―――駅ビルコンサート当日、バスに揺られて移動している。隣には香織。
香織「文化祭と同じ形でやるって晴香から聞いたんだけど大丈夫? 緊張してない?」
珂織「正直な気持ち言っていい? 滝先生にも同じこと言ったけど。」
香織「うん、いいよ。」
珂織「『俺がやるに決まってんだろう。』『俺がこの曲を1番上手く吹ける。』って気分。」
香織「自信満々だね。」
珂織「自信を持つって今までよくわからなかったけど今みたいな気分なのかなって思った。」
香織「でも珂織の言う通りだよ。あの曲…に限った話じゃないけど珂織が1番上手く吹けるよ。」
珂織「うん、だから全然緊張してないし早く吹きたくてウズウズしてる。」
香織「そう、じゃあ心配無用ね。」
珂織「それよりあすかの方はどうなってんの? 俺、職員室でお母様と模試の結果次第って約束したんだけど。」
香織「怒ってる?」
珂織「うん。」
香織「私にもわからない。でも今は演奏に集中して。珂織の演奏にほぼ全部かかってるんだから。」
珂織「うん。」
会場に着いた。準備に取り掛かる。指は滑らかにイメージ通りに動く。問題なし。軽く準備体操と柔軟体操をする。見慣れない集団が通路を通る。部員のひとりから「清良女子」という単語が聞こえた。大会をネットでググっていた時に目にした名前。全国金賞常連の超強豪校。凛とした堂々とした態度。おまけに美人ぞろいときている。吹奏楽部というものは美人が集まるのだろうかと思いたくなる。俺たちの番になる。位置に着く。一礼する。観客席からどよめきが起きる。滝先生が構える。手の振りに合わせてイントロをゆっくりと繊細に吹く。続くエレキギターパート、遠慮せず大音量で吹いた。続いてボーカルパートも同じように吹く。細かいエレキギターパートは素早く滑らかに音は大きく吹く。最後のエレキギターパート、観客の中にライブバージョンを知っている方がいるらしく「ハイ! ハイ!」と合いの手を上げてくださった。ゆっくりとエレキギターパートを吹き終えて合奏が終了する。一礼する。拍手と大歓声が湧く。安心した。原曲はもっともっといい曲なのでぜひ聴いてほしいと思った。
帰り支度をしていると聞き覚えのある声に呼び止められる。
「あ、あの⁉ かっちゃん先輩⁉ お時間よろしいですか⁉」
振り返る。黄前さんだった。彼女の背中に誰かが隠れていて時々俺を覗き見ている。
珂織「黄前さん、どうされましたか?」
久美子「ほら、梓ちゃん。先輩来たよ。」
「う、うん…。」
小声でのやり取りが聞こえる。黄前さんの背中に回り込む。彼女より少し小柄な女子が隠れていた。挨拶した。
珂織「初めまして。3年生のアルトサックス担当、中世古珂織と申します。俺に何かご用件ですか?」
「は、はい⁉ さっきの演奏、とっても素晴らしかったです⁉ 観客の盛り上がりも最高で⁉ 本当に凄かったです⁉ あ⁉ 私、立華高校の佐々木梓と申します⁉ よろしければ写真を一緒に撮らせていただいてもいいですか⁉」
珂織「えっ⁉ 立華高校といえばマーチングで全国金賞常連の超強豪校ですよね⁉ 俺なんかでよろしいのですか⁉」
梓「は、はい⁉ 北宇治にこんなに素晴らしい奏者がいると初めて知りました⁉ どうかお願いします⁉」
珂織「わかりました。何なりとお申し付けください。」
元気でスタイルが良くてポニーテールが印象的な可愛らしい女子だった。傘木さんを彷彿とさせた。完全な他人とは思えなかった。快諾した。色々な角度から佐々木さんのスマホで写真を撮った。完全に笑顔とまではいかなかったが微笑を浮かべるくらいの表情は出来た。
梓「ありがとうございました⁉ 一生の思い出にします⁉」
珂織「光栄です。こちらこそありがとうございました。」
「あ、あの⁉」
振り返る。立華高校の皆さんが集まっていた。
「私たちも写真を撮らせていただいてもよろしいでしょうか⁉」
珂織「はい、いくらでもお付き合いさせていただきます。」
それから全体写真、個人撮影が続いた。全員分撮ったと思う。
「みんな! せーの!」
「「「「「ありがとうございました‼」」」」」
珂織「こちらこそ立華高校の皆さんとの写真撮影という貴重な体験をさせていただきありがとうございました。それでは失礼いたします。」
一礼して立ち去る。北宇治の皆さんはバス内で待っていた。急いで戻った。
香織「モテモテだったね。」
珂織「まさか立華高校の皆さんに褒められるとは思ってなかった。」
