[μ]-εγλ 0007年9月末。
乾いた不毛の風が、赤茶けた荒野を容赦なく吹き抜けていく。
地平線の彼方には、鉄の巨獣のように歪に聳え立つ魔晄都市ミッドガルのシルエットが、重苦しい灰色の雲の切れ間に微かに霞んでいた。
見渡す限りの地平線が広がる、目印すら存在しない広大な荒野。
これほど果てのない不毛の地で、特定の一地点――たった二人の逃亡者を巡る戦闘現場を正確に突き止めることなど、本来なら不可能に等しい。
だが、ハメルには特別な捜索網も情報網も必要なかった。
長年、運命の番人たるフィーラーと対峙し、不本意ながら付き合い続けてきたことで、ハメルの第六感は自然と異次元の領域まで研ぎ澄まされてしまっていたのだ。
歴史の改変を阻もうとするあの不気味な存在は、原作のストーリーが決定的に変わる重要なポイントへと近づくほど、見えざる重圧となって無言で激しく騒ぎ立てる。
ハメルはいつしか、そのフィーラーの気配と圧力を肌で過敏に感知できるようになっていた。
今回も、やるべきことは至極簡単だった。
肌を刺すフィーラーの圧力が最も高まる方角へと、迷わずガルムのタイヤを向ける。
ただそれだけで、狙い通りの場所へ辿り着くことができたのだ。
静寂を切り裂くように、遥か前方から幾重にも重なる銃声と爆発の残響が、冷たい風に乗ってハメルの耳へと届き始めていた。
そこは、世界の命運が交錯する「約束の荒野」であった。
蒼穹色の大型カスタムバイク『ガルム』の爆音を荒野に響かせながら、ハメルはついに目的地へと到達する。
超高出力のツインエンジンを切り、ハメルは水色の魔晄の瞳を前方の崖上へと向ける。
そこでは、すでに凄絶極まる地獄絵図が展開されていた。
神羅カンパニーが差し向けた、数千に及ぶ大規模な追撃部隊。地鳴りを立てて前進する重戦車、不気味な駆動音とともにエネルギー砲撃を繰り返す大型機動兵器、統制された隊列を組む歩兵たちの銃撃が雨あられと降り注いでいる。
岩陰には無数の狙撃兵が展開し、スコープのきらめきが冷酷に標的を捉え、前線では指揮官の耳を劈くような怒号が飛び交っていた。
その圧倒的な戦火の渦の中心で、一人の男が猛り狂う獅子のように戦っていた。
ザックス・フェア。
かつての神羅の英雄、ソルジャー・クラス1st。
彼の肩は上下に激しく波打ち、呼吸を繰り返すたびに口元から鮮血が飛び散っていた。
誇り高きSOLDIERの制服はボロボロに裂け、魔晄を浴びたその肉体には無数の痛々しい銃創が刻み込まれている。
だが、どれほど血を流しようとも、彼の足は一歩たりとも退かなかった。
背後の岩陰には、魔晄中毒に陥って完全に意識を失っているクラウド・ストライフが横たわっている。
ザックスはただ一人、その親友へ敵を一歩たりとも近付けさせまいと、傷だらけの身体で立ち続け、巨大なバスターソードをがむしゃらに振るい続ける。
一人で数千の軍勢を相手に限界を超えて刃を振るうその姿。
前世の知識として知ってはいたが、直に目にするその圧倒的な強さと、英雄としての気高き魂の輝きに、ハメルは胸の奥を激しく揺さぶられるような深い敬意を抱かざるを得なかった。
同時に、ハメルの胸の奥には激しい感情の波が押し寄せる。
(ザックス、お前をここで死なせはしない。世界の用意した悲劇のレールなど、俺が今ここで叩き潰してやる――)
原作の凄惨な結末を知る転生者として、運命という理不尽なシステムへの激しい怒りが燃え上がる。
そして、ついにこの「約束の荒野」に間に合ったという確かな安堵。
五年前のニブル山の魔晄炉でセフィロスと戦って何とか生き延びた夜から、今日この瞬間のためにすべてを賭けて牙を研ぎ、己を鍛え上げてきたのだという執念が、ハメルの全身の血を沸騰させた。
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ザックスの命の灯火が、歴史の濁流に押し潰されようとしたその瞬間だった。
ハメルの進路を阻むように、荒野の空気が一変する。
肌を刺すような急激な気温の低下。
先ほどまで吹き荒れていた乾いた風が、まるで時間が凍りついたかのようにピタリと止まり、戦場の喧騒さえも遠のくような、不意味な無音の世界が辺りを支配する。
それだけではない。大気には、腐敗した澱みのような悍ましい臭気が混ざり始め、足元の赤茶けた砂が物理法則を無視して逆巻き始める。
