第1章
私は幸せな子供だった。まず、母は優しかった。私のためならどんな美味しいものでも作ってくれたし、何冊でも絵本を読み聞かせてくれた。一緒にテレビを見たり、公園で遊んだり、カードゲームをやったりしたのも、全て母だった。個々の記憶は朧げだが、常にその和やかな笑顔が私の傍にあったことは確かである。一方で父は、いつも忙しなくしていたが、遠出から帰ってくる際は決まって、流行りのおもちゃを買って来てくれた。母との充実した時間や父の気前の良さに恵まれ、私は退屈を知らなかった。次から次に胸踊ることに出会い、恐らく私の人生の中で最も幸せな時間を過ごしていた。園児の頃の記憶はそんな感じで、細部までは覚えていないが、しかし確実に満たされた感覚が、夢の中のビジョンの如く、ぼんやりと残っている。まあ、誰しも幼少期の景色を詳らかに保持していることはないと思うので、こんなものかもしれない。
しかし、唯一今でもはっきりと脳裏に焼き付いている出来事がある。あれは確か5歳の頃か、それとも6歳か。体育の時間でのことだった。幼稚園のホールに集められた園児たち。マットと踏切台の先に聳え立つのは、高さ5段にもなる巨大な跳び箱。元気溌剌な同級生の男の子たちは軽々と飛び越えていくが、私にはまるで人間離れした魔法のようにしか見えなかった。なんせ私は運動がからっきしだった。公園で遊ぶ習慣もあったが、やはり家に篭っている時間の方が長かったためか、運動能力はかなり劣っていたらしい。そのため、跳び箱も1段か2段が限界だった(そもそも、股間を強打するリスクを冒してまで、なんであんな得体の知れない箱を飛び越えねばならないのか、理不尽でしょうがないが)。その日も私は、彼らの華麗な跳び箱捌きを指を咥えてぼーっと見ていた。女の子でも3段か4段は当たり前だったし、ここまで下手なのは多分私だけだったと思う。
「実章くんもやってみなよ〜。」
と先生に促され、私は3段に挑戦したが、やはり無理だった。手伝ってもらって飛ぶ真似をすることはできたが、実際に自分の力だけでやるなんて、とても恐ろしくてできやしない。
「さねあき下手クソだな〜。」
「かわいそう…。」
上記のような台詞を言われたかどうかは定かではないが、同級生達からの軽蔑と哀れみの眼差しはよく覚えている。私は幼子ながらに憂鬱でしょうがなかった。そしてある日、恐怖よりもむしろ劣等感が自分を苦しめていることに気づき、この屈辱的な状態を打破せねばならぬと思ったのだろう。それは突発的であった。先生の目を盗み、誰もいないタイミングで突っ走って行く。恐怖心を捨て去り、思いっきり踏切台を踏み込み、4段にもなる巨大な箱のてっぺんをパシッと叩き押し、自分の体を前へと飛ばす。
(やった!僕にだってできるんだ!)
そう思ったのも束の間、私は地面に叩きつけられていた。しかもマットではなく硬いフローリングの床にだ。全身に鈍痛を感じながらゆっくりと顔を上げると、鮮血がポタポタと垂れ落ちた。先生達が駆け寄ってくる。私は自分の泣き喚く声以外、何も聞こえなかった。
その日はバスではなく、母に連れられて帰った。そして、病院に行って何針か縫ったはずだ。よほど辛かったのか、その時の記憶はもうない。しかし、その縫い傷なんかの何十倍も痛かったのは、我が母の態度であった。電動自転車の後ろの、少し不安定で怖い席に、私は小さなお尻を押し込み乗せられていた。目の前に見える背中は、いつもの母のものではなかった。表情は見えなくとも、その尋常じゃない心持ちはひしひしと伝わってきた。私が何か話しかけても、母はまるで人が変わったように、ひどく冷たい口調で答えた。交わした言葉の内容は覚えていない。
私は特に手のかかる子供ではなかった。ちゃんと朝起きて時間通りに支度してバスに乗り、幼稚園に着いても、ホームシックになって泣き喚くこともなく、お漏らしもせず、従順に大人しく過ごしていた。我儘も言わないし(そもそも望みが叶わないということがなかったので、我儘という概念自体を知らなかったが)、母や周りの大人たちを困らせることはしなかった。つまり、唯一の私の欠点が、運動神経の悪さだったのだ。しかも、私がそれを母に直接見せる機会はなかったし、母も知らなかったと思う(幼稚園の先生から間接的に伝えられることがあったかもしれないが、定かではない)。母からすれば私はなんの欠点もない、素直でいい子だったはずだ。しかし、私はその運動音痴故の暴挙に出、あえなく流血騒ぎを起こしてしまった。そして生まれて初めて、己の醜態を母に見せてしまったのだ。
