※この作品はR-18です。

ようこそ配信者ちゃんの教室へ   作:ロボっピ

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なんか6月編はおっぱいの話しか聞いてない気がする…


6月 その2

私はまだ、体のあちこちに残る鈍い痛みを覚えながら、クローゼットからスペアの制服、そして新品のブラウスを取り出した。丁寧にアイロンがけされた白い襟を正し、リボンを結ぶ。鏡の前に立つと、そこにはいつもと何も変わらない、冷徹な傍観者としての私の姿があった。

 

寮を出て学校へ登校し、教室のドアを開けた、その時だった。

 

「あ、結城さん。昨日お休みだったけど大丈夫かい?」

 

クラスの良心である平田が、心配そうに顔を曇らせて真っ先に駆け寄ってきた。

 

「うん……心配してくれてありがとう。昨日はちょっと体調が悪かったの」

「そうだったんだ。無理はしないでね」

 

平田がホッとしたように息を吐く。そんな彼と会話を交わしていると、少し離れた席から、こちらを物言いたげに睨みつけてくる視線に気がついた。

軽井沢と篠原だ。

 

5月に入ってからというもの、Dクラスでは無断欠席はおろか、体調不良で欠席する生徒すら一人もいなかった。なぜなら全員が、クラスポイントの減点を何より恐れているからだ。須藤の暴力沙汰でポイント支給が遅れている今、私の欠席のせいでさらに減点されるんじゃないかと、彼女達は過敏になっているのだろう。

 

私はそんな彼女達にわざと聞こえるように、少し困ったような笑みを浮かべて声を張った。

 

「ごめんね。学校に連絡したときに聞いたんだけど、体調不良による欠席も『自己管理不足』としてクラスポイントが引かれちゃうみたいなの。

でも──学校に交渉して、ペナルティ分は私のプライベートポイントから差し引いてもらうことにしたの。クラスポイントは1ポイントも動いてないから安心して」

 

「え、そんな……っ!?」

 

私の言葉に、平田が目を見開いて声を上げる。

 

「体調が悪くて休んだのに、結城さんが全部負担するなんて……! そんなの、結城さんが損をしちゃうじゃないか」

「大丈夫。無断欠席よりは引かれるポイントもだいぶ少ないみたいだし、何より私のせいでみんなに負担はさせたくないから」

 

そう言って私が微笑むと、遠巻きに今にも文句を言ってきそうだった軽井沢達は、完全に毒気を抜かれたように言葉を失っていた。そして、自分達の現金な焦りを恥じるように、気まずそうにパッと目を逸らす。

 

「ありがとう、結城さん。クラスを代表して僕からもお礼を言うよ」

 

本当に申し訳なさそうに頭を下げる平田をその場に残し、私は自分の席へと向かった。

カバンを置いて腰を下ろすと、すぐ隣の席には、すでにいつも通りの無表情で清隆が座っていた。

 

「おはよう、清隆」

「ああ、おはよう、結城」

 

昨日、私の部屋で肩を寄せ合っていたことなんて、微塵も感じさせない無機質な声。

学校での私達は、相変わらずただの「席が隣同士のクラスメイト」だ。

 

カサリ、と清隆が本をめくる音が、やけに鼓膜に響く。

昨日、優しく私の髪をすくい上げていた彼の指先は、今は他人行儀にただの紙切れをなぞっている。

 

この、仮面の下に隠された「二人だけの絶対的な秘密」が、私の心にこれ以上ないほどの安心感と余裕を与えていた。

 

 

 

──けれど、1時間目の授業が終わり、休み時間に入った直後のことだった。

 

「結城さん!昨日お休みしてたから、私すごく心配しちゃって……体調はもう大丈夫?」

 

私の席の前にやってきたのは、櫛田だった。

いつも通りの、誰にでも優しい向日葵のような笑顔。だけど、どこか少しだけ、申し訳なさそうに私の顔色を窺っている。

 

きっと彼女は、あの日エレベーターで「綾小路くんが私の胸を見てきた」なんて話を私にしてしまったことを、気に病んでいるのだろう。余計なことを言って私を傷つけ、ショックで寝込ませてしまったんじゃないかと、彼女なりに責任を感じて心配してくれているのだ。

 

確かに、あの時は気が狂いそうなほどに嫉妬したが、今になってみれば、清隆とより親密な仲になれたきっかけだ。

 

そこまで気にしなくてもいいのに、と思いながら彼女になんでもないよと笑みを浮かべる

 

「うん、ちょっと風邪気味だっただけだから。心配してくれてありがとう、櫛田さん」

 

深く傷ついているかと思いきや、あまりにも普段通りの淡々とした私の態度に、櫛田は「あ、よかったぁ……!」とホッとしたように目を丸くしつつも、一瞬だけ不思議そうに首を傾げた。

 

 

 

 

 

 

放課後、私の部屋にはカチカチと小気味いいマウスのクリック音が響いていた。

デスクに向かい、いつも通りの淡々とした様子で動画の編集作業を進めているのは清隆だ。

 

私はといえば、風呂上がりの火照った身体をキャミワンピで包み、ベッドに寝転がりながらカップのアイスを食べていた。

冷たいアイスが舌の上で溶けていくのを味わいながら、私は作業を続ける彼の背中に声をかけた。

 

「ねえ、清隆。須藤の事件、あれから何か進展はあった?」

 

私の問いかけに、清隆は画面を凝視したまま、キーボードを叩く手を止めずに答えた。

 

「いや、難航している。須藤の言い分では、あの事件の現場にはCクラスの三人以外にも誰かの気配がしたらしい。櫛田を中心に、他クラスや上の学年にも当たって目撃者を探しているが、名乗り出る生徒は今のところゼロだ」 

「それはそうだよ。エンジェルちゃんのSNSのコメント欄にも、Cクラスが他のクラスの生徒を巻き込んでしょっちゅう揉め事を起こしてるって、何人かから愚痴や相談がきてるもん。わざわざそんな面倒事に首を突っ込む奇特な人はいないでしょ」

 

他人の泥沼には興味がない。けれど、配信者である私の元には、図らずともそういった学校内のリアルな不満や情報が勝手に集まってくる。

私の言葉に、清隆がキーボードを叩く手を止め、わずかに目を細めた。

 

「……他に何か、Cクラスに関する具体的な情報はないか?」

「え? うーん、ちょっと待ってね」

 

私は空いた片手で枕元のスマホを拾い上げ、寝転んだまま画面を器用にスクロールした。エンジェルちゃんのアカウントに届いているDMやコメントの履歴を、上から淡々と流し見していく。

 

