鉄の錆びた音がして、ネルの眠りはやぶれた。
もう、起き上がる気力もなかったが、あっと思った。この音は地下牢の扉が開かれる音だ。男が帰ってきたのだろうか。
ネルはくらくらする眩暈の中、鉄格子の方へ首を向けた。御器口では何日か前の食器がそのままになっていて、虫がたかっている。
ばたばたと階段を降ってくる音がして、靴音が違うなとぼんやり思っていた。
靴を新しくしたのだろうか、などと取り止めのないことを思ってしまう。
そのうち、誰かが鉄格子の前へ躍り出た。眩しい光がネルの眼を容赦なく突き刺す。
「ネル!」
ドンッと鉄格子が鳴った。ネルは、えっと思った。いよいよ幻覚を見ているのだろうか。ゆるりゆるりと首を動かす。
だがその人影は、見紛うことのない、フェイトなのだった。
「ネル! しっかりしろ! 大丈夫か!?」
フェイト……。
声に出したつもりだが、声にならなかった。代わりに激しい咳が喉を震わせて身体中をぎしぎしと軋ませた。
「ネル! 無理するな、ゆっくりでいい」
フェイトは鉄格子を力まかせに揺らした。そのうち鍵穴を見つけ、屈んで様子を見た。
「クソッ。本当に鍵穴が埋められてる」
ネルは、ベッドからゆっくりと起き上がった。なにか久しぶりに空気が動き出したような安心感で、急に活力が湧いてきた。
「フェイト、本当にすまない……」
「何を謝ってるんだよ!? それならそれはこっちのセリフだ」
フェイトは剣を構えて、ガンッガンッと鉄格子を叩いたが、それはわずかな傷をつけるだけに留まった。
「だめか……」
それからフェイトは、鉄格子の向こうから手を伸ばしてきた。
「ネル、こっちに来られるか?」
ベッドの上でこめかみを押さえていたネルは、その手に誘われるようにゆっくりと立ち上がった。眩暈がしたが、じゅうぶん歩けるほどまだ体力は残っていた。
フェイトのところまであと少しというところまで歩いて、ネルは急に足を止めた。
フェイトが不思議な顔をする。
「どうした? こっちへおいでよ」
しかし、ネルは自分の汚れた身体が気になっていた。汗まみれで、匂いも放っている。
「汚いよ……」
するとフェイトは、なんでもないことのように笑った。
「何言ってるんだよ。そんなこと気にしてる場合か? やっと会えたんだぞ」
それからフェイトはネルを捕まえようとするように手のひらを開いた。
「さあ、おいで。綺麗に拭いてあげるから」
その声のやさしさに、意を決してネルが一歩進むと、ネルはあっというまに腕を引かれ、鉄格子越しに抱きすくめられた。
「会いたかった……ごめんな、ネル。かなり遅くなった」
鉄格子の間から入り込んだフェイトの腕が、ネルの背中を優しく撫でた。その温かさに、ネルは思わず、こみあげるものがあった。
「フェイト……私も、会いたかった」
ネルはか細い声で、しっかりとフェイトの顔を見つめる。あれだけ会いたかった人が目の前にいるなんて信じられなかった。フェイトの瞳を見つめてようやく助かったのだと思った。
フェイトはネルの頬を撫でた。
「まさかペターニにいるとは思わなかった」
「ペターニ? ここはペターニなのかい?」
「ああ。ペターニの富貴商人の息子の家さ。今朝、シランドまで両親と共にやってきて、怖くなってネルを助けてほしいと懇願してきたんだ。例の手紙も彼がやったことらしい」
「えっ? どういうことだい? あの男が犯人だったのかい?」
ネルは暗闇の中で見た、まだ少年の面影を残した男のことを思い返した。彼が富貴商人の息子で、女王陛下にロザリアの脅迫文を送った犯人だというのか。
「じゃあパレードの時の襲撃も彼だったのかい……?」
「いや、それは違う。そっちはアーリグリフの貴族が雇った伏兵だった。そいつらの狙いはアーリグリフ国王だったんだ」
ネルは疾風の副団長、キャメロンの右腕に刺さった弓矢を思い出した。狙いはロザリアというより、アーリグリフ国王側につけているといえば、そう思えなくもない。
