満員電車で私を触っていたのはカレシのはずだったのに 作:かめのこたろう
反応を確かめるように、様子を窺うようにスカートの上を這っていた手指の動きが直接下着越しに撫でてくる感触へと変わった。
膝上二十センチのスカートならばさほど労せずに脇から音も無く忍ばせることなど簡単だろう。
そうして始まった、薄い青のナイロンのフルバックショーツの感触を確かめるように表面だけを指先と掌(てのひら)でさする動き。
決して強くなく、只管あやすような微妙な感覚。
まったく焦りや乱暴さなど無い、小憎らしいほど落ち着いてゆっくりとやさしい手つきなのがとてもいやらしい。
敏感な場所を確実にこすられて、そのたびにピクリピクリと背筋を意図せぬ快感が走る。
その事実が余計に怒りと苛立ちを募らせる。
もうこの身体の熱さが昂ぶった感情が齎したものなのか、無理やりくみ出された生殖の本能によるものなのかわからない。
そしてこれまで一切抵抗をすることなく、卑劣な蹂躙行為を受け続けていたのも決して受け入れていたわけではないことを示すときが来たことを知る。
今こそ爆発する感情のままに声を挙げ、浅ましき犯罪者を突き出してやるときが来たのだと湧き上がる衝動に身も心も委ねて。
その次の瞬間、全ての状況を何もかも覆す決定的な一撃が発生した……筈だったのに。
自分がそうする代わりに起こした行為に愕然とする。
何故という自問自答だけが繰り返される。
……ありえない。
後ろの痴漢に向かって足を広げて腰を突き出すなんて。
余人には全くわからないであろう、ごくごく僅かな動き。
でも私の身体を明確な意図を持って触っていた痴漢にだけははっきりとわかっただろう。
これ以上無いほどの混乱の只中で背後の驚きと悦びをその動きで理解する。
お尻を撫でる動きを一瞬止めたあと。
ゆっくりと割れ目を伝ってその奥にある場所へと指先を移動させてきた。
それは明らかな確信を持った動きだった。
やがて最も性的で感じる場所を触られた瞬間。
周囲が満員の人々で囲まれていることを忘れた。
ビクッと震えて、熱く潤った場所から分泌された液体がじわりとショーツに滲むのを確かに感じた。
………
さわ……っ。
不意にお尻に起こったその感覚、初めは何の意図も無いただの接触としか思えなかった。
場所は満員電車の中。
ただでさえ、周囲すべてを人に囲まれて、なんら意識されること無い強制的な接触に身体中を晒されているのだ。
未だ入学して1月も経っていない、始まったばかりの学校生活。
何もかもが目新しく、初めて体験することばかり。
朝と夕方に乗る電車もまたその一つだった。
乗るたびに襲われる人の波。
ぎゅうぎゅう詰めにされてもみくちゃにされて。
降りるときには髪はぼさぼさ、セーラー服は皺だらけ。
わたしはこんなことを3年間も続ける自信が早くもなくなりそうになっていた。
今朝もいつも通りの波に押されて。
サラリーマンと思しき男の人と相対するように正面から身体を密着させた。
ぐいぐいと押し付けるように後ろから力が加わってくる。
少なからずお互いの形を感じるほど、ぴったりとその人に身体をくっつけてしまっていることに否応もなく羞恥が沸き起こり。
自分が悪いわけでもないのに、後ろめたいような申し訳ないような気持ちになって哀しくなる。
思わず顔を見上げた。
わたしの情けない顔を認識したのであろうその人は、なんとなく「しょうがないよな」って感じで諦めたような苦笑を浮かべた。
それだけで気まずさが少しは解消されたような気持ちになった私は単純だったんだろうか。
そうしてなんとかこの時間を耐える決心を固められて数分後のことだった。
お尻に違和感が襲ってきたのは。
初めは単純に何かがスカートの上から押し当てられる圧力だけだった。
そんな感触は電車に乗るようになってから常にあることなので別に気にもしていなかったのだけど。
それが明らかに意図を持って触れているのだと気がついたのは、上下にゆっくりと動き出したとき。
まさかと思った。
話には聞いていた。
親には散々注意するよう聞かされていたし、友達の体験談も興味半分怖さ半分で何度も教えてもらった。
でも実際に自分にそれが起こったのだと気がついた瞬間。
巻き起こった恐怖と気持ち悪さに一瞬で身体も心も硬直してしまった。
それがはじめて痴漢に遭ったわたしだった。
こわい。
はずかしい。
気持ち悪い。
やめて。
なんで。
惨めで哀しい気持ちが溢れてただただ震えることしかできない。
無力。
そんなわたしの様子に自信をもったのか。
痴漢の動きはどんどん大胆になっていった。
ごつごつした感触だったのが、いつしかぴったりとお尻を包むようなものになり、触り方を手の甲から掌へと変えたのがわかった。
するとそれまでよりも、はっきりと撫でられる感覚が襲ってくる。
ゆっくりと形を確かめるように、僅かにお尻が変形するほどの力で何往復も。
それは、スカートと下着越しでも十分すぎるほどの刺激を送ってくる。
こんな風に身体を他人に触られたことなんてない。
益々怖気が襲ってきて、全身に鳥肌を立ててしまう。
もうそのときにはがくがく震えてえづきそうになるほど追い詰められていた。
これ以上は我慢できない、とうとうその想いが恐怖で動けない心に勝る。
そうして必死で顔を上げると。
目の前のサラリーマンの人と目が合った。
助けてっ!