「あ……これとかそうかも。最近、Bクラスの生徒がCクラスから軽い嫌がらせを受けている、っていう書き込みがある。詳しい内容までは書いてないけど、結構しつこく絡まれたみたい」

「Bクラスが、か……」

 

清隆はそう呟くと、何かを思案するように画面を見つめた。Cクラスが、Dクラスだけでなく他のクラスにも同時に揺さぶりをかけている証拠だ。

ひとしきり考え込んだ後、清隆はこちらを振り返った。

 

「有益な情報だ、助かる。──それで本題だが、実は目撃者のアタリが一人出ている。堀北が、佐倉の名前を挙げてな」

「佐倉さん? ……あの、メガネかけてる大人しめな子の?」

「ああ。昨日、櫛田がクラス全体に向けて目撃者がいないか呼びかけた時、佐倉だけが明らかに様子が変だったらしくてな。それでさっそく櫛田が声をかけてみたんだが……激しく怯えられて、逃げられてしまったんだ」

 

なるほど、と納得する。堀北は性格に難ありだが、実力は確か。彼女の洞察力なら見落としはないだろう。

 

……それにしても不思議なのはどうして櫛田相手でも聞き出せなかったかだ。彼女はクラスのほぼ全員の連絡先を知ってるほどのコミュニティ能力が高い。Dクラスだけでなく、他のクラスにも交友関係が広い彼女が失敗するなんて。

 

「あの櫛田が拒絶されたとなると、正直お手上げだな。堀北は既に説得は諦めているようだ」

 

学校のことなんてどうでもいいけれど、清隆がそれで頭を悩ませているなら、話は別だ。

 

「……なら、私が聞いてみようか?」

「佐倉と仲がいいのか? お前が教室で他の生徒と話している姿は、俺は見た記憶がないが」

「仲が良いってほどじゃないよ。でもほら、この前の中間テストの時、佐倉さんも赤点ギリギリでさ、平田くんの勉強会に参加してたから、私が少しだけ彼女の勉強を見てあげてたの」

 

あの大人しくて他人に怯えているような彼女なら、クラスのリーダー格である平田や、誰にでも距離の近い櫛田よりも、普段から地味でそっけない私の方が、まだ警戒されずに話せるかもしれない。

 

「なるほどな。関わりのあるお前なら、佐倉も必要以上に警戒しないか」

「じゃ、明日行動してみるね」

 

「頼む」と短く返した清隆は、再び画面に向き直って動画の保存処理を始めた。どうやら今日の作業はこれで一段落ついたらしい。

 

彼は椅子から立ち上がると、思い出したように私の手元にある端末へ視線を向けた。

 

「そういえば、先月の配信の話だが。この間、リクエストで曲を歌っただろ?あの動画を切り抜きして投稿してみたんだが、かなり好評だぞ」

「本当!?あれ、歌い過ぎて次の日、声ガラガラになったけど、評判いいなら頑張った甲斐があったね!」

 

あの配信が終わってからというもの、ちょくちょく歌のリクエストが来るので先日、マイクを買ったばかりだ。

一応、配信者をやるからには歌を歌う機会もあるだろうと、キャラクターの声色を変えずに歌えるよう、裏でたくさん練習を重ねていた。その努力が、こうして形になって現れたのが素直に嬉しい。

 

「そこで提案なんだが、今度はオリジナル曲を作ってみるか?」

「オリジナル曲……!?」

 

予想外の提案に、私は驚いて目を丸くした。

 

「ああ。お前の声の質なら、既存のカバーよりも、お前のためだけに作られた曲の方がより固定ファンを掴める。手配はこちらでやるが、どうだ?」

「嬉しい! じゃあじゃあ、作詞は私がやる!」

 

ベッドの上で身を乗り出し、清隆を見上げる。

オリジナル曲なんて夢のようだし、何より、清隆がプロデュースしてくれる私の歌だ。

 

「お前が作詞を? 構わないが、書けるのか」

「うん、任せて。初めてのものだし、2人で作りたいの!」

 

初めての、私だけのオリジナル曲。

だからこそ、他の誰でもない、プロデューサーである清隆と2人で一緒に作り上げたいという気持ちが、胸の奥から溢れていた。

 

私の言葉に、清隆は「そうか。期待している」と、微かに声音を和らげた気がした。

 

 

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の休み時間。

私は自分の席を立ち、教室の隅で小さくなっている佐倉の席へと向かった。

彼女はデジタルカメラを手に持って、どこか物憂げな表情を浮かべている。

 

いつもおどおどとしていて臆病なところもある彼女だけれど、朝からその様子を観察していると、先日の件で何か思うところがあるのだろう。自分を巻き込もうとする櫛田や須藤達の動向を、あからさまに警戒しているように見受けられた。

 

「佐倉さん、ちょっといい?」

 

声をかけると、佐倉は肩をビクッと跳ね上がらせ、少し身構えるように私を見上げてきた。けれど、話しかけてきたのがあの警戒しているメンバーではなく、私だと気づくと、ほんの少しだけ張り詰めていた空気が緩むのが分かった。

 

「ゆ、結城、さん……。あ、あの、何か……?」

「ううん、昨日、櫛田さんに話しかけられてるのを遠くから見てたからさ。その時、佐倉さんすごく顔色が悪そうだったから、大丈夫かなってちょっと気になって」

 

──実際には、そんな現場は見ていない。昨夜、清隆から「櫛田が声をかけたら激しく怯えて逃げた」と聞いた情報をベースに、さも見かけたかのように話を振っているだけだ。

 

けれど私の言葉に、佐倉さんは小さく肩をすくめた。

 

あの時、櫛田に声をかけられたのは教室内だったらしい。クラスの中心にいる彼女とのやり取りは、大人しい佐倉からすれば嫌でも周囲の目を引いてしまい、少し目立っていたのだ。

 

「やっぱり、見られていたんだ……」と、隠しきれなかった気まずさに顔を赤くして俯きながら、彼女は悲しそうに視線を落とした。そして、手元にあるカメラのレンズにそっと指を触れる。

 

「う、うん……。櫛田さんは、悪くないの……私が、勝手にびっくりして、落としちゃって……。私の、すごく大切なカメラ……壊れちゃった、みたいで……」

 

「カメラ、壊れちゃったんだ」

 

淡々と短く相槌を打ちながら、脳内で素早く情報を整理する。

 

おおよそ、櫛田から逃げようとしたところ、慌てていたため、不注意でカメラを落としてしまった──あたりだろうか?