「そいつらはもうあのパレードの後すぐに投獄されたよ」
フェイトはネルのパサパサになった髪を撫でた。
ここにいる間、一体何が起こっていたのだろう。わからないことだらけだ。
「あの男……富貴商人の息子は何のために私を監禁したんだい? 狙いはロザリアだったはずじゃ……」
「それが、その富貴商人の息子──ジェイミー・ホストナーは、最初からネルが目的だったんだ」
「私が? 何故」
「彼はクリムゾン・ブレイドの親衛隊、会員番号六番だった」
「は?」
「戦争が終わって、ネルの活躍が見られなくなって悔しくなってネルを独り占めしようとしたらしい。でもできなかったと。それで怖くなって両親に相談して、女王陛下に頭を下げにきたんだ」
ネルは意味がわからなくなって、口籠もるしかなかった。そんなことのために、ここまでのことになったというのか。
「ネル。一週間、よく頑張ったな」
フェイトがもう一度抱きすくめるので、ネルは放心したまま、考えていた。あれから一週間経っていたのか。長いのか、短いのかもよくわからなかった。
「フェイト、ロザリアは無事なのかい? それにアーリグリフ国王は」
「ふたりともネルを心配しているよ」
「陛下はお怒りかい? こんなことになって本当に不甲斐ないよ」
「ネル。ネルがこんなことになったのにネルに怒りを向ける陛下だったら、ついていきたいと思うのか? 陛下もずいぶんネルを心配していたんだぞ。もちろん、僕だって」
「フェイト……」
ネルは、フェイトが持ってきた明かりの中で初めて、自分の手が真っ黒なことに気がついた。それでもフェイトはそんなことは気にしないみたいに、ずっとネルの手を握りしめ、大切そうに撫でている。それを見て、ネルは胃のあたりがきゅっと締まるのを感じた。
ふいにフェイトの声が、一層真剣になった。
「ネル。何かされなかったか?」
ネルはハッとしてフェイトの眼を覗く。
ネルは男の、口腔内を蹂躙しようとした舌を思い出した。それから股を探る手を。乳房を揉みしだく手を。だが、ネルは首を横に振った。
「何もされなかったよ」
それを言うと、フェイトは息を吐いて座り込んだ。
「よかった……」
フェイトは心底安堵したように言った。
「いや、よくないけど、ネルにまた何かあったら、どうしようかと……」
「また?」
「うん、また……」
それからフェイトはふたたび立ち上がり、ネルの手を握った。
「他に聞いておきたいことは?」
ネルが首を振ると、フェイトはわずかに微笑んだ。
「じゃあ、早くここを出て、ご飯を食べよう。すごくやつれてる」
「あぁ、そうだね……でも、どうやって出るんだい?」
フェイトはそれには答えず、ネルの頬を優しく撫でた。
「ネル、愛してる」
フェイトが目を細めてそんなことを言うので、ネルは目を丸くした。
「え? なんだい、突然……」
「言っておきたくてさ。ネルからも言ってよ」
「はぁ!?」
「いいから」
フェイトが一切の曇りもなく爽やかに笑うので、ネルは思わず気圧されてしまった。年下の恋人はなんて素敵に笑うのだろう。
「あ……あ……愛してる……」
ネルがどもりながら愛の言葉を返す。
するとフェイトは、何か言葉を話すでもなく、噛み締めるようにただ黙っていた。
長々とした沈黙に耐えられず、ネルが叫ぶ。
「……何の時間なのさ!」
フェイトは照れたようにただ笑うと、そっとネルの手を離した。
フェイトは懐を探りながら、鉄格子の向かい側の壁を指差す。
「ネル、下がってて」
「なんでだい?」
「危ないから。できるだけ、端の方まで」
ネルは、フェイトに言われた通りに壁際まで下がった。石の壁に背中をつける。
フェイトはそれを見守ると、懐から何かの機械を取り出した。慣れた手つきでそれを操作すると、鉄格子のそばにそれを置く。それから小走りで階段のそばまで避難した。
(爆弾だろうか……?)