太陽の光そのものが薄暗い紫色に変色し、大地の底を流れる魔晄が狂ったように逆流していく。
世界そのものがハメルの歩みに対して悲鳴を上げ、拒絶反応を起こしているのだ。
そして、次元の隙間がガラスのようにパキパキと音を立てて歪み、漆黒の不気味な霧をまとった運命の番人『フィーラー』の群れが、次元の泥のようになだれ込んできた。
世界に定められた正しい歴史の流れを維持しようとする不可視の存在。
本来の歴史通り、ザックス・フェアをこの荒野で確実に圧殺し、クラウドにそのすべてを継承させるため、世界の意志がその姿を現したのだ。
実体化した有象無象のフィーラーの群れは、ハメルとザックスの戦場を分断するように立ち塞がり、おぞましいほどの重圧の波を全方位へと放ち始める。
「さて始めるか」
ガルムから静かに降り立つハメル。
背負った複合弓と、そこに仕込まれた『ふうじる』のマテリアによる狙撃は、来るべき本当の決戦のために今は温存する。
ハメルが選択したのは、もう一つの戦闘スタイル――近接戦闘用の小剣二振りだった。
シャイン、と鋭い金属音を立てて引き抜かれた双刃。
ハメルがこれまで来るべき日のために、日々極限まで鍛え上げてきた「小剣の二刀流術」が、初手から完全解放される。
一歩を踏み出した瞬間、ハメルの身体が突風と化した。
ここからは、現実の敵と戦うザックスと、世界の意思と戦うハメルの、二つの戦場が奇妙に、そして美しく共鳴する壮絶な連動が始まった。
崖上で、ザックスが咆哮とともにバスターソードを横一線に薙ぎ払い、襲いかかる神羅兵の盾を肉ごと激しく叩き飛ばす。
それと完全に呼吸を合わせるように、崖下ではハメルが鋭利な小剣を奔らせ、迫り来るフィーラーたちが形成する漆黒の精神的障壁を力ずくで切り裂いていた。
さらにザックスが血煙のなかを跳躍し、眼前に迫った大型機動兵器の強固な装甲をバスターソードの全質量をもって真っ二つに叩き斬る。
同じ刹那、ハメルは両手の小剣を流れるような神速の連撃へと繋げ、押し寄せる無数のフィーラーたちの悍ましい攻撃の波を、真っ向から切り払って粉砕していった。
しかし、数千の銃弾の嵐が容赦なくザックスの肉体をかすめ、ついに彼は血を吐いてガクリと片膝をついた。
その瞬間、ハメルもまた、有象無象のフィーラーたちが放った一際濃密な呪詛の霧に視界を覆われ、足留めされる。
世界の意思が、因果を狂わせようとする不純物を排除せんと、二人の身体を圧搾してくる。
だが、ザックスは死なない。
背後の友の気配を感じ、バスターソードを杖代わりにして、血を吐きながらも再び歯を食いしばって立ち上がった。
その英雄の不屈に呼応するように、ハメルの魔晄の瞳にも傲然たる不敵な光が戻る。
全身を縛る不可視の圧力を力ずくで弾き飛ばし、ハメルは冷酷に、深く、フィーラーの群れへと踏み込んだ。
両手の小剣を流れるような連撃で翻し、漆黒の霧をまとって襲いかかる有象無象のフィーラーたちを、一網打尽に切り裂き、次々と虚空へと消滅させていった。
人山人海の神羅兵の怒号と銃撃。
千万無量のフィーラーが放つ叫びと重圧。
二つの異なる戦場で繰り広げられる暴力の嵐を、二人の戦士はただ己の体一つと、内に秘めた執念だけで真っ向からねじ伏せていく。
ザックスの振るうバスターソードは、血と泥に塗れながらも熱く豪快な一閃を奔らせ、押し寄せる神羅の大軍を『生きて還る』という不屈の執念で次々と薙ぎ倒していく。
そしてハメルの振るう二刀流の小剣は、無駄のない冷徹な軌跡を描き、運命の番人たちをただの「経験値」として冷酷に刈り取っていく。
五年前、ニブルヘイムの村がセフィロスの手によって狂気と炎に包まれたあの夜。
ハメルは襲いかかってきたフィーラーの群れを打ち破ることで、本来世界が規定していた「クラウド×ティファ」という運命のルートを、図らずも完全に消滅させてしまった。
ハメルはすでに一度、世界の用意したレールを自らの力で遮断し、歴史の因果を完全に変えることに成功しているのだ。
あの夜の圧倒的な成功体験が、ハメルの魂に絶対的な自信を植え付け、その身体を躍動させていた。
世界が定めた因果など、強固な力と意志があればいくらでもねじ切れる。
確信に満ちた意志の光をその水色の瞳に激らせた今のハメルは、この