 

一瞬で昨日の現場の状況に見当をつけながらも、そんな内心の推測は一切表に出さず、私はいつも通りの冷めたトーンで言葉を返す。

 

「そう。大事な物みたいだし、早く直るといいね。……じゃあね」

 

用件は済んだとばかりに、私が深追いせずあっさりと背を向けようとした、その時だった。

 

「あのっ……! 結城、さん……っ!」

 

消え入りそうな声で、佐倉さんが私の制服の袖を小さく引っ張った。

振り返ると、彼女は顔を真っ赤にしながら、すがるような目で私を見つめている。

 

「ゆ、結城さんに、お願いがあるんですが……。その、今度の休日……もしよければ、ケヤキモールの電気屋さんに、一緒に、ついてきてもらえませんか……? 一人でお店に行くの、すごく緊張しちゃって……結城さんなら、その、話しやすくて……っ」

 

(──よし。心を開いた)

 

内心で小さく、だけど確実な勝利を確信する。

お節介な綺麗事を言わず、適度に放っておいてくれる私の「そっけなさ」が、今の彼女にとっては一番安全なシェルターに思えたのだろう。

 

「うん、いいよ。じゃあ今度の休日でいいかな?」

「あ、ありがとうございます……っ!」

 

あっさりとそれだけ約束し、私は自分の席へと戻った。

 

鞄を整理するフリをしながら、すぐ隣の席の清隆に、彼だけに聞こえる音量で呟く。

 

「──清隆。今度の休みって空いてる?佐倉さんとケヤキモールの電気屋に行くことになったんだけど、清隆も一緒に来て」

「……それは俺が来てもいいものなのか?佐倉はお前を誘ったんだろ?」

「彼女から話を聞きたいんでしょ?ちゃんと時間は作るから。……それに、清隆なら大丈夫。納得してくれるはずよ」

 

(彼女のあの様子、私の勘が正しければきっと……)

 

私と話している時も、クラスの連中が須藤の事件で騒いでいる時も、佐倉はずっと周囲の「視線」に怯えていた。

あの拒絶の仕方は、ただの引っ込み思案なんかじゃない。

 

──私には、彼女の痛みがよく分かる。

 

親の関係で、昔から男たちの下卑た、いやらしい視線をこれでもかと向けられて育ってきた私だから。無遠慮な視線に晒されることが、どれだけ息が詰まるほど苦しいか、嫌というほど知っている。

 

佐倉が怯えているのも、きっとそういう類の不快な視線だ。

 

だからこそ、清隆なら大丈夫。

出会ったその日から、私にそんな下品な目を一度も向けてこなかった彼なら。きっと佐倉も安心できるはず。

 

その「視線」にまつわる彼女の事情を、清隆なら当日になれば、私の言葉の意味も含めて納得してくれる。

 

「……わかった。お前がそこまで言うなら、お供させてもらおう」

 

読書を装ったままの彼から、静かな、けれど確かな同意の言葉が返ってくる。

私は机に頬杖をついたまま、前を向いて薄く微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約束の休日、私と清隆はケヤキモールの待ち合わせ場所へと向かった。

 

そこには、夏の時期だというのに深々と帽子を被り、顔の半分を覆うような大きなマスクをつけた女子生徒が、周囲を警戒するように小さくなって立っていた。

 

私は隣の清隆と視線を交わし、彼女へと歩み寄る。

 

「あの、佐倉さんでいいんだよね?」

 

声をかけると、彼女はビクッと肩を跳ね上がらせて顔を上げた。

 

「は、はい……! あの、今日はよろし……」

 

挨拶をしようとした佐倉は、私の姿を正面から捉えた瞬間、言葉を失ってフリーズした。

 

今日の私は私服姿で、いつもの地雷系ファッションだ。学校での、地味な雰囲気とは打って変わって、メイクもしているからガラリと印象が変わっているはずだ。そんな私の姿に、佐倉は周囲への怯えも忘れたように目を奪われている。

 

「あ……き、キレイ……っ……」

「ふふ、ありがと」

 

ぽつりと漏らして、私から目を離せないでいる彼女に、私はちょっと照れくさくなりながらも、本題を切り出した。

 

「今日はごめんね。私だけじゃあれかなって思って、清──綾小路くんも連れてきたんだけど、同行させてもらってもいいかな?」

 

普段の癖で『清隆』と呼びそうになってしまったけれど、あまりクラスメイトと交流のない佐倉相手だと、下の名前だけじゃ誰のことだか瞬時に伝わらないかもしれない。

私が咄嗟に配慮して言い直すと、隣の清隆が読めない視線を一瞬だけ私に向けてくる。だが、佐倉さんはそれどころではない様子で、慌ててぶんぶんと首を振った。

 

「佐倉さん?」

「はっ、あ、すみません! 大丈夫です! あの、それよりもしカメラが直ったら写真撮ってもいいですか……? 今日の結城さん、すごくキレイで記念にって……」

「写真か……うん、いいよ」

 

まさかの提案に少し驚きつつも快諾すると、私は、さっきからずっと気になっていた彼女の異様な重装備に視線を向けた。

 

「……それにしても、佐倉さんその格好って」

「あ、これは目立ちたくなくて!」

 

私の言葉に、佐倉は慌てて両手でマスクの上から顔を覆うようにしながら弁明する。

 

「それじゃ逆に目立っちゃってるから、せめてマスクは外そうか」

 

私が少し苦笑を交えて促すと、佐倉は「あ……」と今さら気づいたように小さく声を漏らし、おずおずと耳からゴムを外した。

ようやく露わになった彼女の顔は、緊張で固くなっている。

 

(目立ちたくない、か……。やっぱりさっきから、周囲の視線を過剰に気にしている。これは私が思っていたよりも、彼女をここまで追い詰めている『相手』は根が深くて厄介なのかもしれない)

 

この怯えきった彼女を一度落ち着かせるためにも、私はここで予定を変更することにした。

 

「じゃあ、電気屋に行く前にカフェでちょっと話さない?」

「俺は別に構わないが。……佐倉はどうする?」

 

私が振ったパスを、清隆がいつも通りの抑揚のない声で綺麗に拾ってくれる。

突然の提案に、佐倉はぱちくりと目を丸くして驚いていたけれど、すぐに小さく頷いた。

 

「え、あ……はい。私、は、問題ない、です……っ」

「ありがとう。じゃ、行こうか」

 

私達は近くの落ち着いたカフェへと移動した。

他のお客さんと適度に距離のある、静かなボックス席に座り、それぞれ注文を済ませて一息ついたところで、私はテーブルに頬杖をつき、佐倉をじっと見つめた。

 

あえて遠回しな言い方はせず、私はいつも通りのトーンで、単刀直入に切り出した。

 

「で、佐倉さん、何か悩み事があるんじゃない?」

 

私のストレートな問いかけに、佐倉はビクッと身体を強張らせた。

 