フェイトが鉄格子を壊そうとしている。機械はそのうちに激しく光りだし、耳をつんざくような音を立てて爆発した。一瞬で火柱が上がり、爆風が辺りを包んだ。ゴトゴトと音を立てて、鉄格子の下半分が倒れていく。素晴らしい威力だった。
ネルは何日も夢に見た出口をやっと見つけた気がした。どんなにここを出ることを願ったかわからない。
ようやくこの湿っぽい牢屋から出られるのだ。
煙の余韻が落ち着くと、フェイトが鉄格子に開いた穴から手を差し伸べてきた。その手をしっかりと握る。
そうしてネルは鉄格子の破片を避けながら、やっとのことで牢屋から出られたのだった。それだけのことで、全身が軽くなった気がした。
やっと鉄格子越しではない、フェイトに出会えた。
ネルが思わず笑うと、フェイトも笑い声をこぼした。
嬉しくてたまらなかった。
「ありがとう、フェイト。おかげで助かったよ」
やや浮かれ気味に明るく話すネルに対して、フェイトは眉を寄せて、少し困ったような表情を浮かべた。それから独り言のように、何事かを呟いた。
ネルはその言葉に、思わず耳を疑った。
フェイトの言っている言葉が、なにひとつわからない……。
聞こえなかったとか、意味が通じなかったとかではない。文字通りまったく知らない音が、フェイトの口から発せられたのだった。
「フェイト、何を言ってるんだい……? ふざけているのかい?」
もう一度、フェイトはネルの眼を見て何事か話したが、全く意味のわからない言葉がかすれるようにネルの耳に届いた。
何が起こっているのだろう。
爆発で耳がおかしくなってしまったのだろうか。
だが、何度か言葉を交わしてみても、音が不明瞭ということはまったくなかった。それなのに、言葉がわからない。
そうするうちに、ネルはひとつのぞっとする可能性に気がついた。
足元に転がる、爆発物の残骸──
フェイトが爆発させた丸い機械。まさか、通信機だったのでは──
以前、聞いたことがある。フェイトは別の惑星で通信機をオーバーロードさせて、牢屋に閉じ込められた男の子を助けたことがあると。そして通信機とともに、翻訳機能も使えなくなって困ったことがあるのだと。
ネルがそのことに気づき、確かめるようにフェイトを見ると、フェイトはネルが何に思い当たったのか理解しているように、一度だけ頷いた。
それを見て、ネルは膝から崩れ落ちそうになる。フェイトが腕を伸ばしてそれを支えた。
フェイトの腕の中で、ネルはうめいた。
「フェイト、あんた! なんで……なんてことを……!」
フェイトは短い言葉を発した。それさえも何を言っているのかわからない。
ネルは知らず、涙が出てきた。本当に取り返しのつかないことが起きたような気がした。まるで今までずっとわかっていたのに無視し続けてきた自分たちの本当の境界線を、突如目の前に突きつけられたかのように。
「なんて取り返しのつかないことを……! なんで!」
ネルは泣きながら、フェイトの胸許を何度も叩いた。
言葉が通じないなんて悲しすぎる。そんなネルの背中を、フェイトは黙って撫でていた。
誰かの前で涙を流したのはどれくらいぶりだろう。
そうしてどれくらい泣いたのか、いつのまにか泣き疲れて壁によりかかるように座っていた。
フェイトが懐から出した水をネルは空になるまで溺れるように飲んだ。そうしていても、気持ちは晴れなかった。
困り顔のフェイトが、手を引っ張ってネルを立たせた。そろそろ帰ろうということだろう。こうしていても、何か解決するわけでもない。
ネルは呆然として、フェイトの手に導かれるまま階段を昇るだけだった。これからどうなるのだろう。言葉を失ったふたりの関係は、一体どうなるというのだろう。
階段を昇るにつれ、太陽の光が入口に降り注いでいて、目がじんじん痛くなった。一週間ぶりの太陽はあまりにネルには眩しかった。するとフェイトがネルの目の上に手のひらで庇を作ってくれた。フェイトを見ると、優しく微笑みながら、頷いている。そんなフェイトをじっと見つめていると、フェイトが強く手を握ってきた。言葉はわからないが、大丈夫だよ、と言っているのがわかった。
