士郎は、喉の奥から湧き上がる血の味と共に立ち上がった。ランスはセイバーを抱き寄せたまま、大笑いしながら夜の闇の中へ消えていく。その背中を追いかけようとする士郎の耳元で、言峰綺礼の嘲笑が聞こえた。
「衛宮士郎。貴様の理想が汚される様は、実に滑稽で愉悦に満ちているな。……ランスは柳洞寺へ向かわれた。どうする? 自分の無力さを噛み締めながら死ぬか、それともこの絶望に抗うか」
士郎は答えなかった。ただ、折れた剣の破片を握り締め、柳洞寺へと続く石段を駆け上がった。
心臓が破裂しそうなほどの動悸の中、脳裏に浮かぶのは、先ほど見せつけられたセイバーの虚ろな瞳だ。
――許さない。絶対に、あの男を切り刻んでやる。
「……ほう。山門に風が吹くと思えば、実に奇妙な怪物が登ってきたものだ」
柳洞寺の静寂に包まれた山門。
その階段の最上段に、薄衣を纏い、背後に愛刀「物干し竿」を背負った男――アサシンが、いつものように静かに佇んでいた。
「がははは! おい、そこの長髪の侍! お前がこの街の『門番』か? 俺様はこの町の新しい王、ランス様だ! 今すぐその門をどけ、俺様が城の奥に隠されているという『宝』を根こそぎ寝取ってやる!」
ランスは周囲に漂う張り詰めた殺気など知ったことかと、ズカズカと階段を登っていく。
「ふむ……。王、か。だが残念ながら、儂は山門を守るという退屈な役目を与えられた身でな。その理不尽なまでの暴力、ここで一太刀、味合わせてもらおうか」
アサシンが音もなく刀を引き抜く。その動きには一切の無駄がなく、ランスの放つ黄金のオーラさえも切り裂くような、洗練された「無」の境地がそこにはあった。
『おい心の友よ! 警戒しろ! この男、剣技だけで次元の壁を切り開くような『魔剣』の域に達しておるぞ!』
魔法ボックスの中でカオスが珍しく緊迫した声を上げる。
「がははは! 面白い! 小細工抜きの真剣勝負なら大歓迎だ!」
ランスはカオスを構える――が、アサシンが先だった。
「――燕返し」
言葉を発した瞬間、アサシンの刀が三つの軌道を描いた。
一つは左から、一つは右から、そして一つは空から。
物理的に回避不能、概念的に回避不能。多重次元屈折現象によって「同時に三方向から斬りつける」という、剣技の極致。
ガギィィィィィン!!
「ほほう! 俺様の頭を三つに割るつもりか!」
ランスはカオスの刀身を蛇のようにうねらせ、三つの軌道を紙一重で弾き飛ばした。だが、アサシンの剣筋は止まらない。
「まだだ」
山門の空間そのものが歪む。アサシンの剣が、ランスの鎧の隙間を、首筋を、心臓を、一度に数え切れないほどの速度で刻みつける。
「がははは! 痒いぞ! そのチョコマカした動き、俺様の『ハイパー気力』の摩擦熱で焼き切ってやるわァァァッ!!」
ランスが爆発的な踏み込みで大地を割り、カオスを地面に突き刺す。
「『超スーパー鬼畜・大地振動(だいちはしんどう)』!!!」
ドガァァァァァン!!!
柳洞寺の山門全体が激しく揺れ、アサシンの足元の重心が崩れる。
「……なるほど。これだけの膂力を持ちながら、剣の冴えも侮れぬか」
アサシンは崩れる足場を逆手に取り、空中で回転しながらランスの頭上から一閃を浴びせる。
「がははは! 無駄だ!」
ランスはカオスを振り回し、その遠心力だけでアサシンの剣を吹き飛ばした。
「ジジイ、お前の剣技は『綺麗すぎる』! 俺様の戦いは、もっと汚くて、強引で、理不尽なのだよ!」
ランスは、魔剣カオスの刀身から放たれる「あらゆる防御概念・特性を無効化する呪い」を、斬撃ではなく、周囲の空間そのものに叩き込んだ。
「ぬっ……!?」
アサシンは、自身の剣がランスの鎧に触れる瞬間、その剣筋そのものが「何もない空間」へとすり抜けていく感覚に襲われた。
カオスの呪いが、アサシンの「燕返し」という術式そのものを無効化し、強制的にキャンセルさせたのだ。
「そこだァァァッ!」
ランスの巨大な拳が、アサシンの腹部を真正面からぶち抜く。
ドガァッ!!
