君臨してあげる。

 

鏡に映るメイクアップされた自分の顔に向かって、私は今度こそ、底知れない、最高の笑みを浮かべた。

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