希美「それだけ先輩の演奏が凄かったってことですよ! ね、みぞれ!」
みぞれ「凄かったです…。」
気づけばあすかもバスに乗っている。問い詰めたかったが我慢した。それからもあすかは来たり来なかったりの繰り返しだった。そしてある日の部活終了後、滝先生から通達があった。
滝「田中さんが今週末までに部活を続けていける確証が得られなかった場合、全国大会の本番は中川さんに出てもらうことにします。」
音楽室が静まり返った。 そして中川さんがあすかに代わって吹くようになったが今度は高坂さんの様子がおかしい。滝先生に注意されることも多くなった。今までの彼女では考えられないことだった。気になった。直接聞くことにした。部活が終わり急いで追いかけた。
珂織「高坂さん!」
麗奈「……何ですか?」
珂織「一緒に帰ってもいいですか?」
麗奈「……いいですよ。」
珂織「何かあったんですか?」
麗奈「……別に。」
珂織「『別に』って表情と態度じゃないですよ。バレバレですよ。ウソつかないでください。」
麗奈「……すみません。」
珂織「謝らなくていいですよ。責めてるわけじゃありません。どうしたんですか?」
麗奈「滝先生、奥さんがいるんだそうです。」
衝撃だった。好きな男性がいるとは思っていたが滝先生だったとは。高坂さんはもっと衝撃だろう。求められてはいないが抱きしめた。高坂さんは俺の胸に顔をうずめて泣いている。幼い子どもをあやすように髪を撫で続けるだけだった。
麗奈「私、自分の弱さにビックリしました。奥さんがいたって聞いた時、ヤバいくらい動揺して…。私…! 何で気づけなかったんだろう…! お母さんにも『何で今まで教えてくれなかったの⁉』って八つ当たりして…本当…最悪です⁉ でも今は全国大会のこと考えないとってわかっています。だけど…⁉」
珂織「好きなんでしょう? 滝先生のこと。」
麗奈「はい…。」
珂織「だったら全国大会が終わったらパーッと自分の想いを打ち明けちゃえばいいんですよ! 応援してます!」
麗奈「珂織先輩…⁉ ありがとうございます…⁉」
また涙を流して俺の胸に抱き着く。俺は抱きしめることしか出来なかった。
後日、あすかが何事もなかったかのように音楽室に現れた。何でも模試で全国30位以内の成績を取ったらしくそれを楯にお母様に部活を続けることの許可を得たそうだ。今あすかは廊下でひとりで練習している。迷わず詰め寄った。
珂織「あすか、話があるんだけど。」
あすか「何? 今練習中なんだけど。」
珂織「んなことは見りゃあわかるよ。俺との約束はどうなってんの?」
あすか「ごめーん! 忘れてた! 許して! ね?」
珂織「茶化すな。ふざけるな。舐めんじゃねえぞ。ひとりで勝手な真似しやがって。1年の頃『部を引っ掻き回すな』って言ってたよな? そのままお前に言い返してやるよ。」
あすかが一転真剣な表情になる。
あすか「本当にごめん。お母さんの目が厳しくて…そう簡単に部活には出られなかったの。約束を破ったことに関しては本当に悪いと思ってる。ごめんなさい。」
あすかが頭を下げた。
珂織「俺の事なんてどうでもよくなった?」
あすか「そんなことない…。」
珂織「もう俺とするの止める? 丁度いい機会なんじゃない?」
あすか「嫌…⁉ それだけは…許して⁉ お願い⁉」
珂織「そう、それじゃ今までサボった分練習頑張って取り戻して。俺が言いたいのはそれだけ。」
あすか「頑張る⁉ 頑張るから…⁉」
珂織「別にあすかが嫌いになったわけじゃないからそこは安心して。」
あすか「ありがとう⁉ ありがとう…⁉」
珂織「俺も個人錬やる。邪魔してごめんね。」
そう告げて立ち去った。誰もいない空き教室に入る。何度も深呼吸した。頭に昇りそうになる血を必死で抑えた。一応は納得した。これで部の空気も一掃されるなら喜んで受け入れよう。邪念を振り払って練習に励んだ。相変わらず高坂さんの様子がおかしい。先生にも注意されている。まだ何かあるのか気になった。部活が終わった後に追いかけた。
珂織「高坂さん! まだ何かあったんですか⁉」
麗奈「……久美子から聞きました。滝先生の奥さん、5年前に亡くなったって。」
珂織「え⁉ そうだったんですか…。」
もう何と言葉をかけていいのかわからない。ご愁傷様? お気の毒に? どれも違う気がした。
麗奈「ついてきてほしい場所があります。私、自転車で来ましたから。」
自転車で走る高坂さんを俺は自力で走って追いかけた。トレーニング代わりになるので丁度良かった。やがて墓地に着く。ひとつのお墓で高坂さんが止まる。
