溶解する観察者のヴェイル〜電子の檻・澪の転落〜 作:砂城スミ
キックオフの日から、
青藍社のチームは、今回のA社案件に取り組んでいった。
はじまりのフェーズは、計画を立てることがゴールになる。人工知能との協働で、広告媒体や印刷物のシミュレーションを繰り返して、出稿プランを磨いていく。同時に、クリエイティブも試作を繰り返す。出稿パターンとクリエイティブパターンを組み合わせる検証を繰り返していく。
その裏で、組織間の人間同士のさまざまな調整も進めていく。
ホルモンバランスの乱れで精神がささくれだつ。
化粧でなんとかごまかしているけど、肌の調子も最悪。
まわりに気づかれないように、集中を絶やさず、いつものように明るく振る舞うけど、このときは我慢できず感情があふれてしまった。
「また同じミスしてるんだけど」
後輩の成瀬に向き合う。
「いや、これはアシスタントが・・・」
あわてて弁明する成瀬。
見苦しい。
彼を視線で射抜く。
夕暮れ時の、熱気がこもったオフィス。
誰もが集中を欠く。
本当はもっと柔らかく接したいけど、
成瀬の、未練がましい言いわけに、つい熱くなってしまう。
「もういい。わたしがやる。それで、P社の広告枠の件はどう?やってくれた?」
「あっ、それなんですけど、本当にP社でいいのかなって思うんですよ。だって今はインフルエンサーのほうがよっぽど影響力ありますよね?あんな会社ーー」
くい下がろうとする成瀬。
耳障りな高い声が頭にひびく。
もう成瀬の世話にはうんざりだ。
ため息が出ちゃう。
「じゃあ、それもわたしがやる。今日はもういいよ」
「すみません。それじゃあ、お先に失礼します」
そそくさと退社する成瀬。
言いすぎたかな。
言いすぎた。
頭がほてっている。
制御できなかった。
もっと気をつけないと。
でも、過ぎてしまったことは仕方ない。
プロとして、成瀬の仕事を徹底的に見直す。
そう決めて、気持ちを切り替える。
誰もいない夜のオフィスは集中できる。
もう上司も退勤しているし、他の部署も、人がまばらだ。
まわりを気にせずに目の前のPCだけに集中する。
視界が狭まっていく。
空腹も忘れて、<アシスタント>たちの仕事の成果をチェックして再検討して取りまとめていく。
ワークチャットのステータス覧で御堂もこの時間まで働いていることを知る。
公務員なのに、大丈夫なのだろうか。
「はぁ・・・頭いたい・・・」
御堂のことを思い返すと、暗い気持ちになる。
よくわからない人。
読めない人。
ほんとうに、観察力がするどい人なのか。
それとも・・・
どこかで見られていたのかも。
わからない・・・
「アシスタント、鎮痛剤をお願い」
<アシスタント: はい。インプラントから鎮痛剤を放出しています。水分を摂ってリラックスしてください>
アシスタントの言葉を無視して、仕事の続きに取り掛かった。
◆
柏木澪は体調が悪いときでもジム通いをやめない。
むしろ、いらだちや不安を抑えこんで平常に保つために。
普段通りだと自分自身に納得させるために。
儀式的な意味もある。
<アシスタント: 今日は激しい運動を控えて、しっかり休むことが推奨されます。ワークアウトメニューを提案しますか?>
「しないで。いつもと同じにして」
<アシスタント: わかりました>
<アイウェア>を経由して、自分だけに聞こえる音声でおせっかいをやいてくる<アシスタント>を真っ向から否定する。いつになったら学習するんだろう。
ーーわかってくれない。誰も
下腹部の鈍い痛みを無視して、慎重に、トレッドミルで走り始める。
スローペースからはじめて。
身体の動きに集中する。
主導権を取り戻すように。
呼吸をコントロールする。
手足も意識的にコントロール。
身体感覚を観察しようとする。
でも・・・
痛みが邪魔をする。
感情の乱れが消えない。
なにもかも、にぶい。
もう無理
残ったのは中途半端なワークアウト記録。データとして残り続ける。汚点として。
鈴木からメッセージが来ていることに気づいて、ネガティブな思考の連鎖から浮上した。
<鈴木: 今週末どう?>
ーーいまはそんな気分じゃない!
<mio: やめておきます。ごめんなさい>
◆
成瀬は不満を募らせていた。
自宅に帰り着いて、着替えもしないで冷蔵庫からビールを取り出して豪快に飲み干す。
頭のなかで、今日の仕事での場面がフラッシュバックする。
柏木澪の冷たい目線。
ーーあれは全く問題無かったはずだ。
だいたい、いつもそうだ。
あの女はおれのやり方を否定する。
今日は、完全に見下されて、手ほどきを受けた。
間違ってる。
しばらくして、来客がある。女がひとり。
「珍しいね〜急に呼び出すなんて」
愛嬌をふりまく女。
ショートボブで、身長は160cm、肩を出し、へそを出している。何より豊満なバスト。
ーー柏木澪よりもよほど好みの肉体
だけど、頭のなかは澪のことでいっぱいだ。
「今日は、撮影しないんですかぁ〜?」と女。
「んー、今日は無いよ」
そうするのが当たり前のように、女とのセックスを楽しむ。
恋人でもなんでもない。
ただの”友達"のうちのひとり。
たしかショートカットヘアだったはず、という理由だけで呼び出した。
女は腰をくねらせて媚びてくる。
知性を感じない顔で。
脳内では柏木澪を思い浮かべる。
澪はもっと髪が短い。うなじと耳が完全に見えているほど。いつでもこの長さをキープしている。
それにもっと小さくて、いろいろなところが薄い。
けれど、ジムで鍛えたブレない体幹。
服の下はどうなっているんだろう。
ーーそれに比べて
目の前の女はぜんぜん違う。
快楽をむさぼる豚のよう。
それが唐突に頭にきて、女の乳房を握りつぶした。
頭のなかの柏木澪が、苦痛に顔を歪める。
ーーいいぞ
澪を見返したい。
支配したい。
蹂躙したい。
おれのほうが優秀なのは間違いない。
相澤も巻き込んで、
今の立場から引きずり下ろす。
おれの下にいるべきだ。
行為をしながら終始、澪を思い通りにする妄想を楽しんだ。