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ハメルに次々と斬り裂かれ、消滅していった有象無象のフィーラーたち。
その残滓が、因果の乱れを力ずくで修正せんとして、一箇所へと急速に集まり始める。
漆黒の霧が激しく渦巻き、それらが融合を果たしていく。
周囲の岩盤が凄まじい音を立てて砕け散り、地面が悲鳴を上げるように軋んだ。
空間が激しく歪み、荒野の岩石を取り込みながら実体化したのは、圧倒的な質量と、世界そのものの呪詛をまき散らす巨大なボスフィーラーだった。
空は完全に黒く染まり、逆巻く魔晄のエネルギーが嵐となって吹き荒れる、まさに世界そのものの拒絶を体現した威容。
その巨体が、世界そのものの重みを乗せた悍ましい一撃をハメルへと振り下ろす。
あまりの超重圧にハメルは回避を試みるが、巻き起こった暴力的な風圧と衝撃波によって周囲の岩壁が轟音を立てて崩落。
その凄まじい衝撃に耐えかね、ハメルの身体が激しく吹き飛んだ。
身体を打ち付けられて地面にガクリと初めて膝をつくハメル。
(くっ……流れてくる因果の質量が、さっきまでとは桁違いか……!)
だが、ハメルは絶望などしない。
彼は愛用する二本の小剣のスロットを限界まで拡張しており、計六つのマテリア「炎」「氷」「雷」「風」「水」「土」を完璧にリンクさせてこの戦場に臨んでいた。
立ち上がりながら、その水色の魔晄の瞳が、敵の防壁が切り替わる僅か〇・一秒の隙間、予備動作、構造、そして周囲に渦巻く魔晄の流動パターンを完全に読み解き、先読みする。
ハメルはただ力に任せて戦うのではない。知略を尽くし、敵の本質を完全に見切るのだ。
氷の属性が防壁を覆った瞬間を読み切り、右の小剣に強烈な「炎」の魔晄を纏わせて突撃した。
紅蓮の刃が因果の装甲を焼き切り、間髪入れずに敵が不気味な炎の放射に切り替えれば、即座に左の小剣の「氷」の刃をもってその熱量を的確に相殺、凍結させる。
風には雷、雷には風、水には土、土には水。
ボスフィーラーの防壁が属性を変化させる都度、ハメルはその脆弱な弱点属性を容赦なく、的確に、執拗なまでに小剣の双刃で突きまくっていった。
精度を増した戦術と、度重なる的確な弱点打撃により、ボスフィーラーの因果の防御システムは完全に過負荷を起こし、内部の脆弱な核が露出した。
ハメルの身体が限界を超えて加速する。
初手から解放している小剣の二刀流の閃きが極限まで研ぎ澄まされ、巨体が繰り出す最後のあがきを紙一重でかわしながら、ハメルはその懐へと一瞬で飛び込んだ。
その刹那、ハメルの脳裏に、自らの手で掴み取った幸福の光景が、走馬灯のようにフラッシュバックした。
あの因果をねじ曲げた夜、初めて傷ついたティファをその腕に強く抱き締めた夜の涙。
自分たちの手でひっそりと、しかし確かな愛を誓い合った静かな結婚式。
セブンスヘブンを自分たちの持ち家として、共に汗を流しながら再建した愛おしい日々。
コスタ・デル・ソルで初めて味わったティファズミルクのまろやかさ。
双子が産まれ、地下の寝室で初めて産声を上げたあの奇跡のような瞬間。
新しく授かった双子の息子、ティベリーとガイルが初めて小さな声で笑った日。
その小さな命をこの手で初めて抱きしめた時の、震えるほどの愛おしさと父親としての責任感。
旅立つ直前、ペンダントにしていた結婚指輪を外して左手の薬指にはめ直し、「ハメルが無事に帰ってくるまで、はめたままにしておくね」と、Kカップの豊かな胸元を押し当てて微笑んでくれた彼女の温もり。
託せる仲間がいる。
守るべき子どもたちがいる。
そして何より、最愛のティファがいる。
そのすべてがハメルの細胞を爆発させ、無限の原動力を与える。
極限のコンビネーションから、トドメの一撃を繰り出すその瞬間、ハメルは雄々しく喝破した。
「変えられない運命など、最初からこの世に存在しない!」
前髪の隙間から射す水色の魔晄の瞳が爆発的な光を放ち、両手に握る小剣に込められた六属性のマテリアが一斉に強烈な光を放った。
交差する双刃の鋭い閃きが、ボスフィーラーの核を十文字に深く両断する。
「ガ、ア……ッ!!」
ボスフィーラーが光の粒子となって完全に霧散していく。
その凄まじい因果の崩壊の気配を、崖上で戦うザックスもまた、一瞬だけ肌で知覚していた。
(なんだ……? 今、近くでとんでもない圧力が消えたような……。まだ、誰かいるのか……?)
