結婚式当日。
プリンプリンは控え室でスタッフに囲まれ、鏡の前に腰掛けていた。
顔前に垂らしたヴェール越しに映る自分の顔はぼやけて見える。
試着の時にはなかったティアラが頭上できらめていた。
かつて旅をしていたころは常に載せていた、王女である証。
まだ見ぬ祖国。まだ見ぬ家族に向け、『わたしはここよ』と全身で訴えていた旅路。
昨日のことのように思い出せるが、今日、プリンプリンはこの地でボンボンと結ばれる。
『遊泳国家マリーン』最後の王女として。――ひとりの女性として。
そのために宝箱から取り出してきた。
今、式場には各国から招いた客人が集まっている。
オサゲやカセイジンが快く受付を引き受けてくれて、みんなを出迎えては思い出話に花を咲かせているはずだ。
披露宴を終えたら自分も久しぶりの友人たちとお喋りしたいな。
などとプリンプリンが考えていた時。
隣の部屋からもの凄い衝撃がした。空気がビリビリと震え、鼓膜がキーンと痛む。
「出てけ! 出てけよッ!」
ボンボンの声だった。
隣は新郎の控え室だから間違いない。誰かと言い争っている。
聞き覚えのある声だと思いながら、プリンプリンはスタッフが止めるのにも構わず部屋を飛び出した。
奥まった廊下で懐かしい人物が倒れ込んでいる。
緑の髪に、赤い耳飾りをつけた派手な男性の名は……。
「……ケーチャップ?」
プリンプリンが素っ頓狂な声で呼んだ。
すると彼は質の良さそうなスーツを埃を払いながら立ち上がる。
「アアッ! そっちだったのか、プリンプリン……オレのハートがまたキミの名前で揺れてるよッ!」
旅で出逢ったころと同じ、歯の浮くようなセリフ。
プリンプリンが脱力しているとケーチャップの横でまたも見知った人物がなだめていた。
「おいおい。やっぱり、来ちゃいけなかったんだよ。
今からでも式場に戻ろう」
薄茶の髪を一つに束ねた男性はモイヤー。
デルーデルの花畑を守るべく立ち上がった、オルガン弾きの男の子。今やすっかり大人の男性だ。
「……二人とも、どうしてこんなところに?」
プリンプリンは横目でボンボンの様子を伺う。
自分と同じように正装をしているのに、暴れたせいかすこし乱れてしまっていた。撫でつけた前髪も崩れている。
血走った目が激しい怒りを物語っていた。
「いやぁ、キミに一目会いたくて……そしてあわよくば」
「メーワクだから止めたのに聞かなくて。ごめんよ」
ケーチャップが格好つけようとしたのをモイヤーが遮る。
おそらくロクなことを言わないだろうから有難かった。
プリンプリンはボンボンに歩み寄る。
「ねえ、ボンボン。大丈夫?」
肩で息をするボンボンからいらえはない。
不安にさいなまれたプリンプリンは彼の背をさすった。
何かペラペラ話しているケ〜チャップをよそに、モイヤーが声をかけてくる。
「ごめん。せっかくの日に邪魔してしまって。
ああ、でも。花嫁姿、とっても素敵だね! ボンボンも立派になって。……おめでとう、二人とも」
純粋なお祝いにプリンプリンも口元をほころばせた。
「ありがとう、モイヤー。
それにしても、二人ってそんなに仲が良かったかしら?」
質問にモイヤーが教えてくれた。
「ああ、あの後のことをきみは知らないんだね。
デルーデルは武器製造から手を引いてさ。それから、デルメンデルメン博士が選挙で市長になって……。そこから花畑を守ろう運動がどんどん広がってね。
結果としてスーパゲッチ大統領を失脚させたというワケさ」
「まあ、勝手に国の特産をつぶしかけた人をトップに置いておけないわよね」
「そういうこと。で、このドラ息子なんだけど」
「誰がドラ息子だい!」
ケーチャップが喚くが、慣れているのかモイヤーが『どうどう』と制する。
「ん。まあ、ドラ息子とはチョット違うかもね。
この彼は親元を離れて一念発起、花畑を存続させる側に立った、ってワケさ。それで選挙で当選して議員として頑張ってる」
「あらぁ……意外ね」
