3、
見知らぬ土地で夜に出歩くのはすこし不安だった。
過去の冒険で何度も経験したものの、ここ最近は滅多になかったから。
それでもボンボンがずっと手を引いてくれていたから歩き進めた。
「どこへ行こうか」
アイリーンに追い出され、久しぶりに二人だけで散歩。
商店街の蛍光灯に照らされて彼の白い髪が輝いている。
プリンプリンはとび色の瞳でじっと見つめ、
「港に行きたい」
と告げた。
プリンプリンは海が好きだ。
たとえ夜でも、暗がりで揺れる波を見ていると落ち着く。
ボンボンは『わかった』と短く返事して、彼女の手を強く握った。
小さな観光地だから港まで遠くない。
湿気た潮のにおいに辿り、港まで足を運んだ。
色とりどりの電飾でピカピカなツリーが海面に映り込んでいる。
遠く道路を走る車が光の列を作り、今ここに息づく時間を感じさせた。
「デートスポットってのもナットクだね」
ボンボンが感嘆の声を漏らす。
プリンプリンも幻想的な、なおかつ確かに人々が活動する景色を眺めた。
あの光の一つ一つが生きていて、温かな暮らしがあるのだな。
過去にもこんなふうに眺めていたのを思い出される。
「わたし、海を見るのが好きだった。
でも昔より見なくなったわ……なぜかしら?」
半ばひとりごとのように言うと、ボンボンから笑われた。
「探しものが見つかったからかな」
見上げた碧の瞳にちらちらと夜景の燈が映っている。
言われてプリンプリンはその灯りのひとつに、今、自分は確かにいるのだと感じた。
実母であるアイリーンと暮らしはじめて十九年。みなしごとして養父母に育てられた期間より既に長い。
その間、家族が増えた。
実子のリンリン。血を分けた息子と過ごす時間はあのころの自分の孤独を埋めてくれる。
それに、キッキ。少女時代を常に支えてくれたモンキーの忘れ形見。
お猿さんがリンリンの周囲をチョロチョロ歩いていると、まるで自分とモンキーみたいで微笑ましい。
最後に――。
「ボンボン」
プリンプリンは夫の名前を呼び、
「ありがとう。わたしを待っていてくれて」
と礼を言った。
ボンボンが少し頬を朱くしてはにかむ。
糸のように細められた瞳が、いつでも自分を迎え入れてくれる。
「きみとずっと一緒にいられるなら、いくらでも待つさ」
プリンプリンがそっと彼に体を預けると両腕で抱き留められる。
見上げて視線がかちあった。
ふわりと唇に熱が降りてくる。
柔らかい感触。角度を変えて何度か確かめ合い、どちらともなく口を開いた。
初めてキスをしたのは確か十八のころ。
その時と比べて言葉を交わさずとも互いが口づけたいと思えば何となく察せるようになった。
あの時は『もう少ししたい』だの了承を取っていたのに……いや、その前に触れるだけのキスをしたのだったか。
驚くばかりだったプリンプリンも今では彼の舌に自分のものを絡ませるようになったのだから時の流れは早い。
触れている箇所が熱くて、体の内側に火が灯っていく。
崩折れて、ひろい胸に寄りかかるといっそう強く抱き締められた。
「プリンプリン。あの……もう少し夜景見たい?」
ボンボンの焦ったような声。
プリンプリンがとび色の瞳でじっと見つめると彼は耳まで赤くして、
「……そのう。火ィ点いちゃった、かも」
確かに心臓の音がやけに早かった。
耳を押しつけ、その音を感じながら、
「いいわ」
とだけ答えた。
港を後にして街灯を辿ってゆく。
夜の観光街は古めかしいネオンに照らされ、妖しい輝きを宿していた。
そんな明かりからすこし離れたところに明滅を繰り返す一際古い看板がある。
奥まったビルに吸い込まれていけば、人のいない狭く薄暗いロビー。
「こういうところ入ったの初めて」
なぜかはしゃいでいるボンボンだが、ちょっと照れ混じりのように見えた。
見かけなくなったブラウン管テレビに部屋がいくつか映し出されている。
ド派手な装飾が取りつけられた真っ赤な円形ベッド。いわゆる回転式。
本当に存在したんだ、と開いた口が塞がらない全面ガラス張りの寝室。
ランカー同様の成金趣味か、とツッコミたくなる黄金ベッド……。
「おれ、回るベッドって体験してみたかった!」
わあい、なんて言いそうな雰囲気でさっさと選ぼうとするボンボンへプリンプリンは釘をさした。
「ボンボン。ベッドって回る必要あるかしら?」
「え、でも需要があったからあちこちにこーゆーベッドが残ってるんだろ?」
「でも、回る必要があるかしら?」
「回るの楽しそうじゃない!」
「……もう一度聞くわね。必要ある?」
プリンプリンにしては低い声。
