『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
その日の午後、遠見市の外れにある古い石造りの符闘場に、俺たちはやってきた。
かつては公式の符闘も行われていたというその場所は、今や蔦に覆われ、半ば廃墟と化している。しかし、魔力供給のラインは未だに生きており、結界を展開するには十分な環境だった。
律也との符闘が始まるまで、まだ一時間ほど時間がある。
俺はルクシエルと英稟を控え室に残し、一人で裏手の回廊へと向かった。
事前にルクシエルを通じて、三神苑子に「符闘の前に二人だけで話がしたい」と伝えてあったのだ。
回廊の奥、崩れかけた石柱の影に、三神苑子はすでに立っていた。
昼間とは違い、黒い符士装束の上にさらに深い色の外套を羽織り、腕を組んで佇んでいる。その姿は、一人の歴戦の符士としての威厳を放っていた。
「……待たせましたか」
俺が声をかけると、三神は静かに振り返った。
「いいえ。私も少し、頭を冷やしたかったので」
彼女の目は、昨日星宮邸で会った時よりも、さらに真剣みを帯びている。
「式世一様。息子との符闘を前に、私にどのようなお話が?」
「簡単な取引ですよ、三神さん。あるいは、星宮家の未来に関する相談、と言ってもいい」
俺は石柱に背を預け、彼女をまっすぐ見つめた。
「律也との符闘ですが、俺は一切手加減をするつもりはありません。徹底的に、容赦なく叩き潰します。力を見せつけ、彼が二度と符闘を甘く見られないようにする」
「……ええ。それは私自身が望んだことです」
「ですが、それだけでは彼はただ『圧倒的な力にひれ伏した』だけで終わる。その後に、彼をどう導くかが重要です」
三神は眉をひそめ、俺の言葉を待った。
「彼には、まだ符士としての才能が眠っている。ただ、環境が彼を腐らせていた。俺が彼を叩き潰した後、俺の『従者』として手元に引き取ろうと考えています。英稟の後ろに俺が立ち、俺の後ろに律也が立つ。そういう構図を作る」
「息子を……あなたの従者に?」
「そうです。俺の側で本物の符闘を経験させ、もう一度符士としての道を歩ませる。それが、彼を裏社会から完全に引き剥がし、更生させる唯一の方法だ。違いますか?」
三神は深く息を吐き出した。
彼女の表情には、母親としての葛藤と、符士としての理性が交錯している。
「……確かに、それができれば、親としてこれ以上の喜びはありません。ですが……それは、あなたにとって何のメリットがあるのです? 私を恩義で縛るためですか?」
(恩義で縛る、か)
的確な言葉だった。否定はできない。律也の更生を真剣に考えているのは本当だが、その半分以上は計算だ。この女を引き込むための、最初から描いた筋書きだった。
(何をいまさら……)
東京のオフィスで上司に怒鳴られていた頃の記憶が、一瞬だけよぎる。何度謝っても詰められて、それでも黙ってうなずいていた、あの三年間。「愚劣なのは向こうだ」と思いながら搾取される側で生きてきた男が——今、奪う側の人間になっている。
その感触が、ほんの一瞬だけブレーキになった。
——ルクシエルの声が、記憶の底から響く。
『欲するままに動いてください、世一様。あなたが踏み出す一歩を、私が全力で支えます』。
あの縁側での囁き。
(……そうだ)
(遠慮する必要はない。俺が取り戻しているだけだ)
「隠すつもりはありません。俺は星宮家を完全に掌握したい。そのためには、家宰としてのあなたの力と、古参の家臣たちの支持が不可欠です。あなたが俺の味方になれば、他の家臣たちも動かしやすくなる」
俺は一歩、彼女に近づいた。
「律也の将来を保証する代わりに、あなたは俺の『駒』になってもらう。星宮家の実権を俺に譲り、表向きは英稟を支えながら、裏では俺の命令に従う。これが、俺が提示する取引の条件だ」
三神苑子は長い沈黙に沈んだ。