プリンプリンは感心してケーチャップを見つめた。
十年前は人の話を聞かず、勝手ばかりする男の子だったが、それが政治家として人々の暮らしを守る立場になるなんて。
その視線に気づくとケーチャップが頬を赤らめてプリンプリンの手を取った。
「ねえ、プリンプリン! オレ、けっこー将来有望視されてんだぜ。議員席で寝こけているジジイどもなんていずれ追い抜いてやる。
だから、ね。見直した?」
どこか憎めないのも変わっていない。
プリンプリンはフフ、と笑みを漏らした。
「ええ。あなたってやる気になればスゴかったのねえ」
「そうだとも! だ、だから、例の映画のごとくオレと……」
調子づき、身を乗り出した彼の目の前で手刀が振り下ろされる。
乾いた音とともにプリンプリンから離された。
よろめくケーチャップをモイヤーが支える。
そして、プリンプリンの両肩を抱くのは――。
「……触るな」
ボンボンがドスを効かせて言い放った。
場がシンと静まり返る。
すっかり警戒してしまっているボンボンを、どうすれば落ち着かせることができるか。
プリンプリンが頭を悩ませていると廊下のむこうから救世主がやってきた。
「騒ぎを聞きつけて来たのに今度は気まずそうだね」
銀色の髪を撫でつけ、黒いスーツに身を包む青年。
人形めいた美貌が苦笑いを浮かべている。
「トントン」
プリンプリンは久方ぶりにその名前を呼んだ。
トントンは短い間だが旅を導いてくれた。冷静沈着で、プリンプリンたちにとっては『すこし年上のお兄さん』といった存在だ。
靴音を鳴らし、彼はボンボンとケーチャップの間に立つと二人を交互に見やる。
「さて。とりあえず、落ち着かせようか」
鈍色の瞳がケーチャップを捉えた。
「ひとまずきみは式場へ向かってほしい。普通、控え室まで押しかけはしないだろう……見てのとおり新郎は再度の身支度が必要だ」
トントンが冷静に促すもケーチャップは不満そうだ。
「で、でも。コイツ、オレに手を出してきて……」
「ハレの日にケンカを買うべきではないよ。
それに、きみ、デルーデルの有望株なんだろう? いくら他国とはいえどこで記者に張られているか知れないよ」
トントンの視線が意地悪く宙をさまよう。
ケーチャップだけでなくモイヤーも周囲を見渡した。
彼らを囲むのは式場のスタッフばかりだが、その人垣の向こうに誰が潜んでいるかわからない。
「……『若手有望議員、かつて恋焦がれた美姫の結婚式でご乱心』。面白おかしく書き立てられてスキャンダルになったらどうするんだい? プライベートで立場を危うくしたくないだろう」
公人としての振る舞いを説かれればケーチャップも唇を噛む。
状況を飲み込んだモイヤーがその両脇をガッシリと掴んだ。
「ほら、行くぞ。この人の言うとおりだ。
それじゃ、プリンプリン。ボンボン。また後でね。
本当におめでとう」
そしてモイヤーにズルズルと引きずられるようにしてケーチャップは退場した。
「大丈夫。そんなに悪い奴じゃなさそうだ」
トントンからそっと耳打ちされたが、プリンプリンはボンボンが心配だった。
「ボンボン……」
プリンプリンはボンボンの額に張りついた髪を撫であげる。
脂汗をかいていて顔色も悪かった。
トントンもボンボンの様子がおかしいことに気づいたのか、じっと様子を伺ってから、
「新郎はまだ準備に時間がかかるみたいだ。いったん、部屋に引っ込めさせよう。
プリンプリンは式の時間までゆっくりしているといい」
と言ってくれた。
プリンプリンは悩んだものの、すでに身動きの取りにくいドレスに着替えていたのでトントンに甘えることにした。
彼は微笑んでみせると、青い顔をしたボンボンの背を軽く叩いて部屋へ誘導する。それにスタッフが数人続いた。
プリンプリンは新郎の控え室の扉が閉じるのを見届けてから、後ろ髪引かれる思いで自分の控え室まで戻った。
それから式がはじまるまで、ボンボンと顔を合わせることはなかった。
♢