シランドへ帰ってから、ネルは女王陛下の勧めでしばらく療養期間をとることになった。一週間の軟禁生活ですっかり体力も体重も落ちていた。
朝に目覚め、食事をしっかり摂って運動をし、風呂で身体を綺麗にして、夜はぐっすり眠る生活。そんな当たり前の生活を取り戻すことがまず第一だった。
そして、隣にはいつも通りフェイトがいた。以前とひとつ違うのは、言葉が通じないことだけだ。そしてたったそれだけのことに、ネルは深く絶望させられた。おはようも、おやすみも、もう通じない。わかるのは、名前を呼ばれた時だけだった。
久しぶりにふたりの家へ帰り、食の進まぬ夕食を摂っている時のことだった。いつもの他愛のないおしゃべりも、今はフェイトのわけのわからない呟きと、どうするともつかない沈黙に変わってしまったことが、つらくてたまらない。
しょぼくれて皿の上のアスパラを上げたり下げたりしているネルに、フェイトは困ったような視線を向けている。
通信機のことはエレナ博士に相談してみたが、「元のコードがわからないと再現できないね〜」という回答だった。通信機がないと、誰にも連絡がつかない。あの通信機はフェイトの命綱だったはずだ。フェイトはネルを牢獄から出すためだけに、あらゆる犠牲を払ったのだ。そう思うと、ネルは悲しくてたまらなかった。
「ネル」
ふと見ると、フェイトは真剣な眼でネルを見ていた。たったひとつだけ、わかる言葉だった。
フェイトは食卓から立ち上がると、ネルの手を取って立ち上がらせた。
「なんだい……?」
フェイトはネルの手を引きながら、思わせぶりに微笑む。
階段を上がって、二階の小さなバルコニーへ出た。夜風が吹いていて、涼しかった。
フェイトは夜空に向かって指を差した。そこには、満天の星空が輝いていた。大きなパルミラの月と、小さなイリスの月が同時に出ている。
フェイトはこぼれ落ちてきそうな星空の中から、流れ星を指差した。きらきらと星が光りながら、光線を残して落ちていく。
ネルは思わず、ため息のように言った。
「綺麗……」
するとフェイトがネルを見た。そして言った。
「きれい……」
はっとしてフェイトを見ると、フェイトはいたずらっぽい笑みを浮かべてまた言った。
「きれい、ネル」
ネルの言葉を真似したのだ。そう思うと、不思議と笑いが出てきた。
「何言ってんだい、あんた」
フェイトはいつもと変わらない温かさで、ネルを抱きしめた。そっと頬に触れ、いつもと変わらない優しさで口づけを交わす。
まるで言葉なんかいらないみたいに、甘い時間だった。
やがてフェイトは、よーいドンをするみたいに、拳を前後に作った。ネルがはてなマークを浮かべていると、空気を食べる真似をする。二度それを繰り返して、ネルは笑った。
「そうだね、食事中だったね。早く食べよう」
フェイトも安心したように笑顔を浮かべ、ふたりで揃って家の中に入った。
食事を終えて、風呂から上がると、フェイトが爪にやすりをかけてくれた。フェイトのあたたかい背中にすがって静かに爪が磨かれるのを待っていると、ネルは安心していつのまにか眠りに落ちていた。
目が覚めると、まばゆい陽光の中にいた。
ゆっくりと瞼を開く。知らないうちにフェイトが寝室へ移動させてくれていたようだ。隣で寝息を立てているフェイトの顔を見た。朝の光の中で、頬がつやつやと輝いている。ネルは彼を起こさないように指の背でそっと鼻先に触れた。
フェイトとなら、やっていけるだろう。そんな気がしていた。
確かに、今はもう言葉は通じないかもしれない。でも今まで積み重ねてきた言葉が無くなったわけではない。それに、言葉はわからないかもしれないが、言っていることはわかるような気がするのだ。そして自分たちなら、新しい言葉を積み重ねられる。昨日お風呂でジェスチャーゲームみたいなことをしてネルを笑わせていたフェイトを見ていると、ネルにはそう思えるのだった。フェイトはどう思っているだろうか。
フェイトの青い前髪を指で流して、おでこを出してみる。こうすると、あどけなく見えるから不思議だ。
ネルはフェイトと向かい合うように丸まって、フェイトの寝顔を見ていた。とても平和で、心地良かった。