ボンボンが肩をシュンと落とした。
「……ないです……」
「そうね。じゃあ、わたしが選ぶわね。
このピンク色の貝殻のベッドなんていいんじゃないかしら」
プリンプリンが指さすとボンボンも覗き込んでくる。
「ハイ。かわいいと思います」
「このお部屋にしましょう」
黙りこくったボンボンを引き連れ、ロビーでボタンを押すと管からシューと鍵が落ちてくる。
わずかに錆びた鍵を手に暗い通路を進んだ。
鍵に刻まれているのと同じ番号の部屋の扉を開け、照明を点ける。
天井はガラス玉で作られたチェーンが幾重もぶら下がり、光を反射する。床には海を模した青色のカーペット。
大きい水槽ではグッピーが泳いでコポコポと水音が聴こえた。
そして中央に待ち構える、ピンク色の貝殻がしつらえられたベッド。
ボンボンとプリンプリンはよっこいしょ、とベッドに腰かけ、改めて室内を見渡した。
「すっげぇ……」
ボンボンが碧の瞳を白黒させている。
プリンプリンも見たこともない空間に落ち着かず、両膝を擦り合わせた。
もっと不可思議な国へ行ったことさえあるのに。
いつまで経っても世界には未知がたくさんある。
「コレ、何だろ?」
ボンボンがベッド横にある機器をペタペタと触る。
ON・OFFを切り替えるスイッチをひねると、インディゴブルーの天井に星座が浮かび上がった。
古い映像だから大分ぼやけている。
「こっちは?」
クスクス笑いながらプリンプリンが隣のスイッチを操作したら、今度はオルゴール音が鳴り響いた。
二人は腹を抱えて笑う。
「どういうシチュエーションだよ……」
「ほんと。作った人には悪いけれど、とっても少女趣味だわ!」
「選んだのはプリンプリンだろ〜」
「こんな音楽まで鳴るだなんて思わなかったの」
目尻の涙を拭いながらプリンプリンは答えた。
オルゴール音を垂れ流したまま二人は部屋を物色する。
リモコンでテレビを点ければ男女のそういうビデオが流れるので気まずくなって切った。
クローゼットの中にはバスローブが男女一着ずつ。香りつきだの薄いだの書いてあるゴム。ピンク色をした雫型のオモチャも少々。
「ちゃんと消毒してるんだろうけどね」
ボンボンはオモチャをよく見てポイッと戻した。
プリンプリンは初めて見たのでドキドキしたが、意外にもボンボンが冷静なので首をかしげる。
最後にシャワールームのドアを開けると自分たちに真正面から迎えられた。
「鏡張りだァ」
ボンボンが口笛を吹く。
天井も側面も透明度の高い鏡で覆われ、床は黒い大理石風。ピンク色の小さな貝殻型の浴槽がかろうじて寝室とムードを共有していた。
プリンプリンはカチコチに固まり、目だけで上下左右を確認する。
こんなところでシャワーを浴びるの……?
助けを求めるようにボンボンをチラと見やるも笑みで返される。
「先に入る?」
瞳が熱っぽい。
あ。このひと、もうその気だ。
プリンプリンが気づいた時には唇をさっと奪われていた。
「大丈夫。ちゃんとベッドで待っておくから」
キス一回で『そういうことをしに来たんだ』と突きつけられる。
ボンボンはプリンプリンの下唇を甘噛みして、ゆっくりと寝室へ戻っていった。
ひとりきりにされたプリンプリンは急に気恥ずかしくなる。
だが相手を待たせているからノロノロと服を脱いだ。
全面の鏡に映り込む自分の白い裸身……。
非日常の光景に身を縮め、すぐに熱いシャワーを流した。
もくもくと湯気が立ち、鏡も曇る。
備えつけられたシャンプーやソープは意外とお高いメーカーのもの。泡立てると良い香りが漂う。
念入りに磨きあげないといけない気がして、頭からつま先まで洗う。
シャワーを浴びると泡が肌をすべり落ちていった。
鏡面が波打ち、自分の姿がユラユラ映し出される。
先ほどまで恥ずかしがっていたが、体が温まったせいか肩から力が抜けて、生まれたままの自分を見つめた。
濡れた銀の長い髪が体に張りつき、白い胸を覆う。思ったよりも膨らまなかった釣鐘型の乳房。
お腹のなだらかな曲線に雫が滴り、薄い茂みへ落ちる。
脚も旅をしていたころよりもスラリと伸びて、もうすっかり大人。
お尻も大きくなったかな、とチョット歳を感じてみたり。
いつのまにか少女だった時代が遠くなり、こんなところまで来てしまった。
後悔しているワケではないし、過去に戻りたいワケでもない。
それでも思うのだ。
自分はいつ『少女』から『女』になったのだろう、と。
身体的な意味なら、きっとあの時だ。
ボンボンと行った新婚旅行。蒸し暑く、むせかえるように緑あふるる楽園。
オサラムームーで初めて二人で過ごした一夜――。