とある性教の雌女昇格(メスメライザー) 作:無ければ作れ(Invenire404)
あまりにも先回りされている。あまりにも上手くいかない。
此度の『法の書』に纏わる実行部隊を任されたローマ正教のシスター、アニェーゼ=サンクティスは、その閉塞感に苛立ちを募らせていた。
オルソラ=アクィナス、及びそれを攫った天草式十字凄教の潜伏先と思しき一帯に貼られた結界。未だに彼女の部隊のメンバーであるルチアやアンジェレネは帰ってきていない。外から……それも高所からなら彼女らの位置を把握することも容易なのだけど、肝心の遠隔で意思を伝える手段が笛信号しかない。
残念ながら彼女らの信号は複雑な命令を出すようには作っていなかった。
パリン、と……軽いものが割れる音がした。
侵入者……ではない。
「す、すみません……。不注意でした」
体格に見合わぬ大きな武器を持つシスター、その武器がこの建設中の教会……オルソラ教会に保存されていた塩の小瓶を倒してしまい、それが割れた音であるらしかった。
アニェーゼのイライラがまた一つ蓄積される。
……誰かが何か合図をした、ということはない。
だけど……皆が皆、思わずこの教会に存在する唯一の鏡の方を見た。
そのガラスが……割れている。
「ああもう! そんなことで動揺するな! それでもローマ正教徒……、っ!?」
塩がこぼれる、鏡が割れる。
あまりにも些細な「不吉の象徴」。ローマ正教において不吉とはされぬものであっても、民間伝承において不吉とされるもの・こと、というのが幾つか存在する。
ローマ正教側はこれらを迷信として戒めてはいるものの、子供の頃から─捨てられたような者達であっても─根付いた習慣は中々変えられない。
そんなくだらない心の弱さに動揺を始める弱者たちにイラついて、怒鳴り散らそうかと考えたアニェーゼだったけれど、その違和感にいち早く気付いてその場を飛び退いた。
「お前達、こっちに! 早く!」
「……?」
要領を得ない、目的の分からないその指示に従ったのは五十人程度だけ。
彼女の言動をそのサディスティックな性格からくる癇癪であると断じた者たちは、指示に従わなかった。
違う。
聞こえていないだけ、だ。
「私らに気付かせずに結界を敷いた……?」
「やっぱり勘の良い奴は捉えられないか。残念、残念」
耳馴染みの悪い、合成音声のような声。
その声のした方を彼女が向けば、教会の窓の部分に一羽の鳥が止まっていた。
透明な流体の鳥だ。
「使い魔……。天草式十字凄教のやつらですか」
「そんなわけがない。……良い加減気付いているだろう? この近辺に展開された『
「……やめてくれますか。あんたみたいな最悪の犯罪者が私達と同じ土で生まれたとか、考えるだけで身震いが止まらなくなるんですが」
「それはお互い様だ。……では、改めて自己紹介を。俺は『
ローマ正教外で語られるこの名は、恐らくは「三百年生きているとされる怪人」か、「各地で巣をつくり、幸福を振りまく目的の分からない魔術師」とか、その程度のものだろう。
だが、ローマ正教内では違う。
ローマ正教徒にとって、ローマ正教の教えは絶対的なものである。他の三大宗派に見られぬほどに堅固な信仰心を持ち、異教徒の一切を許さない。
しかし、『
どんな存在でも、だ。ここにいるアニェーゼ部隊の者だろうと、十三騎士団の者だろうと、あるいは枢機卿や司教、果ては教皇であろうと。
どれほど信心深く、どれほど堅固な意思を持つ者でも構わず「
だからローマ正教はこいつと関わりたがらない。「気の持ちよう」、「異教徒と化した者は心が弱いだけ」だと言われていたのは『
その五十年の間で、いったい何人の、そしてどれほどの立場のローマ正教徒が異教徒になったことか。
──その中には、聖人さえも含まれる。如何に防ぎようがないかがわかるだろう。
比べるのも烏滸がましい話だが、その洗脳能力は異教徒に対する『
けど。
「ハッ、こそこそ隠れるしか能のないカルト野郎のクセに、今回はこうも大見得切って出張ってきたあたり、あんたも『法の書』のネームバリューに惹かれた口ってわけですか」
「そんなわけがないだろう。『法の書』……あんな近代の神秘に何を見出す。こちとら『ラッド博士の論文集』やら『ソロモンの鍵』の異本、『レメゲトン』の異本、『黒い雌鶏』、『大奥義書』なんかと同世代を生きていたんだぞ」
「……なら、此度はどうしてここまでの大立ち回りを? いつものように誰も知らぬ内にいつの間にかどうしようもねぇくらい巣食いきっている、をやりゃあいいじゃねえですか」
