アルトコへ帰ってから本格的に結婚生活が始まった。
プリンプリンとアイリーンにとっては、ボンボンという男手が入ったことにより助かる面も多い。重い荷物や大型の家具の移動などは、やはり力のある男性がいると心強かった。
昔から見知った相手なので家に馴染むのも早い。アイリーンからも気にいられていたし、弱ってきたモンキーにやんちゃなキッキの世話も率先してやってくれる。
職場でも言われたが、旦那として理想的と言って過言ではない。
夜のほうも、母がいる手前ハネムーンのように大胆にとはいかないものの、同じ寝室で眠るから自然と営みに入ることも多かった。
ある夜は触れるだけだったり、深く愛し合ったり。
振り返れば人生最大の蜜月だったのだろう。
それが唐突に終わりを告げたのは、気分が悪くて職場を早退した日だった。
ハネムーンから早二ヶ月。暑い日が続いていた。旅行会社も稼ぎ時でてんてこ舞い。
その日は、朝から頭に血が足りずに足もともフラついていた。
『今日は帰ったほうがいいんじゃない?』
と周囲に諭されて昼には帰宅の途についた。
もちろんボンボンにも連絡した。迎えに行くと言って聞かなかったが大丈夫だと言い聞かせた。
電車に揺られて帰るとアイリーンが駅で待っていた。
「夏バテかしら」
などと言って支えられながら家へ戻った。
手を洗っただけで服も着替えずソファへ寝転ぶ。ベッドで寝たきりのモンキーも心配そうにこちらを見ていた。
額に汗をにじませていると、アイリーンに尋ねられる。
「プリンプリン、聞いてみるけれど。貴女、最後に月のものが来たのはいつ?」
プリンプリンはぼんやりした頭で振り返った。
「新婚旅行前……挙式する前」
「ひと月遅れているわね」
「昔から忙しいとズレることがあるの」
「よくないわ。ちゃんとお医者さまに診てもらわないと」
アイリーンがそばへ来て、その場で両膝をついた。温かい手が重ねられて心地よい。
「プリンプリン。お母さん、ちょっと近くの薬局までお買い物してくるから。
何かあったら救急車を呼ぶのよ」
「大げさねえ……」
母は早足で外出したが、プリンプリンがうとうとしていたらすぐに戻ってきた。
そして袋から取り出したのは――妊娠検査薬。
使い方を説明されると困惑した。
「お母さん、わたしもボンボンもまだ子どもは早いからってキチンと線引きしているの。もう少し生活が安定してから……」
「調べてみるだけでいいのよ。そうでなかったら、単なる夏バテか風邪だもの。
ねえ、プリンプリン」
母の心配をプリンプリンもさすがに無下にはできなかった。
『そんなバカな』と思いながらも、御手洗で説明書どおりにキットを使う。
結果は――彼女の予想とは違っていた。
「ボンボンが帰ってきたら、家族会議をしましょう」
食い入るように見つめながら、アイリーンは感情の伴わない声で言った。
プリンプリンはまだ『誤反応ではないか』と疑っていたが、とりあえず体が辛いので夫婦の寝室へ戻り、一眠りすることにした。
ボンボンは夕方に、いつもより一時間は早く帰ってきた。
がむしゃらにノルマを達成して会社からバイクをトバしてきたという。
「プリンプリン! 大丈夫かい?」
血相を変えて部屋まですっ飛んできた。
そこへアイリーンが入ってきて、プリンプリンの体調を確認すると二人をリビングへ呼びつけた。
テレビの音が室内に響いている。
アイリーンは向かいにボンボンを座らせ、プリンプリンの使った妊娠検査薬を見せた。
結果は二本線。
「これは説明書」
丁寧に折りたたまれた紙を渡し、娘婿に読ませる。
ボンボンはおずおずと受け取って読むとテーブルに置かれた検査キットを二度見した。
「……え?」
プリンプリンと同じく動揺している。
検査薬は『妊娠』を示していた。
険しい顔でアイリーンがボンボンとプリンプリンへ告げる。
「同じ日にお休みを取って、病院で診てきてもらいなさい」
厳しいまなざしを受けながらもボンボンはまっすぐに義母を見返した。
アイリーンは娘とよく似たとび色の瞳をわずかに細め、
「もし、難しいようなら私が一緒に……」
「いいえ」
ボンボンは申し出をさえぎり、よく通る声でハッキリと言う。
「僕が行きます。明日にでも」
その返事にアイリーンは嬉しそうに頷き返した。
だが、そうすぐに産婦人科の予約が取れるはずもなく結局受診は一週間後になった。これでも病院の空き時間を配慮してもらったほうだ。
プリンプリン本人も課長に事情を話すと、皆には伏せてもらった上で一日休みが取れた。忙しい中、申し訳ないなと頭の片隅で思った。
ボンボンも上司から二つ返事で了承を得たそうだ。
清潔でひろい待合室で並んで待っているとボンボンは明らかに緊張していた。
「うう〜……どうしよう。男の子かな? 女の子かな?」
実際に懐妊しているかどうかではなく、すでに性別の話にまで飛躍しており、プリンプリンは反対にプッと吹き出してしまう。
「妊娠していたとしても、まだわからないわよ。どう考えても一、二ヶ月だもの」
「そうかなァ。でも避妊していたのにどうしてデキちゃったんだろ」
「物事に百パーセントはないというけれど……」
「第一診察室までお越しくださーい」
看護師に呼ばれ、二人は診察へ向かった。そこでも待たされたが、今後について色々と話し込んでいたので案内されるまで長くはなかった。
診察室に入ると、メガネをかけた女性医師が待っていた。
名乗られ、問診される。
最後の生理はいつか? 体調不良はいつから?