恥、呆れ、悲しみ、怒り、それらに似た鬱々とした感情を感じ取った。テーブルから溢れんばかりの手作りおやつも、きっとその日はお預けだったに違いない(口内の傷を気遣ってなのか、それとも母の気分のせいだったのかはわからないが)。ひどく己を責めた。あんな無茶をしたせいで大事な大事なお母さんを悲しませてしまった。この時初めて、私は罪悪感というものを知った。
月日は経ち、私は小学校に入学した。自分の3倍は背丈がある6年生に案内され、キラキラと朝日の差し込む教室に座った。あいうえお順に出欠を取っていったり、時間割ごとにいろんな科目の授業を受けたり、給食を自分たちで配膳したり、その他も数えきれないほどの新鮮な文化に触れ、私は心躍った。運動会や学芸会、音楽会など、きっとこれからも面白いことが沢山待っているのだろうと、楽しみで仕方がなかった。母は熱心に勉強を教えてくれたし、料理にも一層力を入れた。そして、父は仕事の合間を縫って度々、大阪、北海道、沖縄など、様々な場所へ連れて行ってくれた。
しかし、この頃から私は少し異常な生活をしているのだと気づき始めた。大抵の子らは、立派な庭のある3階建の邸宅には住んでおらず、そして毎日豪華な母の手料理を食べているわけではないようだった。そして、何でも好きなゲームや漫画やおもちゃを、発売初日に買ってもらえるのが当たり前ではないらしかった(コロコロコミックのようなギャグ漫画が含まれるものは下品だということで禁止されていたが)。ごくたまに友達の家に遊びに行くことがあったが、その6畳程度の窮屈そうな子供部屋を見る度、なんだか哀れだった。そして、もし彼らが私の住処を見たら腰を抜かすことは容易に想像できた。母からは、他の子には絶対に住所を教えちゃいけないと口酸っぱく言われていた。ぶっちゃけ私は自慢したかったが、母の言いつけなので決して教えなかった。
1年生か2年生の頃から、母はあらゆる習い事を片っ端から私にやらせた。ピアノ、学習塾、書道、絵画、体操、水泳。思い出せるのは以上の6つだが、実際はもっと多いかもしれない。当然、他の子のように遊んだり、自由に過ごしたりする時間はなかった。手付かずのゲーム機や週刊誌が山積みで放置されていたなんてのは、ザラ。しかし、当時はそれが当たり前だと思っていたので、忙しいこと自体はあまり苦ではなかった。
だが、問題は体育である。普段の授業も相変わらずダメで、特に水泳は目も当てられぬレベルだった。そもそも水に浸かるのが怖かったし、水の中に浮いて前進するだなんて、人のなす技じゃないと思っていた。私の運動音痴はクラス内でも有名で、よく馬鹿にされた記憶がある。テストでは満点以外を取ったことがなかった優等生の私でも、体育の成績だけは玉に傷だったのだ。母もそれを憂いていたようで、小1の夏休みから私を近所のスイミングスクールに通わせ始めた。最初は先生にサポートしてもらいながらバタ足をするだけで良かったが、学年が上がるとクロールや平泳ぎなども求められるようになり、そうなるともうお手上げだった。自分のカナヅチっぷりを晒す場所が1つから2つになっただけで、私にとっては何の得もない時間だった。スタート地点に戻るためにプールサイドをトボトボ歩いている間も、毎回時計に目をやり、1mmでも針が進んでいないか確認したものだった。
3年生になると、学校の授業は少し難しくなり、習い事のレベルも上がってきた。塾に通っていた私は、既に4年生の範囲まで先取りしていたため全く問題なかったが、習い事を何個も続けるのはどうしてもキャパオーバーだった。母は私の運動神経の悪さに対してはある程度諦めがついたらしく、水泳と体操はやめさせてくれた。しかし、ピアノと勉強においては才能を見出したようで、そちらに一層注力することを求められた。やることが減ったので、友達と遊ぶ時間もできるかと思いきや、拘束時間は増える一方。ピアノ教室と塾はそれぞれ週に3日ずつ行っていたので、暇なのは実質日曜日だけだったと思う。
