「ねえ、プリンプリンの彼氏ってさ……」
旅行会社に勤めだしてから、二年すぎた。
お昼休み、持参したお弁当を電子レンジで温めようと給湯室へ行ったら先客が井戸端会議をしていた。
自分の名前を聞きつけ、プリンプリンはとっさに隠れてしまう。
会社の中でも年長の女性が他の二人へコソコソと喋りかけていた。
「ちょっとヤンキーっぽいわよね。あの深緑の厳ついバイク……革ジャンとかいかにもって感じだわ」
「あー、いつも迎えに来るひと? ヘルメット脱いだところ見たことないから、どんな顔なのかわかんないですよね」
「プリンプリン本人はお嬢様っぽいのに、どうしてあんな不良を選んだのかしら。もったいないわ」
三者三様にボンボンをメチャクチャに評している。
プリンプリンは憤りつつも、すこし笑ってしまった。
この人たちは、ボンボンのことを何も知らないんだな。
彼があんなに誠実でかわいらしい男の子だということを。
そう思うと目の前の会話も耳をすり抜けていくようだった。
そこに真実などないから。
場を乱すべきではないだろう、とプリンプリンはお弁当を抱えて踵を返した。
その日は冷めた昼食を摂りつつ、携帯電話でコッソリとボンボンへメールを送った。
噂されているよ、と。
『え〜、心外だな。今度きみの職場へ挨拶しに殴り込もうか?』
そんな返信に対して、プリンプリンは、
『そんなことしなくても大丈夫よ』
と笑顔の絵文字を添えて返したのだった。
♢
例の噂を聞いてから、数ヶ月ほど経った冬の夜。
担当した客が海外でフライトの日程を間違えたのを何とかリカバリーしようとプリンプリンは受話器を放せなかった。
隣で上司がパソコンのディスプレイに各便の空き状況を見せてくれて、それを頼りに話を進める。
「ええ、ええ……お手数おかけしますが、どうか一席、融通していただけませんか?
お客さまも割高になるのは了承されておりますので……」
定時になっても通話は続いた。
周囲で自分の業務を終えた社員たちが足早にロッカーへ向かったり、お茶を沸かしてすこし休もうとしたりするのが伺える。
小さな会社だから誰が何をしているかどこにいても一目瞭然なのだ。
ガラス戸の向こう側の、外の様子もよく見える。
いつも迎えにきてくれるボンボンのことも。
ボンボンはいつもどおりバイクにまたがったまま待っていたが、プリンプリンがなかなか出てこないせいかバイクを路肩へ移動させていた。
戻ってくるなりガラス戸の前でカカトを浮かせる。
ヘルメットごしに社内を覗き込んで首をひねっているようだった。
事情を話せずプリンプリンはもどかしかった。
こんな寒い中、待たせてしまってはかわいそうだ。
そんな時、室内の奥から課長がトコトコとガラス戸へ近づいていった。
課長は小柄で、ほとんど白髪の頭を七三で撫でつけている。穏やかな気質が全身から漂い、パリッとしたスーツで客からの信頼も厚い。
戸につけられたベルがカランと鳴った。
課長がボンボンへ声をかけている。耳では空港の予定を聞きながらも視線はそちらに釘づけだった。
何を話しているのか気になっていたら、なんと課長に続いてボンボンが社内に入ってきたではないか。
プリンプリンは目を見開き、だんだんと近づいてくるボンボンを見守る。
だがすぐに彼へジェスチャーを送った。
自分の頭を指して、必死に訴える。
『ヘルメットをつけたままだ』
と。
ボンボンも指摘されると慌ててヘルメットを脱いだ。
白い綿毛のような髪がふわりとひろがる。
外気にあてられたせいか頬が紅潮していた。
それから碧の瞳でオフィスをぐるりと見渡し――。
『彼女がお世話になっています』とばかりに、はにかみながら頭を下げた。
長いことヘルメットの下で隠されていた顔があらわになり、社内に残っていた社員はシンと静まり返る。
どちらかといえば女性社員のほうが固まっていた。
視線だけはボンボンに留めながら。
ボンボンは軽い足取りでオフィスをまっすぐに通り抜けると、課長から応接室へ入るように薦められていた。
仕切りの向こうに消えていった恋人を目で追いながら、プリンプリンは呆然とする。
余計なことをしてしまったのではないか?