「ど、どうして、それを……っ」

 

大きな目をさらに見開いて固まる佐倉に、私は冷めたトーンのまま、理由を告げた。

 

「人と関わるのが苦手な佐倉さんが、わざわざ私を誘うんだもん。一人で行くのが緊張するってだけじゃなくて、何か別の理由があるんだなって思うよ」

 

そこまで言って、私は少しだけ声を落とした。

 

「それに……さっきから、すごく周囲の視線を気にしてるから。もしかして、ストーカー……とか、そういう男関係のトラブルなのかな、って」

 

──私自身、親の関係で男達のいやらしい視線に散々晒されて育ってきた。だからこそ、彼女が周囲に向ける「怯えを含んだ警戒心」の正体が、ただの自意識過剰なんかじゃないことくらい、感覚で分かってしまう。

 

「あ……」

 

図星だったのだろう。佐倉は小さく息を呑み、痛いところを突かれたように視線を彷徨わせた。

そんな彼女の様子を肯定と受け止め、私は隣の清隆へと視線を移す。

 

「だから、綾小路くんも呼んだんだ。もし本当にそういう不審者がいるんだとしたら、私一人じゃ心許ないし……何かあった時、男の人がいた方が抑止力になるでしょ?」

 

私がそう言うと、清隆は「やれやれ」とでも言いたげに、小さく肩をすくめて見せた。

 

「そういうことだ。佐倉が男関係の何かに怯えているなら、俺みたいな無害そうな男が一人紛れていた方が、カモフラージュにもなるだろ」

 

清隆のその、どこまでもフラットで、一切の邪心を感じさせない声。

男という存在そのものに怯えていたはずの佐倉だったけれど、私と清隆の言葉を聞くうちに、その瞳から少しずつ恐怖の感情が消えていくのが分かった。

 

「結城さん……綾小路くん……」

 

佐倉は、テーブルの上で自分の手をぎゅっと握りしめると、覚悟を決めたようにぽつり、ぽつりと語り始めた。

 

「あの……その、今使ってるこのデジタルカメラ……入学してすぐに、今日行くケヤキモールの電気屋で買ったんです」

 

そこから彼女が途切れ途切れに語った内容は、想像以上に深刻なものだった。

 

どうやら彼女は、中学の頃からネット上で『雫』という名前でグラビア活動をしているらしい。そして、入学直後にカメラを買いに訪れた電気屋の店員がその熱烈なファンであり、すぐに正体がバレてしまったということ。

その日から彼女のブログへ気味の悪いメッセージが届くようになり、最近では寮の部屋にまで手紙が送られてくるようになったこと。

 

(なるほどね。彼女が怯えている理由はそこからか)

 

単に「お店に行くのが緊張する」なんて、そんな生易しいレベルの話じゃない。現在進行形で深刻な被害が出ているんだ。そりゃあ、あんな帽子やマスクの重装備で来るわけだ。

 

私はテーブルに頬杖をついたまま、少し声を落として二人に提案した。

 

「私が1人で電気屋に行って、代わりに修理依頼を出してくる。佐倉さんは念のために、綾小路くんと一緒に少し離れた場所からお店の様子を確認していて」

 

「え……っ?」

 

私の思いがけない提案に、佐倉はぱちくりと目を丸くした。

 

「そ、そんなのダメです……っ! 結城さんに全部任せるなんて申し訳ないですし、私のトラブルにこれ以上巻き込めない……!」

 

必死に首を横に振って断ろうとする佐倉に、私は淡々と言葉を重ねる。

 

「相手は佐倉さんに執着してるんだし、私が代わりに客として行くのが一番安全だよ。それに──もし佐倉さんが修理を頼んだら、修理依頼書に名前や住所、電話番号を書かなきゃいけないでしょ?」

 

「もし、あの店員にその書類を見られたら、ストーカー行為が今よりもっと悪化するかもしれないよ」

「っ……!」

 

私の指摘に、佐倉は息を呑んで完全に言葉を失った。そこまで頭が回っていなかったのだろう、みるみるうちに顔が青ざめていく。

 

すると、それまで静かに話を聞いていた清隆が、カップを置いて口を開いた。

 

「結城の懸念はもっともだ。だが、リスクは個人情報だけじゃない。今は画面がつかなくても、修理後に確認動作で中のデータを見られる可能性がある。今のうちにSDカードは抜いておいた方がいい。……内蔵メモリの方に、見られてまずいデータは残ってないか?」

 

淡々と、けれど的確に問題点を洗い出していく清隆の言葉に、佐倉はハッとして震える手でカメラの底面を開け、挿さっていたSDカードを抜き取った。

 

「内蔵メモリは……基本、景色の写真ばかりだから大丈夫です。自分の写真は、絶対に本体には残さないように、ちゃんとSDカードに保存するのを徹底していたので……」

「じゃあ、なおさら私が持っていった方が安全だね。万が一、動作確認で画面がついたとしても、景色の写真だけなら疑われる心配もないし」

 

私がそう締めくくると、清隆も小さく頷いた。

 

「ああ、これがベストだ。俺が横についていれば、もしあの店員が店外に出てきても佐倉をガードできる。結城の言う通りにするのが一番いい」

「結城さん……綾小路くん……」

 

二人の言葉に、佐倉はもう反論する言葉を持たなかった。彼女は小さく震える手でバッグを漁ると、一枚の書類を取り出して私へと差し出す。

 

「これ……買ったときの、保証書、です……っ。お手数をおかけして、本当に……本当にごめんなさい……っ」

「いいよ、気にしてないから。じゃあ、行こうか」

 

私は佐倉からカメラと保証書を受け取り、自分のバッグへと収めた。

 

 

 

 

 

私達はカフェを出て、ケヤキモールの電気屋の前へと到着した。

店の外から受付カウンターの様子を窺っていると、私の背後に隠れていた佐倉が、小さく息を呑む。

 

「い、いました。あの店員です……っ」

 

怯える佐倉の視線の先──修理受付のカウンターの中に、いかにも粘着質そうな男の店員が立っているのが見えた。

まさにあの男が、今の受付担当らしい。

 

「じゃあ、行ってくる」

 

私は短くそう告げると、佐倉から預かった保証書とカメラを手に、一人でスタスタと店内に足を踏み入れた。

 

私は男の正体を知りながらも、何食わぬ顔でそのカウンターへと向かい、佐倉のカメラと保証書をコトリと置く。

 

「すみません、修理をお願いしたいんですけど。落としてから電源が入らなくなっちゃって」

「あ、はい。修理依頼ですね。保証書をお預かりします」

 

男の対応は、意外にも仕事としてはごく普通のものだった。カメラの型番をチェックし、保証書に目を落とす。

 

「こちらの保証書、まだ期間内ですね。でしたら今回は無料で修理が可能ですよ。では、こちらの紙に御名前とご連絡先、ご住所の記入をお願いします」

 

差し出された書類に、私は自分の名前や寮の住所を記入していく。

 

──その時、正面からねっとりとした、不快な視線が突き刺さるのを感じた。

 

カウンターの向こう側で、男は私の手元を見るフリをしながら、若い女子高生である私を真っ正面から品定めするような、いやらしい目を向けてきている。

 

(……視線を外した瞬間にこれか)

 

私は内心、その露骨すぎる態度に呆れ返ってしまった。向けられてくる視線に気づかないフリをしながら、依頼書を書き進めていると、男の視線は、私の顔から首元、そして──胸元へと移った。

 

その瞬間。

男はあからさまにつまらなそうな顔になり、フン、と興味を失ったようにため息をついて、そのまま視線を逸らした。

 

 

───────は?

