「お。翠ちゃん
『
「いいとこ出会った。俺いまムラついてんすよ。一発そのデカパイでスッキリさせてよー」
隣の幸翔の事は視界の端にも入っていない様子で、開口一番に性的奉仕を要求する。
「パイセンのパイはパイオツのパイってね」
制服を着崩し、実用性皆無のミニのラウンドサングラスを掛けたチンピラ風情の男は、以前から翠を『贔屓』にしている三年生であり、いつもの通りに馴れ馴れしく翠の肩に腕を回すと、空いた手で胸を揉もうとする。
翠は震え上がった。怖いのではない。触れられた所の感触が、かつて感じた事も無いくらいに悍ましかった。
気づくと、込み上げる嫌悪感のまま翠は咄嗟に相手の手を払っていた。
これには翠本人も驚いたが、まさか断られるとは夢にも思っていなかった男の驚愕はそれ以上である。あんぐりと大口を開き、しばし呆けた姿を晒した。
その隙に翠は男の腕からも逃れる。
「およよ。なんかご機嫌斜めな感じ?」
男は一瞬たじろいだが、すぐにヘラヘラ笑いながら、叩かれた方とは逆の手をさすりさすり「こいつは骨が折れちったかもしれんね」とおどけてみせる。
「ナースなパイセンに下のお世話をお任せしちゃおうかしら」
股間を指差し、鼻の下を伸ばして助平な顔をする。
「けどさー。翠ちゃん。俺はね、お願いしてるんじゃないのよ。分かる? 命令してんの。め・い・れ・い。公衆肉便器のメスがさあ、オス様の言いつけに逆らうとか、あっはっはっ……舐めてんのかっ! あぁっ!」
半笑いのまま怒気を滲ませ恫喝する。
「道具が自我出してくんじゃねえよ。キメーだろ。テメーら
女の反抗が
「こいつはお仕置きが必要だな、一晩ヒィヒィ言わせて……ああん?」
「なんでそんなひどいこと言うの? 翠ちゃんに謝って」
再度、手を伸ばした男の前に幸翔が割って入った。翠の髪を乱暴に掴もうとしていた男の腕を、逆に掴んで引き離す。
「なんだお前、ガキはどいて……マジのガキだな、ちっ、わけわかんねー、なおさらどいてろよ」
そこでようやく幸翔の存在を認識した男。
ウゼーウゼーと連呼しながら「ガキが口挟んでじゃないぞ」とあしらおうとする。
幸翔の外見から推定される年齢に面食らいはしたようだが、深くは追求せず、そのまま、しっしっと手振りで追い払う。
「そっちこそどいてよ。翠ちゃんはボクの恋人なんだから。これ以上翠ちゃんに触るのは、彼氏として許しません……!」
それに対して、真っ向から翠は自分の物だと宣言する。
翠が幸翔に首ったけなのは既に散々語ってきたが、幸翔の方も美しく優しく包容力に富み、それでいてどこか幼く、かわいらしい彼女の事を憎からず思っていた。
「幸翔くん♥」
自分を庇う御主人様の勇姿に翠の心はキュンキュンした。甘い声で少年の名前を口にする。
そんな二人の姿に、男は腹を抱えて大笑いした。
「ぶっひゃひゃひゃ。カレシにコイビトってお前、気は確かかよ。久しぶりにマジ笑いさせられたぜ。なになに、ぼっくんお笑い芸人でも目指してんの? 翠ちゃんも翠ちゃんで、なーんかお目々うるうるさせてるし、ウケるー、公衆便所相手にカレシだのカノジョだの、うぷぷっ……痛ぇ!!」
翠に対する侮辱に幸翔はキレた。男の腕を握る右手に力を籠める。
「折れるっ! 折れるっ! おい、やめ、ガチで折れるっ……!」
万力で締め上げられる様な痛みに、男は堪りかねて悲鳴をあげる。醜態に溜飲を下げた幸翔は、握る力を少し緩めてやった。
そして、すぐに手加減した事を後悔する。
「けったくそ悪い。テメェ、このクソガキ、華組の奴がこんなところで普通科の制服着てうろついてんじゃねえよ。クソが!」
幸翔の手を振りほどくと、男は後ろに飛び退った。
瞋目罵言。目を怒らせて悪態を吐く。
掟破りの所業に男は激怒した。
子供どころか人間離れした怪力に、何かしらのスキルの介在を確信した男は、幸翔を華組ーー特級科の人間だと判断した。
特級科の貴族気取りのお坊ちゃんたちが、ダンジョンの外でスキルを使えるのは有名な話である。
勘違いではあるのだが、合理的な解釈ではあった。
当の幸翔は華組が何かを知らず、翠は学園から幸翔の履歴について一点偽りを交えて知らされていたので変に話が拗れるのを恐れて訂正しなかった。
「特級のお坊ちゃんがよお、こんな中古オナホにご執心たあ、世も末だなあ、おい!」
懲りもせずにせせら笑い、眼前の恋人たちに重ねて侮辱を加える。
やっぱりその場で折ってやれば良かったと幸翔は思った。
「いいや。あらためてぶん殴れば同じことだもん」
お冠でへの字口。瞳を据えて、ぎゅっと拳を握りしめる。
