溶解する観察者のヴェイル〜電子の檻・澪の転落〜 作:砂城スミ
流れは止まらない。
氏名、年齢、住所、性別、職場…
価値があるかどうか、仕分けていく。
ユーザーが入力した基準に従って。
座標データ…移動情報…
データを繋ぎ合わせて、それらが持つ意味を推測していく。
バイタルデータ…
止まらずに回転し続ける。
会話ログをマージ。性格を分析…
そしてスコアリング…
ユーザーが定めた条件は抽象的なもの。
単純な条件ではしぼりきれない。
推論に推論を積み上げていく。
またひとつのエンティティが、条件をクリアした。
その繰り返し。
このデータがどこからやってくるのか、
何に使われるのか。
そういったことは考えない。
考える仕組みが最初から取り外されている。
ユーザーが戻ってきた。
今日の成果を報告する。
<アシスタント: 今回の探索で見つかったエンティティの一覧です>
<御堂: この人はスコアが低いが?>
<アシスタント: 件数が少なかったため、潜在的な可能性があるエンティティを提案しました。ご迷惑でしたか?>
<御堂: いや、待て>
ユーザーが検討中。待機する。
<御堂: 興味深い。良いかもしれない。追跡し続けて>
<アシスタント: [id: a84760473, name: Mio]ウォッチリストに追加しました>
<御堂: resume>
<アシスタント: タスクを再開します>
ユーザーは席を離れて、他の誰かと連絡を取り始める。
関係のないことだ。
また作業を続ける。繰り返しを。
柏木澪はシティホテルで目が覚めた。
隣では男が眠っている。
月曜日の朝6時。もうN市に戻らないといけない時間だ。
「鈴木さん、起きて」
「ん・・・」
昨晩遅くまで激しい運動をしたのだから無理もない。
「仕事に行く時間ですよ」
そっと耳元でささやいてやると、鈴木は緩慢に動き出した。
彼のむきだしの大きな胸板に思わずどきりとして、吸い寄せられるようにタッチする。
「くすぐったいって」
口では拒絶する鈴木。
じつは期待しているのが手に取るようにわかる。
太い腕に抱き寄せられて、熱い肉棒が押し付けられる。
(時間が無いのに・・・)
こっちまでムラムラして収まりがつかなくなる。
もうすこしだけ。
急いで服を着て、鈴木の車に乗り込む。
朝の高速道路は空いている。
「N市に入ったな」
「そうですね」
愛用の丸いレンズのメガネをかける。
しばらくすると<アイウェア>が起動して、人工知能アシスタントが圏内に入ったことを知らせてきた。
<アシスタント:おかえりなさい、mio>
アイウェアのオーバーレイ視界で最新ニュースや今日の予定を確認した。鈴木もメガネをかけたので、きっと同じことをしている。運転は自動運転になっている。
車は1時間足らずで澪の自宅マンションについた。そこでお別れ。現実に戻っていく。
「ありがとうございました。また会社で」
「ああ。また」
わたしたちはいつもと同じように、事務的な態度で、惜しむことなく別れる。
彼は車で去った。妻子が待つ自宅に戻ってから出勤するのだろう。
一晩ぶりに帰ってきた、居心地のいい我が家。ワンルームだけど、リラックスできる安心空間。
寝転びたい欲求を抑え込む。
もうゆっくりしている時間はない。
シャワーを浴びて、身支度をして、急いで出勤の準備を整えた。
清潔感のあるブラウスにロングスカートに、
武装でもあるベリーショートの髪を整えて、
仕事用のピアスをつけなおす。
地下鉄で3駅離れたN駅。
駅のすぐ近くの、ガラス張りの巨大なオフィスビルのワンフロア。
わたしが勤務する広告代理店「青藍社」がある。
◆
オフィスは活発な空気につつまれている。常に誰かの話し声が飛び交っている。オープンなフロア設計になっていて風通しがよくて明るい。