バージンロードはアイリーンが付き添ってくれた。
プリンプリンには父がいない。どこかの海で『遊泳国家マリーン』と共にいるのではないかと言われている。
最初は育ての父親であるチャムチャムにお願いしようとしたが、
『あんなに世界じゅう探したんだ。実の家族に付き添ってもらうのがイチバンじゃろ』
としわがれた声で言われ、アイリーンが一緒に歩いてくれることになった。
長いヴェールを持ってくれるのはオサゲの長男と長女だ。
桃色のおさげ髪の彼は苦楽をともにした四人組の中で最も早く結婚した。彼と同じく小柄なお嫁さんで、家族で揃っていると小人みたいでかわいらしい。
式で提供されるパンもオサゲの店にお願いしたものだ。
本当はカセイジンの息子であるセインにもお願いしたかったのだが、まだ二歳で、しっかりヴェールを持って歩くことができなかった。
旅の道中で出逢ったカセイジンの奥さんの膝の上で良い子にしている。
見知った顔がチャペルに集まり、プリンプリンが一歩一歩進むのを見守ってくれていた。
梅雨の時期だが天候に恵まれ、温かな陽ざしが天窓から差し込む。
ステンドグラスの前に真っ白な花婿が立っている。
光に溶け込んで、消え入りそうな儚さがあった。
ボンボンの元までやってくるとアイリーンがプリンプリンの手を彼へ託す。
手袋越しに伝わる体温。じっとりと汗をかいているようだった。
わたしは本当に彼と夫婦になるんだ。
もう子どもではないんだ。
神父へ誓う前、チャペルの顔ぶれの中にモンキーの姿を探す。
確かカセイジンが面倒を看てくれると言っていたはずだが彼の膝にはいない。
プリンプリンは諦めて前を向いた
「新婦プリンプリン。
病める時も健やかなる時も、彼を愛すると誓いますか」
お芝居で聞いたことのある言葉。
プリンプリンはふわふわした気持ちのまま『はい』と答える。
そして新郎と向き合い、指輪を交換するために手袋を外された。
金色の輝きが左手の薬指に宿る。
その光に目を奪われている間に、ヴェールをそっとあげられた。
急に開ける視界に戸惑う。
顔をあげれば、真剣なボンボンのまなざし。
碧の瞳はすこし赤くて、まぶたが腫れて厚ぼったい。
泣いたのかな。
プリンプリンはどきりとして彼を見つめる。
「では、誓いのキスを」
熱っぽい視線に引っ張られるように二人は口づけた。
色とりどりのガラスを通した光の中、純白の姿が染めあげられる。
拍手が起こる。
プリンプリンたちは腕を組み、祝福の中を進んでいく。
ヴェールをあげてクリアな視界で見た面々は、旅で出逢ったころと変わりないようで。どこか違っていて。
もちろんアルトコの友人たちも普段よりもドレスアップしている。
プリンプリンは顔をあげ、彼らに笑顔を送った。
だが隣を見るとボンボンはまだ緊張しているようだった。口を硬く閉じ、ただ先の大扉だけ見つめている。
係の人が扉を開けて通してくれた。
これからフラワーシャワーまでしばし二人だけの時間。
チャペルに隣接する前室へと案内され、用意された椅子に腰かける。
プリンプリンはブーケへ視線を落とし、トスを受け取るのは誰かと想像していた。
ボンボンは落ち着かない様子で、長い脚を組んで指で膝を叩いている。
会話はなかった。
みんなのはしゃぐ声が聞こえる。
「ねえ、ボンボン。誰にあげるのがいいと思う?」
尋ねるとボンボンは仏頂面で、
「誰が独身か知らない」
と言った。
プリンプリンはそういえば自分もだと気づく。
このアルトコ市で暮らす友人のことならわかっているが、他国の一人一人の事情など普段は耳に入ってこない。
先ほどのケーチャップのことだって初めて知った。
あの旅がもう十年近くも前の過去だと思い知らされる。
「披露宴が終わったら……みんなとお喋りしたいわ。
積もる話がたくさんあるの」
「そうなんだ」
「ボンボンは?」
どこか上の空なボンボンにプリンプリンは問いかけた。
彼は碧い瞳で天井を仰ぎ見る。
