溶解する観察者のヴェイル〜電子の檻・澪の転落〜 作:砂城スミ
青藍社の社内では、成瀬の活躍が注目されていた。
『最近、成瀬が調子いい』
『気難しいことで知られるR出版とうまくネゴシエートしたらしい』
『一人前の働きぶり。昇進は固い』
『失敗を恐れないで挑戦する姿勢がすばらしい』
『次回のN市役所案件は成瀬にやらせよう』
その活躍ぶりは色々な部署に伝わっていて、期待の若手社員といった評判。それと同時に、柏木澪の評判はどんどん落ちていった。
昼下がりのオフィス。柏木澪は血の気の引いた顔をしながら腹を押さえていた。
「相澤さん、すみません。また貧血の症状が出てしまって、少し休んできてもいいですか?」
「また〜?まあ・・・」相澤は数秒間こっちをじっと見つめる。きっとアイウェアの視界にヘルスデータを表示させているに違いない。「まあ、いいでしょ。成瀬がいれば大丈夫か。今日はもう帰ったら?」
「すみません・・・お言葉に甘えさせてください」
成瀬からは、抗議するような攻撃的な視線が発せられる。
ーーすごく、おこってる
成瀬にとってのわたしは、優秀で都合のいい”リソース”なんだから。
彼のその視線から、逃げるように離れた。
もう何日も、早退と欠勤を繰り返している。
病院には行っていない。
成瀬たちとの乱交に明け暮れて汚れた身体と<インプラント>の記録を医者に見られたくなくて、足が遠のいている。
ーーオープンスペースで休憩して動けるようになってから帰ろう
休んでいると、声をかけられた。
「澪ちゃん?」
懐かしい鈴木の声。
「すごい顔色悪いけど大丈夫か?」
手を差し伸べてくる鈴木。
でも、制御できない怒りが湧き上がる。
「鈴木さん。もう気安く話しかけないでください」
わたしの明確な拒絶。
もう鈴木の顔は直視できない。
どんな顔してるんだろう。
立ち去る気配だけがわかった。
◆
仕事をしばらく休んで通院することになった。
ずっと頭がぼんやりしている。
しばらく薬を飲んでも一向に回復しない。
薬を飲めば飲むほど辛くなる。
医師は、辛抱強く休むことを勧めてきた。
わたしの仕事も、キャリアも、おかまいなしに。
まったく明かりが見えない、出口のないトンネルに入り込んだ気分。
病院から帰った夜。
もうこれから眠ろうとしていた矢先。
部屋のベルが鳴り、来訪者が来たことがわかる。
『澪さん、おれです。開けてください』
「成瀬くん?え・・・なんで住所知ってるの?」
『いま部屋の前にいます。お見舞いに来たんですけど。開けてくださーい』
ありえない・・・お見舞いなんて、そういうことをする人じゃないって直感的にわかる。
住所も、教えていないはずなのに。
『ちょっとー、無視しないでくださいよー』
なにかおかしい。
どうしたらいいかわからずに混乱していると、成瀬が言った。
『まあ、開けて入るからいいんですけどね』
突然、胸に埋め込まれた<インプラント>が作動しはじめた。
熱を持って、かすかに振動する、独特な感じ。
何もコマンドしていないのに。
急激に血の気が引く。貧血。
床にうずくまる。
ーー立ってられない
ーーきもちわるい
「来ちゃいました」
「ッ!」
◆
わたしはベッドに押し倒された。
ニヤケ顔の成瀬によって。
仕事終わりの成瀬はいつものビジネススーツ。
お腹のうえに乗られて、しっかりと体重をかけられて、身動きが封じられた。
どうしてこうなったのか、ずっと混乱している。
でも、成瀬が説明してくれた。
「気づいていないかもしれないんで、教えてあげますけど、澪さんの個人端末にスパイウェアを入れたんですよ。プライバシーも、インプラントの制御も、玄関ドアの認証キーも、全部筒抜けなんですよ。やりすぎると当局に目をつけられますけど。こんなのに気づかないなんて、間抜けです」
「それって違法でしょ」
と睨みつけても動じない成瀬。
「もちろん違法ですけど、証拠は出ませんよ」
成瀬の大きな手が、わたしの胸板をまさぐる。冷たい手だ。スウェットの寝巻きがめくられて、素肌に到達する。
「おっぱい成長しましたよね。これもおれのおかげでしょ」
「やめて、いま張ってるんだから」
ーー痛ッ
叫んだ。
「もちろんわかってますよ。澪さんのバイタルデータも、個人的なメッセージも、全部、アクセスできるんですから。鈴木部長との関係も、過去の彼氏とのやりとりも、そうやって、全部見たんですから」
服がめくられ、成瀬の手が、鎖骨の下あたりにある<インプラント>ポートに到達した。
冷たい感触。
なにかーーデバイスが押しつけられる。
「上の組織から仕入れた、とってもよく効く鎮痛剤です」
「やめて!」
抵抗できずに注入されていく。
得体の知れない薬効成分。
<インプラント>がそれを勝手に体内にばらまいていく。
「あ〜あ、これでもう完全に病院にも警察にも行けない身体になっちゃいましたね。違法改造に違法薬物」
心がざわつく。
力が抜けて、身体がうごかない・・・。
抵抗力がうばわれていく。
「澪さんその顔、サイコーです」
満遍の笑みを浮かべる成瀬が下半身をさすっている。
あきらめの気持ちが心を支配していく。
◆
心安らぐ自分だけの部屋、だったはずなのに。
電子的なコントロールをうばわれたいま、この部屋はもう成瀬に支配されていた。
逃げ出したくてたまらない。
もうここには居られない。
わたしは丸裸にされて、成瀬によってたっぷりと利用された。
鎮痛剤とか違法薬物とか言われていた薬剤のせいか、
身体の感覚があいまいで、何の痛みも感じず、ただ心地よい浮遊感だけを味わった。
準備ができていない秘所が成瀬によって強引に押し広げられ、傷つけられたけど、痛みは感じずに、にぶい違和感だけがあった。
それだけじゃない。おしりの穴にまで強引に入ってきたことに遅れて気づいた。
心臓が強く脈打つ。血の匂いが漂う。
関係を深めてからはっきりとわかったことがある。成瀬は女の血が好きなんだ。
まるで吸血鬼みたい。
いつもより強く吸いつかれて、皮膚に深い内出血ができた。
成瀬が帰ってからも、しばらく動けなかった。
もうここには居られない・・・この部屋は安全じゃない。
プライバシーも、自由も、主体性も、仕事も、ぜんぶ成瀬に支配されてしまった。
以前のわたしなら、なんとかしようと足掻いたけど、そう考えることがうまくできなくなっていた。まるで他人事みたいに。