先に起きて、朝食でも作ってあげようか。目玉焼きに、カリカリに焼いたベーコンがいい。パンは買ってあるから、オレンジを搾ってジュースでも作ろうか。そんなことを考えながらベッドに腰掛けて寝巻きの上を脱いでいると、いきなり裸の背中に手を触れられたので仰天した。
振り返ると、フェイトが寝ぼけ眼で手を伸ばしている。それから謎のセリフを発した。言葉はわからないが、狙うような眼つきでなんて言ったのか、わかる気がした。前に同じことをした時、そういうことを言われたのだ。「そんな格好をするなんて挑発してるの?」と。
ネルは胸に黒い下着しか巻き付けていかなかった。下半身はまだ寝巻きのままだったが、フェイトが背中の施文をなぞるのがわかった。
くすぐったいというより、熱い気がした。
それだけでネルの芯が反応してしまう。もう抗えない力でフェイトに絡め取られている。
フェイトが起き上がってきて、ネルの背中にキスをした。最初は施文に、それからだんだん上がってきて、頸にまで。ネルは熱い息が漏れた。こんな感覚は久しぶりだった。フェイトが耳元でクスッと笑った。それから腰に手を回して、ネルを抱きしめる。抱きしめたまま、フェイトは左右に揺れて朝の光を見た。
これはおはようの挨拶だろうか? でも、ネルはもうそれ以上を期待してしまっていた。
肩越しに振り向くと、フェイトが気づいて微笑んだ。どちらとも取れる微笑みだった。
朝の光の中で、フェイトはあまりに美しく、愛おしかった。
ネルは身体ごと振り返ると、自分からフェイトに口づけた。自分でもびっくりするほど、勢いのあるキスだったので、フェイトは目も閉じないまま驚いた眼をしていた。でも止められなかった。これだけじゃ足りない。
ネルはフェイトの手を取り、自分の下着姿の乳房に当てた。フェイトが息を呑むのがわかる。こんなことをするのは初めてだった。
「フェイト」
ネルはフェイトの名を呼び、息を漏らした。フェイトの眼が、かすかに揺れた。それからネルの乳房の手に力を篭め、揉むようにつかみながら、ネルにキスをした。
「ネル……」
フェイトはネルの裸の背中を支えながら、キスで追いかけつつ組み敷いた。それからフェイトはすぐに上半身の寝巻きを脱ぐ。通じている、とネルは感じた。ネルが何をしたいか、フェイトに通じている。
フェイトの上半身が、ネルの元へ倒れてきた。ネルはフェイトの裸の胸に触れた。すべすべした素肌。ほどよく筋肉がついて、見た目よりもたくましい。
フェイトはネルの横に両腕を突っ張りながら、太陽のように無邪気に笑った。ネルはそんな笑顔を見て、何故だかたまらなく胸が痛くなる。ネルは、曖昧に笑みを返しながら、フェイトに通じないことを言った。
「フェイト……この前は、何もされなかったって言ったけど、あれは嘘……少し、触られた」
何を言われたのかわからないのだろう。しかし、ネルの不安な顔を見て、フェイトは眉を寄せた。
フェイトは肩肘をついてネルの横髪を耳にかけると、上からそっと撫でた。それからゆっくりとネルのおでこにキスをすると、短い言葉を言った。それはとても優しい響きを持っていた。
ネルはフェイトの眼を見てふっと笑うと、言葉を返した。
「私も……愛してる」
ふたりはキスを繰り返した。互いの髪を撫で回し、膝でフェイトの身体を挟み込んだ。息づかいが、だんだん荒くなる。キスが、どんどん深くなる。フェイトの熱い手が、ネルの乳房を優しくねじるように愛撫した。片乳だけが、下着からずれる。
ネルはフェイトをくわえ込むように脚を締めると、下腹部にフェイトの固い一部が当たった。それだけで、ネルはこの先を期待するのをやめられない。
熱いフェイトの身体を泳ぐように、首筋から肩、背中から腰までゆっくりと撫でた。
フェイトはそれに応えるかのように、唇から頬へ、それから耳の後ろや首筋にたくさんキスを落とす。それは優しいキスだった。
ネルは快感にもだえるように喉をのばした。そこに、フェイトが顔を埋める。フェイトの指が、ピンッと乳首をはじいた。それだけで、思わず声が漏れる。