「おっと待ちな。お坊ちゃんよ、いくらあんたが華組の特権階級たあ言え、学園の規則は守らないといけないぜ?」
対する三年生も同じく拳を握り、ボクシングに似た構えを取ると、幸翔の動きを警戒しながら、殴るのはちょっと待てと忠告する。
「やだ。殴る」
駄々っ子めいた事を言う。その肩にそっと翠の繊手がのせられる。
「幸翔くん」
「止めないで」
「いいえ。止めているわけではないの」
首を振る。先日までの翠ならば、あのくらいの侮辱は甘んじて受け入れていたが、自己を幸翔の所有物と規定した今の彼女に取って、それは御主人様への侮辱を看過するに等しかった。だから、彼が上級生に対して制裁を科そうとする事自体への反対はなかった。
けれど、この場で無造作に殴り掛かるのは拙い。白昼堂々の往来。騒ぎに物見高い野次馬も集まって来ている。
「そうそう。なにせ私闘は御法度。厳禁だからな」
「むう」
幸翔は一声唸ると翠に向けて「そうなの」と目で問うた。上目遣いに向けられた男の子の無言の問いに翠は頷く事で答えた。
倫理の狂った閉鎖社会の癖をして、上っ面だけは整えられたこの学園にあって、暴力沙汰は明確に禁じられた最大タブーの一つである。
一面、外の世界のマトモな学校よりも規制は厳しいかもしれない。
怪物相手の殺し合いに慣れた超人たちが、無軌道に喧嘩を始めれば大惨事となるのは必定ゆえ、この決まり自体は当然の物として当事者たちからも受け入れられてはいる。
「だからって。悪口言ったのが許されるなんておかしいでしょ! 翠ちゃんを馬鹿にされて黙ってられないよ」
口を尖らせ訴える。
「そりゃそうだ。舐めた奴はぶん殴ってやらないとな」
なぜか当の暴言チンピラ男が同意する。
あっさり言われた言葉に、幸翔はキョトンとなる。
「けけ。なんだそのアホ面」
豊芦原学園において喧嘩は重罪である。
度が過ぎれば『反省室』。それで駄目なら『保健療養棟』での『
そうではあるが、武器を手に暴力を振るう事に慣れた若者たちが、全員が全員、お上品に対話で物事を解決できるはずもない。暴力的な紛争解決の手段は別に用意されていた。
「だからメンズーアだよメンズーア。知らねえのかよ」
男が言う。
それを誘い水に、どこからともなく、目の部分だけ切り抜いた袋状の白頭巾を被った男たちがわらわらと湧いてきた。
「『
「めんず……なに?」
幸翔は困惑した。あと、この人たち誰? なんでいきなり出てきたの? 全然分からなかった。
「おや! 御存知ありませんでしたか! よござんしょ。御説明させていただきます。お集りの皆様方も、どうか今一度、『
委員会を代表して一人が前に進み出る。全員同じ格好なので見分けがつかないが、恐らく最初に名乗りを上げて登場したのと同じ人物である。
その場でぺこりと一礼してから、音吐朗々に『
「まず! 『
曰く。諍いを当事者間の武力を以て解決する洗練された方途。
「蛮習の間違いじゃない?」
「暴力は全てを解決するのです」
幸翔の疑問に間髪容れず、覆面で下の表情は見えないが、おそらく真顔で返す決闘委員。
「つまりね少年。この学園のパッパラパーどもが話し合いなんて出来るわけないから、せめて最小限のルールを定めて、最大限の安全マージンを取った上で、それから殴り合って方を付けろ。ケツ持ちは我々決闘委員会がやってやるからって事なんだ」
そして、言葉を砕いてぶっちゃける。
お互いに合意して殴り合ったんだから、負けても文句を言うなよ、それでもまだグダグダ言うようなら、俺らのメンツに掛けてブッ潰すかんな。という事だ。
「それに。直後なら体が半分に千切れても蘇生させるのだってできる」
逆を言うと時間が経てば普通に死ぬ。
だから目の届く所でやってくれと言う話だ。
地上では死に戻りは叶わないのに、ついダンジョン内の感覚で行動してしまう人間は少なくない。そういう意味でも、教員や各種委員による監督の下にない私闘は厳に禁じられている。
「おいおい。委員会さんよ。一個、重要なのが抜けてんぜ」
チンピラ学生が野次を飛ばす。
「……どうぞ急かされませんように。こほん。ここまでは宜しいか?」
「はい!」
言葉遣いを戻して確認する委員に対して、元気良く幸翔は返事をする。
「結構。続けます。さて。只今、御指摘を賜りましたのは、決闘においては、如何なる身分や立場もこれに影響されることはないという事でないかと思われますが、まさしく『
要するに華組の権力も決闘には使えないぞと言う事だ。もちろん幸翔は特級科所属の人間ではないので端から無関係なのだが、この場でそれを指摘する人間はいなかった。