ザックスが意識の隅でそんな疑問を抱いた瞬間、世界は急激な変貌を遂げた。
今まで荒野に満ちていたフィーラーの耳障りな呪詛の声、大気を震わせていた精神攻撃の爆発音が、嘘のように一瞬で消え去ったのだ。
世界を覆っていた黒い霧が晴れ、朝の光が差し込む中、訪れたのはあまりにも極端な静寂だった。
だが、その静寂のなかで、崖上からは今なお、ザックスが振るうバスターソードの生々しい風切り音と、神羅兵の肉を裂く硬質な剣戟の響きだけが、遮るものなく荒野に響き渡っていた。
フィーラーは消えた。
世界は今、この瞬間だけ未来を決める束縛から解き放たれている。
あとは、自分の一撃で歴史を捻じ曲げるだけだった。
ハメルは二本の小剣を逆手に握り直し、崖をよじ登る。
そして彼は、血を流しながらも今なお敵兵を見据えるザックスの姿を視界に収め、その少し後ろ、岩陰で静かに眠るクラウドの姿を視界に収めた。
そして、漆黒の番人たちが消え去り、美しく朝焼けに染まり始めた荒野の空を仰ぎ見る。
これが、自分が選んだ新しい世界の形だ。
ハメルは両手の小剣を強く握り直すと、運命の歯車を完全に狂わせ、英雄をその絶望から救い出すため、朝日の差し込む戦場へと向かって迷いなく地を蹴り、疾風のごとく駆け出した。
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約束の荒野に繰り広げられた、ザックスただ一人による神羅軍への抵抗。
その壮絶な戦いは、静かに終わりを迎えようとしていた。
激しい銃撃戦の咆哮が止み、荒野に訪れたのは耳が痛くなるほどの極端な静寂だった。
雨が降る前の重苦しい空気の中、赤茶けた大地には、未だに不気味な火を吹き続けながら黒煙を上げる大型機動兵器の残骸や、無残にひしゃげた重戦車の装甲が点在している。
地面を埋め尽くす無数の空薬莢、折れた歩兵銃。
そこかしこに飛び散った鮮血の赤が、まだ見ぬ雨を待つ乾いた泥へと黒く混ざり合っていく。
数千を誇った神羅軍の追撃部隊は、今やほぼ壊滅状態に陥っていた。
だが、その中心に佇むザックス・フェアの肉体もまた、完全に限界を超えていた。
呼吸は極端に浅く、激痛のあまり視界は二重三重に歪んでいる。
あれほど軽々と振り回していたバスターソードは、今や大地に縫い付けられたかのように重い。
全身の銃創から流れ落ちる血が彼の制服を真っ赤に染め、両腕は細かく痙攣し、足にはもう一歩を踏み出す力さえ残されていなかった。
バスターソードを握る指先が力なく解けかけ、彼の意識が暗転し、まさに膝を折ろうとしたその瞬間――「もう一秒遅ければ死んでいた」という、完璧に計算された絶妙なタイミングが訪れた。
崖の上、岩陰に身を潜めていたハメルが、静かに立ち上がる。
彼の顔には、かつてコルネオ・コロッセオのリングで使用していた特殊なマスクと、水色の魔晄の瞳を完全に隠すための黒いサングラスが着用されていた。
素性を隠した怪しい出立ちのまま、ハメルは強靭な複合弓を構え、一本の矢を番った。
その矢先には、あらかじめ仕込まれていた『ふうじる』のマテリアから溢れ出た、不気味な深い緑色の魔晄が濃密に収束していく。
(この一射で、すべてが決まる――)
ハメルの胸に強烈な緊張感が走る。
狙う先は、ザックスの心臓のすぐ傍。
致命傷を避けた、しかし確実に意識を遮断し、肉体の機能を一時的に完全停止させる精密な位置だ。
深すぎれば本当に殺してしまう。
だが、浅ければ効果を発揮する前に、生き残った神羅兵にザックスが撃ち殺される。
この一矢でザックスを救い、世界の用意した悲劇の原作を完全にぶち壊すのだ。
ハメルは全神経を集中させ、極限まで弦を引き絞った。
シュウゥゥン、と大気を切り裂く鋭い風切り音とともに、一本の緑の閃光が崖上から放たれる。
「ガッ......」
矢は寸分の狂いもなく、限界を迎えていたザックスの胸元へと突き刺さる。
「ちっ......くしょう......ここ......までかよ......クラ......ゥ」
