達也くんアフター(※充希がいないバージョン) 作:minnie_remon
―達也―
会席の場となる料亭に到着したのは約束時間の30分も前だった。早過ぎるかもと思ったけど、さすがに今回は相手が相手。万が一にも遅刻なんていう失礼は許されない。
(しっかし…ホントに高級料亭って感じだよな…)
長い廊下を女将さんに案内されて歩きながらしみじみ思う。初めて目にする高級料亭の内部は、何と言うか格調高いオーラに溢れていた。そこに置かれている花瓶でさえ数十万円ぐらいしそうな雰囲気だ。
「総理はよくここを利用されてるんですか?」
何気なく女将さんに聞いてみると。
「詳しくは申し上げられませんが、何度か御贔屓にして頂いております」
やっぱりそうなんだな、と思う。伊達総理は庶民的なイメージが強い印象だけど、立場上会った相手や会話内容が部外者に漏れちゃいけないから会食も自ずとこういう場所に限られてくるんだろうなと。
「こちらでございます」
女将さんが足を止めた。
「この部屋なんですね、案内ありがとうございます」
お礼を言ってから、無造作に襖を開ける。するとその時、女将さんが小さく「あっ」と声をあげて…
「あ…」
次の瞬間、思わず自分も小さく声をあげてしまった。
なぜなら、自分が先に着いたと思い込んでいたのに、実際には既に先客の姿があったから。
「小野達也様、本日はお忙しい所、ご足労頂き申し訳ございません」
立ち上がり、深々とお辞儀をするその人物は、紛れもなくこの国の内閣総理大臣、伊達愛咲美その人だった。
「す、すみません、お待たせしてしまって」
慌てて俺もお辞儀して挨拶する。
「とんでもない。私の方からお会いさせて頂く機会を望んだのですから、先に参上してお待ちするのは当然です」
途端に後ろめたさが込み上げてくる。相手が総理大臣ってことを考えると、30分前行動でもむしろ遅かったのかな…と。
す…と襖が閉じられる。総理の斜め後方には黒服にサングラスの男が1人。SPだ。
「どうぞ、お掛け下さい」
総理に促されるまま、とりあえず座席に腰掛ける。実は俺が座ったのが上座で自分のような若造が総理を差し置いて着席するなんてめちゃくちゃ失礼だって事にはこの時全く気付かなかった。というか上座・下座とか知らないよそんなの。だって料亭なんて生まれて初めてなんだから。
「あの…ところで今日は一体どういったお話でしょうか」
とりあえず単刀直入に聞いてみることにした。
「ええ…」
すると総理は黒服の男にちらりと視線をやって。
「その前に、貴方は席を外してくれるかしら?」
「え…ですが…」
「…聞こえなかった?」
「っ…失礼しました」
慌ててSPが退室し、自分と総理だけが残される。
一瞬だけ見せた総理の冷たい表情と厳しい言葉に、少しばかり驚きながら。
「あの…良かったんですか?」
「良かったとは?」
「もし何か不測の事態があったりしたら…」
「不測の事態とは?」
「いやまあ無いとは思うんですけど、例えば総理を狙う危険な連中が乱入してきたりとか…」
「あら、その時はSPなんかよりもずっと強い方が私の目の前にいるじゃないですか」
「………」
…何ちゅうことを言うんだこの人は。
まあ、もし変な輩が乱入してこようものなら、そりゃ全力で総理を守ろうとはするだろうけどさ…
「それはともかくとしまして、早速私からお話をさせて頂きたいのですが、宜しいでしょうか?」
「え、ああ、はい、もちろんです」
政府が行っている啓蒙活動関係のオファーかな?というのが俺の事前予想だった。例えば違法薬物撲滅だとかいじめ防止キャンペーンだとか。ただその程度のオファーで総理自らがこうして足を運ぶかな?とも思う。だからあるいはもっと大きな話なのかもしれない。例えばオリンピック招致の広告塔とか…
「突然こんなことを伺うのは失礼なのですが…小野さん、今どのぐらいの収入を得られてます?」
「は、はい?」
あまりにも意外過ぎる質問に、思わず呆気に取られてしまう。
というかいきなり何聞いてんだよ!という至極当然のツッコミ以前に、そもそも正確に答えるのがとても難しい質問だった。ファイトマネーは対戦相手次第で大きく上下するし、スポンサー収入なんてその何倍も上下する。
さて何て答えようか。低めの数字を適当に答えておくか…というかこの質問って答える必要あるのか?