どこかの国の宗教画が描かれていて、天使が神さまらしき人を囲んでいた。
「おれは、そんな余裕ないよ……」
覇気なくボンボンが答えた瞬間、扉が開いてスタッフが明るく呼びかけてくる。
「皆さまがお待ちですよ。さあ、行きましょう」
新郎新婦より嬉しそうな顔をしていた。
プリンプリンとボンボンは立ち上がり、促されてチャペルへ舞い戻る。
客人がいなくなり、どこか寂しい雰囲気だった。
ステンドグラスから差し込む陽ざしの中へ足を運び、耳を澄ませる。
ブーケを胸元に寄せ、ボンボンが腕を軽く曲げるのに寄り添う。
「行きますよ」
大扉が開かれると、まずは視界が光に覆われた。
ワッとなだれるような歓声。空気を震わせる拍手の音。
目が慣れてくればみんなの笑顔に包まれる。
ボンボンが先に歩を進め、プリンプリンも続いた。
『おめでとう!』
『お幸せに!』
階段の下でみんなが待っている。
プリンプリンはふわりと微笑んでブーケを空高く放りあげた。青と黄、そして白で彩られた花束は宙で舞い……、
伸ばされた複数の手のうち、ただ一人のもとへ落っこちる。
「ありがとう、プリンプリン!」
金色の髪をハーフアップでまとめているのは、懐かしのパリジェンヌ・テリーだった。淡い黄色のドレスが春に咲くタンポポを思わせ、彼女の明るさを引き立てている。
託されたブーケを大事そうに抱えて満足げだ。
プリンプリンは彼女へ手を振り、ボンボンとともに階段を降りてゆく。
リボンや花びらが頭上に降りそそいできた。爽やかな青空が彩られ、そよ風が二人を包む。
少し離れた位置で、カメラ前でとある人物が唇を震わせた。
「ザーンザザンザン、ザァ〜〜〜〜ンッ!
これより、司会を任されましたアル中テレビの、花のアナウンサ〜〜〜〜〜〜ァァ〜〜〜がプリンプリンちゃんの結婚式のご様子を皆さまへお届け!
いやぁ、見てくださいヨッ! こんなに美しい花嫁さん、一生に一度しか見らんないでしょッ!
新郎も二枚目を自称するだけあって、なかなかにキマッてますねえ。ヨッ、世界一の幸せ者!」
かつてプリンプリンたちを地の果てまで追ってきたアナウンサーだった。
式場で結婚式の流れを相談していたら、どこから聞きつけたのか急に司会を申し出てきたのだ。
テレビ中継なんて仰々しいと思ったがプリンプリンとボンボンは承諾した。
「プリンプリンちゃァん、ちょっとコッチ向いてくださいよォ。
今日という輝かしい日に来れなかった、各国のお偉いさんが視てるかもしんないですからね。
そう、これはアルトコ中央テレビ初、世界同時中継!
歴史に残る映像になるんです。だから、ネ〜〜ファンサービスお願いッ!」
そう。今日この場にいない人たちへ自分たちが元気だと伝えるために再びカメラに映ることにした。
花のアナウンサーに呼びかけられてプリンプリンがゆっくりと振り返る。
「笑って、笑って!」
カメラに向け、各国の知り合いに手を振ろうとした。
横から影が覆い被さる。
プリンプリンはとっさに身をよじるが目の前が真っ白に染まった。
唇の隣、中途半端な位置に柔らかいものが触れる。
気づいた時にはもうボンボンが離れていた。
キスしたというのに目つきは鋭く、まるで挑むようなまなざし。
プリンプリンは呆けたように口をポカンと開ける。
二人が無言で見つめ合っていたら花のアナウンサーに喚き散らされた。
「わァ〜〜〜〜〜〜ッ! 何してるんだ、子どもも見てるんだぞッ! あ、でも、結婚式は誓いのキッスもするモンだし……でもねぇッ、これは、子ども番組なの!
まったく、お熱いのはカメラの外でやってちょ〜〜〜だいッ!」
二人の間に走った緊張など露知らず、アナウンサーはオーバーリアクションでカメラにずずいと自分の顔を寄せる。
他のフラワーシャワー参加者もキャアとはやしたてるばかり。
誰もが新郎と新婦が当てつけてきたと思っている。
プリンプリンはボンボンを見上げた。
先ほどまでの張りつめた表情ではなかったが頑なな横顔だった。