そう確かに助けを求めようと決心したはずのその瞬間。
自分を助けてくれるかもしれない人の目を見たその刹那。
わたしの決意は一瞬で消え去った。
恥ずかしさとやましさ、恐怖と羞恥に押し流されてしまった。
開こうとした口を僅かに戦慄かせたあと。
もう溢れつつあった涙が浮かぶままの瞳を下げて。
顔を俯いた。
ああ、やっぱりダメだ。
こんなの言えない。
恥ずかしいし、怖い。
このまま気持ち悪いことをされ続けるんだ。
どうにかなっちゃうんだ。
そう蹂躙される恐怖と自分の情けなさ弱さに対する絶望で目の前が真っ暗になった瞬間。
大きな音が耳に飛び込んできた。
それは男の人が出した痴漢への制止の声だった。
………
それが人生初の痴漢体験だった。
自分が助かったのは本当に運が良かっただけなんだと思う。
助けを求めればいいと誰しもが言うが、同級生はおろか男の人とまともに接触したことがない、身体を触られるなどいわずもがやの女子が適切な対応などできないことを嫌というほど思い知らされた。
圧倒的な恐怖と羞恥、いやらしいことをされているという状況が齎す目立ちたくないという逆らえない衝動。
あんなのろくに経験が無い、進学したばかりの女の子なら誰でもなすがままにされて、泣き寝入りするのがほとんどだ。
だからただ震えていて目があっただけなのに、そんな私の異常をきちんと理解して行動に移してくれた、あのサラリーマンの男の人には感謝してもしきれない。
幸い、その後は痴漢に遭うこともなかった。
もしかしたらその時のショックで挫折していたかもしれない新生活も何とか続けることが出来た。
そして人並みの青春を過ごし、おしゃれに精を出して、男の子の視線を意識し始める。
やがて大好きな彼氏が出来たら、否応も無く経験は積み重なっていき。
いつしか私は男という存在に対してなんの恐怖も持たなくなっていた。
付き合う人ができたとたんに加速度的に異性への理解が深まった。
特にセックスを通じて得たものはとてつもなく大きい。
男という生き物がとても感じやすく弱いものだとすぐにわかった。
女というものがとても気持ちよくて強(したた)かなものだと身をもって知った。
そんな彼と自分の関係性だけじゃない。
ほかの友達やクラスの男子達、バイト先などあらゆる人間社会の関係性の中で、自分というものの価値、立ち位置を学んでいく。
好きな彼以外に言い寄ってくる男達、そして嫉妬と羨望を向けてくる女達の中で正しい自分の在り方を考える。
少なからず、私は自分を安売りしなくてもいい人間なんだと完璧に把握した。
何とか私の気を引こうと必死な男達を愛しく哀れに思い。
明らかに生存競争で優位に立つ私を妬み恨みつつも表に出すことなくへりくだる女達を蔑みつつ同情する。
だからといって特別何か思うところがあるわけでもない。
ただ単に顔とかスタイルとかの持って生まれたもので人生が変わってくるという現実を淡々と受け入れ始めただけ。
頭が良い人がいれば悪い人もいる。
性格が良い人もいれば悪い人もいる。
それと一緒。
私は少なくともこの時この場所では綺麗で可愛いとされる女の子で、さらには数ある年代の中でも特別な価値がある女子校生という存在なんだ。
だからそれを素直に受け入れて。
卑屈にも傲慢にもならないで自分が生きやすいように生きていく。
それがセーラー服を着始めてから、私が身につけていったことだった。
………
そうして今、進学して三年目の夏。
すっかり「女」になりつつあることを自覚している私。
ぎゅうぎゅうづめの電車の中で、かつて痴漢に遭った事をふと思い出した。
あの時はただ震えて何もできなかった。
助けてもらえなければそのまま好きにされてしまったであろう恐怖と羞恥。
すっかり忘れ果てていたのに。
浮かび上がるようにその記憶が蘇ってきたのはこの満員電車の圧迫と熱のせいだろうか。
それとも、今まさにお尻に感じている違和感が喚起したのだろうか。
乗ってすぐに車内の壁に押し付けられて、ぺたんこにされた。
咄嗟に身を守るように壁に当てた両手のひらと腕も含めて押し付けられて全く動けない。
何時ものことながら、うんざりする。
ああ、緩く巻いた髪とか薄めのメイクが崩れないか気になる。
セーラー服はもう結構着崩してるからどうでもいい。
スカートは膝上20センチ。
この長さならあんまり皺とかもできづらいし気にならない。