なんて考えていると。
「今の収入の倍を保証しますので、私のSPになる気はありませんか?」
「は、はあっ?」
…総理の、SP?
…マジで言ってるの、この人?
「それ冗談じゃなくてですか?」
「ええ、冗談です」
「なんじゃそりゃ!」
今度は思わずツッコんでしまった。
「ただ、もし小野さんにそのおつもりがあるのでしたら、喜んで即採用させて頂きます。ただ、収入は今の数分の一になってしまうかと思いますが」
「…遠慮しときます」
「そうですか、残念です…」
と、総理は本当に残念そうな表情を見せてから。
「ですがこれからお話させて頂く内容に関しては、ぜひ小野さんのお力を貸して頂きたいのです」
「はあ…」
軽いジョークを経て、いよいよ本題のようだ。
「ご存じかもしれませんが、我が伊達内閣では本年を『改革元年』と位置付けており、行政・経済を中心に徹底的な改革に着手する決意です」
改革元年というのは、総理自身が掲げるスローガンだ。長らく続いた自民党政治が終わって政権交代が実現したのだから「元年」というフレーズはしっくり来るものがある。俺自身は政治的な信条は特に無いけど、いち国民として総理には是非とも改革を断行して欲しいと思っている。
「あらゆる分野において抜本的な改革を進めていく所存ですが、その中でも我々が特に重きを置いているのが少子化対策です」
現在の日本では極度の少子化が進行中で、出生率は年々右肩下がりだ。今のままでは数十年後には日本の人口は半減し、人口構成も極端に高齢者に偏ると言われている。とにかく少子化は待ったなしの大問題なのだけどその有効な対策は全く打てておらず、それどころか先の岸破政権で少子化はさらに加速してしまった有様だ。
「少子化の原因は一言では語れませんが、結局の所は女性が子どもを産まない、または産めない社会であるということが大きな問題です。もちろん各人のライフスタイルは自由であり子どもを産まないという生き方も否定されるべきではありませんが、現実として1人の女性が平均して2人以上の子どもを産まなければ少子化は止まりません」
「まあ…そうですね」
多様性が尊重される昨今、女性の自立といった面ばかりが重視され、女性は家庭で我が子を育てるという従来の日本的なスタイルは女性差別的であり唾棄されるべきという風潮が強まっている。今や「女性は子どもを産むべき」と口にするだけで即炎上。それどころか女性が「子どもが欲しい」ということすら言いづらくなっているようにさえ感じる。
でも現実として、女性が沢山子どもを産まない限りは少子化は止まらない。移民を大量に受け入れるべきという意見もあるけれど、それは労働力の確保は達成できても少子化問題を根本的に解決したことにはならないだろう。
多様性は尊重されるべきなのだろうけど、そういった風潮が強くなり過ぎた結果として晩婚化や非婚化、ひいては少子化に繋がっているという面は否定できない。難しい問題だ。
「ですが、私も同じ女だから分かります。今の日本は子どもを産まないという選択をする女性がとても多くなりましたが、自分は子どもを産まないと最初から決めているような女性はごく一部です。本当は子どもを産みたいけど様々なハードルを越えられずに出産を諦めざるを得ない…そんな女性が大半というのが現実です」
「なるほど」
「自ら子どもを産み、母親として我が子を育てたいと願う。それは女性の本能のようなものです」
総理は確信に満ちた口調でそう言って。
「ですから小野さんには、そんな子どもを産みたくても産めない、出産を諦めようとしている女性のために力を貸して頂きたいのです」
「はあ…」
力を貸すったって具体的に何をすればいいんだろう…そう思っていると。
「単刀直入に申します。出産の希望を持ちながらパートナーが不在という女性のために、小野さんには精子提供者になって頂きたいのです」