※この作品はR-18です。

いちばん近くに   作:黒沼むつみ

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第2章:蝉の鳴く午後

マンションの、なぎさの自室。

閉め切った窓から薄く響く蝉の声。

部屋の外、休日の午後のゆるやかな音。

パタパタと廊下を歩く気配。

リビングに聞こえるテレビの笑い声に

誰かの笑い声が重なった。

 

しかし。初夏の気配の中で、

この部屋だけが温度管理された研究室のように

冷ややかな空気をたたえている。

 

自分のベッドの上で

足をラクロススティックで広げられたまま、

なぎさは身動きが取れない。

乱れた試合用のユニフォーム姿で。

展翅(てんし)された蝶のように、

布団に縫(ぬ)い留(と)められている。

 

制服を完璧に着こなしたほのかが

作りたての標本にそっと触れるように、

なぎさに手を伸ばす。

かわいらしいピンクのふとんの上で

ぬいぐるみたちは

しずかにふたりを見守っている。

 

ほのかの手がスパッツにふれる。

黒く、なめらかなツヤのあるその布地を

そっと、両手でなでさする。

「や、やだ・・・!」

なぎさが小さな悲鳴をあげる。

ほのかが顔をスパッツに近づけたからだ。

息を吸い込むように、ふかく、ふかく呼吸をする。

「あ、汗くさいから、やめて、やめてよ

ほのか・・・!怒るよ!もう・・・!」

 

ほのかが言う。

「なぎさはくさくなんてないわ」

「えっ・・・」

「なぎさの靴下がちょっとくさいなんて、

あれも嘘。すごく・・・幸せな気持ちになるもの」

太ももにそえていた両手の間、

クロッチのあたりに鼻をそわせていたほのかがさらに顔を押し付ける。

黒いナイロンの生地がピンと伸ばされ体に貼り付くと、

下に履いていたショーツのかたちが立ち上がった。

指が境界線をなぞっていく。

スパッツの真ん中、布地が綺麗に分かれているその中心。

なぎさの、いちばんひとに見られたくないところ。

そっと領域に侵入したほのかの唇が、

ちゅぅううう、と音を立てて吸い付いた。

 

「やっ やぁ・・・」

肩がふるふると震えだす。

びくりと腰がはねる。

ほのかの前髪がお腹に触れて揺れる。

なぎさからは親友がどんな顔をしているか、全く見えない。

顔をあげて、ほのかがつぶやく。

「しょっぱい。疲れてるのね」

 

「なんで、なんでこんな事するの・・・ほのかぁ」

「あせ、気持ち悪いでしょ?拭いてあげるね」

ほのかは質問に答えない。

聖母のような柔らかい笑みをたたえて。

ゆっくりとユニフォームをまくり上げる。

グレーのスポーツブラがあらわになり、

そのつつましやかなふくらみを、愛おしそうになでる。幼子を撫(な)でるような手つき。

 

「私たち、友達でしょ・・・ やめてよ・・・」

その言葉が耳に届いた瞬間、ほのかの口元が少し、ゆがむ。

「なぎさ・・・友達だからね・・・わたしはもっと、知りたいの」

容赦なくブラを上までまくり上げると

胸があらわになった。

クーラーのつめたい風にさらされて、

その薄く沈着した色の先は、

縮こまって胸にもぐっている。

 

「へえ・・・ なぎさのはこんな感じなのね。

また一つ・・・知っちゃったな」

ミントの香りが漂う汗拭きシートで

ほのかは慈しむように時間をかけてなぎさの体を拭く。すみずみまで。

「ひっ・・・」

脇の下にヒヤリとした感触がはしり、

なぎさが声をあげた。

冷感シートに濡れた白い肌はあっという間に乾いていく。

 

「冷たかった?ごめんね」

そう微笑むとほのかは

舌を立てて埋没した先端を丹念にねぶった。

なぎさの喉から声にならない響きが漏れる。

水中に潜った時のような。溺(おぼ)れる時のような。

水に潜ったグリッサンド。

くるおしい音響をほのかの耳は聞き逃さない。

そして、鼓動も。

「なぎさ・・・さっきより鼓動が早いわ。ドキドキした?」

 

ふるふると首を振る。

なぎさの目の端から大粒の涙がこぼれ落ちる。

何度もしゃくりあげる。

声が出てこない。

 

「しゃべりたくないの?認めたくない?