仮死の呪詛を宿した魔晄が彼の全身へと瞬時に駆け巡り、ザックスの身体は糸の切れた人形のように、荒野の泥の中へと力なく崩れ落ちた。
「おい……実験体が倒れたぞ!」
遠巻きに様子を伺っていた神羅兵の残党たちの間に、一瞬の動揺と、それに続く歓喜が走った。
「確認しろ! 息の根を止めろ!」
隊長の怒号に押され、生き残っていた僅かな歩兵たちが、勝利を確信してザックスの身体へと恐る恐る近寄ろうとした、まさにその刹那だった。
ハメルの指先が、残像を残すほどの早業で次々と矢を番え、放った。
キィン、キィンと強靭な弦が鳴る音が荒野に響き渡る。
岩陰から左右へと正確に振り抜かれた無数の光条は、接近しようとした神羅兵の残党たちの脳天や胸元へと、寸分の狂いもなく正確無比に全弾命中していった。
だがその苛烈な速射の最中、ハメルのサングラスの奥の瞳が、大破した大型兵器の陰で頭を抱えてガタガタと震えている神羅の整備兵たちの姿を捉える。
その中の一人――泥をかぶったヘルメットの隙間から覗く怯えきった顔の輪郭に、ハメルは見覚えがあった。
(……レスターか)
ハメルは一瞬で思考を巡らせ、その整備兵のいる一角だけを完璧に狙撃の対象外へと除外する。
ザックスの命を奪おうと武器を構えていた戦闘歩兵や隊長たちだけを冷徹に仕留めていくハメル。
連続してヘッドショットを叩き込まれた彼らは、悲鳴を上げる暇さえ与えられずにその場に崩れ落ちていく。
敵が「勝利」を確信した一瞬の隙を突き、全滅へと一転させる冷徹な速射。
荒野に残っていた神羅の戦闘員の息吹は、ハメルの手によってわずか数秒のうちに完全に途絶させられ、戦場は再び絶対的な静寂へと帰した。
腰を抜かして震え続けるレスターらしき男だけを泥の中に残したまま、ハメルの影は岩陰から消え去った。
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やがて、灰色の空から激しい雨が降り始め、乾燥した大地を容赦なく叩き始める。
ハメルは別の岩陰から、冷徹な魔晄の瞳で戦場の趨勢を見つめ続けていた。
泥塗れの戦場の中心で、岩陰から一人の青年が這い出てくる。
魔晄中毒によって瞳の焦点を失い、自らの名前さえ忘却の彼方にあるクラウド・ストライフだった。
彼は雨の中に力なく倒れるザックスの元へと縋り付き、その泥塗れの肩を何度も激しく揺さぶった。
「ザ、ザックス……」
その名前を呼ぼうとするが、喉が引き裂かれたように掠れて声にならない。
雨が彼の顔を容赦なく叩き、涙か雨かも分からぬ水滴が視界を遮る。
絶望の底で、クラウドはザックスの手から零れ落ちたあの巨大なバスターソードの手元を、その両手で固く握りしめた。
一度はそのあまりの重さに耐えかねて持ち上げられそうにないほどだったが、友の遺志を、その生き様をすべてその身に引き継ぐかのように、クラウドは重い大剣の先端を泥に塗れさせながら、引きずり、引きずり、ミッドガルの方角へと向かってトボトボと歩き始める。
ハメルはそのクラウドの痛々しい、しかし歴史の大きな川へと還っていく旅立ちの背中を、陰から静かに無言で見送る。
かつてニブルヘイムの夜に、自らの力で「クラウド×ティファ」という本来の因果を完全に消滅させたハメルだったが、雨の中に消えていく彼の後ろ姿を見つめる魔晄の瞳には、静かな祈りと深い覚悟が宿っていた。
(クラウド……お前はこれから過酷な道を歩むことになる。だがその先にティファはもういない。願わくば違う幸せを掴み取って欲しい。そのための手助けは惜しまない)
ハメルは心中でクラウドの行く末を祈り、その姿が完全に雨のカーテンの向こうへと消え去るのを見届けた。
クラウドの姿が消えた後、ハメルはザックスの元へと歩み寄る。
『ふうじる』の魔晄の一撃によって心拍を極限まで下げられ、深い眠りの中にあるザックス。
ハメルは懐から、最高級の完全回復薬「エリクサー」を取り出すと、その惜しみない輝きを放つ液体を、彼の凄惨な銃創の数々へと直接ぶち撒けた。