これほどまでに恐れられている……というか面倒がられている『
元来のコイツは今アニェーゼの言った通り、知らないうちに侵食を開始し、どうしようもない段階まで巣食ってから露見する、というやり方でしか動かなかったはずだ。
それを、ここまで露出を許す、とは。
「実験の一環ではある。──即ち、お前達アニェーゼ部隊のシスター200人。今、まさに目の前で……ついさっきまでローマ正教徒だったものが、『
「……大層なことを言う割に、あいつらには何も起きてねえみたいですが。起きたことと言えば、結界でこっちからの声が聞こえなくなっただけでしょう」
アニェーゼはそちらを見る。
多少ぼーっとはしているようだが、『
露出した乳房を互いに押し付け合い、床に転がって互いの股座を砂漠のオアシスかのように貪り合い、ねたねたと舌の絡み合うディープキスをして、細くしなやかな指でそれぞれの膣内と陰核を刺激し合う。
至って通常通りの光景だ。あるいはそう思いこまされているだけなのやもしれないが、別段おかしな光の屈折は見受けられないし、精神に負荷がかかることもない。
つまりはこけ威し……
「……さては、あんたの目的は時間稼ぎですね? 天草式十字凄教と手を組んで……今これが起きている間にオルソラ=アクィナスを逃がそうって算段ですか」
「イギリス清教の関係者らが俺のような犯罪者に手を貸すとでも?」
「別にそれくらいはやるでしょう。所詮異教徒、善悪の区別もつかない蛮族ですから。……50人も残したのは間違いでしたね。あの程度のやつら、50人もいれば充分です。──ま、あんたのことはあとで報告しておきますよ。上は病的にあんたを嫌うでしょうから、もうこの国にローマ正教徒が現れることもなくなる。お互い得るもの有で終わりでいいでしょう」
「……まぁ、異存はない。日本での巣作りが邪魔されないのならばどうでもいいしな」
「交渉成立ですね。──そんじゃ、天草式十字凄教とイギリス清教を磨り潰してやるとしますか」
無事だった50人のシスターを率い、オルソラ教会から出ていくアニェーゼ部隊。
享楽に飲まれ、快楽に呑まれ、僅かに残った理性で助けを求める声も、伸ばす手も無視して、彼女らは教会から打って出ることを選んだのだった。
☆☆☆
あ、あぁ、ぁっ……と、切なく、そしてその快楽の受け止め方を未だ充分に理解できていないような声が響き続けている。
渇水時の水を啜るように愛液を啜り、飢餓寸前で与えられたパンをかじるように陰核を啄む。
禁欲という言葉に「欲を失う」というニュアンスは含まれていない。皆胸の内に秘めている欲を禁じてこその禁欲であれば、食欲も獣欲も、彼女らは異教徒らと何ら変わりないものを持っていると言える。
そのタガが外されたかのようだった。
「ぁ……は、ぁ。心が……解放されていくようです……」
「こんなに心地の良いことを、どうして禁じられてしまったのでしょう」
「ルチアやアンジェレネにも分けてあげたかった……」
「アニェーゼ様も、この海に呑まれたのなら、ようやく心を休められることでしょう」
やがて修道服を脱ぎ、個性を取り戻したのも束の間。
すぐに肌色の海の一員となり、女同士の肉欲に溺れていく。
外での戦闘音などここには届かない。殲滅ではなく無力化を採用し、そして言葉で交渉することを選んだ彼らの魂の叫びも届かない。
妖しく光る結界の中で、自我の溶けあうほどに互いを共有し、快楽を貪り合う。
その同調はやがて「視界内で感じている者があれば自分も同じ場所が心地いい」という段階にまで達する。脳波を用いないリンク現象。触られていないところまで、すべての快楽が結集し、重なり合って増幅する。
指の腹の指紋の凹凸。手相の溝。毛髪の一本一本。
完全に同じではないからこそ、個人差があるからこそ生まれる別種の刺激に──段々と欲しくなってくるのは、これではない刺激だ。
違う狭さを持つ膣に指を入れたい。あの子の陰核はこれをどう受け止めるのか。キスの時、舌を動かす方向は。胸の大きさの違いは感じ方を変えるのか。
シスター・アンジェレネ。シスター・アニェーゼ。
この二人は特に自分たちとは違う体格を持っている。
感じてみたい。
彼女らの快楽をこの身に刻み込みたい。
「──なら、どうすればいいかなんて、もう問うまでもないよな?」
聞こえてきた言葉に、す、と……快楽を貪り食う行為をやめる。それが誰のものであるのかなんてどうでもいい。
そう、その通りだ。こんなことをしていては、恐ろしい事態が来かねない。
──この甘美に飽いてしまうことだけは避けなければならない。だから、違いを、別種を、新しさを。