古い回廊に、冷たい風が吹き抜けていく。
彼女は目を閉じ、何かを必死に堪えるように拳を握りしめていた。やがて、彼女はゆっくりと目を開け、俺をじっと見つめた。
「……わかりました。律也がもう一度、前を向いて生きていけるなら……私は、この身も、甕星の傍流としての誇りも、すべてあなたに捧げましょう。星宮家古参の筆頭として、他の家臣たちをあなたに従わせることを約束します」
「賢明な判断です、三神さん。いや……これからは、苑子、と呼ぶべきか」
俺がそう言うと、彼女の頬がわずかに赤く染まった。
三十代後半とはいえ、未だに若々しく、引き締まった身体を持つ美しい女性だ。その凛とした表情が、俺の言葉によって一瞬だけ崩れたのを見逃さなかった。
「……お好きなようにお呼びください、世一様」
「いい返事だ。では、符闘を始めようか」
俺は静かに頷き、回廊を後にした。
背後で、彼女が深く一礼する気配を感じながら。
回廊を後にし、俺は符闘場の中央へと歩みを進めた。
円形の闘技場は、ひび割れた石畳からかすかに魔力の光が立ち上っている。その中心で、三神律也はすでに待っていた。
彼の表情には、昨日賭け符闘場で見せたような無気力さはなかった。代わりに、緊張と、何かに縋り付くような悲壮な決意が、その瞳の奥にぎらぎらと燃えている。
「……来たな」
「待たせたか、律也」
俺は彼の正面に立ち、自身の符叢をセットした。
闘技場の隅には、英稟とルクシエル、そして先ほど取引を交わした苑子が並んで立っている。苑子の視線は、我が子の姿をじっと見つめていた。その表情は、先ほど俺に屈服を誓った時とは異なり、一人の符士としての厳格なものに戻っていたが、その実、複雑な熱を孕んでいるのが伝わってくる。
「母さんから聞いた。あんたが俺と本気で戦ってくれるって」
「ああ。手加減はしない。お前が二度と符闘を甘く見られないように、本物を教えてやる」
「望むところだ! 俺は……もう負け犬のまま終わりたくないんだ!」
律也が叫ぶと同時に、闘技場の魔力ラインが激しく発光した。
「符闘、開始!」
闘争の始まりを告げる声が響き渡り、二人の周囲に防護の結界が展開される。
「先攻は俺だ! 手札から式符"影潜み"を実体化!」
律也が素早く式符を繰り出し、影から生まれた黒い獣が場に具現化する。
「さらに、手札の早業符"闇の儀式"を発動! 墓地を肥やしつつ、山札から一枚ドロー!」
(悪くない。賭け符闘場にいた頃より、ずっとプレイングが研ぎ澄まされている)
俺は冷ややかに彼の盤面を見つめながら、自身の最初の手番を迎えた。
「俺の手番(ターン)だ。初期指定式符……"黄金鎖の天使"ルクシエルを公開!」
まばゆい黄金の光とともに、ルクシエルが実体化した。
「世一様のために、お仕えします♡」
ルクシエルの美しい声が響く。
「ルクシエルの効果発動。手札の陽属性を一枚破壊し、山札から"白銀槌の天使"アルギメルを代償なしで特殊実体化!」
「なっ……またその展開力か!」
「さらにアルギメルで、お前の"影潜み"を攻撃」
光の槌が黒い獣を粉砕する。アルギメルの効果により、その戦力差分のダメージが律也の山札を削った。
「くっ……! だが、これで墓地に陰属性が三枚溜まった! 俺の勝ち筋はまだ消えていない!」
律也は痛みに顔を歪めながらも、必死に食い下がる。
「俺の手番! 墓地の陰属性三枚を代償にし、手札から甕星流の秘符……"火車"を実体化!」
炎を纏った禍々しい車輪の怪異が現れた。
「火車の効果! 相手の場の攻撃力が一番高い式符を、墓地へ送る! ルクシエルを消えてもらうぞ!」
「無駄だ」
俺は静かに首を振った。
「ルクシエルは戦闘に参加できない代わりに、相手の効果の対象にならず、破壊もされない。火車の効果が対象にできるのは――俺の場にいるもう一枚の式符、アルギメルだけだ」
