戦国時代に転生した俺はくノ一に助けられ織田軍最強明智鉄砲頭に出世する 作:オッパイは正義マン
天正10年(1582年)3月、織田信長・徳川家康は甲斐国の武田勝頼を滅ぼし(甲州征伐)上方に凱旋するが、同年6月には信長および既に織田家家督者であった嫡男信忠が家臣・明智光秀によって討たれた。
本能寺の変後には織田家臣の羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が光秀を討ち、清洲会議で信忠遺児・三法師を織田家当主とすることを確認した。その後、秀吉は信長三男の信孝から三法師を奪取した後に、信長次男の信雄を三法師名代に擁立し主君と仰いだ。
一方、三河の徳川家康は本能寺後、織田政権の承認のもと、武田遺領の甲斐・信濃を確保し、五カ国を領有した(天正壬午の乱)。
天正11年(1583年)4月、秀吉は近江賤ヶ岳の戦いにおいて、信孝を擁する織田家筆頭家老・柴田勝家に勝利した。賤ヶ岳の戦いの後、柴田勝家の遺領の越前は丹羽長秀に与えられ、摂津・大坂の池田恒興は美濃を与えられ、大坂の地は秀吉が接収し、同年暮れ新築した大坂城に信雄を含む諸大名を威信を以ってして召集している。
秀吉「恒興殿、長可殿には羽黒攻めを頼むぞ」
秀吉は10万の軍勢を持ってして織田信雄、徳川家康の連合軍三万と睨み合いをしていた。
膠着状態が続いており、痺れを切らした秀吉は池田恒興、森長可らに中入りを命じた。
池田恒興「ここらで休むか。」
森長可「そうですな。兵たちも疲れている。」
陣で休んでいた所に徳川方の酒井忠次が率いる5000の兵が恒興、長可の両軍に夜襲を掛けた。
忠次「まんまとかかりおったわ!家康様の目に狂いはない。釣られた池田恒興、森長可を撃破する!」
襲いかかった忠次軍に、中入りし過ぎた両者は対処出来ず次々に討ち取られた。
その報は秀吉の本陣にも知らされた。
秀吉「恒興殿と長可殿がやられたか。」
官兵衛「流石は徳川家康と言った所ですか。ですが、我々にも策がある。」
秀吉「ほう、官兵衛策とは何じゃ?聞かせてみよ。」
官兵衛「桧ヶ根に重成の5000の部隊と堀秀政殿の部隊8000で徳川勢に当たらせています。勝算はあります。堀殿、重成ならばやってくれるでしょう。」
秀吉「まあ、官兵衛が手塩に育てた重成じゃ。大丈夫じゃて」
桧ヶ根で榊原康政隊と激戦を繰り広げていた俺と秀政殿は苦戦を強いられていたが。
「ここが踏ん張り所だ!皆の者、士気を上げよ!」
俺は喝を入れた。
奮起した5000の部隊は康政と応戦、秀政殿も続いた。
秀政「槇田殿に遅れは取らん!」
康政「退くぞ!撤退だ!」
俺と秀政の軍は一度は退いたものの、巻き返し、榊原軍を退かせた。