麗奈「新山先生に無理言って教えてもらいました。」
墓前で跪いて両手を合わせる。彼女が終わった後に俺も同じようにした。
麗奈「私、ずっと思ってました。どうしてもっと早く生まれてこなかったんだろう。私だけ時間が早く進めばいいのに。早く大人になって滝先生に追いつければいいのにって。奥さんが言ってたそうです。『金賞獲りたい』って。」
高坂さんに聞いた。奥さんは北宇治吹奏楽部の生徒だったということ。橋本先生も一緒で滝先生の父上が顧問をやっていたということ。
珂織「そうだったんですか。じゃあ金賞獲らないといけませんね。」
麗奈「はい!」
高坂さんの笑顔を久しぶりに見た気がする。彼女がトランペットを吹く。曲名は知らないが鎮魂歌代わりに吹いたのは察した。それからはいつもの高坂さんに戻った。先生に注意されることもなく伸び伸びと吹いていた。俺は安心した。全国大会を控えているのに色々な事が起きた気がする。ある日、俺に滝先生からひとつの通達があった。
珂織「え? TV取材ですか?」
滝「実は関西大会直後からオファーはあったのですが全国大会に集中しようと思い断ってきました。ですが駅ビルコンサートで更に話題が広がって取材の依頼が殺到しています。中世古くんさえ良ければ取材を受けていただけないでしょうか。我が北宇治吹奏楽部のアピールにもなります。」
珂織「そういうことでしたら俺は構いません。ですが…差し障りの無いコメントしか出来ないと思いますがそれでもよろしいですか?」
滝「構いませんよ。では取材のやり取りはこちらで対応しますのでお待ちください。」
その後緊急ミーティングが行われ滝先生から連絡があった。
「TV局の取材は3日後に決まりました。練習の姿も撮影されるので本番を意識して取り組んでください。」
「「「「「はい‼」」」」」
晴香「何か凄いことになっちゃったね。かっちゃん緊張しない?」
珂織「関西大会と駅ビルコンサートで演奏しただけだからね。何か特別な事をしたわけでもないからピンと来ないよ。」
晴香「かっちゃんは謙虚だねぇ…。良く出来た同級生を持てて私は嬉しいよ。」
そして3日後、取材日当日。朝練に励み。いつも通りに過ごした。昼休みに滝先生に呼ばれ案内された。先に取材をしたいとのことだ。空き教室の扉をノックして「どうぞ。」と呼ばれる。「失礼します。」と声を掛けてから入った。椅子に座るよう促された。取材が始まった。
Q.「身長と体重は?」
珂織「春に計った時は202㎝、110㎏でした。」
Q.「吹奏楽歴は?」
珂織「高校に入って2日くらい経って入部したので2年と半年経ったかどうかというくらいです。」
Q.「将来の夢は?」
珂織「プロボクサーになりたいです。強い選手と戦い続けて日本人初のヘビー級世界王者でメジャー4団体統一王者を目指します。」
Q.「シャツとズボンを脱いでいただいてもよろしいでしょうか。」
珂織「はい、少々お待ちください。」
シャツとズボンとついでに靴下も脱ぐ。
Q.「凄い体ですね。」
珂織「ありがとうございます。適度な運動を心掛けています。」
Q.「最後にひと言。」
珂織「ええと…今まで北宇治吹奏楽部を支えてくださった保護者の皆様。顧問の滝先生、それと…ええと…副顧問の松本先生、外部指導員の橋本先生、新山先生の皆様には誠に感謝しております。そして…頼りになる同級生、良く出来た2年生と1年生の後輩に恵まれて全国大会まで来れました。良い仲間を持てて誇りに思います。残るは全国大会だけです。ぜひ最後まで見守ってあげてください。ありがとうございました。以上です。」
「お疲れ様でした。」のひと声で撮影は終了した。「ありがとうございました。」と一礼して着替える。教室を出る。滝先生と松本先生と吹奏楽部の皆さんが廊下で待っていた。松本先生と晴香は泣いていた。
滝「私も中世古くんのような精神的、肉体的、奏者としても優れた部員を持てたことを誇りに思いますよ。それにしても…夢は世界王者ですか。貴方のことですから物凄い選手になるでしょうね。応援していますよ。」
「「「「「私だってそう(です)よ‼」」」」」
皆様から一斉に声が挙がった。「ありがとうございます。」と一礼した。
松本「中世古…⁉ 済まなかった…⁉ 済まなかった⁉」
抱き着かれる。抱きしめる。
珂織「もう全国大会しかなくてそれで引退です。もういつの間にか恨みも何もかも吹っ飛んじゃいましたよ。」