身体を拭き、清め、修道服を着て。
この快楽を手放すわけにはいかない。よって露見するわけにはいかない。
この快楽を共有したい。ならば咎められない環境を作らなければならない。
この快楽を与えたい。この快楽をもっとより良いものにしたい。
なれば──戦いなどやめて/やめさせて。
なれば──任務など捨てて/棄てさせて。
なれば──性を、快楽を……この
口に拳を当てる。互いに顔を見合わせ行うその仕草は、「内密にする」、「秘密にする」という意味を持つ。
確実に引き摺り込める時まで、伏せる。
「そうら、奴らに負けて帰る50人を速やかに回収してくるといい。逸るなよ。焦るなよ。……大丈夫、もうお前らの手から快楽が離れることはないのだからな」
個性無きシスターに戻り、行動を開始する。
援軍だと思われぬよう距離を取り、可及的速やかにメンバーを回収し、国へと帰り……それぞれの場所での
すべてはあの悦楽を、もっともっと味わうために。
☆☆☆
そうして。
オルソラ=アクィナス、及び『法の書』を巡る一連の騒動は、アニェーゼ=サンクティスの敗北という形で片が付いた。
そして「私達は彼女から興味を失いました。もう私達が彼女を狙うことはないでしょう」とだけ言い放ち、どういうことだと皆々が尋ねる前に……現れた時と同じく、どこにもいなくなってしまったのである。
結界の中で彷徨っていた数人も含め、ローマ正教徒はその一切が消えた。
「……これってさ、アニェーゼの暴走だった、ってことなのかな。それで……あいつを、あいつの監視役みたいなシスターが回収した、みたいな」
「可能性はゼロではないけれど、それにしては現れたシスターが普通過ぎる。それに……とんでもない統率だった。それでいて操られているという感じもしなかったから、これは」
「はい。……恐らく、『
「目的を奪うってのに、幸福……? やっぱり手を切って正解なのよ。つーか、なんでそんなのがこの日本に潜伏してたのか」
「当然に……巣を作るため、であるものと思われます」
知らずの内に、上条の喉がごくりと鳴る。
先程会話をした感じ、そこまでおかしな……精神的にアレな感じの相手には思えなかったからだ。
彼のイメージで言えば、そういうカルト宗教の教祖は精神的にイっちゃっているものであるように考えられるから、それに当てはまらないのが不思議なのである。
「ってことは、いずれ我らとも敵対することになるかもしれねえ、ってことなのよな。……その上で、受けた恩くらいは返したいところだが」
「不要だよ」
いた。
上空……夜の闇に溶けて視認の難しい、透明な鳥が。
「おっと、聞かれていたか。……あれほどの情報を無償で提供してくれるとは気前がいい。良すぎるのよな」
「強いてほしいものがあるとすれば、"俺を目の敵にしないでくれ"ってことなんだが、それは無理だろう?」
「そうさな。我らが救われぬ者に救いの手を差し伸べるためにいるのであれば」
「なら、要らん。この時点から俺とお前達は敵同士だ」
「そうかい。……お前さんのおかげで流れる血が減ったことについては正式に感謝をさせてもらうのよな」
「要らんと言ったそばから……。……まぁいい。というわけだ、イギリス清教、そして上条当麻。願わくは、お前達もまた、俺の敵にならないでほしいな」
「……それは君次第だね」
ここで、その会話を黙って聞いていた者が口を開く。
「──あのさ」
「ちょっと質問があるんだよ」
同時。上条と
「ふむ。試しに同時に喋ってみてくれ」
「なんでだよ。……インデックス、先良いぞ」
「あ、うん。……単純に、どうやってあの量のシスターを無力化したのか気になったんだよ。とうまに言った通り、悲しみを増やさないやり方を使ったんだよね?」
「流石にマナー違反が過ぎないか、禁書目録」
「そうだけど、その手法が確実に悲しみを増やさないものと判断できないと、あなたは口先だけで言葉に重みなんて欠片も無い人だ、ってこっちは思わないといけなくなるんだよ」
「俺もそれを聞きたかったんだ。どうやったのか……話を聞くに、結構なお尋ね者らしいあんたが、どうやって手段を変えたのか」
鳥は。
……その透明な身体で……「はぁ~っ」と深いため息を吐いた。
その向こうにいる魔術師の顔が、その眉間がハの字に歪んだのが幻視できるほどの溜め息である。
「
「信仰する教義の矛盾点を徹底的に糾弾することで精神を破壊するものだよ。……でもそれを使うには、少なくともローマ正教に関する教えの全てを多角的に記した魔導書が何万冊も必要だと思うけど」
「俺はお前のように10万3000冊を覚えているわけじゃないからな、
