戦国時代に転生した俺はくノ一に助けられ織田軍最強明智鉄砲頭に出世する 作:オッパイは正義マン
元亀4年/天正元年(1573年)4月12日、武田信玄は「西上作戦」から三州街道を甲府へ帰陣する途中、信濃伊那郡駒場で死去した。
信玄の死は一旦は秘匿され、子息の武田勝頼が武田氏当主を継いだ。
武田勝頼「父上、見ていてくだされ。私が、父上の上洛の夢果たしましょうぞ。」
武田勝頼は一人信玄の鎧兜の前で誓いを立て、奮い立たせた。
そこにあるのは果たして、野望か、父信玄の影を恐れてか。それは勝頼しか知らない。
勝頼「信房、高天神城を25000の兵で攻めよ。真田兄弟、真田昌幸も部隊に加えてやる。」
信房「はは、お館様の命とあればこの信房にお任せあれ。」
信房はあの馬場信春の事で今は縁を切ってあるが、八重の父親だ。
真田信綱、真田昌輝は豪傑で武勇を誇り、真田昌幸はあの大坂の陣で徳川家康を追い詰めた真田幸村の父親であった。
天正元年(1573年)、高天神城攻略の足掛かりとして、武田勝頼は馬場信房を遠江に派遣し、諏訪原城の築城を始めた。これに対して、当時、兵力に劣る徳川氏は黙認するしかなかった。
天正2年(1574年)5月、武田氏は2万5000人を動員し小山城を経由して、遠州東部における徳川方の拠点である高天神城を攻撃した。城方は徳川軍の小笠原長忠以下1000であった。
小笠原長忠「家康様の援軍は来ずか、、武田勢の前では千の兵等、、」
小笠原長忠は武田軍襲来と同時に徳川家に救援を求めた。
信房「西ノ丸も落ちたぞ!落城は目の前だ!」
信綱、昌輝「徳川の兵を倒して、武田の恐ろしさを見せてやれ!」
この間に高天神城は、武田軍による攻撃で西の丸が落とされ、兵糧が不足して落城の危機に陥っていた。
小笠原長忠「これまで、降伏しよう。」
真田昌幸「信房殿落ちましたぞ。これで武田勝頼の名は轟くことになりましょう。」
馬場信房「そうか、良くやっくれましたな。しかし、重成殿は息災であろうな。俺とやり合うまで死んでくれるなよ………。」
天正2年(1574年)6月18日、城内で高天神城を本拠とする国衆の小笠原氏助(信興)が武田勝頼に内通して反乱を起こし、小笠原長忠は持ちこたえられずに降伏した。
こうして、高天神城は武田軍に占領された。
難攻不落の高天神城は落城し、武田勝頼の勢いは増すばかりであり、甲斐:22万石、信濃:40万石駿河:15万石
一部支配、西上野:24万石、北遠江:13万石(全域26万石)、東美濃の一部:3万石、奥三河:2万石
飛騨一部:1万石、合わせて120万石と十分織田軍の脅威となる敵となっていた。
しかし、高天神城から始まった武田勝頼の威光は後に家臣達の裏切りで高天神城で終わることはまだ知らなかった。