「……見事……。我が剣の理を、力ずくでねじ伏せるとは……」
アサシンは空中で大きく吹き飛ばされ、山門の柱に背中から激突する。
だが、彼は口から血を流しながらも、どこか満足げに笑みを浮かべていた。
「がははは! どうだ、降参か! 降参するなら俺様のハーレムの『門番』に任命してやるぞ!」
「いや……結構だ。儂は、この静かな場所で酒を飲み、風を感じていられればそれで良い。貴方のような『暴風』とは、一度の邂逅で十分だ」
アサシンは苦笑しながら、刀を鞘に収めた。
「ふん、ケチな侍だな! いいだろう、今は大聖杯(コップ)の寝取りが先だ。お前はまた今度、美味い酒でも持ってきてシバいてやる!」
ランスはアサシンに背を向け、柳洞寺の地下へと続く階段を大股で踏みしめていく。
「……やれやれ。あんな男とはな。……冬木の空も、ずいぶんと騒がしくなったものだ」
アサシンは一人山門に残され、空を見上げて静かに目を閉じた。
鬼畜王ランスの理不尽な暴力の前には、無双の剣技すらもただの「一過性の風」に過ぎなかった。彼の進撃は、いよいよ柳洞寺の地下深く、聖杯の心臓部へと向かっていく――。
石段を駆け上がり、柳洞寺の山門を突破した時、境内に広がっていたのは信じ難い光景だった。
山門の先には、キャスターが呆然と立ち尽くしていた。彼女の宝具である「破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)」は、ランスの足元に無造作に投げ捨てられている。
「……あり得ないわ。私の魔術も、この寺の結界も、あの男の一歩で全てが無に帰した……」
ランスは本堂の縁側に腰掛け、セイバーを自身の膝の上に乗せていた。セイバーは今や、完全にランスの虜囚と化し、無防備に彼の腕の中に収まっている。
「……キャスター、か。お前もハーレムの仲間入りだ。俺様のコレクションがまた一つ増えたな」
ランスはセイバーの喉元を優しく、しかし支配的に撫でながら、士郎とキャスターを見下ろす。
「……終わらせてやる。どんな形であれ、ここでお前を倒すッ!」
柳洞寺の冷たい夜風の中、理不尽な暴君と、絶望に抗う少年、そして心折れた魔女。運命の歯車が、残酷な最期に向けて噛み合おうとしていた。
柳洞寺の本堂から、セイバーという「獲物」を抱えたランスが腰を上げた。
「がはは! 退屈だ。お前ら三人で俺を囲んで殺し合う……なんて見世物もいいが、逃げ回る奴を追いかける方が、狩りとしてはよっぽど趣がある」
ランスの殺気が境内の空気を凍りつかせた。その圧倒的な圧力に、キャスターは悲鳴を上げる暇もなく転がりながら逃げ出した。本来なら「空間転移」という強力な魔術を持つ彼女だが、ランスの「理不尽」という概念の前では、その術すらも「追いかけっこ」の障害物にしかならない。
「待て! 魔女!」
ランスはセイバーを小脇に抱えたまま、地響きを立てて柳洞寺の回廊を駆け抜ける。士郎がその後を追おうとするが、ランスが通った跡には、まるで空間そのものが捻じ曲げられたような歪みが残り、士郎の足を容赦なく阻む。
キャスターは境内を抜け、薄暗い山林の中へと逃げ込んだ。息を切らし、木の根に足を取られながらも、彼女は必死に魔術を行使する。
「……私の魔力が、吸い取られる……!? この男、存在そのものが魔術の天敵だというの!?」
背後から、ランスの楽しげな笑い声が迫る。それは獣の唸り声にも似た、逃れられない破滅の足音だった。
「どこへ行く! 俺様のハーレムに、逃げ口なんて用意されてねえんだよ!」