「フェイトッ……」
フェイトは胸元の施文に口づけて、そのまま下にさがり、ネルの乳首を舐め取った。そのなめらかで熱い感触に、ネルはたまらなく扇情的な気分になる。
「ネル」
フェイトはネルの名前を呼びながら、ネルの乳首に吸い付いた。何度も何度も舌で転がされながら、手で掬うように愛撫を繰り返される。反射的に腰を上げると、フェイトの固いものがネルの下腹部を刺激した。
「あぁ……」
ネルはフェイトの頭を撫で回す。粘着質にネルの乳首を吸い取っていたフェイトは、もう一度ネルの唇に優しくキスを落とした。
フェイトは少し身体を起こし、ネルを眺め回すように眼を揺らした。
「ネル……きれい」
それからもう一度胸の施文に丁寧に口づけると、ネルのお腹やおへその横にも口づけながら、ネルの下半身の寝巻きに指を引っかけた。そこから下着が顔を覗かせる。ネルは脱がせやすいように腰を上げた。するとフェイトは手馴れた手つきで、寝巻きを剥ぎ取っていく。
黒い下着が、濡れていた。フェイトはすっかり湿った下着の上から、ネルの下腹部を下からゆっくりと撫で上げた。敏感になったそこが、ビクビクと反応してしまう。
「フェイト、なにするっ……」
フェイトは下着を脱がせながら、ネルの股に顔を差し入れ、下腹部から染み出した体液を舐め取っていった。熱い舌先が、ネルの中まで入り込んでネルをたまらなく気持ち良くさせる。
「あぁっ……!」
フェイトの舌先が勢いよくネルの中を蹂躙した。入口の襞から中の体液が溢れたところまで、フェイトがすみずみまで舐めとっていく。ネルは思わず、フェイトの頭を掴んだ。フェイトの頭が揺れながら、ネルの奥の奥まで攻め立てようとしている。ネルは快感に喘いだ。
くちゅくちゅといやらしい水音がして、フェイトがネルの体液を啜る。フェイトがネルの中の壁を何周も動き回った。ビクビクとネルの脚が震える。ネルの脚がフェイトの肩にかかったが、フェイトは構わなかった。
フェイトの口が、ネルの敏感なところに吸い付いた。
「あっ、あぁーっ……!」
ネルはどうにかなりそうな快感に、フェイトの髪をつかんだ。フェイトはネルの敏感なところを、何度も何度も吸い尽くしていく。ネルが思わず身悶えして横に倒れようとするのを、フェイトが腕で押しとどめて尚も強く吸った。ネルは快感から逃れられず、声にならない声で喘いだ。
それでいてフェイトの手は、優しくネルの太ももを裏側から撫でている。あまりにいろんな刺激がネルの下半身に襲いかかり、ネルの脚はへろへろと力が抜けていく。そんなネルの脚に、フェイトは内側からキスをした。最初は内ももに、それから膝の裏に、またふくらはぎにも。それから指は、太ももの施文をなぞっていた。
ネルは深く、息を吐く。そうかと思えば、ネルの膣に長いものが入り込んで、一瞬息ができなくなった。今度はフェイトの指が、ネルの中に入り込んでいく。それからフェイトは、中の指を押し上げながら、ネルの乳房を揉みしだいた。
「ネル……」
フェイトはさっきと同じ短い言葉を言って、優しい眼でネルを見ていた。ネルは、押し上げられる度に快感にどうにかなりそうで、言葉を返すこともできないで息を漏らしていた。
指使いはどんどん激しくなった。ネルの中を円を描くように蹂躙していく。ネルの中の襞が、その度にめくれた。
ネルは、快感に溺れながら、フェイトの下半身を探り当てた。すっかり固くなったそこは、寝巻きの上からでも存在を主張するかのようにそそり立っている。その一番下の膨らんだところから一番上のかすかに濡れたところまで、ネルはこするように撫で上げた。フェイトが小さく声を漏らし、鼻から息をゆっくりと吐く。ネルは彼の寝巻きをずり下げるようにすると、フェイトの指がそれを引き継いだ。フェイトの裸の下半身が、ネルを指差すように屹立している。ネルはふたたび、それを下から上へ握りしめるように撫で上げた。フェイトの指が、ネルの中で丸く曲がっていく。
フェイトがたまらず、ネルの頬にキスをした。
