※この作品はR-18です。

『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』   作:シキセ

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第八十七話 栞として

書類の確認作業があった。

 

栞を執務室に呼んで、向かいに座らせた。

 

「この写しの三枚目、符申請者の家紋が抜けている。確認して入れろ」

 

「……はい」

 

栞が書類を受け取った。受け取る際、指が触れそうになった。

 

触れなかった。

 

「……わかりました」と栞が言った。俯いたまま書き始めた。

 

俺は栞の隣に立って、別の書類を確認した。

 

栞の呼吸が一段浅くなった。

 

「……続けろ」

 

「……は——い」

 

ペンの動きが少し乱れた。書き直した。また少し乱れた。

 

「手が震えているな」

 

「……す——すみません。もう少しで——」

 

「急がなくていい」

 

「……はい」

 

しばらく経って、栞が「……できました」と書類を差し出した。

 

受け取った。また指が触れそうになった。

 

触れなかった。

 

栞の手が途中で止まった。

 

「……世一様」

 

「なんだ」

 

「……その——何か——顔に——」

 

「赤いな」

 

「……部屋が——少し——暑くて——」

 

「そうか」

 

栞が「……はい」と言って視線を下げた。

 

────

 

翌日、同じ作業をした。

 

今度は書類を指定するために、栞が座っている横に回った。

 

「この列の数字を合計しろ。途中の式は残せ」

 

「……は——い——」

 

栞の呼吸がまた変わった。

 

俺が動くたびに反応した。俺が止まると反応が強くなった。

 

「……っ♡」

 

小さな声が漏れた。

 

「何か聞いたか」

 

「……い——いいえ」

 

「そうか」

 

「……あの——世一様」

 

「なんだ」

 

「……少し——離れて——いただけますか」

 

「なぜ」

 

栞が止まった。

 

「……集中できなくて——」

 

「作業が止まっている。どちらが問題か」

 

「……っ♡」

 

「続けろ」

 

「……は——い」

 

栞が数字を書いた。合計が一度間違えた。消して書き直した。また少し間違えた。

 

「……すみません——っ♡ もう——少し——」

 

俺は動かなかった。

 

────

 

三日目。

 

栞が執務室に入ってきた段階で、すでに顔が赤かった。

 

「今日は何をすれば——っ」

 

言いかけて止まった。

 

「……世一様は——今日も——ここにいらっしゃいますか」

 

「そうだ」

 

「……一日中——ですか」

 

「何か問題があるか」

 

栞が「……ありません」と言った。

 

目を合わせようとして、できなかった。合わせると余計ひどくなると気づいているようだった。

 

「座れ」

 

「……はい」

 

栞が向かいに座った。

 

俺は何もしなかった。書類を読んでいるだけだった。

 

しばらくして「……世一様」と栞が言った。

 

「なんだ」

 

「……あの」

 

「言え」

 

栞が「……っ♡」と息を詰めた。

 

「何も、していないが」

 

「……いるだけで——っ♡ なんか——」

 

「なんかとは何だ」

 

「……言えない——です——」

 

「言葉にしろ」

 

栞が黙った。

 

「……世一様は——意地悪——です——っ♡」

 

「そうか」

 

「……っ♡♡ 何も——してないのに——なんで——こんなに——っ♡♡」

 

「陽の気だ」

 

「……わかってます——でも——」

 

「でも何だ」

 

栞が「……っ♡♡」と息を吐いた。

 

「……触れて——ほしい——です——っ♡♡」

 

言ってから、両手で口を押さえた。

 

「……っ! いま——私——なんて——」

 

「聞こえた」

 

「……っ♡♡ ちが——そういう——意味では——」

 

「違うのか」

 

「……っ♡♡ 違わない——かも——しれない——ですが——」

 

「そうか」

 

俺は立ち上がった。

 

栞が「……っ」と身を固くした。

 

俺は書類棚に向かった。

 

「……え」

 

「次の作業を出す」

 

「……さわ——らないのですか」

 

「何を触る」

 

栞が「……っ♡♡」と息を詰めた。

 

「……っ♡ 今——自分で——何を言ったか——わかっています——」

 

「そうか」

 

「……世一様——っ♡」

 

「なんだ」

 

「……なんで——触れてくれないのですか——っ♡♡」

 

「渇望が先に立った。それでいい」

 

「……それで——いい——って——っ♡♡ 私は——よくないです——っ♡♡♡」

 

「知っている」

 

「……っ♡♡♡ 意地悪——です——っ♡♡♡」

 

「そうだな」

 

俺は次の書類を出して机に置いた。

 

「続きを頼む」

 

栞が「……っ♡♡♡」と息を吐いた。

 

しばらくしてから「……はい」と言った。

 

声がまだ震えていた。それでも、書類に手を伸ばした。

 

────

 

調べが進むにつれて、栞の仕事が増えた。

 

文書を突き合わせる目は、三人の中で栞が一番だった。風音は聞き取り、小夜は裏の糸。そして栞は、机の上の紙を、一枚ずつ、正と偽に分けていった。

 

「……これも、偽です」

 

栞が、また一枚、命令書の写しを選り分けた。

 

「大会運営の登録変更の命令。所属を書き換えた四件——全部、同じ手で書かれています。そして、この筆跡は、正式な運営の書記のものではありません。書式だけ真似た、外の人間の手です」

 

「証拠になるか」

 

「なります。正式な書記の筆跡見本と、並べれば。……見本は、苑子さんが確保してくれました」

 

栞が、風音の偽造棄権届の写しも、机に出した。

 