 

(コイツ、マジふざけんな■■■■!!今あからさまにガッカリしたろ。何だその目は。お前のその腐った目ん玉、二度と■■できないように■■■してやろうか。この■■■■が!!!)

 

顔はピクリとも動かさず、完璧なポーカーフェイスのまま淡々とペンを走らせる。けれど私の脳内は、自分でも引くほど辛辣極まりない罵詈雑言の嵐で埋め尽くされていた。

 

(……ふぅ、落ち着け私。こんな羽虫に感情を動かされるなんて、らしくない。時間の無駄だ)

 

心の中でフゥ、と冷たい息を吐き、何事もなかったかのように書類を書き終えて男に突き返す。男はすっかり興味を失った様子で無気力に手続きを済ませ、私は無事に修理の控えを受け取った。あいつのツラを二度と見ないように、無言のままスタスタと店を後にする。

 

二人が待つ柱の陰へと戻ると、佐倉が今にも泣き出しそうな顔で駆け寄ってきた。

 

「結城さん……っ、だ、大丈夫でしたか……っ?」

 

不安そうに涙目で私を見上げる佐倉。

私はそんな彼女の言葉にすぐには答えず、無言のまま──彼女の、服の上からでもはっきりと主張している、圧倒的なボリュームの胸元へと視線を落とした。

 

(この大きさ……E、いや、Fってところか)

 

「なるほどね……」

「?」

 

不思議そうに小首を傾げる佐倉に、私は何事もなかったかのように視線を戻し、いつものトーンで普通に対応した。

 

「うん、大丈夫。保証期間内だったから、無料で修理できるって。問題なく終わったよ」

「よ、よかったぁ……っ」

 

佐倉は本当に安心したように、ペタンとその場にへたり込みそうなほど胸をなでおろした。

 

肉体というか、所詮男は巨乳が一番ってことか。……納得はいかないけれど。

 

さて、私の役目はここまで。

 

「じゃ、佐倉さんの用事は無事に済んだし、私はちょっとプライベートの用事を済ませてくるから、2人はその辺ブラついてて貰ってもいい?」

 

私が何でもないことのように切り出すと、佐倉はぱちくりと目を丸くして、急に不安そうに私と清隆を見比べた。

 

「えっ……あ、あの、結城さん、一人で行っちゃう、んですか……っ? その、私、達だけ、で……っ」

「俺達だけでブラついてろ、か。随分と急だな」

 

隣から清隆が、いつも通りの抑揚のない声で言ってくる。人見知りの佐倉と二人きりにされることへの苦言のようにも聞こえるけれど、彼のことだ。私がわざとこの場を外そうとしている意図を、とうに察している上でのセリフだろう。

 

私は清隆にだけ見えるように不敵に口元を緩めると、彼の背中を軽くポンと叩いた。

 

「ほら、綾小路くんも佐倉さんに何か話があるんでしょ?」

 

私のストレートなパスに、佐倉は「え……っ? 綾小路くん、が……っ?」と驚いたように大きな目をさらに見開く。清隆は否定も肯定もせず、ただ小さく息を吐いて見せた。よし、これで舞台は整った。

 

「それじゃあ1時間後にさっきのカフェ前に集合ね。じゃ、また後で」

 

二人がそれ以上何かを言い返す前に、私はひらひらと手を振って、今度こそすっきりと自分の買い物をするためにさっさと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

──1時間後。

 

約束通りカフェの前に戻ると、そこにはベンチに座って言葉を交わす二人の姿があった。

 

(やっぱり、無事に清隆と打ち解けたみたい。)

 

遠目からでも、さっきまでの張り詰めた空気感が和らいでいるのが分かる。佐倉は相変わらず少し俯きがちではあるものの、時折小さく笑みを浮かべたりして、清隆とそこそこ親しげに話していた。

 

「お待たせ。二人とも、良い暇つぶしはできた?」

「あ、結城さん……!」

 

私の声に気づいた佐倉が、ぱっと顔を輝かせて立ち上がった。その表情には、私が去る前にあったあの不安や怯えは一切ない。

 

「はい……綾小路くん、すごく優しくて……色々と、お話ししてました」

「別に大した話はしてない。ただの雑談だ」

 

いつも通りの無表情で淡々と言う清隆だが、佐倉との間の空気感は確実に柔らかくなっている。私の狙い通り、二人の距離はそこそこ縮まったようで何よりだ。

 

すると、清隆の視線が、私の手元へと向けられた。

私が持っている、中身の見えない少し大きめの紙袋に目を留めたらしい。

 

「プライベートの用事だったか?一体、何を買ったんだ?」

「それは秘密」

 

私はフッと口元を緩め、紙袋を少し後ろに隠すようにして平然と言い放った。

 

清隆は深く追及するつもりはないらしく、「そうか」とだけ言ってあっさりと引き下がった。

 

「じゃあ、佐倉さんのカメラも無事に預けられたことだし、今日はこれで解散にしよう。佐倉さん、また何か困ったことがあったら、私か綾小路くんに言いなよ」

「はい……! 結城さん、本当にありがとうございました……っ」

 

佐倉は本当に救われたような顔をして、何度も深く頭を下げてくれた。

 

その後、私達はその場でそれぞれの帰路につき、解散となった。

 

清隆の目的も果たせたようだし、今日のところはこれでよし。私は小さく笑みをこぼすと、夕暮れに染まり始めたケヤキモールを後にした。

 

 

 

翌日の放課後

 

エンジェルちゃんに変身した私は、撮影用カメラのピントやマイクの音量を調節している清隆の前に仁王立ちしながら宣言した。

 

 

「清隆、悪いけど今日の予定を変更するわ。ボードゲームの実況動画はやめ」

「予定変更か。構わないが、代わりに何を撮るんだ?」

 