シュアァァ……と、魔晄の蒸気が雨の中で激しく立ち上る。
エリクサーの圧倒的な治癒エネルギーにより、ザックスの肉体に刻まれていた無数の傷口が、急速に細胞を結合させて塞がっていった。
砕けていた骨が内側から元に戻り、致命的な肉体の損壊は完全に再生された。
浅くなっていた呼吸もみるみるうちに安定し、死人のようだった顔色にも血の気が戻っていく。
だが、いかにエリクサーとはいえ、重傷のまま戦い続けたことで限界まですり減ってしまった彼の魂魄までは回復しない。
ザックスが真に回復して目覚めるには、長い長い休息の時間が必要であった。
185cmあるザックスの体躯はそれなりに重い。
だが、ハメルは自身の鍛え上げられた強靭な腕でザックスの身体を何とか持ち上げると、崖の下に停めてあった大型カスタムバイク『ガルム』のサイドカーのシートへと横たえさせた。
ギヤを叩き込み、アクセルを大きく開く。
ツインエンジンが荒野に地鳴りのような爆音を響かせ、ガルムは南に向けて猛然と爆走を開始する。
激走の途中、エリクサーによる超細胞回復の残熱によって、ザックスの精神の底で一時的に意識が微かに解けかける瞬間があった。
「……う、く……ここは、……? おまえ、どこかで……」
虚ろに焦点を彷徨わせ、視界の端に流れる景色と、自分を運ぶ男の後ろ姿を捉えながら、ザックスが掠れた声で虚ろにうめく。
マスクと黒いサングラスに隠された男の気配に、5年前のニブルヘイムの記憶がほんの一瞬だけ反応したのかもしれない。
ハメルはバイクのハンドルを固く握り締め、一切視線を後ろに巡らせることなく、前を向いたまま冷徹な声音で短く告げた。
「寝てろ、天国へ連行中だ」
その冷たくも不思議と絶対的な安心感を抱かせる言葉の重みに、ザックスはそれ以上言葉を続けることなく再び意識を失い、深い眠りへと落ちていった。
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ジュノンへと続く、視界の開けた広大な荒野。
ハメルは蒼穹色のカスタムバイク『ガルム』のナビゲーションに、1年前のハイウェイバスで神羅兵から手に入れた『ミッドガル周辺・神羅軍事警戒グリッドマップ』のデータを照合させていた。
向かう先は、神羅の警戒網の隙間である岩盤地帯――「ポイント235」。
現在、タークスの主力であるレノとルードのヘリは、遥か離れた「ポイント120」の捜索に追われている。
ポイント235の空域を任され、ヘリで捜索にあたっているタークスはシスネただ一人。
ハメルは最初からすべてを計算し尽くした上で、あえて確信犯的にガルムのツインエンジンを極限まで咆哮させ、上空のヘリにわざと見つかるように、遮るもののない荒野を堂々と駆け抜ける。
凄まじい砂煙を巻き上げて爆走するガルムの姿は、上空から捜索していたシスネの目へと一瞬で飛び込んでいった。
「――見つけた! 操縦士、あのバイクの進行方向……鼻先に機体を下ろして!」
シスネはコックピットの操縦士へ向けて鋭く指示を飛ばした。
神羅のヘリは大きく旋回すると、ガルムの進路を遮るように荒野へ向かって急速に高度を下げていく。
巻き起こる猛烈な砂嵐の中、ヘリが荒野へと滑り込むように着陸すると同時に、ハメルも滑らかなブレーキさばきでガルムを制動させ、その目の前でピタリと停止させた。
ヘリのハッチを開けたシスネは、後部のカーゴエリアに控え、静かに追従しようとする兵士たちを振り返って手で制した。
「あなたたちはここで待機していて。私が一人で確認してくるわ」
シスネはそう言い残すと、ローターの激しい風圧と砂塵が吹き荒れる荒野の中へ一人飛び出し、ガルムの傍らで不敵に待つハメルと対峙した。
だが、サイドカーに横たわるボロボロのザックスの姿が視界に入った瞬間、シスネは凍りついたように足を止め、顔色を劇的に変えた。