プリンプリンだけでなくボンボンにも質問が飛んだ。
「避妊はしていたとのことですが、使用に問題はなかったですか?」
「はい……おそらく。ずっとつけていたし」
「ずっと? 交換とかしなかったの?」
医師のメガネの奥の瞳がギラリと光る。
ボンボンは肩をはねさせ、
「え、交換……? してません」
「コンドームは消耗品です。長時間の使用は繊維の摩耗に繋がります。……今後、ちゃんと避妊するならこまめに交換するように」
医師が厳しい声で言った。
口調や態度こそ違うが、プリンプリンはこのお医者さまはワット博士と少し似ているように感じた。
諭されたボンボンはというと意気消沈して肩を落としている。
プリンプリンは小声で耳打ちした。
「大丈夫、わたしも知らなかったから……」
だがボンボンはよしとしない。
「でも結果きみが大変だし……」
そのとおりだった。
来る未来に向け、どのように備えるべきか。それを知るために二人は来たのだ。
問診を終えるとエコー検査室へ通された。医師とはカーテンで仕切られ、横にモニターが設置されている。
ボンボンも隣にいてくれて、二人で手を取りながら見ることになった。
器具を挿れられるのは苦しかったがモニターが映ると目線が移る。
医師が器具を慎重に動かしながら説明してくれた。
「うん……見えますか? 赤ちゃんがいる袋。波形も小さく脈打っています。確かに妊娠されていますよ」
ハッとなって、プリンプリンは目を凝らす。
正直どこがどうなのかわからないが確かに新しい命が自分の中にあるのだ。
まだ実感が湧いていなかったが急にふわふわとした心地になる。
隣でボンボンも食い入るようにモニターを見つめていた。
「プリンプリン……おれ、兄弟いないからこういうの見るの初めてだ」
「わたしもよ。ふしぎな感じがするわ」
「ああ……でも、ナンだかとってもスゴいことが起きてる気がするよ」
まだ小さくてわかりづらいものの、自分の中に新しい命が宿っている。
プリンプリンは嬉しくもあったが不安もあった。
だが、それ以上に奇妙な高揚を覚えていた。
この子は自分の子だ。そして、ボンボンの子だ。
血脈という確固とした存在が彼女の中にズシリと沈む。まるでこの場に繋ぎ止める錨がごとく。
検査を終えると医師から今後は定期的に検診を受けるように言われた。
二人して、どこか不安定な足取りで診察室を出る。
待合室に続く廊下をプリンプリンはゆっくりと歩いていた。
チラ、とボンボンを見やる。
普段は早足なのに今日は一歩一歩確かめるように進んでいた。
伏せたまつ毛が表情に陰を落としている。
「ボンボン、大丈夫?」
プリンプリンは歩み寄ってギョッとした。
ボンボンが碧の瞳から涙をぼろぼろと流していたからだ。
「ど、どうしたの?」
「ごめん。プリンプリン」
ボンボンが力任せに涙を拭う。
「おれ、あんなに復習してたのに。こんな失敗で人生の大事なことを突拍子もなく……」
「でも二人して知らなかったんだから……」
「男と女じゃ、体にかかる負担が段違いだろ。それに職場だって」
プリンプリンも頭の隅で考えていたが、ボンボンはひと足先に今後のことで悩んでいたようだった。
だが、こんな廊下の真っ只中で話しても仕方ない。
待合室までボンボンの手を引くと、滅多に使われなくなった公衆電話のもとへ招き入れる。
「ねえ、ボンボン。それはすぐに決めることじゃないわ。まだ二ヶ月だし……」
「で、でもォ……」
「わたしは嬉しいわよ」
あえてアッサリと告げるとボンボンがキョトンとした顔で見返してくる。
「わたしは、あなたとの子がいると思ったら嬉しいわ。確かに体調も崩して大変なのだけれど。
でも家族が増えるっていいことだわ。お母さんに早く報告したい」
アイリーンだったらきっと手を挙げて喜んでくれるだろう。
それなのに今、ボンボンが不安がっていることこそプリンプリンは心配になる。
「イヤなの?」
まだ目立たないお腹を撫でながら問いかけた。
気づかぬうちに冴え冴えとした声になってしまったことを悔やんでいる。
問われたボンボンは濡れた目を揺らし、二、三回瞬きした。
「……イヤというか。困ってる」
「子どもができたから?」
「そうじゃなくて!」
ボンボンが首をぶんぶん横に振る。
白い髪を乱し、プリンプリンを真正面から見つめてきた。
「――きみに苦労をかけるのに、スッッッッッッごい嬉しいのが困るんだよ!
あ〜! おれと、きみの子がいるんだと思うと、おれだって早く会いたいよッ!
でも子育てってそんだけじゃねえだろ。だから……だから……」
ボンボンがまた泣きそうな顔で言うものだから、プリンプリンはフフと笑ってしまう。
冷や汗なのか頬に張りついた髪を指先で払ってやると肌の柔らかさがわかった。
「『嬉しい』っていうのが大事じゃない。辛いだけじゃないわ。
もっと素直に喜びましょう。
……大丈夫。これからちゃんと用意して迎えれば、わたしたち、親になれる」
まっすぐに見つめ合えば視線がぶつかる。
ボンボンの碧い瞳はいつだってプリンプリンを映している。
彼はぎゅうと目をつぶってから、思いきりプリンプリンを抱き寄せた。
「プリンプリン、おれ、もっと頑張るよ。
辛い時にはそばにいて……ああ、でもお金のこともあるし。夜勤を増やしたほうがいいかもしれない。
ただそれじゃきみのそばにいれない!」
ああだこうだとまた悩みだすボンボン。
その腕の中でプリンプリンはそっと目を閉じ、まぶたの裏に未来の家族の姿を思い描いていた。