少年の体は力なく床へと崩れ落ち、胸元からは鮮血が静かに広がっていく。
心臓を貫かれれば、魔術の素養を持たないただの人間が生き残る術などない。
ランサーは血の付いた槍を一振りして血脂を払うと、感情の失せた目で死体を見下ろした。
「ま、こんなもんだろ。命令通り、目撃者は処理したぜ」
虚空へ向かって不貞腐れたように報告する。戦士としての誇りを持つランサーにとって、無抵抗の一般人を、それも子供を手に掛けるのは決して寝覚めの良い仕事ではなかった。
不快感を隠そうともせず、ランサーは再び身体を霊体化させ、その場から完全に気配を消し去って撤退した。
数分後。
夜の静寂が戻ったはずの校舎の廊下に、激しい足音が響き渡る。
「ハァ、ハァ……! こっちよ、ランス! 気配がこの先から――」
凛は廊下の角を曲がった瞬間、言葉を失って立ち尽くした。
窓から差し込む月光が、床に広がる赤黒い水溜まりと、その中心に横たわる少年の姿を無残に照らし出している。
「嘘……そんな、まさか……」
凛は駆け寄り、少年の傍らに膝をついた。
見覚えのある顔だった。同じ学校に通う生徒――衛宮士郎。
震える手で彼の首筋に触れるが、ドク、ドクという命の脈動はすでに途絶えている。胸の傷は深く、完全に心臓を破壊されていた。
「遅かったか……。チェッ、やっぱり男ではないか。時間の無駄だったぞ」
後ろから追いついてきたランスが、死体を一瞥してつまらなそうに鼻を鳴らす。
「あんたは黙ってて!!」
凛は鋭く叫んだ。その声は怒りと、それ以上の激しい後悔に震えていた。
自分が聖杯戦争の初戦に浮かれ、優雅に勝とうなどとこだわったからだ。もっと早く結界の異常に気づいていれば。あの時、ランサーの隙を突いた後にすぐ周囲を警戒していれば。この少年は死なずに済んだかもしれないのに。
「……私の、せいだわ。管理者のくせに、巻き込まないって決めてたのに……っ!」
「おいおい、凛。死んだ人間を気にしたって仕様がないだろうが。それより俺様は腹が減ったぞ。帰って飯にしようではないか。あ、その前に一発――」
「言ったでしょう、黙っててって!!」
凛は形見のペンダントを強く握りしめる。
父の遺品であり、遠坂家が十数年かけて莫大な魔力を貯め込んできた最高級の宝石。これだけの魔力質量があれば、まだ魂が肉体に留まっているこの瞬間なら、疑似的な心臓の蘇生すら可能かもしれない。しかし、それは聖杯戦争という戦いにおいて、最大の切り札を一枚失うことを意味していた。
魔術師として非情であるべきか。それとも、人としての矜持を通すべきか。
凛の脳裏に、かつて父が遺した「常に優雅たれ」という言葉が、そして自分自身の「誰も巻き込まない」という誓いが交錯する。
「……これであんたへの借りは、チャラなんだからね。衛宮くん」
凛は意を決し、ペンダントを少年の胸元にかざした。
魔術回路を最大出力で駆動させ、宝石に込められた膨大な魔力を一気に解放する。
「―――“Reset(適合)”!!」
眩いばかりの赤い光が廊下を包み込む。
肉体を再生し、失われた血液を補填し、強引に停止した心臓の針を動かすという、魔法の域にすら届きかねない大魔術。宝石はみるみるうちに光を失い、ただのガラス玉のように砕け散っていく。
「ふむ……? おい凛、今のはなんだ。死人が生き返ったぞ?」
ランスが驚いたように目を丸くする。
ルドラサウムの世界でも、死者を完璧に蘇生させる手段など、神の奇跡かそれに類する超高位の魔法しか存在しない。目の前の少女が、それほど破格の魔術を成し遂げたことに、さすがのランスもわずかながらに目を見張った。
「ハァ、ハァ……、やって、やったわ……」
凛は荒い息を吐きながら、少年の胸がかすかに上下し始めたのを確認した。脈拍は弱いながらも確かに戻っている。
これなら放っておいても朝には目を覚ますだろう。
魔力を使い果たし、眩暈を覚える凛の身体を、ランスが背後からそっと(下心を含みつつも)支える。
「よく分からんが、大したもんだな凛。さすが俺様のマスターだ。ご褒美に俺様のハイパー兵器で――」
「触るな、バカ……。行くわよ。誰かに見つかったら今度こそお終いだわ」
凛はランスの手を叩き落とすと、よろめきながらも立ち上がり、出口へと歩き出した。
大切な切り札を失った喪失感は大きかったが、不思議と胸のうちはすっきりとしていた。
校舎を後にする二人の背中を、静まり返った月が見下ろしている。
命を救われた少年が、この後さらなる過酷な運命――もう一人のサーヴァントとの邂逅へ導かれることなど、今の凛には知る由もなかった。