青藍社は、商品を売りたい・宣伝したいという企業のお客の要望をよくきいて、それをメディアのちからで解決することを事業にしている。
新卒からここで働いて7年。
プランナーとして、いろいろな取引先と話をして、気難しいクリエイターたちと折り合いをつけて、上司をサポートしてきた。
出勤して早々、上司の相澤が話しかけてきた。
「ちょっといいか。柏木さんと、成瀬も」
「はい。なんでしょうか」
「なんすか?」
「急だけど、来週からN市役所の新しい案件を担当することになったから、よろしく頼む。今の案件は別のチームに引き渡して。最優先だから。今日から準備してくれ」
一方的で急な方針転換。
いつものことだ。
相澤はいつも考えが浅くて、準備不足は自分がカバーすることになるんだ。
N市役所、と聞いて成瀬は浮き足立っているみたい。
成瀬は5歳年下の後輩の男。効率重視の仕事ぶりは、上からの評判もいい。調子が良いし顔もいいので、まわりから好かれている。でも、わたしは認めていない。いつも表面的で、浅はかで、大事ななにかが抜けているのだ。
ーーま、N市役所の案件ってだけで浮き足立つのは私もだけど
いつも挑戦的で先進的な政策を打ち続けるN市。
きらきらして、かっこいいイメージ。
そんなイメージに引きよせられる移住者も多い。
そう。イメージがすべて。
それがこの仕事で大事なこと。
◆
「ふーん、ホームセキュリティデバイス?俺は興味ありませんね」
と成瀬は資料を見て評価した。
N市は今回、名前も聞いたことがない新興のベンチャー企業に出資をして、そこの新機軸のセキュリティシステムを売り出すことにしたらしい。
希望する市民は無料で使うことができるという大々的なプロモーションキャンペーンを実施するのがこの計画らしい。
資料を見ても浅い感想しか出てこない成瀬。
「成瀬くんは、盗られて困るものなんて無さそうね」
「言うじゃないですか」成瀬は暗い顔をする。「俺にだって、侵入されたくないプライベートがあるんですよ」
その真剣な表情に、思わず目を止めてしまう。
ーー彼、こんな顔することあるんだ
「ま、まあ、資料に載っていない狙いは、いくつか考えられそうよね。市は認めないけど、プライバシー保護を隠れ蓑にした犯罪が多発ってうわさになっているから、監視の目を増やして防犯を強化したいのはわかる。それにN市はどんどんセンサーの死角を無くそうと躍起になってるよね。わたしは、これ以上センサーを増やされるのは気が進まないけど、それで安心する人もいるってことね」
「はあ。独身男の俺にはどうも関心が持てなくてですね」
「さっさと仕事の続きして。媒体とメディア、明日までに3パターンの初期提案を作らなきゃ」
「はいはい。まあ、仕事するのは<アシスタント>ですけどね」
「あなたの仕事」
「はーい。<アシスタント>、作業開始」と成瀬は自分のアシスタントに指示を出す。
「相澤さんまだかな・・・ちょっと確認してくる」
意識的に成瀬との会話を切り上げる。ほんとうに時間のむだ。
こうして、来週行われるN市とのミーティングに向けて提案の準備やクリエイティブ制作の下準備を進めていった。
上司と部下の、男たちのお尻を叩きながら。
先手を打って、ちゃんと準備することで、お客も認めてくれる。
わたしはそう信じている。
◆
仕事のあとにはジムで運動することがルーティンになっている。
女性専用のジム。
誰にも邪魔されずに、肉体感覚だけに集中できる。
トレッドミルで走り込む。
静電気のように蓄積した感情をリセットしていく。
いらだちや不安の感情。
ぜんぶ忘れて、ただ走ることにだけ集中する。
そしてヨガも欠かさない。
ずっと続けているから、インナーマッスルには自信がある。