ボンボンが腰掛けているだろう応接室へ女性社員がせかせかとお茶を手に駆けていく。
すでに業務は終わっているから、そんなことをする必要はない。
彼は客でもなく、ただ課長の厚意で室内に入れてもらっただけ。
それなのに、そんな真似をする理由は?
下心……。
自分の宝物が取られそうになる、そんな焦りがプリンプリンの胸を占めた。
親切な空港の受け答えに必死に応じるも、視線はどうしてもボンボンのほうへ向いてしまう。
一体、お茶を持ってきた女性と何を話しているのか。他にも二、三人、仕切りの向こうに吸い込まれてゆく。
『わたしの』ボンボンに群がっている……その事実が真面目な働き手であるプリンプリンの集中力を恐ろしいまでに削いだ。
「はい……はい。ありがとうございます!
お客さまにもフライト時間をお伝えしますね。
このたびは、本当にありがとう。失礼します」
長い交渉を終えた時、受話器を置く手が震えていた。
そんなプリンプリンを見かねて上司が、
「あとはやっておくからいいよ」
と言ってくれる。
頭を下げ、帰り支度をサッと済ませるとすぐに応接室へ向かった。
仕切りをくぐるとボンボンが社員から質問攻めにあっていた。
「いくつ?」
「ハタチ……」
ボンボンは女性に顔をずいと近づけられ、ちょっと困ったような顔をしていた。
周囲の女性が黄色い声ではしゃいでいる。
「わっかァ〜い、かわいい! プリンプリンとはいつから?」
「交際は三年前からだけど、小さなころからの友だちで……」
「純愛〜♡ 今ドキ珍しい」
若い男の子を囲み、前のめりになって質問攻めにする同僚たち。
プリンプリンは仕切りからこっそり覗くものの、妙な空気に気圧されて出ていけずにいる。
「えっ、二人はお互いに初めての恋人? 他の人と付き合ったことないの?」
「えっと……」
直球な問いかけにボンボンが言葉をはぐらかす。
今だ、とプリンプリンは仕切りから身を乗り出した。
「ボンボン。遅くなってごめんなさい……」
スタスタと足早に近づけばボンボンがパッと振り向いてくれる。
浮かぶのは満面の笑み。目が糸になってしまい、八重歯を覗かせる、あの笑顔。
「プリンプリン! お疲れさま。ナンだか難しそうな話してたね」
「ええ……詳しくは帰り道で話すわね」
プリンプリンは全身に針でも刺されたような居心地の悪さを感じていた。
こちらを見つめる女性たちの視線が痛い。
早くこの場を去ろうとボンボンの腕を引こうとしたが弾んだ声に遮られる。
「ねえ、プリンプリン! アナタの彼氏、すごいハンサムだったのねえ!」
給湯室で、まさにボンボンを『ヤンキー』と言っていた社員だった。
今ではすっかり手のひらを返してにこやかに話しかけてくる。
「昔はバイカーって、こう、怖い印象があったけど。ボンボンくんは爽やかでかわいいわ。アナタとお似合いで……」
「そ、そうですか? ありがとうございます」
プリンプリンの笑みはわずかに引きつっていた。
返事に困ってしまったから礼を口にしたものの何かが間違っているような、もどかしい感覚。
お局の隣で若い女性社員が熱っぽい目でボンボンを見つめていた。
「いいなあ、羨ましい。わたしもそんな素敵な人がいい」
プリンプリンは急に怖くなって、ついボンボンへ身を寄せてしまう。
ボンボンはいつになく近づいてきた彼女に笑みを浮かべ、肩を抱いてくれた。
二人の距離の近さを目の当たりにして息を呑む。
「あら、お熱いこと! プリンプリンにもそういうところがあったのね!」
お局が口元を押さえて『ウフフ』と笑った。
ボンボンを羨ましがった女性も微笑ましそうに、
「別に取りやしないわよ。でも今度、二人の馴れ初めでも聞かせてよね〜お昼にでも!」