カメラから視線を外さずに尋ねてくる清隆に、私は紙袋から『それ』を取り出し、机の上にコトリと置いた。

 

昨日、ケヤキモールで仕込んできた、ずっしりと重みのあるシリコンの塊だ。

それを見た瞬間、清隆の手がピタリと止まった。彼は机の上の物体と私の顔を交互に見比べ、いつも通りの平坦な声に、ほんの少しの呆れをにじませる。 

 

「……まさか、昨日言っていたプライベートの用事って……」

「そう、これを買ったの」

 

私はふんと鼻を鳴らし、腕を組んで昨日の男の態度をぶちまけた。

 

「昨日のあのストーカー男、最初はあからさまに、いやらしい目で見てきたくせに、私の胸に視線を落とした瞬間、ため息ついて視線を外しやがったのよッ!なんて屈辱!!」

「……なるほど。それで手続きが終わった後、あんなに殺気立った顔をしていたわけか」

 

清隆の冷静な指摘に、私は「そうだよ!」とキッと彼を睨みつける。

 

「どいつもこいつも胸、胸、胸!この前の山内の件といい、私のプライドはズタボロにされたの!……そして、それと同時に貧乳の子はみんな毎日こんな屈辱に耐えてるのかって思ったら、私と同じ気持ちの女の子達を救済したいって思った。だから、今日はこれを検証する動画にするの」

 

私の熱い(?)宣言に、清隆はため息をつくように小さく首を振った。

 

「前にも言ったが、お前はそこまで気にするほどじゃ……」

「甘い!!」

 

私は清隆の言葉をピシャリと遮り、一歩詰め寄った。

 

「うちのクラスの女子をよく見なよ! 櫛田さんも、佐倉さんも、長谷部さんも、……挙句の果てには茶柱まで、他クラスに比べて明らかに巨乳の割合がおかしいでしょ! なんなのあれ。そのせいで、Bカップの私なんてただの平凡サイズ、Aカップとほぼ同じ扱いにされてるんだからね!?」

 

さらに私は、机の上のシリコンブラをキッと指差した。

 

「それにね、一度くらいは巨乳の気持ちってやつを味わってみたいじゃない。いつもあの包囲網のせいで理不尽な格差を感じさせられてるの。今度は私が、その気分を体験する番!」

 

私のあまりの気迫に、清隆はカメラのモニターから目を離し、心底不思議そうに尋ねてきた。

 

「……それをやって、後から虚しくなったりはしないのか?」

「シャラップ! 企画なんだから虚しくないの! ほら、いいからカメラ回して!」

 

図星を突かれて少し顔を赤くしながら枕を投げつけると、清隆はそれをひょいと受け止め、「そうか」とだけ言って、ようやく諦めたように機材の録画ボタンを押した。

 

 

 

撮影が順調に進む中、ついにシリコンブラを装着する時がやってきた。

手に持った時点でそれなりの重さは覚悟していたけれど、いざ衣装の下に仕込んでみると、その差は歴然。胸元にずっしりと加わった未知の重量感に、私は思わず目を見張った。

 

「……っていうか、何これ、すっごく重いな。いつもあの子達って、こんな脂肪の塊を胸につけて生きてるわけぇ!?歩くたびに視界の下で凄い揺れるんだけど〜」

 

本気で戦慄する私を、清隆はプロデューサーとしての冷静な目で観察していた。

 

「ルヰ。そのダボっとしたセーラー服だと、せっかく盛れていても画面越しじゃ変化が伝わりにくいぞ」

「え? じゃあどうするの?」

「いっそ、普通の無地のTシャツにでも着替えてみたらどうだ。その方が視聴者にも違いが明確に伝わって、動画としての説得力が増す」

「流石ピだね!じゃあ、腕の傷はリストバンドで隠して〜、ちょっと着替えてくるね」

 

私はクスクスと嬉しそうに笑うと、クローゼットへ向かった。セーラー服を脱ぎ、剥き出しになった手首の傷跡に慣れた手つきでリストバンドをはめて隠してから、部屋着として使っているTシャツに着替える。

 

再びカメラの前に立つと、薄手のTシャツになったことで、シリコンブラによって形成されたEカップの胸が、これでもかと強調されていた。正直、自分でも視線をどこに置けばいいか分からないレベルだ。

 

清隆の方を見ると、彼はカメラのモニターをじっと見つめたまま、一瞬だけ沈黙した。

 

「どうどう? これなら分かりやすい?」

「ああ。……破壊力は十分だ。男の視聴者なら、サムネイルを見ただけでクリックするだろうな。動画としてのクオリティは保証する」

「ふふん、ピの太鼓判、いただきましたぁ! よしよし、それじゃあこのまま本番撮影いっちゃうよぉ!」

 

 

 

 

 

数日後。

『エンジェルちゃん、巨乳になりました。』というタイトルにEカップ姿のエンジェルちゃんのサムネを掲げた動画は、狙い通り初日から凄まじい再生数を叩き出した。

 

「男ウケ」を狙った動画ではあったが、それ以上に反響が大きかったのは、学校内の女子達の口コミだった。校内掲示板やSNSでは、その驚異的な「Before/After」の映像に、一部の女子生徒達が色めき立っていた。

 

 

 

 

さらにその数日後──

ケヤキモールにある下着専門店には、奇妙な現象が起きていた。

夏の暑い時期だというのに、深々と帽子を被り、大きなマスクで顔を覆った「不審者丸出しの少女達」が、吸い込まれるように次々と店内に現れたのだ。

 

彼女達は一言も喋らず、お互いに目を合わせようともせず、ただ取り憑かれたように『エンジェルちゃんが紹介していたシリコンブラ』の棚へと手を伸ばした。

 

ある者はDクラスのツインテールの少女に似ており、またある者はAクラスのショートヘアの少女に似ていたが、お互いに無言のまま領土を奪い合うように商品を掴み取っていく。

 

結果、そのシリコンブラは瞬く間に店頭から消失し、売り切れの札が掲げられることとなった。

 

 

 

「ほら〜見てよ清隆。胸の大きさに悩んでる女の子はこーんなに沢山いるんだからね」

 

スマホでその完売報告を見ながら、私は部屋のベッドの上で満足げな笑みを浮かべる。

寝転がったまま足をパタパタさせ、デスクの前にいる清隆にスマホの画面を向けてドヤ顔を作った。

 

私のプライドも癒やされたし、女の子達も救った。完璧な大勝利だ。

 

私の画面をチラリと一瞥した清隆は、相変わらず淡々とした声で、けれどほんの少しだけ口元を緩めて言った。

 