フェイトの先の方を、ネルはくりくりといじくると、フェイトは「あっ」と言ってネルの肩に倒れ込んだ。そのフェイトの首筋にネルは鼻先をなすりつけるようにキスをする。ギュッとネルの中の指が反応するたびに快感が押し寄せた。その半分でも、フェイトは感じてくれているだろうか。ネルは願いを込めながら、フェイトの先を締め上げた。
フェイトは熱い呼吸を、ネルの肩口で繰り返す。
フェイトは何か言葉を発しながらネルから指を抜くと、背中を向けて股間に装着具を付け始めた。そんなフェイトの背中を、ネルはそっと撫でた。
股がすっかりとろけて、脚に力が入らない。
ぐったりとしたネルの脚をフェイトは持ち上げて、膝頭にキスをした。フェイトはネルの脚を担ぐように掲げ、ネルの股に自身の屹立した先をゆっくりと当てた。それからずるりと中に侵入していく。
「あぁあー……!」
ネルは声を上げた。快感が脳天を突き抜ける。ネルの奥までフェイトが侵入した。フェイトの先端を、ネルの襞が咥え込む。
フェイトが息を漏らしながら、ネルの様子を確かめるように頬を撫でた。ネルははぁはぁと呼吸を繰り返していた。
「ぅ……ん……大丈夫だよ」
フェイトが両手を、ネルの両手に繋いだ。まるでふたりのすべてが繋がりあっているみたいだった。
「んっ……フェイト……」
「ネル……」
フェイトはゆっくりと腰を動かし始めた。ぬぷりぬぷりと音がして、快感が広がっていく。
ネルの腰がビクンビクンと反応するたび、フェイトが甘くうめいた。フェイトも気持ち良いと思ってくれている気がして、嬉しくなる。フェイトに呼応するように、ネルも腰を動かし始めた。
キシキシとベッドが弾んだ。ふたりは激しい波の中にいるみたいに躍動する。
どうにかなりそうだった。快感に任せて仰け反るように喘いでいると、フェイトが身体を密着させ、唇をくれた。熱い息が互いから漏れる。
ねばりつくようにフェイトのものを咥えこんでいる。
フェイトのものに奥まで貫かれるたび、ネルはぎゅっとフェイトの手を握った。
手も唇も下半身も繋がりあったまま、ふたりは果てた。
まばゆい朝の光の中で、何も考えられなかった。
熱い血潮が、身体中を駆け巡っている。
フェイトが胸の上で脱力し、荒い呼吸を繰り返していた。ネルはフェイトから手を離すと、フェイトの汗ばんだ背中を撫でた。
愛している。そんな思いが急激に心の中を満たした。
フェイトもまた、ネルの二の腕を撫でていた。
それから顔を起こすと、ネルの唇にキスをした。一度だけ深いキスをすると、ふたりは目を合わせて微笑みあった。
それからのフェイトは、精力的に働いた。エレナ博士とどうにかして相談しながら、自分の記憶と照らし合わせ、言葉をよく覚えて帰ってきた。
そのたびに、「愛してる」とか、「ネルの意志は鉄より固い」と言って「エレナ博士にどうやって教わってきたんだい……」とネルを戸惑わせた。
そして家で食卓を囲み、物の名前を覚えていた時だった。
「これは?」
「これは水筒。水筒に水を入れる」
「…………?」
「水筒」
「すいとう……水筒」
「そう!」
ネルがグッと親指を上げると、フェイトは嬉しそうに頬をほころばせた。
言葉を覚えるたび、フェイトは嬉しそうに眼をキラキラさせる。子供向け絵本を何冊か見繕ってきてやろうか、そうすれば覚えが早いんじゃないかと思っていた時だった。
「これは?」
フェイトが何かを持った手を差し出してきた。手を伸ばしてそれを受け取る。
「これは……指輪?」
美しいダイヤモンドが輝く指輪だった。見るからに上等なものだ。こんなもの、家にあるはずがない。
目を丸くしてフェイトを見ると、フェイトは面白げに微笑していた。それからおもむろに椅子から立ち上がり、ネルの隣へ来ると、そこで片膝をついた。
ネルはただ驚くばかりだった。フェイトの行動の意味が、言葉はなくてもわかったのだ。
フェイトは真剣な眼で、ネルを見上げていた。まっすぐに、それでいて固くなって緊張している。本気だとわかった。
ネルは思わず椅子を引いて、フェイトに向き直った。
「結婚、してください」
フェイトが一生懸命口にした言葉だった。フェイトが一生懸命、覚えてきた言葉だった。
ネルはいつのまにか、フェイトを抱きしめていた。フェイトが愛おしくてたまらなくなった。
