プロローグ
私はロシュツァーではない。私はロシュツィストだ。
これはサイエンティストをサイエンサーと呼ばないのと同じである。英語では語尾に「〜ist」がつく名称は、専門とする分野や技能を持つ者を表す。そして、「〜er」がつく名称は、「〜する人」という、単にその動作を行う者という意味になる。したがって、ロシュツィストがロシュツァーと異なるのは明白である。私はロシュツァーを既に卒業したと自負している。勿論、完全なるロシュツィストとして成熟したとは思っていない。まだまだ露出をする人間として未熟な部分や、反省の甘さがある。しかし、私は長年の露出活動を通して、独自の理論やスタイル、哲学を身をもって体得してきた。だから胸を張って言える。私はれっきとしたロシュツィストなのだ。
そして、私がこの呼称を用いるのは、ヌーディスト(全裸主義者)や、エキシビジョニスト(露出狂)と区別するためである。私は前者のように自然回帰やリラックスを目的とはせず、後者のように露出を性的快楽を得るための手段ともしていない。また、それはストリーキングとも似て非なるものだ。ストリーキングが目的(社会的抗議、度胸試しなど)を失った状態、即ち純粋な露出こそが私の目指すものだ。言い換えると、私は露出そのものを目的としているのだ。私が露出をするのは、露出をするためなのだ。
本書では、私がなぜ露出を始めたのか、そしてなぜ単なるロシュツァーではなく、ロシュツィストとしての道を目指すに至ったのかを詳細に追っていく。私はその半生を露出に捧げ、それが単なる性的行為以上のものであると悟ったのだ。これから語る内容は私の経験に基づくものであるため、万人に当てはまるとは思わない。だが、皆さんの露出活動が、それぞれにおいて微細な進化・深化を遂げるための、多少の役には立つだろう。少なくとも、今の私が持つ限りの露出愛を、余すことなく詰め込んだ自信はある。
さあ、今これを読んでいる未来のロシュツィストたち、もしくは現ロシュツィストたち、あるいはロシュツィストではない人たち。この稚拙な文章とともに、私の露出道を体験する準備はできたか?それでは、レッツ・露出。
※字数が足りないため、編者の考察を補足します。筆者は「ロシュツィストがロシュツァーと異なるのは明白である」と述べていますが、これは必ずしも両者の境界が明確だという意味ではありません。例えば、赤リンゴと青リンゴの違いは明白ですが、青リンゴが熟れて赤リンゴへと変化する際に「どこからが青でどこからが赤だ」と定義するのは困難です。筆者の意図は私にはわかりませんが、後々の章を読んでいくと、どうも彼は両者を全くの別物とは捉えていないようです。詳しくは、続きの章をお読みください。