「それと、これ。千歳さんの棄権届の署名。ご本人の受領署名と、並べて記録しました。『千』の一画目と、『音』の最後の一画。別人の手です。——書き癖の違いを、図にしておきました」

 

栞が、丁寧に描いた比較の図を差し出した。二つの署名の、どこがどう違うか、線で示してあった。

 

「風音に見せたか」

 

「はい。千歳さんが……『自分の名前を、他人に書かれるのは、二度と嫌だ』と。だから、証拠として、はっきり残してほしい、と」

 

栞が、図を置いた。

 

「……私にできるのは、これくらいです。符闘はできません。裏の糸も手繰れません。でも——紙の上の嘘なら、見分けられます」

 

小夜が、いつのまにか書斎から顔を出していた。

 

「栞さんの調べ、すごいですよ。世一さん。今日だけで、偽の命令書、三枚見抜きました」

 

風音も続いた。

 

「……あの二人の失踪符士の件、栞の作った時系列表がなかったら、繋がらなかった。正直、助かってる」

 

栞が、耳を赤くした。

 

「……そんな。皆が、集めてくれたものを、並べただけです」

 

「並べる仕事を、誰もできなかった」と風音が言った。「栞がいなかったら、山積みのままだった」

 

────

 

夜、栞が一人で執務室に来た。

 

書類を届けに来たのだと思った。だが、栞は書類を置いた後も、立っていた。

 

「……世一さん」

 

「なんだ」

 

「……一つ、お願いがあります」

 

「言え」

 

栞が、少し間を置いた。

 

「……私、遠見で、書記として働きたいです。仮の預かりではなくて。……ちゃんとした仕事として」

 

俺は、書類から目を上げた。

 

「符帝に、戻らなくていいのか」

 

「……それは、まだ、わかりません。空夜として、いつか帝都に戻る日が来るかもしれません。……でも、今ここで働いている私は、栞です。栞として、この仕事を、続けたいです」

 

「仮の仕事では、なくなるということか」

 

「……はい。仮ではなく」

 

俺は、少し考えた。それから、机の引き出しから、一枚の雇用の書式を出した。

 

「書記として、正式に雇う。ならば、署名が要る」

 

栞が、書式を受け取った。読んだ。雇用の条件が、並んでいた。

 

署名欄の前で、栞の筆が、止まった。

 

「……ここに、名前を」

 

「そうだ」

 

栞が、筆を持ったまま、しばらく動かなかった。

 

「……『空夜』と書けば、符帝としての署名になります。この書式に、符帝の名で署名したら——それは、私が符帝であることを、紙に残すことになる」

 

「そうだな」

 

「……でも」

 

栞が、筆を、署名欄に下ろした。

 

書いた。

 

栞。

 

空夜、ではなかった。栞、とだけ。

 

「……空夜ではなく、栞として、か」

 

「はい」

 

栞が、顔を上げた。

 

「今ここで働いている私は、栞です。だから——栞として、署名しました」

 

俺は、その署名を見た。

 

偽名だったはずの二文字が、本人の意思で雇用の書式に記されていた。俺が出立の朝に与えた仮の名を、この娘は今、自分の名前として選び直した。欲しいと思って連れてきたものが、手の中で、こちらの知らない形になっていく。取り上げる気は起きなかった。もう少し、見ていたかった。

 

「……これで、私は、遠見の書記です」

 

「そうだ」

 

栞が、書式を、両手で持った。大事なものを持つ持ち方だった。

 

────

 

栞が書式を胸に抱えたまま、動かなかった。

 

「……世一さん」

 

「なんだ」

 

栞の頬が、赤くなっていた。陽の気のせいだけではなかった。

 

「……署名は、済ませました。仕事の話は、終わりです。……だから、ここからは、仕事ではない話を、していいですか」

 

「言え」

 

「……触れて、ほしいです。栞として」

 

俺は、栞を見た。

 

執務室で、何度も言わせてきた言葉だった。だが今日の栞は、渇望に押されて漏らしたのではなかった。署名を済ませて、公の決断を終えた後で、自分から選んで、言っていた。

 

「いいだろう」

 

栞の顔がぱっと明るくなった。俺は手を伸ばす前に、一つだけ線を引いた。

 

「ただし、今日は触れるまでだ。その先はしない」

 

「……え」

 

「お前が栞としてこの家に根を張るのは、まだ始まったばかりだ。名前を選んだその日に、全部を進めるものじゃない」

 

「……焦らしですか」

 

「順番だ」

 

栞が、少し、頬を膨らませた。それから、俺の前に、一歩、近づいた。

 

「……では、触れてください。栞として」

 

俺は、栞の頬に手を当てた。

 

「……っ♡」

 

小さな声が漏れた。陽の気が、皮膚から流れ込む。栞の膝が、わずかに折れた。支えた。

 

「……っ♡ 世一さん——これ、だけで——っ♡♡」

 

「これだけで、十分だろう」

 

「……っ♡♡ 足りない——です——っ♡♡」

 

「今日は、これだけだ」

 

栞が、俺の腕の中で、息を乱した。首筋に、陽の気を薄く流した。栞の体が、震えた。だが、それ以上はしなかった。

 

「……っ♡♡ 意地悪、です——っ♡♡」

 

「そうだな」

 

「……でも」栞が、俺の胸に、額を預けた。「……栞として、触れてもらえました。……それで、いいです。今日は」

 

しばらく、そのままでいた。

 

栞の署名した書式が、机の上に、置かれていた。

 

その二文字が、もう、仮のものではなくなっていた。

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