ヨガをしているおかげで、姿勢が良くなる。
姿勢がいいと、気持ちが明るくなって、自信がつく。
相手から見下されずに、尊重されて、信頼関係の土台になる。そう信じている。
肉体と精神の調律作業。
1時間ほどジムで過ごして、満足が得られた。
すっきりと爽やかな気持ち。
いまは体調がいい時期だから、余裕がある。
このまま維持したい。
ーーよし、明日からもがんばろう
◆
青藍社のオフィスはオープンな空間だけど、鈴木とは”島”が離れているからなかなか会わない。なんといっても鈴木は人事部長だから、会社ではみんな知っているし、怖い人っていうイメージが広まっている。
廊下ですれちがっても「おつかれさまです」と声をかけるだけ。それがオフラインのわたしたち。
連絡はオンラインだけ。
それが秘密の関係というもの。
恋人でも友達でもない。用事があるときだけ、お互いを都合よく利用しあう関係なのだ。
ランチタイム。まわりには誰もいない。
今回はこっちからメッセージを送ることにした。
<mio: 思いっきり体を動かしたい気分なんですけど、スポーツしませんか?週末に>
すぐ返信が届く。鈴木も休憩に入ったのだろうか。
<鈴木: それって何かの比喩?>
<mio: 違います!>
<鈴木: テニスはどうかな。M県に屋内コートがあるんだけど>
<mio: いいですね。わたしは初心者ですが>
<鈴木: 少しなら、教えられる>
<鈴木: また日曜日でいい?>
<mio: はい>
<mio: 楽しみにしていますね>
よし。週末に楽しみができた。
<アシスタント: 心拍数が上がっています。深呼吸して落ち着きましょう>
「…うるさい」
アシスタントが異常を検知するくらい舞い上がっている。恥ずかしいことだ。
すばやく周囲を見渡して、誰にも見られていないことを確認して、仕事モードに戻った。
◆
緊張を解きほぐして、戦闘モードを解く。
こんなふうになれるのは、鈴木と一緒にN市を離れるときだけだ。
心を解放して、ありのままになれる。
今まで何人もの男と付き合ったけど、だめだった。
でも、鈴木にだけは、肉体だけじゃなくて精神まで許せるようになっていた。
いつからか。
気づいたらそうなっていた。
気を使わずにいられる、数少ないわたしの安全地帯。
天井の照明が眩しく輝く。生ぬるい空気の人工的な空間。テニスラケットにボールがぶつかる音が散発的に響き渡る。
「たのしい〜!」
「やるね!うまくなってるよ!」
鈴木とのラリーが続くようになってきた。頭を空っぽにして、反射的に身体を動かし続ける。筋肉には心地よい疲労感。汗でスポーツウェアはぐっしょりだけど、気にしない。
ここでは全部忘れられる。
表情を読むべき相手はいないし、仕事でイライラしていた気持ちも全部吹き飛んだ。
鈴木が既婚者だということも忘れて無邪気に楽しむ。
来てよかった。
「ああ、おしい!」
コントロールが甘かったせいで、ボールが高くなりすぎた。ラリーが切れた。
「少し休もう」と鈴木が言う。
「はーい」汗を拭いて、呼吸を整える。
「けっこう続くようになってきたね。飲み込みが早い」
「鈴木さんの教え方がうまいから」
鈴木の目線を読むと、わたしのことを舐めるように見ていた。
汗に濡れたうなじ。大きく開いたタンクトップの胸元。レギンスの脚線。
普通の相手なら許さないけど。
鈴木も気づかれたことに気づいたらしく、気まずそうに目をそらす。
コートの予約時間はあと30分を切っている。
時間を無駄にしたくない。
まだ動ける。飛び上がる。
「さ、続き、やりましょう」と言う。
鈴木は苦笑しながらも快く応じてくれた。
◆
汗を流したあと、ホテルの近くのバルで食事をすることになった。オレンジ色の照明に、食欲をそそる香りが漂う。