・・・でも、なぎさのここはこんなに主張してるわ」

ほのかの指先で形を変える小さなふくらみ。

その先端が唾液に濡れてピンと屹立していた。

 

指で先端を弾く。

なぎさがびくりと体を震わせる。

 

ガキャリ。

 

ラクロススティックに縛られた極太の結束バンドが引っ張られて音を立てる。

 

ガキャリ。

 

何度も何度も飽きないおはじきを繰り返すかのように、

ほのかは片手でなぎさをもてあそぶ。

「よかった・・・ずっと出てこなかったらどうしようかと思っちゃった。

でないと、留められないものね」

 

ずっと触れていたからだから手を離し、ほのかはベッドから降りる。

なぎさが息をつく。焼けつくような息。

──こんなに部屋は冷えているのに、

わたしの体はあつくて、あつくてたまらない。

さっきの、麦茶が飲みたい。

 

ジッパーの音がする。

ほのかが通学カバンから何かを取り出している。

 

「なに・・・それ・・・」

なぎさが震える声で。

「授業で使ったじゃない。忘れちゃったの?」

ほのかのあっけらかんとした答えは、答えになっていない。

 

なぜこれが、ここにあるのか。

鰐口(わにぐち)クリップと、電極。

ツマミとメーターのついた本体と、

そこから伸びたコード。

なぎさの目にはそれがまるで見たこともない拷問器具のように映った。

 

「なに・・・なに、するの・・・」

なぎさの声はもう消え入りそうだ。

「なぎさの声が聞きたいの。

私しか、聞いたことのない声が」

ほのかは手際よくクリップを胸の先端に挟む。

 

「いやっ・・・ 痛い・・・!」

なぎさが力なく身じろぎをする。

 

「暴れたらもっと痛いよ?先っぽ、取れちゃうかも」

ヒッと息を詰まらせるなぎさのほおを

優しくなでる。

「大人しくしてね・・・なぎさ」

耳元でそっとささやくと。

 

キリキリとツマミをひねった。

 

「ぃいやああっ!」

びくん、びくんと体が跳ねる。

 

困ったな、と言う顔で眉を寄せたほのかは

ゆっくりなぎさの口を塞ぐ。

息ができるように。

口の前に空間を作るように。

指の間からふしゅー、ふしゅーと息が漏れる。

こわれたふいごのような、ふたりの共演。

後ろからはがいじめにされたなぎさがほのかの手の下で音を立てる。

即興の長い、長いセッション。

 

むせこんだなぎさの口から手をどけて、

ツマミを戻す。

なぎさはほのかにもたれたまま動かない。

よだれと鼻水でベチャベチャになった手をほのかはペロリと舐めて聞く。

「いい声だったわね。気持ちよかった?」

 

「もうやだ・・・やだよう・・・

もう・・・友達なんかじゃない・・・ほのかなんか・・・」

ぽろぽろと涙が目の端からこぼれ、

うつむいたあごにたまっていく。

 

「そうね」

ほのかの答え。

─その冷たい響きになぎさが顔を上げる。

 

「私たちは、ずっと友達だったわ」

ほのかはもう笑っていない。

その瞳には、なんの感情も浮かんでいないように、なぎさには見える。

 

──知らない人みたい、となぎさは思った。

 

「ねえ、なぎさ。

私たちは、ずっと友達なの?」

 

「えっ・・・」

こんな事をするほのかとは友達でいられない、

そんな答えをギリギリのところで飲み込む。

ほのかはもっと、違う話をしている。

 

「世界を救っても

何度手を握っても

何度一緒に立ち上がっても。

私たちは、友達のまま?

私たちは

世界でたったふたりなのよ。なぎさ」

 

ほのかは何かをこらえた顔をしている。

その内側の何かを必死に抑え込むような。

優等生の顔をへばりつけたまま、唇が震え出す。

「・・・一緒になれたらよかったのに。

私たちは、一緒に戦うことはできても

一緒には・・・繋がれないから」

 

「だから、なぎさの全部を見せて」

そう言うとベッドから降りてしまう。

カバンから再びジッパーの音がして。

振り向いたほのかはもう笑顔に戻っていた。

 

「いや・・・」

なぎさが喉から声を絞り出す。

 

ほのかの両手にあったもの。

 

解剖用のメスと、試験管だった。

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