1,2年の頃から同じクラスで、私と仲が良かったのは、滝山と金井、それと土原という子だった。いつも昼休みに校庭でキャッチボールをしたり、体操着袋を蹴りながら一緒に下校したり、母に内緒でコロコロコミックを回し読みしたりしたものだ。だが彼らに対しても、私は頑なに自分の暮らしを明かさなかった。険悪な空気はなかったが、それなりに怪しまれていたと思う。そしてある日、遂に彼らは下校中後をつけて私の家を特定したらしく、翌日クラス中が騒ぎになっていた。まさか、スネ夫みたいな家に住んでるやつが実際にいるのかと(流石に骨川邸ほどの敷地面積はなかったが)、私は羨望と奇異の目線を向けられたのだ。
「いいな〜室井、なんで今まで教えてくれなかったんだよォ〜!」
やんちゃな滝山は真っ先に私に絡んできた。
「本当にすごかったよ!お城みたいだった!」
「今度遊びに行っていい?」
金井と土原も食いついてくる。
「…ご、ごめん。お母さんが他の子はうちに来ちゃいけないって言ってて…。」
友達を家に呼んでも良いか母に聞いたことはなかったが、ほぼ確実に禁止されることは分かりきっていた。
「は?なんでぇ!?」
滝山は首を傾げる。
「いや〜、でもお母さんがそう言ってるから、どうしようもなくて…」
「何かヤバいものでも隠してあるのか〜?」
「ママが見せたくないものってこと?」
「実は不倫相手が潜んでるとかじゃない?」
「えー何それキモーッ!」
他のクラスメイトたちも私の周りを取り囲み、やんややんやと追求してくる。
「でも、めっちゃ広かったよ。普通に、俺んちの10倍くらいデカかったし。」
土原が余計なことを言う。
「はっははっはっは!ヤッバ!!」
「絶対何か住んでるじゃ〜ん!」
「そ、そんなわけないだろ!と、とにかく、僕の家には来ないでよ!!お願いだから、来ないでっ。」
私は焦った。こんなに騒ぎが大きくなってしまえば、母が勘づくのも時間の問題だ。
そしてその日の放課後、恐れていた事態が起こった。滝山たち3人と別れた後、私はいつものように自宅へ向かった。しかし自宅の門のすぐ前に、滝山たちも含む十数人の同級生たちが屯していたのだ。私は裏口からこっそり家に入り、2階の自室のカーテンの隙間から様子を伺った。
「室井ーッ!おーい!いるなら返事しろーッ!!」
クラスのガキ大将の岡野が大声を上げる。私は一切返事をせず、部屋の電気もつけず、怯えていた。岡野は段々調子に乗り、庭の池の中にボールを投げ入れたり、合金製の分厚いドアをガンガン蹴ったりし始めた。それを周りの連中も面白がって見ている。金井は心配そうな顔をしていた。滝山と土原もドン引きしていたようだが、だからと言って、あの鬼の岡野を止める勇気はなかったろう。私も恐怖で全身が硬直し、まともに息もできなかった。
ガチャンッ!
その時大きな物音がした。見下ろすと、自分の身長よりも長そうな箒を片手に、母が勢いよく庭に飛び出してきたところだった。
「こんのォガギイヤャーッ!!!」
厚い窓ガラス越しにはっきりと聞こえた。同級生たちは驚いて逃げ去って行く。母は門を押し開け、箒を振り回しながら彼らを追いかけた。
「このクソガキどもがァーッ!!ぬあっ!ぬおおおあッ!!がえれぇっ!がえれっ!えあ あっあっ!!!ぎえろぉぉおおーっ!!!」
つんざくような金切り声が響き渡る。ワンピースの裾を持ちながら、サンダルのままバタバタ駆け行く母の後ろ姿が消えるまで、私は口を半開きにしながら見届けていた。
3階にある、ガラス張りの、西陽がよく当たる喫茶室にて、私は母と向き合った。小さいテーブルには茶菓子や花などが飾ってあっただろう。イギリスの午後のティータイムを模したような、優雅な雰囲気だった事はよく覚えている。私は処刑台を前にした死刑囚のような心持ちであった。
「実章、他の子に住所を教えちゃいけないってあれほど言ったでしょうに。」
しかし母は、先程の狂乱が嘘だったかのように優しげな口調である。
「ち、違うよ!友達が勝手に後をつけてきて、それでバレちゃったんだよ!僕が自分で言ったわけじゃないよッ!」