「フェイト、あんた……」
ネルの胸の中で、フェイトが戸惑ったように返事を待っている。
それでネルは、微笑みながら頷いた。
「結婚しよう、フェイト」
そう言って左手を差し出すと、フェイトは噛み締めるように笑顔になった。
フェイトはネルの左手を取り、ゆっくりと確かめるように、薬指に指輪を嵌めた。
自分の指に、指輪が嵌められていく。ネルは信じられないような、くすぐったい思いでそれに見とれた。いつのまに用意していたのだろう。
もう一度フェイトを抱きしめると、ぎゅうっと力強い手応えが返ってきた。まるでフェイトの興奮が伝わってくるようだ。言葉はなくても自分たちはやっていける。そんな気がしていた。
その時コンコンと玄関がノックされた。ふたりは顔を見合わせる。夕食時だった。こんな時間に誰がなんの用だろう。
まるで身体が離れないみたいにフェイトと連れ立って玄関へ立ち上がった。
玄関扉から現れたのは、クリフだった。
「クリフ!」
予期せぬ来客に、ネルとフェイトは思わず顔を見合わせた。
「よう! 久しぶりだな」
クリフは片手を上げてにこやかに挨拶する。
「どうしてここに!?」
ネルが訊くと、クリフは肩をすくめた。
「だいぶ探したぜ。ここがお前らの愛の巣か」
ふたりの背後を見回すと、
「良い家だな」
と微笑んだ。
それからフェイトに、「ほらよ」と土産を手渡した。
「これは……!」
見るとそれは通信機だった。
「オーバーロードさせたのがわかったのか?」
フェイトが久しぶりに流暢に話す。ネルは思わずフェイトを見つめた。
「いきなり信号が消えて消息が途絶えたから、何かあったんじゃないかと思ってな」
とフェイトの肩を叩いた。
フェイトはすかさずネルを見る。
「ネル、わかる……? 言葉が戻ったよ」
ネルは微笑みながら、何度も頷いた。
「ああ、わかる。あんたの言葉が」
「あぁ、ネルの言葉だ」
そう言って、フェイトは嬉しそうに笑った。フェイトにもネルの言葉が通じている。ふたりはようやく言葉を取り戻したのだ。
「やっぱ困ってたんだな。来てよかったぜ」
そう言って、クリフは頭を掻いた。
それからふたりは、家にあるありったけの酒と肉を焼いてクリフをもてなした。
「なんか悪ぃな。こんなに喜ばれるとは思ってなかったぜ」
「クリフは恩人だよ。本当に困り果てていたからね」
そう言って笑うネルの左手に目をとめて、クリフは目を剥いた。
「まさかお前ら、結婚したのか……?」
「まだ婚約中だよ。実はさっき結婚を申し込んだんだ」
フェイトが照れながら話をする。
「かーっ! お前もやるなぁ!」
クリフはフェイトの肩を抱いて大僥倖だった。
そうして思い出話に花を咲かせ、クリフがソファーで大いびきをかき始めた頃、フェイトとネルはバルコニーへ出て、左手の指輪を見つめていた。こんな夜でも、まばゆいくらいにきらきら光っている。
「本当にいいのかい? ネル……」
「何を確かめてるんだい? 当たり前だろ」
ネルは当然すぎることを訊かれたみたいに、口を尖らせた。
「さっきは言葉が通じなかったからさ」
「でも、わかっただろ?」
「うん……」
それが意味することも、互いに喜び合ったことも、表情や身体でわかった。
「でももう懲り懲りだよ。あんたと言葉が通じないのは……」
「そうかな? 僕はたまには通信機を切ってみるのもいいって思ったんだけど」
ネルが眉を寄せると、フェイトはさも面白そうに笑った。
それから、どちらからともなくキスをした。そして目を合わせて笑った。
「これから夫婦になるんだね」
「明日、陛下に挨拶しなくちゃな」
もう陛下への挨拶のことまで考えているフェイトが、頼もしくて可笑しかった。
ネルはフェイトの腕に腕を絡ませた。
「もうあんな無茶はしないでおくれよ」
「わかった。する時は相談する」
「もう……」
肩越しにフェイトを睨みつけると、フェイトはネルの髪を優しく撫でた。
心地の良い夜風が吹いていた。
フェイトはネルの方を向いて言った。
「綺麗だよ、ネル……」
その言葉は、ネルの胸の奥まで染み入ってきた。