「そうだな。お前のくだらない私怨から始まった企画だったが、結果的に多くの生徒たちの需要を満たしたわけか。プロデューサーとしても、これだけの数字が出れば文句はない」

「私怨って言うな〜!!」

 

こうして、私の「巨乳化計画動画」は学園の裏で伝説を残して幕を閉じたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自室のベッドの上で、白波千尋は膝を抱えてスマホの画面を見つめていた。

 

画面の中で、生徒達の間でカリスマ的な人気を誇る配信者――『エンジェルちゃん』が、水色とピンクのツインテールを揺らしながら、カメラに向かってあざとく手を振っている。

 

いつもの雑談配信。けれど、今日のエンジェルちゃんは少しだけ本気で気味悪がっている様子だった。

 

『……あ、そうそう!みんなにちょっと注意喚起ね!噂で聞いたんだけど、最近知らないオッサンが寮内を彷徨いてるみたいなんだよねぇ!まーじで警備員どうなってるわけ!?もしかしたら、寮に住んでる女子生徒をターゲットに狙ってるかもしれないから、マジで危ないよ!怖すぎるから、みんなも見かけたらすぐに通報してね!絶対だよ!?』

 

画面の向こうでプンプンと怒るエンジェルちゃんを見て、白波は小さく息を吐いた。

 

(知らなかった。そんな怖い噂が流れてるんだ……。みんなの身を心配して警告してくれてるなんて、本当に優しいな、エンジェルちゃん……)

 

エンジェルちゃんの優しさに感動してる白波は知る由もない。その不審な男こそ、佐倉愛理の熱狂的ファンである粘着質なストーカー男だということを。彼は毎日のように佐倉の部屋のポストに手紙を送り続け、その姿を何度も生徒に目撃されて不審がられていたのだ。

 

 

そんな学園の裏で蠢く不気味な現実も、他人の心配も、今の白波には関係なかった。

今、彼女の胸を押し潰そうとしているのは、もっと別の、誰にも言えない悩みだった。

 

クラスのリーダーであり、誰にでも優しくて、太陽のように眩しい友人――一之瀬帆波への、同性としての恋心。

 

「……はあ……」

 

ずっとこの気持ちを隠し通すつもりだった。でも、もう限界だった。

 

白波は震える指先で、1000ポイントの『スパチャ』を送信した。アカウント名は、匿名性を担保するためのフラワーという偽名だ。

 

[フラワー]:(1000pt)

【同性の方に恋をしています。どうしても諦めきれなくて……告白したいです。どうか私に勇気をください……!】

 

 

画面の中で、1000ポイントの派手なエフェクトが躍る。それを見つけたエンジェルちゃんが、真面目な顔をして画面に顔を近づけた。

 

『フラワーさん、スパチャありがとぉ! 『同性の子に恋をしてる。告白したい……』かぁ。うう、まずはそんな大切な、勇気のいるお話をエンジェルちゃんに打ち明けてくれてありがと!

 

──あ、ちょっと待って? さっきからチャット欄の隅っこでユリユリだのホモホモだの言ってはしゃいでるキモオタども、一回だまってろ? エンジェルちゃんはそういうの別に偏見ないけど、真面目なお悩み相談に冷やかし入れてくるの、マジでセンスないから。ブラウザ閉じて今すぐ寝ろ』

 

一瞬でオタク達を一蹴したエンジェルちゃんは、再びカメラの向こうの自分に語りかけるように、力強く拳を握った。

 

『……はーい、お待たせフラワーさん♡

えーっとね、エンジェルちゃんからの答えはね……。

 

自分の気持ちを隠して、物分かりのいい『ただの友達』のフリして隣にいるのって、まーじで心がすり減って死にそうになるからね。男だの女だのクソくだらない外野のノイズなんて全部無視して、自分の心に素直になっちゃえ!

 

ってことで、フラワーさんに向けるエンジェルちゃんの答えは、"当たって砕けろ!"だよ! ずっとその気持ちを抱えたまま、影でウジウジしてるよりか何倍もマシだから!』

 

「当たって、砕けろ……」

 

『──ただね?ちょっとだけ不安なのは、もしその相手がフラワーさんの気持ちを受け入れられない人だった場合だね。

 

傷つけたくないからってさ、その告白を『優しい嘘の理由』で断るの。本当は恋人がいないのに、『ごめん、実は付き合ってる人がいるんだ』って嘘をついて逃げちゃうとかね。

 

……でも、フラワーさんの想い人が、その気持ちを正面から真っ直ぐ受け止めてくれる人だといいね。エンジェルちゃんは宇宙一祈ってるよ!』

 

 

画面の中で、エンジェルちゃんが両手を合わせて可愛く祈るポーズを取る。

白波の目から、ポロポロと涙がころがり落ちた。

 

(そうだ……ウジウジしてちゃダメだ。ちゃんと、一之瀬さんに気持ちを伝えよう)

 

エンジェルちゃんの言葉が、怯えていた白波の背中を優しく押し、せつないほどの勇気を与えていた。

 

 

 

 

 

金曜日の夕方4時、学校の体育館裏

 

夕日に照らされた薄暗いその場所に、白波は胸の鼓動を抑えながら足を進めた。

ずっと心に秘めていた一途な想いを、今日こそ大好きな一之瀬さんに伝える。そのために、ラブレターを事前に手渡して、ここに呼び出したのだ。

 

緊張で指先を震わせながら、ゆっくりと角を曲がる。

 

「一之瀬さん……?」

 

だが、白波の目に飛び込んできたのは、予想もしない最悪の光景だった。

 

「あ、千尋ちゃん!? あのね、これは──」

 

白波の姿を見つけた一之瀬が、明らかに動揺した様子で弾かれたように顔を上げる。その隣にいる男子生徒――綾小路清隆は、感情の読めない死んだような目でこちらを見ていた。

 

「いいです。分かってますから……」

「え?」

 

白波は、溢れそうになる涙を必死に堪えながら、一歩後ろに下がった。

頭の中で、昨夜のエンジェルちゃんの言葉が、まるで不吉な予言のように脳内でリフレインする。

 

 

 

"傷つけたくないからってさ、その告白を「優しい嘘の理由」で断るの。本当は恋人がいないのに、「ごめん、実は付き合ってる人がいるんだ」って嘘をついて逃げちゃうとかね"

 

 

 

「その人、うちのクラスじゃないですよね? その人が恋人だから諦めてって、嘘をついて逃げようとしたんですよね?」

「ち、ちが!」

 

一之瀬が必死に手を伸ばし、否定しようと言葉を紡ぐ。

 

けれど、その焦りまくった態度こそが、白波にとっては「図星を突かれた」という決定的な証拠に見えてしまった。

 