血と泥に塗れ、無残に引き裂かれた制服。ピクリとも動かず死人のように横たわるザックスの凄惨な姿。
神羅軍による大規模な包囲網が敷かれていること自体は当然知っていた。
だが、軍の部隊がすでにザックスと激突し、彼をここまで凄惨な状態に追い詰めたという現場の最新情報は、まだシスネの元には届いていない。
そのため、彼女の視点から見れば、目の前に佇むサングラスとマスクで素性を隠した怪しい男こそが、あの強大なソルジャー・クラス1stであるザックスを叩きのめし、手中に収めている危険人物に他ならなかった。
「ザックス……!? あなた……一体何者!? ザックスに何をしたの……ッ!」
シスネの瞳に鋭い殺気が宿り、腰のホルダーから大型の手裏剣を叩き出すように構え、ハメルへ向けて一歩踏み出す。
ハメルはサングラスの奥の魔晄の瞳でその殺気を冷ややかに受け止めると、動じることなく、サイドカーで深い眠りにあるザックスを顎で静かに指し示した。
「勘違いするな。迫る神羅の包囲網と激突し、蜂の巣にされていたのを俺が拾っただけだ。……ザックスを引き取りに来たんだろう。連れて行け」
「……っ!?」
ハメルの嘘偽りのない冷酷な声音と、ザックスの体に刻まれた無数の「神羅軍用小銃による惨烈な銃創」、そしてそこに施された高度で的確な応急手当の痕跡。
タークスとしての観察眼が、男の言葉が真実であることを瞬時に見抜く。
(軍の大部隊と交戦したっていうの……!? それに、この手当ては……この男がザックスを助けた……?)
情報が遮断されていた戦場の凄惨な現実と、目の前の男の計り知れない底深さに、シスネは息を呑み、動揺に目を見開く。
しかし、彼女が思考を巡らせようとしたその瞬間――待機命令を無視するように、ヘリのキャビンから黒い装備に身を包んだ数名の神羅軍特務部隊がぬうっと姿を現した。
彼らは一切の警告も発せず、無機質で冷酷な殺意を孕んだ瞳で、殺傷力の高い銃口をザックス、そしてシスネとハメルへ向けて無言で一斉に構えた。
チャキン、と冷酷な安全装置の解除音だけが響く。
「……っ!? あなたたち、何をするの……!?」
シスネの顔から一気に血の気が引く。
問答無用の殺気。
説明も、言葉すら拒絶した徹底的な抹殺の意思。
(ツォン主任……? いいえ、最初から私すら信用していなかった……!? 私が裏切る可能性を見越して、処分用の刺客を同乗させていたっていうの……!?)
長年尽くしてきた神羅、そして信頼していた上司から向けられた背寒の走る不信と裏切り。
冷たい疑惑が背筋を駆け抜け、シスネの心の中で神羅への忠誠が脆くも崩れ去っていく。
だが、実際の真相は違っていた。
ザックスを何としても生かして保護しようと奔走していたツォンに、シスネを疑う意図など毛頭なかったのだ。
タークス配下の特務部隊の中には、軍上層部と裏で繋がる神羅軍の過激派スパイが密かに紛れ込んでおり、ザックスの確実な処分の完遂と、障害となるタークスの排除を独断で画策していたに過ぎなかった。
シスネとツォンにとってはあまりにも不吉で惨痛な「不幸な行き違い」であったが、渦中にいるシスネにそれを見抜く術はなく、神羅との決別のトリガーとしては十分すぎる絶望であった。
「ふざけないでよ……ッ!」
激昂したシスネが手に大型の手裏剣を構える。
ハメルもまた、サングラスの奥で水色の魔晄の瞳を冷たく細め、弓を引き絞るまでもなく一瞬で間合いを詰めた。
「「――ハッ!」」
息を合わせるまでもない。
ハメルの圧倒的な身体能力による電撃的な打撃と、シスネの鋭い手裏剣の閃光が交錯する。
不意を突こうとした特務部隊の神羅兵たちは、銃弾を一発すら撃ち込む猶予も与えられず、わずか数秒のうちに全員が物言わぬ肉塊となって荒野の泥の中へと転がされた。
その刹那――外の異常と特務部隊の全滅をモニターで察知したヘリの操縦士(パイロット)がパニックを起こした。
自分だけでも逃げ出そうと、操縦士はエンジン出力を全開にし、猛烈なローター音とともにヘリを強行離陸させようと機体を傾け始める。
