「・・・鍵、どうした?」
「ホテルの人から借りたよ〜♪」
フレデリカが鍵をプラプラさせながら答える。
温泉施設の廊下には俺たち3人だけで、
しんと静まり返っていた。
スリッパの音だけがパタパタと響く。
クイっとスーツの裾を引っ張られて。
「な、何」
「茜ちゃんと〜♪仲良くできた?」
・・・まあ、勘づいてるよな。
というかあの現場を抑えられて
何もありませんでしたと言い切れるわけもない。
茜はヒソヒソ話す俺とフレデリカの一歩先を歩いている。
桃色の浴衣。小さな背中。
いつもより・・・なぜか小さく見える。
フレデリカが茜を指差す。
?
何が言いたい。
「明日、大丈夫〜?」
ーッ
息を呑む。
茜がいつもの軽快な歩き方じゃない。
ふわふわとペンギンのような。
どこかをかばうような歩き方。
・・・あんなことを、したから。
そうだよな。
初めてだったもんな。
「フレちゃんは〜
嘘つかない方がいいと思うな♪」
フレデリカの笑み。
小悪魔を通り過ぎて死神に見えてきた。
ああ。明日ライブだっていうのに。
ちひろさんになんて言おう。
降格、左遷・・・いや、下手するともっと・・・
胃がキュッと痛む。
・・・仕方ない。自分でしたことだ。
「みんな待ってるよ〜」
ホテルと温泉施設は離れていて、歩いていけないことはないが、
宿泊客はフロントに頼めば送迎してもらえる。
入り口には黒の軽が停められていた。
これに乗って・・・帰ったら説明をして・・・
ええい。
深呼吸をして、肩を回す。
大丈夫。
ちゃんとやる。
覚悟を決めろ。
「じゃ、フレちゃん先帰るね〜☆」
は?
「茜ちゃんと話してから来てね。
そこの電話で呼べるから〜♪」
くるっと一回転すると笑って。
「出しちゃってくださ〜い」
・・・行ってしまった。
茜と二人。玄関の前に取り残されて。
気を遣ってくれたのだろうか。
外はもう真っ暗で。
湯冷めしそうだ。
いったん、中に戻るか。
ぐきゅるるるる。
「おなかがすきました!」
いい音したな今。
「晩ごはんにカレー・・・ありますかね?」
・・・温泉ホテルだからなあ。
「うーん、海鮮とかじゃないかな・・・外に食べにいくか、茜。
普通のと、インド的なのとどっちがいい?」
・・・今日はいくらでも食べていいぞ。
「プロデューサーと一緒ならなんでもおいしいです!」
うわ。
満面の笑顔が俺を射抜く。
お前は。
どうしてこう。
こんなに。
・・・話してから来て。
と言われたな。
そうだな。
答えなければ。
あの問いに。
あのプロポーズに。
「茜。」
茜が見上げる。
泣き腫らした瞳に、俺が映っている。
なあ茜。
俺はお前が一緒なら、
なんでも出来る気がするよ。
だから。
「・・・俺といっしょに、走ってくれるか?」
少しの沈黙。
「もちろんです!!」
右手を差し出すと。
茜が俺の手を握る。
熱を感じる。
アイドルの
俺の手のひらをなぞり、深く掴んだ。
・・・何で左手?
「手、失礼しますね!!!!」
野生動物のように一種
ものすごい勢いで背景が流れ
え?
「爆速ダッシュでいきますよーっ!!」
捕食者の如き前傾姿勢。
凄い勢いで引っ張られる俺の右手。
茜がホテルに向かって走り出す。
そういう意味じゃない。
そういう走るじゃない。
言うタイミングを間違えたか。
「しっかりついてきてください!!」
手加減しているのだろうが結構なスピードだ。
平坦な道でよかった。
これだけ走れるなら明日のライブも大丈夫だな。
茜。
いつも俺の手を引く。
身体を前に倒す。
足に力を込める。
革靴が脱げそうに。
つま先に力を込めて地面を蹴る。
息を吸う。
負けてなるものか。
そうじゃない。
そうじゃないぞ茜。
これから俺は、お前と並んで走るんだ。
並走する俺を見て茜の目が丸くなる。
うるせえどうせ全力疾走だよ。
みっともなくたっていい。
お前と一緒に、走りたい。
茜。
今なら言える。
「大好きだ!!!!」
今日一でかい声出た。
肺から空気がなくなりむせる。
茜の目がふと
「はい!!!!!」
いつもの太陽のような、笑顔だった。