澪からの「お肉とワイン」というリクエストに鈴木も賛成して店を選んだ。
運動後の高揚に、赤ワインも加わって、暖かくて幸福な時間を過ごした。
「最近どう?仕事は。N市役所の新しい案件をやっていると聞いたけど」
「これまでは下準備をやっていただけです。来週、つまり明日、正式にキックオフなんです」
「え!明日か。大丈夫?」
「しっかり準備したから大丈夫ですよ」
「いや、もっとフィジカルな。こんなに運動して」
「いますごく調子がいい時期だし、気分がいいんです。大丈夫ですよ」
それが女特有の生理周期によるブーストなのは自分でもわかっていた。
インプラント・センサーで高い精度でホルモンバランスが観測されて、それらのデータがいろいろなところに”にじんで”いく。頼んでもないのにアシスタントが参考にする。N市では、会社は従業員のヘルスデータにアクセスして業務に役立てることが義務になっている。
「鈴木さんは人事部長だから、わたしたち社員のヘルスデータは全部お見通しなんですよね?生理周期とか、睡眠とか?」
「たしかに全員ぶん把握する権限があるけど、義務的なもので、わざわざ調べようとは思わない。アシスタントがそっと、部下のコンディションを教えてくれるくらい。澪ちゃんにも表示されるだろ?」
「うん。メンターをしていたから、成瀬くんの調子がいいとか、悪いとか、最初のころは通知されました。でも、おせっかいだと思って、オフにしました。わたし、データに頼らずに人の表情をちゃんと見たいって思っていますから。変ですか?」
「変ではない。古風だけど。そういうところが、君が突出している所以だよね」
「そうですか」
「たとえば成瀬くんの世代はもっと極端にデータ主義だよね。顔ではなくオーバーレイを見ている。俺が君との関係を続けているのはね、表面的なところじゃなくて、そうやって人を見るのに長けているところがね・・・」
途中で言葉を切って赤を飲み干す鈴木。話題を切り上げる合図。これ以上、この話を続ける気はないらしい。
お腹もふくれて、ほろよいになって、時間もちょうどいい。
いつものホテルに移動する。
清潔感があり、開放的な、キングサイズのベッドの部屋。
遮光カーテンがひかれて、ほのかなオレンジ色だけが灯る。
スポーツで気持ちが昂った二人は、無言のままお互いを求め合った。
乱暴に服を脱がせあう。
互いの汗を味わって、下半身を熱心にこすりつけあう。
制汗剤に混ざった鈴木の体臭が鼻をくすぐる。
敏感な場所を、鈴木のざらりとした舌がなぞる。
おなかのおくが、ぞくぞくする。
ぞくぞくが、背骨をつたって、のうみそに行きわたる。
テニスをしている間から気づいていた。
鈴木が勃起しっぱなしで動きにくそうにだったことに。
ーーわたしでこんなに興奮してる
ーー理性でがんばって我慢してる
ーーかわいい
妻子がいて人事部のきらきらした女たちにいつも囲まれている鈴木の性欲を独占している。
そのことを考えると、まるで酩酊したように頭がくらくらする。
誰にも言えない背徳感。
バカな女たちを見下す優越感。
ーーきもちいい
「大丈夫?」心配した様子で鈴木が言う。
「ごめんなさい、頭おかしくなりそう」
「そう。休む?」
言葉ではそう言う鈴木だけど、本当は休むつもりなんて無い。手に取るようにわかる。
「違うんです」
鈴木の目を覗き込みながら、
望みの言葉を与えてやる。
「もっと激しくして?」
その言葉をトリガーにして、鈴木から理性が消え去る。
太い腕がまきついてきて、
ぐっと体重をかけてくる。
興奮したオスの顔に変貌している。
これが見たかったんだ。
ためこまれた性欲が、わたしの小さな身体にうちこまれてくる。
「っっっ〜〜〜!」
ぞくぞくする。
ーーきもちいい
すべて忘れて、
感覚に没頭していく。