「くっ……逃がすか!」
シスネが叫ぶより速く、ハメルが動いた。
ハンターとしての驚異的な脚力で荒野の泥を爆発的に蹴り立てると、浮き上がりかけたヘリのコックピットへ一気に肉薄。
ハメルは滑り込むようにキャノピーのドアを力任せにこじ開け、青ざめた操縦士の胸元へ容赦ない前蹴りを打ち込んだ。
「ぐはあっ!?」
叩き出された操縦士が叫び声を上げて地上へと転がり落ちる。
無人となり、暴走したエンジンで高度を失いかけたヘリの機体が不気味に揺れ傾く――だが、ハメルの動きと寸分狂わぬタイミングで、シスネが下から宙を舞うようにコックピットへ滑り込んだ。
シスネは流れるような動作で操縦席に腰を下ろすと、即座に操縦桿を握り直し、ラダーペダルを力強く踏み込む。
ブワッと激しい風圧を起こしながら暴れかけたヘリの挙動は、彼女の手慣れた操縦によって一瞬で完璧に制御され、空中でピタリとホバリングの体勢へと落ち着いた。
「助かったわ……ナイスアシスト!」
ハメルとシスネの鮮やかなコンビネーションにより、神羅のヘリは完全に二人の手中に落ちた。
地上へ降り立ったシスネは、転がる神羅兵たちを見下ろし、頭を抱えて大きく溜め息をついた。
「あーあ……。これで私も、完全に神羅に居られなくなっちゃったな」
失望と吹っ切れた感情が混ざり合った彼女の言葉に、ハメルは静かに告げた。
「神羅を捨てる良い機会だ。……追撃が来る前に、そのヘリで離脱しろ」
「言われなくてもそうするわよ!」
シスネは腹を括ると、コックピットの通信機器と追跡用ビーコン(GPSトランスポンダー)の配線を力任せにブチブチと引きちぎり、完全に破壊した。
「この軍用ヘリの燃料なら、途中で給油しなくても直接西の大陸まで飛べるわ。……あいつの故郷、ゴンガガを目指すことにする」
ハメルとシスネは協力し、深い眠りの中にあるザックスの体を慎重にヘリのキャビンへと運び込んだ。
シートに横たわったザックスの呼吸は、エリクサーの効果で深く穏やかなものへと変わっている。
ハッチを閉める直前、ハメルは足を止め、振り返ることなく冷徹な声音で言い放った。
「……起きたらザックスに伝えてくれ。クラウドは無事だ、とな」
「え……? あなた、どうしてクラウドのことまで……?」
シスネが驚きに目を見開くが、ハメルはそれ以上語ろうとせず、愛車『ガルム』のシートに跨がった。
去り際、シスネは食い入るようにその背中を見つめ、静かに己のコードネームを口にする。
「私はシスネ」
「知ってる。本当の名前じゃないんだろ」
ハメルが振り返ることもなく平然と言い放ったその一言に、シスネの息がピタリと止まった。
誰にも明かしていない、タークスとしての偽名。
限られた人間しか知り得ないはずの自分の秘密すら、この男は呼吸をするように見抜いている。
「……貴方、本当に何者?」
底知れぬ恐怖と畏怖を含んだシスネの問いに、ハメルはツインエンジンを響かせながら短く答えた。
「名乗るほどの者じゃない。……早く行け、追手が来る」
ハメルの脳裏には、七番街スラムの『セブンスヘブン』で帰りを待つ愛するティファの笑顔と、すくすくと育っている生後間もない双子の愛おしい寝顔があった。
自分にできる手助けはすべて終えた。
一刻も早く、あの温かな我が家へ還らなければならない。
「……そ。最後まで名乗ってくれないわけね。でも、分かったわ。伝言、必ずザックスに伝える。……ありがとう」
シスネは息を呑んだまま少し呆れたように苦笑し、確かな感謝を込めてハッチを閉めた。
激しいローター音とともに神羅のマークが刻まれたヘリが浮上し、ビーコンを遮断したまま、暗雲の立ち込める西の空――ゴンガガの方角へと向かって一直線に飛び去っていく。
ハメルはその飛翔を静かに見送ると、ガルムのアクセルを強く捻った。
ツインエンジンが咆哮を上げ、蒼穹色の機体は雨の上がる荒野を蹴り立てて、愛する家族の待つミッドガル七番街スラムへと向かって猛然と爆走を開始するのだった。