松本「お前のような生徒を持てて私は誇りに思う⁉」
珂織「今まで苦労をかけて大変申し訳ございませんでした。」
松本「お前の苦労に比べればどうってことはない⁉ いいんだ⁉ いいんだ…⁉」
松本先生との会話で俺の中に数年間残っていたドス黒い何かが消えてなくなった気がした。気分は晴れやかだった。まだ全国大会があるが思い残すものは無くなったように思えた。
滝「ああ、そうでした。合奏練習の始めの1曲目は駅ビルコンサートの曲になります。」
珂織「立ち位置も同じようにした方がよろしいでしょうか。」
滝「はい、最前列でお願いします。」
珂織「かしこまりました。」
部活の時間になる。真っすぐ音楽室へ向かう。TVスタッフの方々が撮影の準備をしていた。向かって右斜め前の位置で準備を進める。あすかが歩み寄ってくる。
あすか「緊張してない?」
珂織「してないよ。」
あすか「本当に?」
珂織「うん。将来の事考えたら何百倍のマスコミの方々に注目されるだろうから予行演習だと思えばどうってことないよ。」
あすか「そう、なら良かった。」
念入りにチューニングする。全員が椅子に座りチューニングも済んだ。滝先生が入ってくる。
滝「それでは合奏練習を始めます。準備はいいですか?」
俺に向かって問いかける。
珂織「はい。よろしくお願いします。」
カメラが俺に向く。滝先生の指揮に従って吹く。最初はゆっくりと繊細に、次のエレキギターパートから大音量で吹く。ボーカルパートも同じだ。間奏と最後ののエレキギターパートだけ細かく滑らかにしっかりと音量を出して吹く。合奏が終わる。一礼して
珂織「ありがとうございました。」
と挨拶して席に着く。その後はコンクール曲の合奏練習に移った。それでもカメラは俺に向いている。鎧塚さんや傘木さんや高坂さんのような有望株を映してほしいなぁと思いながら演奏に集中した。何度か通しで演奏して撮影は終了した。休憩に入った。
晴香「凄かったよかっちゃん⁉ もう…鳥肌が立って聴き惚れちゃった⁉」
葵「そうそう⁉ 滝先生が言ってた通りあの曲がコンクール曲なら全国金も夢じゃないよ⁉」
希美「他の曲も凄いんですよ⁉ 朝練で聴いたので間違いありません⁉」
珂織「恐縮です。」
麗奈「もう…! 褒められてるんですから少しは嬉しそうにしてください! 悪い癖ですよ!」
珂織「油断大敵と念じておりますので…許してください…。」
久美子「麗奈もその辺にしてあげて。先輩だって悪気があってやってるわけじゃないんだから。」
みぞれ「先輩らしくていいと思います…。」
こんな感じで今日も問題なく練習を終えた。ひとりで帰ろうとしたところに人影。あすかだった。
あすか「一緒に帰っていい?」
珂織「いいよ。」
一緒に学校を出た。
珂織「お母様とのトラブルは完全に解決したの?」
あすか「うん、ごめんね。気を遣わせて。」
珂織「こうして戻ってきてくれたから俺から言うことはないよ。」
あすか「怒ってないの?」
珂織「怒ったけどもう落ち着いた。」
あすか「はあぁー! 良かった! ブン殴られる覚悟もしてたんだから。」
珂織「そこまでのことしてないでしょ。クソ上級生共とあすかは違う。そういえばあすかは進路どうするの?」
あすか「京都大学志望。」
珂織「凄いね。国立?」
あすか「うん。」
珂織「それじゃあお母様と揉めるわけだね。偏差値高い所に北宇治みたいな普通の高校から進学するわけだから。」
あすか「珂織は夢はプロボクサーで世界王者って言ってたけど本気なの?」
珂織「うん。せっかく日本人離れしたガタイを持ってるから何か凄いことしたいなって思って。」
あすか「誘惑も多いと思うけど浮気しないでね。」
珂織「既に香織と肉体関係持ってるけどね。もしかしたらふたりが大学卒業して何かしらの仕事に就いても結論出ないかもしれないけど、それでも待てる?」
あすか「私は待てる。香織は知らない。」
珂織「結婚を前提に付き合える?香織には聞いたけど。」
あすか「付き合えるよ。」
珂織「それなら大学卒業まで俺も待つよ。浮気しないでね。」
あすか「するわけないじゃない。珂織の味を知った今なら他の男なんてどうでもいいよ。」
珂織「それは良かった。それじゃあまた明日。」
あすか「うん! じゃあね!」
あすかの姿が見えなくなるまで手を振って見送った。走って帰った。部屋に戻って着替えて運動しまくって後始末諸々を終えて薬飲んで寝た。松本先生との会話を思い出した。すぐに眠れた。