「別にいいんです……。女の子同士だし、断られる可能性が高いってわかってたから……」

 

白波の視界が、涙で完全に歪む。

 

「でも、断られるなら、私は普通に振られたかったな……っ」

 

嘘の恋人なんて舞台装置まで用意されて、自分の本気の恋心を「無かったこと」にしようと煙に巻かれた。それが、何よりも悲しくて、悔しくて、屈辱だった。

 

「待って! 千尋ちゃん! 千尋ちゃん!!」

 

背後から上がる一之瀬の悲痛な叫び声を無視して、白波はただひたすらに走った。

 

涙を流して走り去っていく白波の背中を見送りながら、一之瀬帆波はその場に立ち尽くし、自分が良かれと思ってついた嘘が、取り返しのつかない最悪の結果を招いてしまったのだと気づき、青ざめるしかなかった。

 

 

 

 

その日の夜。

白波は布団に顔を埋め、声を殺して泣き続けながら、スマホに映るエンジェルちゃんを見つめていた。

 

「……う、うううっ……エンジェルちゃん……っ。私の味方は、あなただけ……!」

 

涙で歪む画面の向こう、両手を合わせて自分のために祈ってくれている天使の姿と、あの優しい声だけが、傷ついた白波の唯一の心の拠り所だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

 

 

 

 

前夜、エンジェルちゃんが配信で放った「不審者への注意喚起」は、現実の学校内で凄まじいスピード解決をもたらしていた。

 

寮の女子生徒達の警戒心が跳ね上がった結果、再び敷地内に侵入した佐倉のストーカー男が、生徒達の通報によってあっさりと取り押さえられたのだ。

 

ストーカーの恐怖から解放された佐倉は心境が変化し、須藤がCクラスの三人組と揉めていた現場を目撃していた件について、来週の審議の場で正式に証言してくれることになった。これでDクラスの状況は一気に有利へと傾く。

 

エンジェルちゃんとして、リスナー達の安全を願って掛けた言葉が、こんな良い形で繋がるなんて。みんなの力になれた満足感と、それが結果的にクラスを救う特大のアシストになったことが、純粋に嬉しかった。

 

 

 

──だが、そんな昼間の喧騒など、今の私達には何の関係もないことだった。

 

私達は現在、夜の情事の余韻に包まれていた。

学校での冷徹な仮面も、カメラの前でのあざとくて可愛い『エンジェルちゃん』の仮面も、すべて脱ぎ捨てた完全な無防備な状態。

 

清隆の前でだけは、剥き出しの手首の傷跡すら隠さない。彼の温かい胸元にすっぽりと顔を埋め、静かな心音を聞きながら、私はただ心地よさに身を委ねていた。

 

清隆の大きな手が、私の髪を優しくゆっくりと撫でる。

肌から伝わる心地よさにウトウトと目を閉じかけていると、頭上から彼が、いつも通りの淡々とした声でポツリと言葉を落とした。

 

「佐倉の件が片付いた一方で……今日、一之瀬のことで少し面倒な目にあった」

「ん……? 一之瀬? ──あぁ、佐倉さんと同じくらい巨乳の子の?

 

私は清隆の胸に顔を埋めたまま、思い出したように小さく鼻を鳴らした。すると、頭上からわずかに呆れたような気配が伝わってくる。

 

「……お前のその、巨乳に対しての執着はなんなんだ」

「だって、清隆も男の子だし、また目を奪われてないか心配なんだもん。……で、その巨乳ちゃんに何かされたわけ?」

 

私が唇を尖らせて促すと、清隆はいつもの平坦なトーンで事の顛末を語り始めた。

 

「一之瀬に頼まれて偽の彼氏役をやったんだが、その現場を告白前の白波に直接目撃されてな。拒絶のための嘘だと気づかれて、泣きながら走り去っていって、その事に一之瀬は、かなり落ち込んでいたな」

「え、それって……」

 

私は思わず清隆の胸から顔を上げ、彼の静かな瞳を見つめた。私の脳裏に、昨夜の配信で悩みを打ち明けてくれた相談者のコメントが過ぎる。

 

「ああ。白波は昨日のフラワーと名乗っていた相談者だろう」

 

清隆の口から確信に満ちた言葉が返ってきて、私は「やっぱり……!」と胸の中で全ての状況がピタッと噛み合うのを感じた。

 

画面の向こうで私を頼ってくれたフラワーさんの力になりたくて、私なりに精一杯寄り添って言葉を掛けたつもりだったけれど……まさか現実の一之瀬が、私が「最悪の断り方」として挙げた地雷をピンポイントで踏み抜いて自爆するなんて。

 

しかも、そのカモフラージュとして巻き添えを食ったのが、私の目の前にいる清隆だなんて、なんて偶然だろう。

私はくすくすと笑い、再び清隆の胸に頬をすり寄せた。

 

「一之瀬さんもお気の毒に。でも、ちょっと笑えるね。Bクラスって団結力が高くて仲良しクラスって言われてるのに、これじゃちょっと不穏な空気が流れ始めちゃうんじゃない?これからあのクラス、どうなるかな」

「さあな。一之瀬の求心力が落ちれば、クラス全体の足並みも乱れるかもしれない」

「ねー。それにしても、清隆も災難だったね。これからは女の子の変なトラブルに巻き込まれないでよね?」

「ああ。肝に銘じておく」

 

清隆の胸から伝わる微かな振動と、髪を撫でる手の優しさに、心地よい独占欲が満たされていく。

 

一之瀬達が勝手にすれ違って、どれだけ揉めようが私の知ったことじゃない。フラワーさんを応援した結果、一之瀬のクラスが引っかき回されてしまったのだとしても、それはただの偶然の事故だ。

 

私の世界で、私の味方である清隆は、今こうして私だけの腕の中にいる。

 

──ううん、腕の中だけじゃ、まだ足りない。

 

私はふにゃりと視線を持ち上げると、清隆の引き締まったお腹を跨ぐようにして、彼の身体の上に乗り上げた。

 

シーツが擦れる微かな音のなか、上から見下ろすと、清隆の瞳は相変わらず静かだけれど、その奥にある熱は確かに私を捉えている。

私は彼のリズミカルに上下するお腹の上に両手をそっとつき、上からのぞき込むようにして、甘えた視線を清隆に注いだ。

 

「ねぇ、十分休んだ事だし……もう一回シヨ?」

 

底の知れない恋人の身体が、私の挑発に応じるように再び熱を帯びていく。私は満足げに目を細めると、最高に愛おしい清隆に、溺れるように再び唇を重ねた。

 




一ノ瀬さんを曇らせたい……!
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