階段を上がるたびにお尻を鞄で隠すのがめんどくさいけど。
そんな風に早くこの時間が終わらないかとそれだけを考えながら車窓から外を睨みつけていたその時。
腕か足かわからないけど、人の身体の一部がお尻に押し付けられる感覚が襲ってきた。
『ぐぐぅっ』て感じで。
単純に不可抗力で接触することなど当たり前だから、普通は気にならないのに。
何故かその時は最初から違和感を感じた。
だからこそ、昔痴漢にあった記憶が蘇ってきたんだと思う。
その直感が間違いでないことはすぐに証明された。
ぺたっと今度は掌全体ではりつくように押し当てられる感触に変わったからだ。
もうこの時点ではっきりと痴漢を受けていることを確信した。
以前経験したときとほとんど同じ流れ。
でもそれを受けている自分の中はまるで違っていた。
かつては恐怖と羞恥、情けなさと恥ずかしさだけが心を満たしていたのに。
今はどうだ、心中にあるのは確かな嫌悪感にもどかしさと苛立ち、怒り。
そして圧倒的な軽蔑だけだった。
くだらない。
馬鹿馬鹿しい。
いくら自分が低劣で最低な人間で私みたいな若くて綺麗な女の子と縁がないからって。
こんなことでしか性欲を満たすことができない。
醜くて恥ずかしい生き物。
どこまで見下げ果てても飽き足らない、汚物。
むしろ可哀想。
そのくだらなさが惨めすぎて、哀れみすら覚えてしまう。
その思いそのままに自分の顔が歪むのがわかる。
不快さを顰めた眉と視線に。
馬鹿馬鹿しい、くだらないという思いを口元に。
そして嫌悪感と怒りを頬に乗せて。
お尻を包み込むように触れ続ける手の感触を確かに感じながら、私はそのまま放っておいた。
正直、気持ち悪くてサイアクな気分ですぐにでも声を挙げて突き出してやりたいと思ったけど。
以前の経験で痴漢を突き出した後に待っている諸々が面倒で時間がかかることを知っていたからだ。
もちろんスカートの中に手を突っ込んできたり、あるいはこのまま揉んできたりと少しでも行為がエスカレートすれば何時でもやってやろうと身構えていたけど。
とりあえず、下着とスカート越しに押し当てているだけ、下手をすれば言い訳すらできるであろうこの状況である限り、自ら動くことはしない。
そうすることに決めた。
ただ自分の心情をありありと顔に浮かべてやって。
こちらからはうかがい知ることが出来ない卑怯者に見せ付けてやろうとするだけ。
それでも電車が揺れて、押し当てられた掌とお尻の接触が強まったり力の加わり方が変わったりするたびに、散々彼氏に気持ちよくなるように開発された身体が意図しない感覚を送ってきてイライラした。
でもそれももう終わり。
目的地の駅につくと、扉が開いた瞬間に人に押されるままに電車を降りる。
お尻の感触も周囲の動きが始まると同時になくなっていた。
改札に向かいながら、胸をそらして鼻から息を吐く。
不愉快さが少しはまぎれたような気がした。
そしてじわじわと以前の私とは違う、自分自身の落ち着きと心の在り様に我ながら頼もしい気持ちがわいてくる。
あの程度のものだったんだ。
何も知らなかった子供だったころならともかく、今の私が怯えるようなものではない。
たとえ何処を触られようと、男に身体中を愛される感覚を知っているんだから、未知の恐怖はない。
あるのは好きでもない男に一方的に触られる不愉快さだけ。
この怒りと苛立ちは本物だけど、それさえコントロールできる冷静さと落ち着き。
何も怖いことなんてない。
ならば立証が難しい程度の触られ方である場合、変に手間をかけられるくらいならば、ただ軽蔑してやればいい。
徹底的に見下して無様さ、卑怯さ、醜さを嘲笑ってやればいい。
ちょっと癪だけどよほど露骨なものでない限り、いちいち大事(おおごと)にするよりはそうしたほうが楽だ。
ただでさえ自分は魅力があって人を惹き付ける存在なのだと自覚している。
我を忘れて私を求めるのは痴漢に限った話じゃない。
逆に世の中には痴漢に相手にされないような女の子も多いはず。
だからこれも恵まれた人間に課せられた、ちょっとした宿命のようなもんだろうと。
足早に学校へと向いながら私は思っていた。
それだけで終わっていれば、長い人生の中で起こった極め付けに不愉快な経験の一つというだけで終わったのかもしれない。
でもそうはならなかった。
その人生二度目の痴漢がそれから起こることの前触れでしかなかったことなんてこの時にはわかるわけもなかった。