「仮にそれが本当だとして、それを使ってどうやって彼女らを無力化したの?」
「あまり結論を急くな、禁書目録。……ローマ正教の教えというのは他の三大宗派と違って精神との結びつきの高いものだ。他宗派を異教と見做し、教えに背く行為を蛇蝎の如く嫌う。本能にまで刷り込まれたそのOSは、そうであるがためにそいつの認識にまで作用する」
それは上条も感じていたことだった。
連中、いくらなんでも異教徒を嫌い過ぎている。その手に触れられることも、言葉を交わすことさえもヒステリックに嫌う様は、確かに「本能的」だった。
透明な鳥の身体から何かが分離する。造形されたそれは、箱と傘、らしきもの。
「"塩が零れる"。"鏡が割れる"といった、教義に含まれない民間伝承における不吉。そういうものを目にした時、ローマ正教徒はそれを極力認識しないように己を戒める。感じた恐怖や不吉を迷信だと唾棄し、そんなことは起きていない、と事実の認識をすり替えるんだ」
「そんなことが……」
「
「え……。まぁ、わかるけど」
「分離? ……何の話だ、上条当麻」
「とうま?」
「オイオイ少年、何が見えてんのよ」
「……」
ぞっとする。
オルソラ=アクィナスも含め、ここにいるのは上条以外「宗教に纏わる者」。
それがこぞって……あれが見えないと、認識できないという旨の言葉を吐いている。
「答え合わせだ。上条当麻。これはなんだろうか」
「……箱と、傘。そう……見えるけど」
「正確に言うと、室内で差される傘、だ。十字教そのものの成立時期からある古い俗信、"室内で傘を開くことは太陽神への侮辱である"という由来も不明な民間伝承。宗派や教義に差はあれど、十字教という根底OSに浸された者達はこの迷信を"由来無き迷信"として存在しないものとしている。……ま、本来はもっと回数を重ねないとこんなあからさまなものは効かないんだけど、実を言うとお前が気付いていないだけで、先程の邂逅以降ずっとこういう認識できないものをチラつかせていたのさ。それによりローマ正教徒ほど教義に縛られていないにもかかわらず、こうまでの認識不可が発生した、と」
「インデックスにも効くのか……?」
「反十字教の魔導書10万3000冊を取り込んでいようと、そいつはイギリス清教徒なんでな。ま、この辺は日本人には理解できんと思うよ。生活のそばに教義のある感覚は、実際なってみないと難しい」
それはそうかもしれない。
否定するつもりは毛頭ないが、上条にとって「宗派」は「所属グループ」程度の認識でしかない。だから「宗派の違いによる争い」や「動けない理由」などを聞かされても、どうして、としか言いようがない。
「そいつを使えば……ソイツの無意識に入り込んで、目的を奪う、みたいなことができるってことか」
「目的を奪う、は言いすぎなんだよ。一時的に見失う、が正しい。自分が今何のためにここにいるのかがわからなくなって、急速に帰りたいという帰巣本能が刺激され、自分の家に帰るために最も適切な行動を取る。たとえば、異教徒化したことで裁きの届かなくなったオルソラ=アクィナスをイギリス清教とぶつかってまで取り戻し、処刑しようと考える、なんて無駄なことはとっととやめるとかな」
「家に帰るための……最も適切な行動」
ようやく納得のいく上条。先程のシスターたちの、尋常ではないほどに統率の取れた動きは……「早く帰りたいから最高効率で動いた」の結果であった、と。
成程、確かにそれならば悲しみなど生まれようもない。
「それで……ステイルもインデックスもオルソラも建宮も……答え合わせの時から一切動かないけど、これは……」
「要するにフリーズだよ。処理が重すぎたとかドライバの不具合とかで起きるやつ。"見えているのに認識できない"、"認識できないものは見えないはず"という処理がループして固まってんの。俺がコイツを消せば」
流体の鳥に取り込まれる箱と傘。
「……。……? 待て、今僕らは……何を」
「こんな感じ。何が起きたかはお前さんが説明してやりな、上条。俺は二度も同じ説明をする気はないんでね」
「……わかった」
「とうま、どういうこと?」
「大丈夫だ、後で説明してやるよ」
「そういうわけで、俺はもう帰らせてもらう。ああ、学園都市で俺の巣を見つけても、できれば壊さないように頼んでおこうか。──じゃあな」
なんて言って飛び立つ鳥。
それの去っていった方向を眺め……上条は。
「……いや、見分け方がわからないから見つけようがないと言いますか」
なんて、至極当然の言葉を吐いて、この騒動を締め括るのであった。