「くっ……! なら、そのアルギメルを墓地へ送る!」
火車が放つ禍々しい炎がアルギメルを包み込み、その巨躯を消滅させる。
「よし、これで邪魔なアタッカーは消えた! 火車、プレイヤーへ直接攻撃(ダイレクトアタック)!」
炎の車輪が俺の結界を直撃し、強烈な衝撃波が全身を揺らす。俺の山札が一気に削り取られた。
「世一様……!?」
結界の外で、英稟が息を呑むのが見えた。苑子もまた、息子の放った乾坤一擲の一撃に目を見張っている。
だが、俺は煤けた結界の中で、ただ冷然と律也を見つめていた。
「お前の戦術、墓地を肥やして最速で火車を着地させ、こちらの戦力を除去してテンポを奪う……その方向性は正解だ。以前のお前なら、ここまで論理的にデッキを回せなかっただろうな」
「強がりを……! アルギメルを失ったあんたの場には、攻撃できないルクシエルしかいないんだぞ!」
「本当にそう思うか? 律也」
俺は小さく息を吐いた。
「お前が初手で影潜みを出し、さらに闇の儀式を使った時点で、狙いが『火車』であることは完全に透けていた。だから俺は、あえてアルギメルを前線に出し、お前に火車を切らせたんだ」
「何……!?」
「火車の実体化コストとして、お前は墓地の陰属性を三枚すべて使い果たした。その結果、お前の墓地のリソースは空になり、残り手札は二枚。そのうちの一枚は、お前のデッキ構築からして、次の手番では実体化できない重い早業符だ。つまり、お前にはもう後続がない」
律也の顔から、すっと血の気が引いていくのがわかった。自分の手札を完璧に言い当てられた恐怖に、その瞳が小刻みに震える。
「見せてやる。単なるURの力押しではなく、カードの繋がりが持つ本物の強さを。――俺の手番だ、ドロー」
俺は引き当てたカードを確認し、静かに宣告した。
「ルクシエルの効果発動。手札の『天使の弓兵』を破壊し、山札から――再び『白銀槌の天使』アルギメルを代償なしで特殊実体化する!」
「な、何っ……!? またあの怪物が戻ってくるのか!?」
「それだけじゃない。破壊された『天使の弓兵』は、陽属性天使の特性により、墓地ではなく山札に戻り、俺に一枚ドローをもたらす。これが陽属性デッキの『再循環』の神理だ」
俺はドローしたカードを場に突き出した。
「さらに、ドローした『天使の剣兵』を通常実体化。戦闘だ。舞い戻ったアルギメルで、お前の火車を攻撃!」
「くっ、防げ! 火車!」
しかし、戦闘力7を誇るアルギメルの銀槌が、戦闘力4の火車を容赦なく粉砕する。
「ぐあああっ!」
「アルギメルの効果発動。戦闘で勝利した時、相手の式符の戦力を上回った差分値分――三点、お前の山札を削る。そして、通常実体化した天使の剣兵で直接攻撃!」
光の剣兵が律也を切り裂き、彼のライフは完全にゼロになった。
「うああああああっ!」
強烈な魔力の衝撃を受け、律也はその場に膝をつき、両手を地面について激しく呼吸した。
結界が解除され、静寂が戻る。
律也は地面を見つめたまま、悔しさに涙をこぼしていた。
「負けた……また、俺は……」
俺はゆっくりと彼に近づき、その前に立った。
「立て、律也」
「……あんたに、俺の気持ちなんてわからないだろ! カードの強さだけじゃない、俺の戦い方まで全部読まれて……俺は、どうすればいいんだ!」
「だから言ったろ。お前を俺の手元で引き取ってやる、と」
律也が驚いて顔を上げた。
「俺の従者になれ。俺の側で、本物の符闘と、勝つための理論を叩き込んでやる。もう一度、符士として這い上がりたいなら、俺の手を掴め」
俺は右手を差し出した。
律也は震える手で俺の手を見つめ、やがて、その手を強く握りしめた。
「……お願いします。俺を、強くしてください……!」
闘技場の隅で、苑子が安堵の涙を浮かべながら、俺に向かって深く頭を下げているのが見えた。
これで、三神家は完全に俺のものになったはずだ。