ランスは目の前の大木を、剣を抜くこともなく素手で粉砕した。飛び散る木片が弾丸のようにキャスターを襲う。彼女は防御障壁を展開するが、ランスの「暴力」は障壁を紙のように突き破り、彼女の肩を掠めた。
「ぁあッ!」
衝撃で吹き飛ばされたキャスターが、崖の縁で仰向けに倒れる。そこへ、ランスが悠然と歩み寄ってきた。彼は逃げ惑うキャスターを見下ろし、その傍らにセイバーを無造作に転がす。
「捕まえたぜ、魔女。…… その罰として、今すぐここで俺様とセックスだ!」
ランスはキャスターの髪を掴み上げ、その顔を強制的に自分の方へ向けさせた。
キャスターは恐怖で瞳を揺らしながら、ランスの圧倒的な支配力に抗う術を完全に失っていた。柳洞寺の裏山、月明かりも届かない闇の中で、魔女はついに鬼畜王の掌の上に捕らえられた。
ランスは背後から追いついてきた士郎に対し、背中を向けたまま不敵に告げる。
「やめろ!ランス!お前の行動は間違ってる!」
「がはは!止められるものなら止めて見せろ!」
柳洞寺の裏山、月明かりも届かない闇の中。ランスの蹂躙が始まろうとしたその時、不自然なほど静まり返っていた境内に、場違いな足音が響いた。
「そこまでだ」
ランスが振り返る。そこに立っていたのは、英霊でも魔術師でもない。ボロボロのスーツを纏い、ネクタイを緩め、額に脂汗を浮かべた一人の男――佐藤健二。
かつて切嗣からこの街の裏側にある「聖杯」の存在を教えられ、ある種の「保険」として契約を肩代わりしていた、平凡なサラリーマンだ。
「……誰だ、貴様。俺の宴を邪魔する気か?」
ランスはキャスターの髪を掴んだまま、不機嫌そうに問いかける。佐藤は深いため息をつき、革鞄から一枚の「誓約書」を取り出した。
「ランス。俺は、お前のような規格外のサーヴァントに雇い主(マスター)として認められるほど、度胸も魔力もねえ。だがな、お前が会社を……いや、この街の『平穏』をこれ以上ぶち壊すのは、サラリーマンとして看過できん」
佐藤の手には、切嗣から託された「令呪」が刻まれていた。彼は、ランスのような理不尽な暴君を制御するため、自らの命を削る覚悟で契約の縛りを行使した。
「……何をするつもりだ」
「お前の『理不尽な支配』というシステムに、法的な……いや、魔術的な『異議申し立て』をさせてもらう」
佐藤の令呪が赤く発光する。彼は叫んだ。
「令呪を以て命じる! ランス、セイバーとキャスターを解放し、今すぐ柳洞寺の境内から撤収せよ! そして、朝の通勤ラッシュが終わるまで、その剣を鞘から抜くことを禁止する!」
空間が激しく歪む。ランスの身体が、絶対的な命令の強制力によって引き絞られる。彼は舌打ちをし、その凄まじい筋力で令呪の縛りに抵抗するが、佐藤の命がけの魔力供給による「制約」は、ランスの理不尽さを一時的に相殺した。
「……小賢しい真似を! だが、これで俺様を止められるとでも!」
「止めはしない。だが、お前の『宴』には『勤務時間外』の制限をかけさせてもらった。お前が暴れるなら、その分、お前の魔力は俺の会社負担でゼロになる!」
ランスは狂ったように笑いながら、渋々セイバーとキャスターを突き放した。
「ぐぬぬ!俺様があ!!」
ランスは夜の闇へと霧散した。
突如として訪れた静寂。士郎とキャスターが呆然とする中、佐藤はスーツの埃を払い、疲れ切った表情でネクタイを締め直した。
「……さて、明日も朝から会議があるんだ。英雄だの魔王だのの面倒を見ている暇はない。……衛宮くん、後は頼んだぞ。俺はもう、有給を使いたい」
佐藤はフラフラと山を降りていく。
平凡な男が、理不尽という名の怪物に立ち向かった唯一の瞬間。冬木の夜に、サラリーマンの乾いた背中だけが、妙な威厳を放ちながら遠ざかっていった。