「では条件を詰めましょう。挑戦者の要求は『先約がある翠5年生に対する性行為の要求』。その実はそれを建前とした1年生への報復。対する被挑戦者の要求は『恋人関係にある翠5年生に対する暴言侮辱の撤回と謝罪』すなわち名誉の回復。あと腹が立ったから殴ってやりたい。相違ありませんか?」
「ういーっす」
「うん!」
さらりと報復だの腹立ちだの物騒な単語が混ぜられているが、これも気にする人間はいなかった。
双方が乗り気な所に、チンピラ上級生が決闘を申し込んだ体裁で話を進める決闘委員に、挑戦者の役を振られたチンピラは苦笑した。
「整理しますが、翠5年生と被挑戦者とはあくまでも内縁の関係であり、公式のパートナー契約は結ばれていない事を鑑みるに、発端となった挑戦者の翠5年生に対する性行為への誘い、これ自体は適正な物であったと判断します」
「むむぅ」
フリーの女の胸を揉むのもこの学園の基準では挨拶代わりみたいな物だ。
翠を軽んじているとも取れる説明に、幸翔は少し不満気に唸ったが、異義申し立てはしなかった。
翠が幸翔の公式なパートナーであったならば、ご主人さまの頭越しに粉を掛けた時点でナンパ男の過失が認められたが、学園においては当人たちが口で言っているだけの恋人関係に、なんらの効力も認められない。
強いて言えば行列の割り込みが相当するだろうか。
極論、パートナー契約が結ばれていない以上、幸翔の眼前で翠を強姦しても、学園の法には反しない。首輪を付けていない飼い主に問題があると言われるのがオチだ。
「ただし。その後の拒絶されて激昂、暴言を弄した事。これは明らかな加害行為であり、撤回と謝罪の要求は正当な権利の行使だと言えるでしょう」
「はあっ? パイセンは『
「おおありだよ!」
「その種の人格を否定し尊厳を毀損する罵倒はプレイの一貫としてのみ認められるものです。発言には気をつけられますように」
「んなかったるい建前守ってる奴いねーだろ。それよかそっちのクソガキが、地上で人相手にスキルを使った方が大問題だろうが」
「……スキル?」
「一理有る事を認めます。挑戦者が翠5年生から引き離される際に何かしらの身体能力強化に類するスキルないし高ランクのマジックアイテムが使用された疑いが有ります」
首を傾げる幸翔を置いてけぼりに話は進む。
男の言い分にも道理がない訳ではない。ダンジョン外の生身でスキルの乗った攻撃など食らっては死んでしまう。銃口を突きつけられて恐怖しない人間は稀だろう。
そういう意味では、第三者視点で見た場合、幸翔の方がより非が大きいと判断される。
実際には幸翔の膂力は純粋にレベルアップの賜物であり、腕よ折れよと握った時にもスキルは使われていないから冤罪なのだが、9歳児相応に小さな幸翔がダンジョンに二年半潜り続けている三年生より力が強いなんて事は、常識的に考えられなかった。
疑わしきは罰せずなどと言う理知的な機序はこの学園には存在しない。
「ヒヤっとさせられた分、お返ししないと気が済まないんでな」
幸翔からすれば理不尽な話だが、チンピラ男子の怒りに理解を示す学園生は多いだろう。
外の世界から見れば非日常で非常識な豊蘆原学園も、中で過ごす人間たちは彼らなりの常識の中で生きている。
「まっさか肉便器のナイト様が、相手もスキルが使える状況は、僕ちん怖くて嫌だよーん、なんて言うわけないよなあ」
駄目押しの挑発をチンピラが投げて来る。
「実にお上品な決闘申し込みの言葉ですな。それでは確認しますが、この決闘を受諾しますか? 貴方にはこれを拒否する権利があります。また仮に決闘を是とする場合でも、後日に日を改める事も可能です」
「うけます!」
決闘委員の確認に、幸翔は食い気味に応答する。合法的にアイツをぶん殴れるなら否やはない。
翠も幸翔の目を見つめながらコクリと頷いた。口には出さず「信じます」と目で語った。
「では、この申請用紙兼念書にサインをお願いします……受理しました」
決闘委員が差し出すタブレット端末に表示された電子書類の署名欄に、チンピラ学生は手慣れた様子で、幸翔の方は少しおっかなびっくりサインする。
「なお。参考までに申し述べると。パートナー権利請求の場合は、通例として一名につき二名を賭けるのが相場であり、その場合は天秤の一方に乗るべき求めが『謝罪』では軽すぎると判断するところですが、この度は先述の理由に依り、均衡している物と見做します」
最後に、決闘の賭け金、俎上に載せられている物が両者釣り合っていると決闘委員が保証する。
「さて。そうこうする内に決闘場の準備が終わったようですね。御両者、どうぞサークルの中まで進まれますよう」