とねだる。
プリンプリンは無言でうなずき返した。
頃合いと見てボンボンが軽く会釈する。
「それじゃ、プリンプリンもトラブルを解決できたみたいだし。
お茶ありがとうございました」
女性たちの後ろに控えていた課長がにこやかに応じる。
「イヤハヤ、あんなに見られてちゃ、強盗にでも入られるのかと周りに心配されるからねえ。
でも驚いた。プリンプリンもえらいべっぴんさんだが、カレシまで二枚目だったとはねえ。ヘルメットを取らせなかったワケだ」
ニシシと歯を見せて周りの野次馬な女性たちを見渡す。
女性社員たちも図星を突かれ、だが気を害することなくアハハと談笑する。
「そんなんじゃないわよー、ねえ」
ボンボンも後ろ頭を掻きながら笑顔だ。
プリンプリンだけが場の空気に馴染まず、顔に作り笑いを必死に張りつけていた。
♢
夜風が体に吹きつける。
ボンボンの腰を強く抱き、ヘルメットに覆われた頭を広い背中に押しあてた。
バイクのライトが道路を照らしだしている。
「プリンプリンの職場の人たちって、優しいね。安心したよ」
バイクを走らせるボンボンが前を見ながら弾む声で言った。
「そうね。働きはじめた時も、一からゆっくり教えてくれて……」
「おれのとこもだよ。まァ〜飲めねえって言ってンのにお酒薦めてきたりしょうもないトコもあるけど」
「悪い先輩ね」
「困らせるのが好きなのさ。シュミ悪い!」
ボンボンの職場も似たようなものなのだとわかり、プリンプリンの緊張がわずかに解ける。
それでも心に残るしこりで胸が苦しい。
プリンプリンは消え入りそうな声でボンボンへ尋ねた。
「ねえ、ボンボン。みんなとどんな話をしていたの?」
プリンプリンとしては一大決心で問いかけたのに、ボンボンからは笑いまじりで返ってくる。
「エ〜? カッコいいね、とか……褒めてもらって。
あとはお菓子とか薦められて。淹れてもらったお茶の種類も教えてもらったかな? 覚えてないけど」
「ふうん……」
「あと、何歳かとか……二人はいつからの付き合いか、とか」
「それは聞こえてた」
言ってからプリンプリンはハッとした。
ボンボンが『あれ』と呟く。
「じゃあ、すぐに入ってくればよかったのに」
返事に詰まる。
ヘルメットを隔てると彼の背が遠く感じた。
二人の沈黙の間を走行音が埋める。
やがてプリンプリンが母とモンキーと暮らす小さな家が見えてきた。明かりが灯り、外気と違って温かい色に満たされている。
「それじゃあ、明日ね。プリンプリン」
ボンボンがヘルメットを取り、ニコリと微笑みかけてきた。
帰り間際は必ずこうやって顔を見せてくれる。
これまでは普段と変わらぬ笑顔に安堵を覚えていたが、今は胸騒ぎが止まらなかった。
糸のように細まる碧の瞳。薄い唇、わずかに開いた口から覗く八重歯。
これらが他の人の視線を絡め取り、異性を呼び寄せる。
前からボンボンは人目を集めるほうだとわかっていたが見知った職場の人物が彼を捕捉した事実がどうも気にかかった。
プリンプリンはボンボンにヘルメットを返しながら、
「ええ、またあした。気をつけてね、ボンボン」
と彼へ告げる。
ボンボンはそれを受け、『ン』と短くうなずくとプリンプリンの白い頬へいつものようにキスを贈った。
最近、別れの際に必ず口づけるようになっていた。
口と口でないにせよ日常として慣れていくことにプリンプリンはわずかな戸惑いを覚える。
今日、芽生えた黒々しい感情とともに、自分がどんどん変質していくのが怖い。
触れるだけのキスをしてから、ボンボンはまたヘルメットを被るとバイクのエンジンを噴かして夜の闇へ走り出していった。