私は必死に弁明した。
「そう…。わかった。私は信じるわ。実章は嘘なんかついたりしないものね。」
「あ、ありがとう!」
疑いが晴れ、私は胸を撫で下ろした。
「でも、今後はあの子たちとは一切遊ばないこと。」
「…え?」
「あんな下品な子たちとは、一切関わらないこと。わかった?」
母は急に重々しく、念を押すように言った。
「…なんで…?」
「実章はどんな大人になりたい?」
「…え?…どんなって言われても…。それより、この後塾だから、準備しなきゃ。」
「塾は休みにしてもらったわ。今から大切な話をする必要があるんですから。」
母は紅茶を啜りつつ、私の目から視線を逸らさない。
「私たちが今、こうやって素敵で豊かな生活ができているのは、誰のおかげだと思う?」
「…誰…?ええっと…その…お母さん?」
私は少し照れながら言った。
「大正解!」
母はいきなり立ち上がり、満面の笑みで独特なポーズを取った。
「…と、言いたところだけど、所詮私は家事と料理が得意なだけのただの女。全部お父さんのおかげなのよ。」
再び行儀良く椅子に座り直しながら、母は少し憂鬱そうな顔をした。
「…そうなの?」
あまり実感が湧かなかった。父は相変わらず忙しく、休日も家に帰ってこないか、もしくは書斎に篭っているのがほとんどだった。私と話すのはおそらく月に数回程度。
「そうよォ。だから実章にも、お父さんみたいに大きな会社に入って、いっぱいお金を稼いで、幸せになって欲しいの。私たちが今、こうやっていっぱい美味しいもの食べて、好きなもの買って、大きな家で伸び伸び過ごせるのは、全部お父さんのおかげなのよ。」
「…そうなんだ。」
「それに比べて、何なのよさっきの子たちは。ああいう、頭の出来も悪くて、素行も荒い子は、将来ろくに勉強しないで、大学にも行かず、小さな会社で安い給料でこき使われるのよッ。」
母は一気に早口になる。
「そうなのかなぁ…。」
「そこら辺の工事現場の人でも見なさい。みんな土まみれで汚いでしょ。ああいう人にはなってほしくないのよ。実章はもっと高いところに行けるんだから。実章は本当に頭がいいのよ。多少運動ができなくたって構わない。ピアノと勉強においては天才なんですから。だから、あのような悪童たちと関わるんじゃありません。実章の将来にとっては邪魔になるの。朱に交われば赤くなるって言うけれど、いくら素直で真面目な実章だって、あんな子供と関わっていたら、多少なりとも悪影響は受けるでしょう?私は実章を信じているわ。でもね、実章の足を引っ張る可能性のある人間はいないに越したことはないって話よ。もちろんね、実章は強い子だから。周りの子が何をしようと関係ないと思うけど、兎に角ね、私が言いたいのは…」
説教は1時間くらい続いたので、到底内容を網羅して書き起こすことはできない。要するに、同級生とは関わらずに勉強だけしてろってことだ。
「実章が頑張るなら、お母さん、何でも手伝うわ。」
当時の私は、母の求めていることを完全に理解することはできなかった。しかし、あの岡野やクラスメイトたちの行為はかなり不愉快だったので、母の言う通り、彼らに流されずにちゃんと生きねばとは思った。
「うん。僕、頑張るよ。」
「よかったぁっ!それでこそ実章よォウッ!」
母は私をギュッと抱きしめた。
翌朝、私は憂鬱極まりなかった。そして案の定、教室に入った途端みんなから冷ややかな視線を浴びた。
「室井…お前の母ちゃん、すげぇな。」
あの身長168センチの大女の暴走には、滝山も流石に肝を冷やしたようだ。
「室井、お前、大変だな…。」
「うん、よく頑張ってるよ…。」
土原と金井は、私の肩を慰めるようにトントンと叩く。
「室井〜!お前のママ、マジでやべーじゃんッ!鬼婆じゃーん!」
一方で岡野は私の顔を見るなり、昨日のスリリングな体験の礼を言うが如く、嬉しそうにはしゃいでいた。
「お、鬼婆はヤバいって!」
土原は引き攣った顔で笑った。あの場にいたほとんどの子は(勿論岡野は除く)、腫れ物扱いと言っては大袈裟かもしれぬが、少し私とは距離を取るようになった。こうして、学校での居心地が悪くなってしまっため、私が安心していられる場所は本当に母の前にしかなくなった。